六ノ巻34話  言いたいことはそれだけか


 紫苑の叫び、その残響が消えた中。誰もが無言でいた。


 だが、やがて崇春が口を開く。

「言いたいことは、それだけか」


 紫苑が頬を歪めた。無言のまま構える両手に、えるような光が宿る。


 かすみたちは木や茂みの陰で、反射的に構えを取る――『怪仏の存在を打ち消す』あの光に、どうやって対抗すればいいのか分からないまま――。


 だが。崇春は一人、紫苑の前に歩み出る。

「言いたいことはそれだけか」


 紫苑は光をこぼす片手を掲げた。

「いい度胸だ、と誉めたものかな。どれだけ頭が悪いんだ、とけなしたものか――」


「言いたいことはそれだけか。そう聞いちょろうが」

 どっこらせ、とつぶやいて。崇春は地面の上にあぐらをかいた。


「な……」


 言葉を失う紫苑の目を、真っ直ぐに崇春は見る。

「他にはないんか、言いたいことは。あるなら全て聞かせてくれい。おんしらを、救うために。あるいは少しでも、その可能性を増やすためにの」


「ふ」

 紫苑は息をこぼし、それから小さく肩を揺すった。

「ふ、ふふ。ふう……」

 深く息をつき、一度目を閉じた後。

 見下すような眼差しをして言った。

「冗談にしてはつまらないな、ここまで言って分からなかったか。……話すことなど何も無い、僕らを救う手段なども。……あるならせいぜいやってみろよ」

 歯を剥き、突き刺すような視線を向けた。その掌に光がえ上がる。

「救ってみろよ! できるものならなあ!」


 その光に目をやり、崇春はまた立ち上がる。

「できるものかはわしにも分からん。じゃが何にせよ、やってみんことには始まらんわ。……まずは、おんしの愚行を止める。その行ない、この世とおんしら自身をも、地獄に突き落とすだけぞ」


 紫苑は吐き捨てるように息をつく。

「君が言うのはただの無策、そちらの都合の話に過ぎん! まあいいさ……こちらはこちらの都合を通す、絶対にして無二のこの力でね」


 崇春は引かず、胸を張る。

「分からぬか。絶対じゃろうが何じゃろうが、その力がいっそうおんしらを苦しめちょる……本当は、分かっておるはず――」


 それ以上、紫苑は議論につき合わなかった。

「受けよ。【無尽むじんなる熾盛しじょうの光】」

 崇春へ向けて放つ、無垢むくなる光条。


 だが、そのときには崇春もまた、動いていた。

「【南贍部洲なんせんぶしゅう職風しきふう拳】!」


 左の手から放つ風。それがいったん地をった後、渦を巻いて立ち昇る。砂を土を巻き込み吹き上げて。まるで煙幕、いや、光をさえぎる分厚い緞帳どんちょうのように。


「おんしの力が『光』なら、そうして『さえぎる』こともできるはず。そして食らえい! 【南贍部洲なんせんぶしゅう――」


 紫苑の表情は変わらなかった。光を放つ手に、それ以上力を込めることもなかった。

 それでも、紫苑の光は。数瞬と経たず、土煙ごと風を裂いた。


 見ていたかすみはその後で気づく。この異界、【裏獄結界】が怪仏の力に拠るものならば。そこに存在する土や石といった物質もまた、怪仏の力によって現出されたもの――紫苑の力で打ち消し得るもの――に過ぎなかった。


「なっ……!」

 崇春は目を剥いていた。固まっていた、向かい来る光を前に。次の技を放とうとした構えのまま。


慕何ばかかっ!」

 百見が体ごと打ち当たり、崇春を突き飛ばす。倒れ込んだ二人の体をかすめ、白い光は過ぎ去っていた。


 身を起こしながら崇春が言う。

「むう、助かっ――」


 跳ねるように素早く起き、百見は崇春の胸ぐらをつかむ。無理やりにも引きずり、立たせるように。

慕何ばかかこの慕何ばかっ、早く下がれ!」


「むう……?」

 目を瞬かせつつも立ち上がり、後ずさろうとする崇春だったが。


「どこへ行くんだい?」

 紫苑に逃がす気はないようだった。あくまでゆったりと歩んではいたが、その目は崇春を見据えていた。

「救ってくれるんだろう、逃げるなよ。――やってみろよ」



 崇春の動きがそこで止まる。足をその場に踏み直し、構えを取る。

「言うたわ、確かに。救うとのう。目立ちもんに二言はないわい。――参るぞ」


「なっ――」

 顔を引きつらせ、百見は崇春の腕を引くが。大木にそうするかのように、崇春はびくともしなかった。


 薄衣をたなびかせ、紫苑の体が宙を舞う。その手に白く光がえる。


 迫りくる敵を見据える、崇春の両拳に光が宿る。


「【え盛る至上の光】!」


「【閻浮提えんぶだい覇王拳】じゃああーーっ!!」


 そこへ、頬を引きつらせつつも。百見が万年筆を指し、広目天が筆をふるう。

「くっ……【広目連筆】!」


 紫苑の光、崇春の拳、百見の墨跡ぼくせきが交錯し。

 ちり紙を裂くほどの苦も無く、紫苑の光が二人の力を引き裂いた。


 地に打ち倒される二人。

「がっ……!」

 小さくうめいたのは百見だった、地面に背を、あるいは頭をぶつけたのか。


 だが、そのうめきをかき消すほどに。

「ぁっ……がぁあああああーっっ!!?」

 叫んでいたのは崇春だった。

 見れば。焼け焦げるように煙が上がっていた、その両腕から白く、白く。


 いや。もはや無かった、そんなものは。

 煙が、ではない。それは依然上がっていた、その断面から白く、白く。燃えるように上がっていた。


 無かった、腕が。

 崇春の両腕、紫苑へと突き出していたそれが。崇春の放った力もろとも、裂かれ消されたかのように、無かった。ひじの上、そこから先が。

 その断面には赤い肉が白茶けた骨がその中の赤黒いずいが、ただ中身をさらしていた。


「がぁあ……ぐあああぁーーっっ!??」


 響く悲鳴と共に。赤く赤く、血が噴き出した。


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