第2話 今日の悪役令嬢


「スカーレット・ガルタニス。そなたとの婚約を白紙にしたい」


 スカーレットは鮮やかに巻かれた金髪を揺らし、静かに振り返った。


「あらあらまあまあ。皇太子様。ごきげんよう」


 にっこり微笑む大輪の薔薇。その優美な佇まいに苦笑し、皇太子は隣にいる女の子の肩に手をのせる。

 ゆるふわなストロベリーブロンドの少女は、見るからにか弱そうな眼差しでスカーレットを見つめていた。

 花で言うなら小さな小花。オレンジ系のガーベラかアネモネが似合いそうな少女である。

 小首を傾げるスカーレットに、皇太子は人の悪い笑みをニヤニヤと浮かべ、少女に顔を寄せながら紹介した。


「彼女を知っているかな? サーシャ・パーキンソン子爵令嬢だ。君が彼女に酷い嫌がらせをしていると聞いてね。貴族令嬢にあるまじき行いだし、私も婚約を考え直そうかなと」


「かしこまりましたわ。ではその様に父に伝えておきますわね」


 ニヤニヤしていた皇太子の顔から表情がスルリと抜け落ちる。


「いやいや、待てっ、冤罪なんじゃないか? 濡れ衣だろう?!」


「当たり前じゃないですか。そんな事、確認しないと分からないのですか?」


「なら何故否定しない?」


「面倒臭いからです」


 慌てて自分を引き止めようとする皇太子に、心底ウンザリした面持ちをし、スカーレットは扇で口元を隠す。


「この数ヶ月、あなた様がその御令嬢で遊んでいたのは存じておりましたが、さすがに新年舞踏会でファーストダンスをその方と踊られたのは失態でしたわね」


 スカーレットの瞳が獲物を見据えた猛禽のように煌めいた。


「今流行りの真実の愛ですか? それとも拗れた愛情表現? どちらにしても面倒極まりありませんわ。婦女子を争わせて楽しみたいのなら別な方を当たってくださいませ」


「そなたは私を愛しているのだろう??」


「いいえ? 欠片も」


 きょん? と惚けるスカーレット。そのあまりに無関心な態度は、皇太子の顔から再び表情を奪い去った。


 え? 愛されてないの? 私?


 惚ける皇太子に、やれやれとスカーレットは肩を竦める。


「貴族の婚姻は政略結婚。契約ですのよ? 情など必要ありませんし、不履行なれば解約もやむなしです。賠償金は私の口座によろしく」


 口をはくはくさせて二の句の継げない皇太子様の横から、ゆるふわイチゴがキャン×キャン叫ぶ。


「わたくしが皇太子様の寵愛を奪ったからって、散々嫌がらせしてきて...... 一言ぐらい謝っても良くないですかっ?」


 上目使いに涙をためる小動物。


 うん、可愛らしいわね。でも、嫌がらせ? 何の事かしら。


 パーキンソン子爵家は小さな没落寸前貴族。斜陽待ったなしな貧乏家では子爵の給金だけでは賄えず、奥方や子供らも畑作業に精を出し、奥方が平民出である事から、彼女は学園で爪弾きにされている。

 だが、身分で厭われている訳ではない。

 ここは爵位があれば誰でも入れる学園だ。基本教養や学術は無料。選択科目の専門学科が半端なく有料。

 ゆえに誰もが入学出来、初期教育の二年が終わって、金子がなく学べぬ者は卒業し、さらに学ぶ者は専攻を選び進級する。

 それまでは誰しも同じ学生で平等。初期教育終了だけでも卒業すれば貴族の一員であり、十分な教養や礼儀、学術を身に付けたと証明されるのだ。


 キチンと学び、単位を取り、卒業出来れば。


 大抵は、さらに上級を目指し、帝王学や経済学、哲学や経営学、芸術や紳士淑女の教養を上げるため専攻に進む。

 当然そこには明らかな差が一目瞭然に出るのだが、目の前のゆるふわイチゴには分かっていないらしい。

 本人は真面目なつもりかもしれないが、平民である母親には貴族のアレコレを教える事が出来なかったのだ。

 結果、下町気質の平民臭さに顔をしかめる学生達。付け焼き刃でも構わないから努力の欠片でもあれば、また違ったのだろうが、彼女は、それの何処が悪いとばかりに気安く周りと付き合っていた。

