四ノ巻10話  現れ出た敵は


 霧の中、崇春は連続で拳を繰り出す。

「ぬおおおおおおおっっ!」


 澄んだ輝きをまとうそれは、しかし黒みを帯びた金の輝きに防がれた。東条紫苑が自らの前に作り出した金色の壁に。それはちょうど、長大な金の延べ棒インゴットをいくつも地に突き立てたような形。

「無駄だ、我が【黒き黄金の大城壁ブラック・ゴージャス・ウォール】の前には――」


 紫苑の言葉には取り合わず、崇春は大きく腕を振りかぶる。澄んだもやを上げるその拳の先には、黄金色の鎧をまとった鬼神の剛腕が浮かび上がっていた。

「おおおおおっっ! 【真・スシュンパンチ】じゃああっっ!」

 その拳が重い音を立て、黄金の壁を打ち破った。


 横合いから至寂の声が飛ぶ。

「何をしているのです、崇春!」


 壁を打ち破った先に紫苑の姿は見えなかった。そこには代わりに、大判小判の奔流ほんりゅうが噴き上がっていた、崇春の視界を塞ぐほどに。

「むうううぅーーっっ!?」


 打ち上げられて吹き飛ぶ崇春を見上げ、紫苑は笑う。壁から大きく身を引いた位置で。

「君のことだ、そう来ると思っていたよ。【南贍部洲なんせんぶしゅう護王拳】、大した威力だが。それだけで事が解決すると――」

「動くな」

 紫苑の首に、後ろから、ひたり、と。刀が突きつけられていた。抜き身の日本刀、【持国天剣じこくてんけん】。

 それを手にした平坂円次が言葉を継ぐ。

「武器を捨てろ、妙な動きはすンな。向こうで暴れてる帝釈天バカも止めてもらおうか、さもなきゃ――」


「さもなくば?」

 紫苑は平坂の方へと振り向く。微笑んだまま。


「な……ッ」

 口を開け、身動きできずにいる平坂に構わず紫苑は喋る。

「斬る、というわけにもいかないだろうね。阿修羅のときもそうだったようだが、君のそれするど過ぎる……怪仏相手にはともかく、本地たる人間に向けるにはね。気の毒だが、抑止力にはなり得ないよ。さて――」


 目の前の刀を気にした風もなく、再び平坂に背を向けた。何歩か歩いたところで、掌を上にして片手を掲げる。

「とはいえ、これだけ相手が多いと不利なのも事実。こちらも手勢を増やすとしよう。来たれ、我が『大黒袋』より――」


 掌から上がる黒いもやが濃度を増し、やがてまとまって一つの形を取る。黒い巾着袋のような。

 それを手にし、紫苑は真言を唱える。

「オン・アロリキヤ・ソワカ……念彼観音力ねんぴかんのんりき! 皆が見上げて救いを求める、君こそ僕らの偉大な英雄ヒーロー! その名は怪仏・観世音菩薩かんぜおんぼさつ、六観音が一尊にして正調、正しき怪仏こそが君! でよ怪仏『正観音しょうかんのん菩薩』、またの名を英雄ヒーロー・『正観音ライトカノン』!


