三ノ巻30話 刀八毘沙門天
――その頃、斑野高校生徒会室で。
「何と……!」
東条紫苑はとうに席から立ち上がっていた。谷﨑かすみが毘沙門天を――求めていたまさにその怪仏を――発現させた、その瞬間から。
食い入るように、目でかぶりつこうとするかのように、自らの手の上、黒いもやの中に揺らぐ情景を見つめていた。目を見開き口を開け、笑っていた。鈴下
「く……ははは、ははははは! やってくれる、やってくれるな谷﨑さん! まさに、まさに毘沙門天! しかしまさか、『
帝釈天が視線を向けると、察したように紫苑は喋った。満面の笑顔のまま、若干息荒く早口に。
「ああ、秘仏『
そこで息を継いで続ける。
「これもまた業だよ、人の。ただでさえ武神とされた毘沙門天に、
ため息をついた。大きく、
「まさに不気味、異形異相。まるで戦闘と勝利と、力への渇望そのものを、無理やり
再び息をつき、首を横に振った。
その後、思い出したように言う。
「しかし。まさかあれほどの『力』への渇望が、彼女の中に眠っているとはね」
帝釈天はそこで口を開いた。
「……けして不可思議なものではないかと。かの
谷﨑かすみは誰よりも力を欲していた。おそらくはその優しさゆえに。友を守り、敵対する黒幕を倒し、全てを終わらせる力を。
帝釈天はそれを察していた、平坂や崇春らの戦いを見守るかすみの様子から。それゆえ再びまみえたとき、彼女を勧誘した。『戦い』の怪仏たる自らの本地として。
ふと思う。あのとき本当に、無理やりにでも、かすみを本地としていればどうなっただろう?
彼女はそれを受け入れただろうか。そして彼女がこちら側に来ただろうか、それとも帝釈天があちら側に――
そこまで考えて息をついた。目を閉じてかぶりを振る。――
あのときの勧誘を冗談で終わらせたのは、巻き込みたくはなかったからだ。谷﨑も賀来も気持ちの良い者たちだった――それは平坂や、崇春たちも。
それが、今や。巻き込んでいる、その渦中、それも中心へ。
紫苑が言う。その口調はいつもどおりの速度に戻っていた。
「しかし、だ。あれほどの怪仏になると、
考えていたことを追い払うように小さく咳をし、帝釈天は言った。
「その必要はありませぬ。
「さすがだな。しかし今動けるのは本地のない怪仏ぐらいのはず、どこまで戦力となるか――もちろん本地がないとはいえ、君自身は別としてね――。いや、そうか。彼を動かすか」
帝釈天は頭を下げた。無言で、深く。
詮無いこと、詮無いことだった、全ては。紫苑の望み、彼のやり方でこの世を救う、そのことの他は。
紫苑は満足げにうなずく。
「まさに当意即妙、電光石火の用兵といえよう。見事だ帝釈天、さすがは
そうしてすぐ、再びもやの向こうの情景を食い入るように見つめた。握り潰さんばかりの力を八本の腕に込め、刀を構える毘沙門天を。まるで手に入ったばかりの宝物を――あるいはクリスマスか誕生日のプレゼントを――見るような眼差しで。
帝釈天はその様子を眺め、小さくうなずく。
それからもやに浮かぶ情景に目をやった。その場の誰もの――紫苑ばかりでなく、もやの向こうの鈴下もかすみも――視線が刀八毘沙門天に注がれる中。
ひっそりと、倒れた賀来と斉藤を守るように。たおやかな肢体に華のような裾をひらめかせ、吉祥天が二人のそばにいた。
帝釈天は眉をひそめる。
奇妙だった。怪仏の本地となり得るほどの業、それは一人が一つしか持ち得ない。一人の人間が複数の怪仏を扱うことなど不可能だった。
無論、同体とされる神仏であれば複数の怪物を扱うことも可能――様々な観音菩薩が同時に複数在ったように、あるいは斉藤が
毘沙門天と吉祥天は
帝釈天はなおも眉を寄せ、にらむような眼差しを毘沙門天と吉祥天、そしてかすみへと向ける。
いったい何なのだ、あの怪仏は――いや、あれらは。
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