 勿論、学院では珍獣扱いである。物珍しさもあったのだろう。何人かの取り巻きもいて、それなりに楽しい学院生活を送っていたようだった。


 しかし、ここは貴族学院。貴族としての知識を学ぶべきであり、それが出来ないなら退学する他ない。おかげで勉強に無関心な彼女は留年寸前だったのである。


 そんな傍若無人ぶりから、周りは彼女を白眼視した。身分のせいでなく、全てが本人の自業自得だ。


 「貴女は二年になったばかり。一年は大目に見ましたが、すでに知らぬ存ぜぬは通らないのですよ? おわかりですか?」


 呆れたように嘆息するスカーレットを見て、訳が分からないような顔をする子爵令嬢。


「皇太子様。彼女から御聞きになった嫌がらせとは?」


 すがめた瞳で冷たい一瞥を食らい、あからさまに皇太子は狼狽えた。

 微かにどもりながら、説明する皇太子を後押しするかのように、ゆるふわイチゴが捕捉する。


「君に平民同然だと罵られたと....」


「そうですっ、幼児にも劣る猿だとおっしゃいましたっ」


 そこまで??!!


 思わず眼を見張る皇太子を余所に、スカーレットは合点がいったようで小さく頷いた。


「言いましたわね。前半部分が抜けていますが。わたくしに、皇太子様がお気の毒です。解放して差し上げてくださいと仰るので.....」


 ああ、とばかりに周囲にいた学生らが頷き合う。どうやら一部始終を見ていた者も居たらしい。


 ならば、わたくしが話すより説得力がありますわね。


 そう思い、スカーレットが軽く手を上げると気づいた御令嬢が静かに答えた。


「馬鹿も休み休みに仰い。貴族の婚姻は契約です。個人の感情でどうこう出来るものではありません。こんな事も分からないなんて平民のようですわね。貴族なら幼児にでも理解出来る事。それより劣るなんて、貴女は猿ですか? ....こう仰っておられました」


「....一言一句違いません。驚きました」


 軽く眼を見張るスカーレットに、御令嬢は深々と頭を下げた。


「いいえ。あの方は、わたくしにの婚約者にも馴れ馴れしい態度で近寄っていたので.... スカーレット様が、ぴしゃりと仰ってくださって、大いに溜飲が下がりましたわ。それで覚えておりました」


 忌々しげにゆるふわイチゴを睨み付ける御令嬢に、賛同するかのような嘆息がそこここから漏れ広がる。

 軽く周囲を見渡すと、似たような眼差しの御令嬢がチラホラいた。


 あらまあ。この方、方々で恨みを買っておられるようね。


 平民に近すぎるせいか、自由奔放な彼女に心惹かれる令息も多いようだ。社交界では仇にしかならないと知りつつも。


 少しずつ変化していく展開に、皇太子は悪寒を感じる。


「他にもプロムの舞踏会で、平民同然な彼女を礼儀知らずなあばずれと...?」


「そうですっ、わたくしは社交界デビューでしかお城に上がった事もないし、マナーなんて教わった事もないのに.... 知らなくても仕方無いじゃないですかっ」


 はっ?! 嘘だろ??!!


 心の声がだだ漏れな皇太子の顔に、再びスカーレットは盛大な溜め息を吐いた。


「それは学園の教師に対する挑戦ですか? どれだけの教師が貴女を進級させるために頭を悩ませたか」


 スカーレットが、今度は軽く左手を上げる。


 すると斜め後ろの令息が口を開いた。


「婚約者以外の殿方と二回以上踊るのはマナー違反ではしたない事です。しかも身体を密着させるワルツは言語道断。こんな事、一年生の半ばに習う一般教養です。習うまでもなく、貴族ならば社交界デビューする十二才までには親から教わるはずです」


