五ノ巻15話  大元帥明王


 階段を五段飛ばしに、駆けるというより跳ね上がるように。賀来は――アーラヴァカこと大元帥明王たいげんみょうおうは――その脚力で登っていった。大威徳明王の待ち受ける階段の上へ――校舎は三階建てだが、ここの階段はさらにその上、屋上にまで通じていた――。


 上った先。階段に立ちはだかる、大威徳明王が低く声を上げる。六面のうち、正面の一面のみが口を開いた。

「――話は済んだ、か」


 ツインテールの髪を揺らし、大元帥明王たいげんみょうおうは――いや、賀来は言った。目の前の敵ではなく、自らの怪仏に話しかけるように、横を向いて。

「怪仏の知り合いはあまりおらぬが……律儀な奴もいたものだな。済むまでわざわざ待っておったか」


 にこりともせず、大威徳は声を上げる。

「――耳をろうするが如きやかましさ……聞くにえなんだだけ、よ」


 微笑をたたえて、今度は大元帥たいげんが低い声を上げる。

「――ならば、あのまま続けておれば、うぬ調伏ちょうぶくできたやもな。その音声おんじょうだけでの」


 表情を変えず、大威徳は別の話題を口にした。

「――二つ、聞かせてもらおう、か。一つ、貴様、武器はどうした」

 剣に宝棒、宝輪、三叉戟さんさげき。自らの六腕が持つ武器を構えつつ続ける。

「――貴様も明王であるなら、拙者らのように武器を持つはず。なぜ持っておらんの、だ」

 大元帥たいげんも賀来も答えずにいると、大威徳は次の問いを口にした。

「――そして二つ。少しでも思わなんだ、か。貴様が上ってきたところで、拙者がこうする、と」

 そして手すりを軽々と跳び越え。空中へと身を躍らせた。


 しかし大元帥たいげんは表情を変えない。その場で高々と脚を上げ、だん、と音を立てて壁を蹴った。厚底靴の底で。

 それがまるで、スイッチででもあったかのように。大威徳の落ちゆく先、その壁から突き出た。げきに宝棒、独鈷杵どっこしょ三鈷杵さんこしょ――三又の短双剣――、剣に手斧。目の前には宝輪が飛び交い、行く手を阻むように羂索けんじゃく――投げ縄――が張り巡らされる。


「――ぬ……!?」

 それらに打ち当たる寸前。六脚のうち片側三本の脚で壁を蹴り、大威徳は真横へ跳んだ。そのまま、そちら側にある階段の手すりをつかみ、ぶら下がって動きを止めた。


 上階から身を乗り出し、大元帥たいげんは声を投げかけた。

「――如何いかがか、それが答えよ。第一、第二の問いへのな。我が武器はそこにある、うぬが跳べばそうして止める」


「――ふん」

 六つの顔を同時にしかめ、大威徳が言う。

「――それがどうした。せいぜい止めてみよ……まこと止められるものなら、な!」

 弓の弦を引き絞るように六脚を曲げ、溜めを作った後。矢のように大威徳は跳んだ。階下ではなく上へ、大元帥たいげんのいる方へ。


 だが。大元帥たいげんもまた手すりから身を乗り出し、大威徳へ向け跳んでいた。渦巻く青黒いもやをその脚にまとって。

「――そのように。【降牙こうが瀧勢劈りゅうせいへき】!」

 同じくもやを帯びた八腕の掌打。それが流れるように、順に順に繰り出され。

大威徳と交差する一瞬、六腕が敵の刃を拳をいなし。残る二腕が頭を――六面のうち、上部正面を潰すように――打ち、胸を打った。


「――がぁ……っ!」

 階下へ打ち落とされた大威徳が、どうにか壁へ剣とげきを突き立て、ぶら下がるようにして落下を防ぐ。


 一方、打った反動で壁へと跳ね返りつつ、落下していた大元帥たいげんは。壁から現出させていた自らの武器、げき独鈷杵どっこしょの柄を、八腕のうちいくつかで握る。

 同じくぶら下がりながら、階下の敵へ言った。

「――望みどおり止めてやったが。聞かせよ、如何いかな心持ちぞ?」

たくましい手の一つを片耳に添え、相手に向けながら。あざけるような笑みを浴びせてみせた。


「――おのれ……!」

 六つの面がそれぞれに、歯軋りの音を立てる中。


 大元帥たいげんは先に動いていた。八腕のうち四本が、がしり、と戟の柄をつかみ。他の腕は手を離していた。

 まるでブランコのように、柄を軸に体を前後に揺らし。レースを縫いつけた賀来のスカートをひらめかせ、振り子の動きをさらに速め。やがては車輪のように、旋風のように。柄を中心に、その身を大きく回転させた。

「――喰らえ。【旋撃・落地脚】!」

 手を離したその体は、回転の勢いを乗せて。揃えた両脚から大威徳へと向かっていった。


「――なあっ!?」

 大威徳は壁から跳ね、その打撃をすんでのところでかわす。


 が、大元帥たいげんの動きもまた、それで終わりではなかった。

 蹴り脚が壁に着地した、その反動を脚に溜め、再び跳ぶ。厚底靴が壁を蹴り、跳んだ先で手すりを蹴り。別の角度から再び、敵へと肉薄する。

「――しゃあっ!」


「――く……!」

 斧のように繰り出される厚底靴を、どうにか跳んで大威徳がかわす。そのまま何度か壁を跳ね、距離を取ろうとするが。


「――まだよ……【武庫・大刀林】!」

 八腕の指を真っ直ぐに伸ばして振りつつ、壁を大元帥たいげんが何歩か駆ける。やがて足を踏み切り、跳んだ。その先には壁も何もない。遥か階下、床へと続く空間があるばかり。

 だが。その目の前に突如、生えるように突き出た。横合いの壁から戟の柄が。それをつかみ、振り子のように身を振ってさらに飛ぶ。その先に生え出た剣の柄をつかみ、また跳び。壁から突き出た独鈷杵をつかみ、その上に突き出た三鈷杵を別の腕がつかみ、体を引っ張り上げ。壁に着けた、脚を曲げて溜めを作り。

 目を見開いて別の壁に張りついていた、大威徳目がけて跳んだ。

「――しゃあらあっっ!」


 青黒いもやをまとった複数の拳が、鈍い音を立てて大威徳の顔を体を打つ。

「――がああ……ぁ!?」

 落下した大威徳はしかし、その六腕を差し伸ばして。どうにか手すりにしがみついていた。


 大元帥たいげんは別の壁へと移り、そこに生やした武具を複数の手でそれぞれつかみ。脚を上に頭を下へと向け、逆さまに張りついた姿勢で敵を見下ろす。

「――随分と甘くみてくれたな、武の権化たるこの大元帥たいげん明王を。聞かせよ六足尊。自慢の機動で負かされて、いったい如何いかな心持ちぞ?」

 片耳を相手に向け、多腕の一つをそこに添えてみせる。


 それを見上げながら、無言で歯噛みする大威徳の六面。


 その音が聞こえたのか、大元帥たいげんは薄く唇を歪めた。

「――さ。次は何ぞ、音曲でも聴こうかの。六つの口から奏でられる、うぬが悲鳴の音曲をの」

 楽しげに細めた目で、遥か下、小さく壁に張りつく獲物を見据える。八腕を以て自陣に張りつく、女郎蜘蛛じょろうぐものように。

 スカートを垂れ下がらせ、中身を丸出しにしたまま。

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