 紫苑の手にした黒い袋が大きく腹を波打たせ、光の玉を吐き出した。それは地に着くとまばゆく輝く。

 光が収まったとき、そこにはヒーロー風の怪仏の姿があった。

 身にぴったりとついた金色のアクションスーツ、ヘルメットのような金色の仮面。額には蓮のつぼみの意匠が浮き彫りにされており、目の辺りは黒いゴーグルとなっている。

 その怪仏は、ぴしり、と音がしそうな動作で、真っ直ぐに天を指差した。

「――天に輝く日の光より、まばゆき光ここにあり! 『極聖烈光きょくせいれっこう正観音ライトカノン』、見参!!」

 指差していた手を開き、力強く握り締めた。その腕を胸の前に横たえ、もう片方の手も拳を構える。片脚を前に出した形で踏ん張り、ぴたり、とポーズを決めた。


 しばしそのままでいた後。ポーズを崩すと両手を腰に当て、胸を張って話し始めた。

「――やあやあ諸君、また会ったな! どうやら先日私を追っていた、熱心なファンもいるようだ。応援ありがとう!」

 平坂と崇春の顔を見回す。人差指と中指を伸ばし、敬礼のように額へ掲げてみせた。


 崇春は震えるほどに拳を握り締める。

「おのれライトカノン……ここであったが百年目よ!」

 相手を真っ直ぐに指差して言った。

「現れるたび、ことごとくわしより目立ってくれおって! 今度という今度は許さん、目にもの見せてくれるわ……このわしの目立ち力でのう!」


「そーいうことじゃねェだろ……」

 あきれたようにつぶやくと、平坂は前へ出た。正観音ライトカノンを見据えつつ、提げた刀を鞘に納めながら。

「前に会ったときよ……オレが何て言ったか覚えてるか」


 正観音ライトカノンは高らかに笑う。

「――ハッハッハ、もちろんだとも! 握手の約束だったな!」

 歩み寄って差し出してきたその手を、平坂は音を立てて払った。

「ンなわけあるか! 『三枚に下ろしてやる』ッつッたンだよ」

 真顔になって続ける。

「忘れちゃいねェ。てめェが馬頭観音ウチの顧問をボコったこと、百見ツレをバカにしてくれたこと。……その借り、ここで返す」


 正観音ライトカノンは高らかに笑う。

「――ハッハッハ! 恨まれたものだな! だが」

 自らを親指で指し、平坂を人差指で指す。

「――ヒーローたる私に歯向かう者すなわち悪! 悪は許さん……我が正義の力で叩きのめしてやろう! あのときとどめを刺した、馬頭観音のように。そう……この【観音聖光砲ライトカノン】でな!」


 正観音ライトカノンの右手が輝き、その光が前腕を覆って一つの形を取る。白く滑らかな光沢を持った筒状のもの、先が細くくびれたそれはまるで陶器の水瓶すいびょう。あるいは、それを模した砲のような。


 平坂の頬が、ひくり、と動く。それが収まった後、無表情で言った。

「やってみろ」

「――何?」

「やってみろよ。できるもんならな」


 再び笑い、正観音ライトカノンの肩が大きく上下する。

「――ハッハッハ、面白い冗談だな少年! だがその言葉、そっくりそのままお返ししよう! この私を三枚に下ろすなどと――」

 言葉の途中で、ヒーローは腕を上げていた。平坂へと素早く、光を帯びた砲口を向ける。


 平坂もまた動いていた。舞うような動きだった。相手の舞いを知っていて、それに合わせて舞うかのような。

 突き出される正観音ライトカノンの右腕を待ち受けていたように。鞘から放たれ、斬り上げる刀が迎え討つ。それはまるで、差し出された淑女の手を、ダンスパートナーが取るかのような。完全に呼吸を合わせた動き。

 刀と砲身が、硬い音を立ててかち合う。


「――な……」

 驚愕の声を洩らす正観音ライトカノン、その右腕は斬り落とされたわけではなかった。砲身を浅く裂かれ、そこから光を漏れ出させつつも、砲口から光弾を放っていた。ただし斬り上げられたその砲は、大きくその向きを狂わせ。

 光弾は誰もいない宙に、その軌跡を残して飛び去った。


 そして、そのうちにも。平坂の返す刃が、左手も添えて握り、振り下ろした刀が。正観音ライトカノンを裂いていた。首元から胸、脇腹近くまで、斜め一文字に。


「――あ……? が、ぁ……」

 つぶやいて、自らの体を見下ろす正観音ライトカノン。やがてその傷口が、ふつ、と開いて。

 血飛沫しぶきのように光が、花火のような火花が吹き出し、流れ落ちた。押し止めようとするように両手を傷に当てるが、その手の下から、指の間から、抑えようもなく光が流れ落ちていく。