 年に二回行われるプロムの舞踏会。十二で社交界デビューし、十三で学園に入学する貴族が、それを知らぬと声高に叫んだのである。

 皇太子に限らずドン引きされても致し方無い状況だ。

 そしてさらに、その令息の隣にいた令嬢が答えを続けた。


「スカーレット様は、『皇太子様と三曲も踊って、さらにまだ踊ろうと? 次はワルツなのよ? とんだあばずれね』と、当たり前な事しか仰っておられません」


 当たり前すぎて誰もが閉口する。


 皇太子は返す言葉もない。聞いた話に間違いは無かったが、前提が悪すぎた。


「まあ、そんな事が何度も繰り返されていた訳ですわ。だから、わたくしはウンザリしましたの。面倒臭い事この上ありません。皇太子様から婚約の白紙が申し込まれれば是非もない。喜んで承りますわ」


 にっこり極上の笑みを浮かべるスカーレットに、皇太子は顔から血の気を引かせた。

 そういえば自分は言ったのだ。婚約を白紙にしたいと。


「いやっ、あれは間違いだ。こんな事とは知らずに.... 子爵令嬢の言葉を鵜呑みにした僕が馬鹿だった。発言は撤回する」


「出来る訳ないでしょう?」


 スカーレットは軽く数歩歩き、校舎を背にして立つ。

 その後ろでは、多くの生徒がこの騒ぎの顛末を見守っていた。


「これだけの衆人環視の中で貴方は仰ったのです。婚約を白紙にすると。わたくしに非がない事は第三者の証言により明白です。皇太子たろう者が一度口にした言葉を撤回出来ると御思い?」


 皇太子は瞠目したまま顔を伏せた。


 彼はただ、いつも澄まし顔な婚約者の弱味を掴んだと.... 少しからかってやるつもりで...... 本当に婚約を解消する気はなかったのだ。

 言葉を選んだつもりだった。最初にインパクトを持たせようと、婚約を白紙にといったが、考え直す程度の軽いニュアンスのつもりだった。

 しかしその一言が、今の絶体絶命を招いている。


「先月の新年舞踏会。わたくしをエスコートしておきながら、ファーストダンスを子爵令嬢と踊られて。陛下と御父様の顔は御覧になりまして? 王妃様も。あの時点で終わっておりましたのよ。本来は」


 何の話だ?


 言葉にせずとも分かる皇太子の心情。


 こう、腹芸の一つも出来ず、チャラくて八方美人。成績はそれなりなれど、情に流されやすく考えが浅い皇太子。

 その補佐としてスカーレットが婚約者になったのだが、本人は、その意味も理解しておるまい。

 下級貴族からは気さくで話術巧みな好男子に見えているようだが、上級貴族からは浅慮で能無しな皇太子と煙たがられていた。

 然もありなん。国を司り国王を支える重臣達からみれば頼りない事この上ない。

 スカーレットが傍らに立つからこそ、今まで彼は皇太子でいられたのだ。それが無くば優秀な弟王子達がてぐすねひいて皇太子の座を狙うだろう。


「ファーストダンスの意味を御存じないとは言わせませんわ。子爵令嬢と踊られた以上、周囲はそう見るのです。ですが、どうしてもと国王夫妻が仰るので、決定打があるまではと、見送っていただけですのよ」


 ファーストダンスの意味は《最愛》つまり、皇太子は子爵令嬢を新たな恋人として貴族らに披露した訳だ。


 これに激怒したのは父侯爵。ついで驚愕に言葉もないのは国王陛下。王妃様にいたっては失神寸前。

 どうしたものかと眼をすがめるスカーレットを楽しげに眺め、皇太子は御満悦にしていた。

 彼が暗黙の了解を知らぬ筈はない。ただ、それらを軽んじておられただけ。王子であり皇太子である自分なら許されるとでも思っておられたのだろう。


 社交界はそんなに甘くはないのに。


 身分だけで何でも歪められるのなら法など必要はない。中には意味の無いものもあるが、しきたりにはそれなりの意味があるのだ。無意味に踏みつければ奈落に真っ逆さまである。

