「ヒーロー」がどこにもない!

東妻 蛍

第1話 序章

 僕、前川浩樹は今日の放課後をずっと心待ちにしていた。なぜなら、今日は大人気ヒーローアニメ『ドラゴンウルフ』のカード付きチョコレートの発売日だからだ。 

 『ドラゴンウルフ』は最近始まったばかりのアニメだ。爽快感が売りのヒーローもので、今や日本中の子供たちの間で大人気になっている。

 そのアニメの主人公であるドラゴンウルフをはじめとし、ヒロインであるアユミ、ヒーローとしてのライバルであるライガー、そして各種悪役のカードがついたチョコの発売が決まったのがつい一ヶ月前のことだった。コマーシャルを見た次の日にはクラスの友人である太田拓也と山内義秋の2人と「発売日当日に一緒に買いに行こう」という約束を交わしていた。この「一緒に」というところがポイントである。昼間のうちに親に買ってきてもらっておく、などの抜け駆けがないようにだ。いわゆる牽制である。子供社会というのも意外と厳しいのだ。

 そんなこんなでようやくやってきた発売当日。普段は朝にとても弱い僕でも、今日という日はすっきりと目が覚めた。宿題はちゃんと終わらせているし、今日の教科書の準備も完璧だ。なぜかって、今日はヒーローが待っているんだから。情けない姿なんてみせられない。

 ヒーローのような強い体になるために、朝ごはんもしっかり食べる。お母さんは僕のいつもの様子との変わりようをみて呆れたように、

「毎日そのカードの発売日だったら私は苦労しないわね」

と笑った。

「いってきまーす!」

「ちゃんと家に帰ってから買い物に出かけるのよ」

お母さんに言われるまでもない。学校帰りの買い物は禁止されている。ヒーローはそんな校則破りは絶対にしないのだ。

 下駄箱に靴を突っ込んで、上履きの踵を踏んだまま教室まで走る。早く昨日の『ドラゴンウルフ』の感想を言い合いたい。教頭先生に「廊下は走らない」と注意を受けたので、途中から早歩きにしたが。校則破りをしないといったそばから叱られるなど、ヒーロー失格だ。反省しながら教室のドアを開けた。

「おはよう拓也、義秋」

「おー、今日は早いな」

「浩樹くんいつもギリギリだもんね」

 今日一緒にチョコを買いに行く約束をしている二人に挨拶をすると、驚いたような反応が返ってきた。失礼な話だ。

「分かってるのか、今日はついに発売日なんだぞ」

「分かってる分かってる。めちゃくちゃはりきってんな」

拓也は屈託なく笑ったが、すぐに表情を曇らせた。

「でも俺、今日ちょっと用事できたから、帰ってすぐ出られなくなった」

申し訳なさそうにそんなことを言う拓也に、僕と義秋は「えぇー」と声を揃えた。

「悪いから先行っといてくれよ。俺の分も5個買っといて」

「分かった……ちゃんと買っとくから、また公園で待ち合わせしよう」

「何時くらいに来れるの?」

「元々は3時集合だったよな……多分3時半とか」

「じゃあ駄菓子屋行ってから十分戻って来れるね」

「楽しみだね」

 そんなことを話していると予鈴がなった。3人で慌てて席につく。感想を言い合えなかったのは残念だが、ヒーローは先生を困らせるようなことはしないのだ。

 今日ほど、学校の時間を長く感じたことはない。自分たちが買いに行く前に、みんな買われてしまっていたらどうしよう。そんな嫌な想像が頭を駆け巡る。僕よりも心配性の義秋などは、3時間目の授業の途中から顔を青くしていた。だがヒーローはこういう逆境でこそ笑っているものだ。多分。

 給食では僕の苦手なしいたけとピーマンの肉炒めが出たが、頑張って食べた。きっとヒーローは好き嫌いなんかしないから。『ドラゴンウルフ』が放映され始めてから僕の生活は一変した。元々は、自分で言うのもなんだが、わんぱくで、大人の手をかなり煩わせていた。しかし憧れのヒーローに出会ってしまった。ヒーローに顔向けできないような生活はできないから、生活態度がかなり良くなった。勉強の出来の方は、まあ話が別だが。

