五ノ巻32話 刀八毘沙門天 対 真なる大暗黒天
ごん、と、殴られたような衝撃があった。かすみの精神の話だ、物理的な衝撃ではない。
けれど確かに、頭を撃ち抜かれたような衝撃があって。かすみはよろめき、その場で足を継いだ。
けれど、思えば。頭のどこかで予想していた可能性のはずだった、これは。
『紫苑が嘘をついている』ならば『紫苑とシバヅキが戦っているというのも嘘である可能性、何らかの共謀関係にある可能性がある』、そこまで予想できたのなら。
当然思い至っているはずだった――『紫苑と協力し、シバヅキを倒して和解するなどということがそもそもできない――少なくとも、そうした事態である可能性はゼロではない』と。
ただ、今まで。本当に今この瞬間まで、目を背けていた、自ら。
そのことに気づかされたからこそ、かすみはよろめいた。足も、気持ちも。
和解する道がある、誰も傷つかずに解決できる方法がある――そう、信じたかった。だから、目を背けていた。
意に介した風もなく紫苑は言う。
「僕が求めるものは和解などではない。――いや、勘違いして欲しくないんだが。そもそも僕らは誰とも争ってはいない。無論四大明王ともね」
紫苑が指を一つ鳴らすと、かすみが入ってきた出入口、小屋状にしつらえられたその施設の陰から何人かの男が姿を見せた。
四人の男はみな、正確に測って造ったように同じ顔をしていた。ぼろきれのような布を衣服代わりにまとった彼らは全員、シバヅキ。ただ、そのうち一人は気を失ったように、他の三人に抱えられていた。
「彼らは四大明王の
紫苑が掲げてみせた手の上、黒いもやの中には。見えた、崇春と斉藤が攻撃を放つも、再生し向かってくる敵が。六つの脚を持つ素早い敵に、翻弄される百見と賀来が。そして敵に刀を向けたまま、攻めあぐねている円次が。
もやを握り消し、ほがらかに言う。
「で、四大明王やシバヅキとだけではない。君たちとも争うつもりは無い。――ただ必要としているだけさ、君の『毘沙門天』を。そして『あと幾体かの怪仏を』」
「それは、どういう――」
つぶやきながらかすみは考えていた。
毘沙門天と幾体かの怪仏、それはつまり。百見の言っていた『毘沙門天がそのいくつかの鍵となる』『怪仏の力のその先』、そのことではないか。
七福神を集めるというのは嘘だと、紫苑は言っていたが。それでも、何かを企んでいることは間違いなかった。
「もう一度お願いしよう、賢明な判断をしてほしい。毘沙門天をこちらに渡したまえ。君から切り離して大黒袋に納める、君や仲間に危害は加えない。四大明王にも手を引かせる、全員無事にお帰りいただいて結構。どうだい」
考えるまでもなく。かすみの隣で刀八毘沙門天が、ぎちり、と刀を擦り鳴らした。
「刀八毘沙門天! やりなさい!」
八本の刀を振り上げ、かすみが指差すままに毘沙門天は跳んだ。かすみの傍らでは、残った吉祥天が驚いたような顔をこちらに向けていた。
原因がシバヅキでなく、和解する道がないのなら。そして、まさに探し求めていた黒幕、それが目の前にいるのなら。退くべきではなかった。
かすみは歯を噛み締め、震える両手を握り締める。
できるだろうか、一人で。
あるいは、できるだろうか――殺したりせずに。
「――ォォオ……ヲヲヲォォッッ!」
亡者の声のような、風が
紫苑は表情を変えることなく印を結ぶ。右手は拳に握り、親指と人差指をわずかに浮かす。左手は拳から親指、人差指、中指を立てる。
「オン・イシャナエイ・ソワカ。吹き荒れよ、【鬼門からの風】」
ばん、とはたくような音が大きく上がり。振り下ろしたはずの毘沙門天の刀が全て止まる。紫苑の手から吹きつける風に押され、震えながら。
これは、確か。シバヅキが使っていた、『