 それを新年舞踏会という社交場で盛大にやらかした。貴族全体に泥を投げつけたも同然。


 上級貴族全てを敵に回したと言っても過言ではない。


 激怒する御父様に、国王夫妻は土下座する勢いで謝罪した。そして次のやらかしがあれば諦めると約束したのである。

 皇太子を静観する条件で、スカーレットはそれを了承した。


 まあ、やらかすだろうとは思っていたけど、存外早かったわね。


 皇太子は真っ青な顔で俯き、微動だにしない。


 それを訝しげに見つめながら、子爵令嬢はスカーレットを見た。本当に訳がわからないと言う顔で。


「パーキンソン子爵令嬢。貴女は二年になりました。つまり、それなりの礼儀と作法は身に付けているはず。無知な平民のように知らぬ存ぜぬは通用しないのです。もし、本当に理解しておらぬのならば..... 再び一年生からやり直していただかなくてはなりませんよ?」


 スカーレットの言葉に子爵令嬢の顔も真っ青に染まる。

 あれだけ教師らが四苦八苦しながら進級まで漕ぎ着けたのに、喉元過ぎればなのか。彼女は無知をひけらかし皇太子の同情をひいていたようだ。


「皇太子様も。子爵令嬢の言葉を鵜呑みにした時点で上に立つ者として失格です。貴方の背負う皇太子の看板は御飾りではありません。一挙一動を未来の臣下たる生徒らが見ているのです。全ての言動行動に責任が付きまといます。その自覚すらなかったとは..... 嘆かわしい」


「そんな大袈裟な.... たかが学生同士のいざこざだろう?」


 へらっと笑う皇太子に、スカーレットは首を振った。


「ならば何故、貴方様は、そんな顔をしておられるのですか? 自覚がおありなのでしょう?」


 皇太子の顔は蒼を通り越して真っ白である。


 何故こうなった? 自分はただ、スカーレットに関心を持って欲しかっただけなのに。


 美しく才女と名高い彼女は、皇太子の婚約者となっても全く変わらなかった。

 しっとりとした佇まいで、静かに微笑むだけ。

 媚も煽てもせずに、傍らに添う彼女から関心を引き出したかった。贈り物もした。甘い言葉も囁いた。しかしスカーレットは鉄壁な淑女の仮面で軽くいなすだけだった。


 しかし、ある時気づいた。


 皇太子が他の女生徒と親しくしている時だけ、スカーレットの仮面が傾ぐのだ。


 嫉妬? 彼女が?


 それに気づいてからは有頂天になった皇太子である。


 わざと婚約者として蔑ろにし、いずれスカーレットから叱責か泣き言が入るのを心待ちにした数ヶ月。

 新年舞踏会のファーストダンスを子爵令嬢と踊った時の彼女の顔はあからさまに歪み、堪らなく可愛かった。

 それを見たくて、何度もパーキンソン子爵令嬢と踊り、とうとう彼女が子爵令嬢を叱責している姿を目撃する。

 思わず破顔していた過去の自分を殴り飛ばしたい。

 あの頃にはもう、スカーレットに愛想をつかされていたのだろう。


 今になって、ようやく理解した。


 スカーレットは皇太子の事を何とも思っていなかったのだと。


 愛情もないのに嫉妬がある訳はない。公人として愚かな自分を、スカーレットが蔑んでいただけにすぎないのだろう。


 完全に瓦解した足元を見据え、皇太子は力無くその場に崩折れた。その横には労るように子爵令嬢が寄り添っている。


 あら? 瓢箪から駒かしら?


