五ノ巻4話  出会う三尊、南方守護者


 一面三眼八臂はっぴの怪仏は顔を上げる。

「――さて、御足労いただいたところ申し訳ないが。早速、この軍荼利ぐんだり明王と――」


「待てい!」

 崇春の声が高い天井に響く。

 大扉を開け放ったまま、だすだすだす、と足音を立て、体育館の中へ踏み入った。ステージ上の怪仏を見上げ、拳を握り締める。

「おのれ軍荼利ぐんだり明王とやら……許さぬ……!」


「――ほう」

 明王が口の端で笑い、八本の腕を身構える。


 足音も高く崇春は駆け出し、ステージ前で、だん、と足を踏み切ると。一足に、ステージ上へ跳び乗った、そして。

 武器を掲げる明王に尻を向け、体育館の――ステージ下の――方を向き。

両手を口に添え、あらん限りの声を上げた。

「うおおおおぉっ!! わしが!! 斑野まだらの高校一の目立ち者! このわしこそが、丸藤崇春まるとうすしゅんじゃああああ!!」

 最後は身をそらせ、天へと叫ぶように言い放ち。

 天井へ跳ね返る残響の中、荒い息をつきながら明王へと笑みを向けた。

「どうじゃ……これがわしの目立ち力、貴様ばかりにステージを独占させぬわ……!」


 三つの目を丸く見開き、口を開けたままの明王。


 体育館の端では、斉藤が大きく――とはいえ一人で――拍手をしていた。その音が、広い体育館で空虚にこだまする。


 やがて、広い肩を大きく揺すって明王は笑い出した。

「――ふ……はっはっは! これはなんとも、失敬いたした! 客人を差し置いて上から名乗るなどと、確かに確かに自分の手落ち。申し訳ない」


 首の後ろに手をやり、小さく頭を下げた後。崇春へと目を向けた。

「――さて。四天王・南方守護者たる増長天の崇春殿と……そちらは確か閻摩えんま天の結縁者けちえんじゃ、斉藤逸人そると殿」

 歩いてくる斉藤に顔を向ける。

「――八つの方角と天地日月の守護者たる『十二天』において、閻摩えんま天は南方の守護者……そしてこの軍荼利ぐんだりも、四大明王においては南方を司る者。そう考えれば奇しくも、三尊の南方守護者が揃ったわけですな」


 崇春は重くうなずく。

「そのようじゃの。じゃが……だからというて、親交を深めようというわけにもいくまい」


 軍荼利ぐんだりもまた、重くうなずく。

「――しかり。しかし、その前に伝えおくべきこともありましてな」


 斉藤がステージに上がり、近くに来るのを待ってから、軍荼利ぐんだりは深く頭を下げた。

「――正直に打ち明けるが、大変申し訳ないことをいたした。これは皆様方とまみえた折、最初にお伝えすべき情報でありました」


 崇春は腕を組む。

「ほう。そこまでのこととはいったい……ぜひ、聞かせてもらおうかの」

 斉藤も隣で重くうなずく。


 二人を見回し、うなずき。軍荼利ぐんだりは重々しく口を開いた。

「――実は。この異界、【裏獄りごく】結界内。……かわやは、使えるようになっております」


 崇春は、そして斉藤も。身じろぎもせず、表情を変えず、じっ、と軍荼利ぐんだりを見ていた。


 軍荼利ぐんだりもまた、表情を変えることなく二人を見据える。

「――正直、技術的な苦労はあり申した。現界を模した異界たるこの【裏獄】で、電気や水道の働きを再現するというのは」

 自分の言葉に何度もうなずき、八本の手を拳に握る。

「――しかし! 折角せっかくお越しいただく皆様方に、不便を強いるには忍びない……また、状態を整え、万全を期して戦いに望んでいただきたくもある。故……四大明王一同、知恵を絞り力を出し合い、技術を革新し無理を通し……苦労いたし申した」

 二本の手で腕組みをし、三つの目を閉じた。


 崇春は斉藤を見る。

 斉藤はうなずく。


 表情を変えることなく崇春は言った。

「むうう……! これは……重要な情報じゃな」

「確かに。超……大事、ス」

 斉藤も重くうなずく。


 軍荼利ぐんだりは続ける。

「――これまでの道程においても、かわやへの道は塞いではおりませなんだ。お気づきになられたかはともかく。それとそう――」

 背後、足元からビニール袋を取り、二人へ差し出す。中には緑茶のペットボトルが入っていた。

「――水分の補給が必要であればどうぞこちらを。何せ裏獄こちらの水道からは、水を模したものしか出ませんでな……。それを飲んでも問題なく水分として吸収できるはずだが、念のため。どうせなら茶菓さかなどもあればようございましたが、そこまではご勘弁願いたい」


 崇春は袋を受け取り、頭を下げた。

「これはこれは、ご丁寧に。そこまでのお気づかい、まっこと痛み入るわい」


 斉藤も同じく頭を下げる。

「……ス」


 崇春は頭を上げ、す、と拳を構える。

「じゃが。そもそも茶菓など、ゆるりと味わう暇もなし。……わしらにはやることがある。おんしを倒す、ということがのう」


 斉藤も無言で構えを取る。両の手を開き、自然に突き出したそれは柔道の構え。


 軍荼利ぐんだりもまたうなずき、身構えた。蛇が身をくねらせて巻きつく八本腕、そのうち四本。それぞれに携えた三叉短戟さんさたんげき――短い三つ又の槍――、斧に宝輪、三鈷杵さんこしょ――三つ又の短双剣――などの武具を。空いた腕のうち二本は胸の前で交差させ、残り二本は遊ばせている。

 しっ、と歯の間から息を漏らす。それが合図だったのか、それぞれ腕に巻きついていた蛇が鎌首をもたげ、腕から離れ。長い身を波打たせて主の体を伝い、床へと降りた。そのままステージの袖へと身を隠す。


 崇春が言う。

「むう? ええんか、あれは。てっきり毒牙でも使つこうてくるかと」


 軍荼利ぐんだりが言う。

「――我が体に押し潰されでもしては不憫ふびん。あれらもなかなか可愛いものでしてな」


 崇春は小さく笑う。

「ほう? 自分が倒されたときの心配とは、謙虚な御仁ごじんよ」


 軍荼利ぐんだりも同じ顔で笑う。

「――貴殿らの力、自分は決して呑んでかかってはおりません。一度や二度は倒されることもありましょう……もっとも、最後に立っているのはこの自分でしょうがな」


「ほう。それはどうかの」

 崇春はなおも微笑んだ。それから強く声を放つ。

「行くぞ! おんしを必ず倒し! 伝えてみせる、皆に――ここのトイレはちゃんと使えるとのう!」


 駆け出す崇春の頭にはなかった。かすみが聞いていれば何と言ったか、などと。


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