 午後からの授業も乗り切って、ようやく放課後がやってきた。家の方向が違う拓也とは学校で別れて、義秋と二人で走って下校する。義秋の家の方向との分かれ道で、

「じゃあ3時にいつもの公園な!」

「分かってるよぉ」

2人で叫ぶようにして約束を確認し、解散した。

 家に着いた僕は、部屋にランドセルを放り投げてから、放送中にいつもドラゴンウルフが言っているように手洗いとうがいをちゃんと済ませた。

「うーん……手洗いうがいは確かに重要なんだけど、粗雑なところはなんとかならないのかしら」

僕が放り投げたランドセルを片手に、眉をひそめたお母さんが小言を言うが、

「ごめんなさーい」

と口だけの謝罪をして、カバンをひっつかんで駆け出した。もちろん「行ってきます」と言うのだけは忘れない。ヒーローは挨拶を忘れないものなのだ。

 約束の時間よりも少し早く公園に着いた。義秋はまだ来ていない。ブランコに座ってぼーっとボール遊びをしている低学年の子たちを見つめていると、義秋が息を切らせて走ってきた。

「ごめん、遅れたっ」

「そんなことないよ、深呼吸して落ち着いて」

 義秋の息が整ったところで、いつもの駄菓子屋に向かって走りだした。急がないと売り切れてしまうかもしれないと言う意識は言葉にせずとも共有できていたらしい。駄菓子屋に駆け込み、息切れしながらも二人で

「『ドラゴンウルフ』のチョコください!」

と叫んだ。すると駄菓子屋のおばあちゃんは申し訳なさそうに、

「ごめんね、うちでは取り扱ってないのよ」

と言った。

「……え?」

「ああいうのは仕入れてないのよ。コンビニとかの方があるかもねぇ」

 一瞬気を失いかけたがおばあちゃんの言葉で希望がみえた。僕たちは親との約束で子供だけでコンビニやスーパーに行ってはいけないことになっている。しかし拓也のお母さんが働いているコンビニだけは行ってもいいことになっていた。義秋も同じことを考えたのだろう。二人でアイコンタクトを取ると、「おばあちゃん、ありがとう」とだけ言うと。来た時よりも速度をあげて駄菓子屋を飛び出した。おばあちゃんが「またきてね」だとかおきまりのフレーズを言ったような気もしたが、もう耳には入らなかった。とにかく、3時半までには拓也の分のチョコも手に入れて公園に戻らないといけない。

 3時15分、ようやくコンビニにたどり着いた。来てもいいことにはなっているが、実は拓也がいる時にしか来たことがない。慣れない場所に緊張しながら入店すると、いつも親切にしてくれる店長さんが笑いかけてくれた。

「やあ、珍しいね。拓也くんはいないのかい?」

「今ちょっと家の用事してるみたいで」

「ああ、太田さんのところは色々大変だもんね」

 そんな会話を交わしていると、痺れをきらしたのだろう。モジモジとしながら義秋が、

「あのー、『ドラゴンウルフ』のチョコってまだありますか?」

と訪ねた。するとにこやかだった店長の表情が突然曇った。

「あれねぇ……深夜に陳列したそばから全部売れちゃったみたいなんだ」

「……え?」

「結構入荷したんだけどなあ……まさかあんなに人気だと思ってなかったから、購入に個数制限設けてなかったんだよ。本当にごめん」

 店長さんの申し訳なさそうな声が聞こえないくらい、僕たちは絶望していた。そんな、夜に買っちゃうなんて、僕たち子供には絶対にできない。ずるいじゃないか。ヒーローのフェアプレーの精神はどこに行ったんだ。

「再発注かけてるから、明日……いや明後日には入荷できると思うんだけど」

「分かりました……ありがとうございます」だなんて、物わかりの良さそうな返事をしたが、実際は全く納得ができなかった。

 とぼとぼと公園に戻ってきて、2人でベンチに腰を下ろした。公園を飛び出した時にはあんなに希望に満ち溢れていたのに、いまではしょんぼりとしぼんでしまっている。ちらりと義秋の方を見ると泣いていた。僕だって泣きたい。じんわりと目頭が熱くなってきた。しかし、涙が溢れることはなかった。義秋が日頃全く出さない大きな声をあげたので、驚きでひっこんでしまったのだ。

「絶対おかしいよ!」

「なにが」

 義秋の普段とはあまりにもかけ離れた姿にそんな言葉しか出てこない。理解が遅い僕にじれたように、義秋は言葉を続ける。

「店長さん、いっぱい仕入れたって言ってたでしょ。それなのに、僕たち子供が帰って来る時間に全部売れてるって、何なわけ」

「誰に文句言っても仕方ないじゃん」

「ターゲット層は僕らの年齢だよ。絶対おかしい」

 ぶつぶつと義秋が小さな声で何かを言っているが、なんなのかは分からない。しかし、思い出した。義秋はこうなったら止まらない。彼はなんというかその、想像力が豊かなのだ。

「これは絶対にインボーだよ!」

強い口調で言い切った義秋に、僕は「はぁ」としか言えなかった。こんなに祈ったことはない。拓也、早く来てくれ。

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