 思いもよらぬ光景に、スカーレットは眼を細めた。




 後日行われた婚約解消。


 意気消沈した皇太子は地位を辞位し、一介の王子に戻った。そして何と、パーキンソン子爵へ婿入りを決めたと言う。


 子爵令嬢は地位も身分も関係なく、皇太子を慕っていたらしい。今回の不始末から、立場の無くなった彼を励まし、陰日向なく支え、絆された王子が降家する決断をする。

 娶るのならば身分差が仇になるが、婿入りならその範囲ではない。さらに、二人を見守っていた国王夫妻からも祝福を受け、王子は伯爵位と領地を賜り、子爵家へ婿入りした。


 パーキンソン子爵は引退し、パーキンソン伯爵となった彼がサーシャ嬢と共に新たな領地で生活する事となる。


 この裏ではスカーレットが暗躍し、身分差にしぶる国王夫妻や重鎮らを説得に回っていた事を当事者らは知らない。


「王子が幸せになれるかどうかの瀬戸際ですのよ。あのまま落ちぶれたら寝覚めが悪いじゃありませんか」


 被害者であるはずのスカーレットから言われては、無視も反論も出来ない。

 しばし傍観していた国王夫妻ではあるが、能力に見合わない身分が皇太子の不幸であった事を覚り、さらには穏やかな二人の付き合いが幸せそうなのを認め、王子が降家するに相応しい身分と領地を与える事を条件に二人の婚姻を許可した。




「終わり良ければ全てよしよね」


 何時もの東屋でお茶をしながら、スカーレットは小さな袋を持ち上げる。


 あの後、スカーレットはサーシャ嬢に声をかけた。




「貴女はひょっとして本当に皇太子様を慕っていらっしゃるの?」


「当たり前ですっ! 結婚は愛する人とするべきでしょう??」


 恨みがましく見上げられた瞳には、確固たる光が揺らめいている。両親が恋愛結婚という背景からか、サーシャには平民思考の強さが伺えた。

 しばし思案し、スカーレットは念のために確認する。


「皇太子ではなくなると思うし、身分差から婚姻も難しいとは思うけど..... 強いて言うなら、子爵家に婿入り出来る程度かしら。それでも宜しくて?」


「....雲の上の方です。期待なんかしてません。それでも優しくて、情の深いあの方が好きなんです。身分なんて関係ありません」


 ポツポツと呟くサーシャに、スカーレットの瞳が弧を描く。


 あらあら。可愛らしい事。物知らずではあるけど、自分知らずではないのね。


「ならば協力出来るかもしれないわ。些か金子が必要だけど」


 ほくそ笑むスカーレットの魅惑的な顔に、サーシャは微かに光る希望を見出だしていた。


 そしてスカーレットの暗躍により、二人の婚姻は許された。


 式はサーシャが卒業してからになるが、あらたな領地の経営や、新居の準備など大忙しらしい。

 王子は今期卒業なので、共に歩み出す二人の背中は微笑ましい。


 そして、わたくしにも見返りはあったしね。


 スカーレットはサーシャから受け取った小袋を逆さにして、中身を確認する。


 彼女は蕩けそうな笑顔で七枚の金貨を見つめた。そんな彼女の背後から、誰かが呆れたかのように声をかける。


「今回は幾らになった?」


「国王夫妻から慰謝料で金貨千五百枚。サーシャ嬢からは七枚よ」


「七枚くらいマケてやれよ」


「いやよ。わたくし、お金が大好きだもの」


 やや低いテノールな声。振り向かなくても誰だか分かるスカーレット。


 伯爵令息キャスバルは自分のお茶を片手に、スカーレットの前へ座った。


「皇太子と婚約とか。らしくないと思っていたんだが、公費目当てか?」


「それもあるけど、むしろ就職かしら。妃となって皇太子を補佐する代わりに、国王夫妻が毎月ポケットマネーから金貨百枚の御給金くれる予定だったの」


 赤裸々な内部事情に、キャスバルは噴き出しかけたお茶を無理矢理飲み込んだ。

 しばし噎せながら彼は涙目でスカーレットを見つめる。


「月百枚の金貨で君を雇えるのかい?」


「妃の身分に公費つきよ?」


「ああ、なるほど。並大抵では出せない金額だな」


「また就職先探さなくちゃ」


「..........そうだな」


 優美な物腰で物憂げに佇むスカーレットだが、その頭の中が金子で一杯な事は誰も知らない。目の前の御仁以外は。

 婚姻先を就職先と言って憚らない彼女の頭の中では、今日も金貨を積んで算盤が弾かれる。


 知る人ぞ知る、悪役令嬢スカーレット。


 彼女にとっては自分の婚約解消すら金貨のタネだった。

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