第16話『奈落』
「嘘ではなく本当にゆっくりだな」
「はい。徒歩というのは本当のようです」
明け方に近い陽光は頭上を照らすものの、徒歩程度の早そとはいえ瞬く間に遠ざかってしまう。すぐにも夜がきたかのように、朝を迎えたはずが夜の暗闇の如く飲み込まれていく。
俺とリリーは互いに安否を確認しながら、自分たちが落ちる様子を互いに確認していた。この奈落と呼ばれる谷底は、かなり深く暗い。そのためか、光を飲み込んだ闇は底がまったく見えない。ゆっくりとはいえ落ち続けていて、すでに頭上に見える光は小指の先ほどの大きさになっている。
俺は大の字に手を広げて、体全体でそよ風を受けながら降下している。リリーは反対にやや体をすぼめて膝を抱えるようにして、膝下に手を回し落ちていく。六花は俺の首にかわらず巻きついたままだすやすやと眠りについたままだ。
途中、壁面から剥き出しの岩肌に必死に絡みつく草たちは、俺たちとは反対に地上に向けて懸命に背伸びをしているように見える。そうでもしないとわずかな太陽光を得られないのだろう。涙ぐましい努力を行い葉や茎が伸びている。
俺たちの落下後、目玉に羽がついた使い魔は、”幻影”の効果が出てからしばらくして追いついてきた。今頃、目玉を通してアーテが見ている姿は、俺たちの幻影なのだ。俺とリリーは思わず可笑しくなり、互いに顔を見合わせて吹き出してしまう。アーテが現実だと思って見ているものが、まるで違うのだ。
「今頃、俺たちの幻影で楽しんでいるんだろうな」
「ええ。さすがジンさまです。心置きなく目玉を斬り伏せることも魔獣を討伐することもできますね」
「ああ。下についたら、リリーは可能な限り俺の近くに。影の軍団で蹴散らすぞ」
「はい!」
徒歩程度の速度でしか降下しないため、かなりの時間をかけている。恐らくは体感にして三十分は経過していると思われた。
俺たちがやってくるのを我先にと手ぐすねひいて待ち構える魔獣たちが底で蠢いている。夜目のスキルが働き今ハッキリとわかった。視認できた時点で俺は、影たちを召喚した。
「俺が到着するまでに可能な限り魔獣を排除しろ。初代とカロは協力して魔獣の殲滅。初代は自身の配下を自由に使え」
「承知!」
「承知しました」
初代英雄とカロは、両者とも影の中では縦横無尽に瞬時に駆け巡れる。その機動力を活かし圧倒的な殲滅速度で魔獣を撃破していく。
いくら俺が魔法スキルなどを受け継げるといえど、どれもが付け焼き刃。第一線で研鑽を積んでいた者たちに技量で叶うわけもなく、圧倒された。せっかくなので今度カロに、剣の手ほどきを受けるとするかとこの時思った。
この位置からだとリアルな戦闘を俯瞰して見学しているような状態だ。
俺とリリーは今後に活かすべく、戦い方をまずは眺めた。見るといってもその要所がわからないから、全体を眺めるという行為に近い。一対多の戦闘経験はほとんどないに等しい。元の世界で嗜んだ趣味に近い訓練では、個人戦ばかりだ。なので、今後圧倒的に増えるであろう集団戦闘はよく見ておく必要があった。
幸いなことに教えを乞う人らは大勢いる。合間を見て鍛錬するしかないだろう。
上から様子をみると初代英雄は、配下を使いながら攻撃魔法の一斉砲火で仕留める。全員影化しているせいなのか、魔法自体がすべて影のように真っ黒で闇が覆い被さるかのように、魔獣たちに降り注ぐ。その一方でカロは、ツキノワグマの数倍はあろう魔獣相手に斬馬刀で奮戦している。いつの間にか影の力に合わせて漆黒の色に剣が染まっている。
見ていると闇に浸した剣の切れ味は鋭いようだ。魔獣たちの硬そうな外皮を難なく切り裂き、または切り落とす。魔獣たちも怯まず果敢に攻めている様子がうかがえる。この場所にははたして何体いるのか、キリが無いほど溢れ出てくる。恐らくはこのペースで進むと俺たちが到着する頃には、足の踏み場も無い状態になるだろう。
戦闘については影たちがいるのでとくに心配はしていない。問題は、この魔獣たちを影化したらどうなるかだ。人とは思考も違うだろうし、感覚も異なる。そんな異質な者の追随体験をしたら、俺自身が壊れる可能性は否めない。精神構造も異なると容易に予測できる。
リスクはかなりあるもののメリットは大きい。大きくふたつあるのが、そのまま俺の配下として戦力になる。合わせて魔獣特有のスキルを得られる。
個々すべて異なる種族な者たちなので、影化する時は慎重に対応した方がいいだろう。
俺は冷静に見ながらも、間もなく着地する地を眺めていた。グラッドにも協力してもらい精神構造の分析もした方が良さそうな気はした。魔獣のスキルはその精神構造に依存した物だと、かなり苦しむ結果になりそうな気がしてならない。
――着地
飛び降りてから、五十分ほどかけて底についた。辺りは暗闇に包まれているかと思いきや、壁面から光を放つ。以前カロに聞いた光石だろうか。おかげで周囲がこの奈落の底でもわりとハッキリ見える。
