五ノ巻2話  増長天の力


 明王らが去った後の窓に視線を向け、長く無言でいた後。

 そちらに視線を向けたまま、百見が言った。

「崇春。……僕が言いたいことが分かるか」


 崇春は同じ方を見、腕組みをしたまま口元で微笑む。

「うむ。『かなり目立ったな』じゃろ――」


 その言葉を食い気味に、百見は言葉を放つ。

「崇春! 君は慕何ばかかっっ!!」


「むうううっっ!?」

 驚いたように目を見開く崇春へ、詰め寄るように――崇春のいるスペースとの間にはかすみのスペースがあるので、実質かすみへ詰め寄るように――、壁に顔を寄せて言う。

「使うな! 使うな、そこまでの力を! ……壁の破壊を試みるなら先に言え、皆でやればいいだろう!」


「む……」

 視線をうつむけた崇春を指差し、百見はさらに言う。

「君自身の力ならともかく、増長天の業まで使う力……負担が大き過ぎる。おいそれと使うべきではない。人の傷を癒す力と同じく」


 そういえば、と、かすみは思う。

 昨晩も至寂が言っていた。崇春の守護仏、増長天には傷を癒す力がある、ということを。

 そして百見も言っていた、その力はかすみらを癒すために、昨晩一度は使ったと。だが崇春への負担が大きい、そうそう使わせたくはない、と。


 そして、今。

 崇春は分厚い掌を、大きな拳で、ぽん、と打つ。

「おお、そうじゃ! 皆も先の戦い、ずいぶん打ち据えられたじゃろう」


 確かに全員、シバヅキの放った風圧に打たれ、壁や机に叩きつけられてはいた――かすみの場合はさらに、帝釈天の下敷きになった――。

 言われてみれば、かすみの顔で体で背で、打たれた箇所が熱を帯びていた。


「ちょっと待――」

 崇春に向かい、壁にすがりつきながら百見は言ったが。


 構う様子もなく、崇春は花が開くような形に指を組み、印を結んだ。

「オン・ビロダキシャ・ウン! 【増長天恵ぞうちょうてんけい】!」


 その手が床に押しつけられると同時、澄んだ金色の光が洩れた。

 光が薄墨色の壁をすり抜け、かすみの肌に触れた瞬間。


 ざわ、と音がした――ような、気がした。

 いや、音などはしていなかった。ただ、ざわめくような感覚が全身を通り過ぎていた。つま先から髪の毛の一筋一筋まで、細胞の全てを。

 その感覚は一瞬だった、すぐに消えていた。ただ、その感覚が去ったのと同様に、打たれ、のしかかられた箇所の痛みが消えていた。


 百見が無言で口を開け閉めする。

 その後に、崇春の方の壁に手をついて叫んだ。

「待てって言ってるだろ慕何ばか!!」


 床に手を押しつけ、しゃがみ込んだ姿勢のまま崇春は言う。

「ふ……待てと言われて待つバカがおるかい」


 立ち上がり、自らの頬を両手ではたく。

「っしゃあ! これで準備も万端じゃあ、四大明王とやら、とっとと倒して東条を助けるとしようかい!」


 平坂がうなずく。

「ああ……そういうことなら話が早ェ。先に行くぜ」

 曲がりくねった道を駆け出し、出入口から廊下へと出て行った。

 帝釈天も辺りを見回してはいたが、その後を追う。


 歯噛みした後、百見が言う。

「……まんまと分断させられてしまったが。崇春のあの力でも壁を砕けない以上、合流するすべはないか……仕方がない」


 手を口元に沿え、平坂の向かった方へ声を上げる。

「結界とやらが解けたら! 集合しましょう、とりあえず生徒会室ここに! 決して単独行動はしないで下さい!」


 崇春は重い音を立て、掌に拳を打ちつける。

「さぁて、わしも行くとしようわい……おとこ崇春、目立ちの時間じゃああ!!」

 足音も重く走り出した。


 かすみの後ろで鈴下がつぶやく。

「紫苑……!」

 唇を噛み締め、わずかに血がこぼれる。それを拭いもせず、鈴下は走り出した。


「ちょっ、待って……!」

 かすみもとにかく後を追った。一人にはとてもしておけなかった。

 走りながら思う――わけが分からないけれど、とにかく。四大明王を倒し、シバヅキを止める、紫苑を助ける。今すべきことはそれだ。

 それに、もしかして。紫苑を助けさえすれば、後は話し合いで収まるのではないか? 紫苑が戦ってきた相手、シバヅキをどうにかできたのなら。

 それで全部終わるのではないか――紫苑の言を信用するなら、だが――。

 そう思うと、とにかく。駆ける足にも力がこもる。



 百見は走っていくかすみたちを見ていたが。やがてかぶりを振り、駆け出した。

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