 それから、ど、と重い音を立て。ヒーローは地に膝をついていた。


「ふン……」

 鼻で息をつき、刀を肩にかつぐと。平坂は足を上げて、正観音ライトカノンを蹴倒した。

「口ほどにもねェ……しかし、ま。聞いちゃいたが、怪仏ってのは丈夫なンだな。その傷受けて生きてるとはよ」


 倒れた正観音ライトカノンは声もなく、地に伏せて震えていたが。

平坂はその頭をサッカーボールのように蹴り飛ばす。そして腹の底から長く長く、震えるような息をついた後。

 地に転がってうめく怪仏に言い放った。

「三枚下ろしは勘弁してやる、てめェへの借りはこれでチャラだ。ンで、本題」


 刀を額の上へと掲げ。風を斬る音を立て、血を払うように振り下ろす。

 片手に握ったそれを提げ――握った指先はこわばり、ひどく震えてはいたが――、紫苑へと視線を向けた。

「もっとでけェ借り、返させてもらう。確かに人まで斬りたくはねェ、が――」


 三日月が躍るかのような軌跡を残し、刀をひるがえす。右腰の後ろへと刀身を引き、脇構えを取った。

 自らの体で敵の視界から刀身を隠すその構えは、現代剣道から失われた形。刀を引いて敵前に身をさらしつつも、秘めた刃に必殺の意思を込めた姿。


比良坂心到流ひらさかしんとうりゅうは戦場往来、活殺自在。苦しみなく介錯かいしゃくしてやるかたもあるが……それは例外中の例外。殺さず壊す技もある」

 じり、と音を立て、すでに紫苑へと間合いを詰める。

「怪仏のせいで親友黒田とオレと、どっちが相手を殺してもおかしくねェ戦いになった。そもそも怪仏を憑けてくれやがった、黒幕てめェの借りは超でけェ」

 手の内で密かに刃を返し、峰打みねうちの形を取る。

「さっきの奴みたいに優しくはやれねェ……オレの技、ずいぶん痛ェぞ」


 紫苑の頬がわずかに引きつる。

「それは……興味深いね」

 槌を掲げた。真っ直ぐ、上段へ。


 じり、と音を立て、平坂がすり足で身を寄せる。

 じり、と音を立て、紫苑が足を引いて間合いを取る。

 そこから。両者が同時に動こうとした、そのとき。


 重く、空を裂く音がした。霧の向こう、平坂の遠く背後から、紫苑へ向かって。


 そちらを見上げた紫苑と、気配を感じた平坂。動いたのは同時だった。

 紫苑が打った地面からせり上がる黄金の壁が、そして平坂が振り向きざま掲げた刀が。甲高い音を上げ、それぞれに打ち落とした。放たれていた、大振りな片刃のナイフを。

 二振りのそれらは跳ね返され、地面へと突き刺さる。


「なンだ……? てめェ、まだ仲間が――」

 平坂は刀を自らの身に寄せつつ、警戒するように紫苑の方へ向ける。その一方で、ナイフの飛んできた方向に目をこらした。


「いけない……伏せろ!」

 そこへ紫苑が――槌を捨て、刀に自らの体が触れるのも構わず――、覆いかぶさるように平坂を押し倒した。


 その一瞬後、平坂が声を上げる間もなく。


 二振りのナイフへ向け、稲妻の速度で。光が、落ちた。

 一抱えもある柱のような、太く真っ直ぐな青い光の束。それが空を裂き、霧を焦がし蒸発させる音を立て。地を揺らし、轟音を上げて。ナイフを目印にしたかのように、打ち当たった。


「なァ、あ……ッ!?」

 地に当たって爆ぜた光が飛沫しぶきとなり、紫苑と共に伏せた平坂の肌を焦がす。


 腕をかざして目を覆いつつ、崇春は声を上げる。

「なんじゃ、これは……!」


 そのとき。声が響いた。低くかすれた、しかし妙に通る男の声が。

「オン・イシャナエイ・ソワカ……」


 その声に感応したかのように。光に打たれたナイフが青く光を宿した。内部から発光するかのように明滅するそれらが、一際輝きを増したとき。

 止まった、空気が。

 大気は一拍置いて渦を巻いた、風となって。

 その流れは遠く吠えるような音を上げ、渦を巻き渦を巻き。嵐となって、その場の誰もを打ち据えた。


 渦生が足をもつれさせて転び、至寂が頭巾を押さえて伏せる。

 帝釈天は風の中、紫苑へ向けて声を上げた。

「――いかん! 紫苑殿、奴が! しかもこれは――」


 地に伏せ、きちりと整えた前髪を押さえつつ――平坂の刀に裂けた首筋の傷を、浅手とはいえ気にした様子もなく――紫苑は言った。

「ああ、奴が来る。大自在天だいじざいてんの男――シバヅキが」


 誰もが地に伏せ、風がようやく収まったその場所へ。

 すすけたコートをたなびかせ、くすんだ男は歩を進めた。まるで焦土と化した敵国を歩む征服者のような足取りで。しかし背を丸め、うつむいて。

 シバヅキ、そう呼ばれた男は。

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