よく見えるのと同時に俺とリリーの吐く息が白い。谷底のせいか、冬のような冷え冷えした空気が呼気を変化させていた。
水の滴る音が聞こえるほど、今は洞窟の静けさの方がましている。
この一帯は、向こう側に見える壁まで、五分程度歩けば着く手軽さだ。いうまでもなく足元に広がるのは、魔獣の死体で埋まり、地面が見えない。魔獣自体は大小さまざまで、いずれも爬虫類系と哺乳類系の二種に別れている。初代英雄とカロは俺の前で跪き、その背後に彼らの配下が同じく跪いた体制で俺をまつ。
初代英雄が代表していう。
「主人殿、この一帯の魔獣殲滅は完了。敵対勢力は存在しておりません。最後に使い魔であろう目玉も処分を完了しました」
「わかった。任務をこなしてくれて助かる。俺はこれから影化を行う。周囲を警戒していてくれ」
「承知しました」
すると六花は、首から器用に腕をつたいするりと降りると、人の姿に戻り興味深そうに周りを観察している。俺は六花にリリーを頼みながら、今度は俺の仕事に取り掛かる。
「六花、リリーを連れて少し離れていてくれないか。この異質な者の影化をしてみる」
「はーい。ジン、むちゃしないでね」
「ジンさま。お気をつけて」
「六花もリリーもありがとう」
二人とも小走りながら少し離れてくれた。あとはグラッドを呼び出して試してみるとしよう。
「グラッドいるか?」
「はい。主人殿ただいまここに」
どういうわけかいつも右斜め後ろにグラッドは湧き出る。何かあの位置に意味があるのだろうか……。
「これから、この魔獣たちの影化を試してみる。ともに分析を頼む」
「承知しました。お供いたします」
「ああ。頼んだ」
俺はまず、足元にいる大型犬ほどの大きさになる魔獣から試してみることにした。
「影化――」
――なんだ?
全身で感電をしたような、内側からくる熱さと痛みさらに痺れが襲う。この感覚は、本能に近い警戒なことを理解できた。生命の危機に対して、条件反射的に対応をしている感覚だ。そこに思考や意識めいたものは存在している気がしない。
恐怖という物がなくあるのは危険という感覚だけだった。要は危険かどうかだけで判断している獣だった。物の捉え方はシンプルだったので今は、得に問題は起きていない。
最後に正面から斬り伏せられるとき、一瞬の痛覚が走った。その後に危機感が消えたので恐らくは死んだのだろう。
「グラッド、大丈夫か?」
「ありがとうございます。ジン。私も同じく”危機感”を受け取りました。他はないので大きな精神的な負担はござません」
幸先がよいのか受け継いだ物は”溶解”という魔法スキルだ。感覚的には自身から比較的近い範囲を溶解させる魔法スキルのように理解している。
次に挑むのは、エビやカニに似た甲殻類と呼べる外皮をもつ物だ。ザリガニに近い形状をしている物に向けて実行した。
「影化――」
めまい? 眠気? 混乱? だるさ? あらゆる感覚が混ぜ合わさるのをはじめて経験する。さらに衝動が加わると戦闘意欲が増大していく。なんだこの感覚は、わけがわからない。ある意味精神のバランスが取れておらずめちゃくちゃな状態でもある。
この状態が甲殻類の奴らの状態かと思うと維持するのは難易度が高い。魔力を扱う感覚もまるで異なることがわかった。魔力砲と呼べるビーム砲に近い物を発する時、奇妙な感覚を覚える。体内をめぐる魔力の扱いがまるで小便を放出するような感じなのだ。
痛覚らしい物はあるにはある。ただし行動の妨げにならない程度になっていた。痛みで動けなくなったりでもしたら死活問題なのだろう。危険を察知する意味で痛覚は存在しても、行動に支障をきたすほどの物ではないことがわかった。
だからと言ってどうとなるわけでもない。今後攻撃する際、損傷を与えても甲殻類の魔獣は怯まないだろう。そうした意識がそもそも存在しないことからもわかった。
そこで唐突にすべての感覚が遮断された。いわゆる死なのだろう。こうして唐突に訪れて現実に戻ってきた。
今回受け継いだ物は、魔力砲であった。どの程度の物なのか溶解魔法と合わせて後で確認してみようと考えていると、先の魔獣たちが従順な素振りを見せている。大型犬風の魔獣とザリガニ風魔獣の両者とも、伏せた状態で何か俺の命令を待っている。なんだかその姿はどこか懐いているようにすら見える。
「お前たちには今後、命令を下す。期待しているぞ」
言葉を使わない種族のため、言葉としての返答はないものの承知したような意思が伝わってくる。大まかな意思疏通は可能そうで少し安心した。
俺はこのまま、他の種類の物たちへも影化をすべく実行しはじめた。
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