さらに強く風を吹かせ、毘沙門天をよろめかせた後。紫苑は別の印を結ぶ。両手を組み、親指、人差指、小指をそれぞれ立てて、左右の指先をつけた形。
「オン・マケイシバラヤ・ソワカ。撃ち抜け、【終焉呼ぶ光】」
印の先の空間に青白い光が揺らぎ。一瞬後、か、と音を立て、光条となって毘沙門天を打つ。同じくシバヅキが使っていた、『大自在天』の力。
「――ォヲ、ヲヲォォ……ッ!?」
毘沙門天は刀を重ねるように構え、防ぎ止めるも。その幾本かが折れ曲がり、前に出した二本の手は黒く焦げていた。
かすみも自らの手に走る痛みに顔を引きつらせたが。それでも声を放つ。
「まだ……やれる。毘沙門天、あなたの力ならそんなもの……!」
紫苑はほほ笑んだまま言う。
「シバヅキに預けていた大暗黒天の片割れ、
紫苑の体から黒いもやが上がる。それらは寄り集まり、縁起絵に描かれる大黒天――
その威容は三面
その姿はすぐに再びもやとなり、紫苑の体へと吸い込まれた。その手にはいつの間にか、先ほどの鬼神が持っていた剣があった。
「伝教大師最澄によって唐から招来された際、その名を訳して大黒とされ。その後共通の読みから日本神話の
直剣を構える。その鍔と柄頭には三又の短双剣――法具たる
「我が真なる怪仏『
かすみは戦いたくはない。いつ呑み込まれるか分からないような、刀八毘沙門天の力も使いたくはない。
けれど。黒幕の攻撃をわざわざ待つほど、お人よしでもない。
「毘沙門天! 【血河決壊】!」
毘沙門天が手にしたいくつもの刀を、戟と塔を打ち振るう。その刃から、塔の内からにじみ出た黒いもやが流れ、気流を成して紫苑へと向かう。
紫苑は剣を床に突き立て、印を結んでいた。両手の指を掌の内へ差し込むように組み、両の薬指と小指だけをやや丸めて立てる。
「オン・マカキャラヤ・ソワカ。口を開け、【
印の前に、穴が開いた。そう見えた、何かが現れたのではなく、その空間に穴が開いたと。黒い黒い底無しの穴。
紫苑へと向かっていた【血河決壊】の気流は全て、流れを曲げ。自ら望むかのように穴へと吸いこまれると、穴もろとも消えた。
「え……」
かすみは目を瞬かせたが、次の判断を素早く下す。
「突進して! 【全斬伐刀】!」
力を放出するような攻撃が通じないなら、直接斬る。だが、心配ではあった――それをやって、果たして紫苑が無事に済むか。あの特別な体質とやらがあるとしても。
四つの顔で空に
その剛刀が届く遥か前に、紫苑は手にした剣を無造作に振るう。
「受け取りたまえ。遠慮は不要さ、【
直剣の刃が空間を裂いた、そう見えた。その裂け目、先ほどの穴と同じ暗黒から。幾筋もの黒い気流が流れ出る。毘沙門天が放った【血河決壊】。
空気を裂く音を立てるそれが、たちまちに毘沙門天へと殺到する。
「な……!?」
毘沙門天は四面の歯を軋らせ、十の腕を振るい。自らに向かってくる自らの技をどうにか打ち払う。
そこへ。ほほ笑んだままの紫苑が駆けた。
その肩の上からは黒いもやが吹き上がり、寄り集まって実体となる。二対の、鬼神の黒い腕に。
「吹けよ【鬼門からの風】、受けよ【終焉呼ぶ光】」
二対の腕はそれぞれ印を結び。その先の空間から風を、破壊の光を放った。
風に全身を叩かれ、体勢が崩れたところへ、ど、と音を立てて光条が打ち込まれる。
その打撃に、巨体を海老のように折り曲げ。毘沙門天は床に片ひざをついていた。
「……!」
その打撃の一部が伝わり、かすみは呼吸も出来ず両ひざから崩れ落ちる。
「どうだい。三尊の破壊神、それらを一つとした暴虐の
紫苑の表情は、変わらず優しい。
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