三ノ巻18話  窮馬、仏を噛むか


 崇春は唇を湿し、再び拳を握り鳴らす。

「さあて……どうやら追い詰めたようじゃの。さすがのおんしもこれでいよいよ、目立ち年貢ねんぐの納め時じゃあ!」

 そして拳を構え、掃除用具入れへと駆けた。


「――ブヒヒィッ!? 千軍万馬ぁ!」

 崇春が拳をその戸へと叩きこむ前に。中から馬男が飛び出し、床に転がって身をかわした。


 崇春はそちらへ向き直り、構え直す。

「む……? おんしか、もう一方のもんかと思うたが。奴は、ライトカノンとやらはどこじゃあ! まとめて相手をしてくれようわい!」


 立ち上がった馬男は長柄の斧を床に突き、胸をそびやかした。

「――ほう、奴と戦いたいと……よろしいでしょうぅ! ならばわたくしも奴と戦います、あ奴こそは不倶戴天ふぐたいてんの敵! すぐに連れてきて下さいぃ! さあ! さあぁ!」

 斧を構え、素早く辺りを見回す。


「いや、とんち小僧みてェなこと言ってンじゃねェよ」

 円次が――教室を入ったところですでに印を結び真言を唱え、持国天から刀を受け取っている――そうつぶやいた。


 百見が――その傍らには、同じく広目天がすでにいた――万年筆で馬男を指す。

「心配はないさ、お前を封じた後に奴もそうする。大体、何が不倶戴天ふぐたいてんの敵だ。お前たちの争いがマッチポンプであることはもう分かっている」


「――マッチ……ポンプ?」

 馬男は目を瞬かせる。白目が大きく、顔の横についているせいで、どこを見ているのか分からない目を。

 そして身を折り曲げ、腹を抱えて笑い出した。

「――ヒヒヒぃンっヒっヒ! ブヒヒヒヒン! マッチポンプ、マッチポンプですと言うに事欠いて! いったい何を、今まで何を見てきたんでしょうかなぁわたくしたちの死闘の!」


 百見の眉がひくり、と動く。

「死闘だって? あれのどこがそうだというんだ。わざわざお前から攻撃に当たりに行くような、ただのお芝居を」

 校門に現れたときのキックもそうだが、その後で怪仏を追ううちに百見も何度か、馬男が自ら【聖光砲ライトカノン】を食らうのを見ていた。


 ぶふー、と長く鼻息をつき、馬男はゆっくりとかぶりを振った。大きな鼻の穴をひくつかせながら言う。

「――お話になりませんねぇ。貴方様方とこうしていても時間の無駄骨、馬の骨ですぅ……失敬させていただきます! バあああぁっ!」

 声と共に、斧を横殴りに床へと叩きつける。表面のリノリウムごとえぐられた、コンクリートの破片がつぶてとなって三人を襲う。


「ぐ……!」

「しまっ……」


 円次や百見が顔をかばい目をつむる、その隙に馬男は駆け出していた。踏み潰したような足跡を床に残し、並んだ机を椅子を跳ね飛ばしながら廊下へ。


「――ウマーッハッハ! どうです、わたくしの【ッハダッシュ】についてこれる者なぞ――」

「……ジハタエイ・ソワカ、オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ。オン・ビロダキャ――」

 崇春はそこにいた。半目を閉じて一心に真言を唱え、両手は馬男の衣を背中からつかんで。草鞋が焦げ臭く煙を上げながらも、ジェットスキーのように引っ張られ、床の上を滑って。馬男に、ただ一人ついてきていた。


「――な、離せ、お離しなさいぃ!」

「そうはいかぬ! そうりゃああ!」

 背後を振り向いたまま走り続ける、馬男の衣を手綱たづなのように引き。その進路を無理やり変える。


 本来の進路を直進すれば、二人とも壁に激突するところだ――が、無理に進路を変えた今も。このスピードで、到底曲がり切れるものではなかった。


「――ブヒぃっ!?」

 前に視線を戻した馬男は驚いたようにいななき。背後から引かれて、横に進路を変えながらも足を止め、ブレーキをかけようとしたが。

もはや足は床の上を滑るばかりで、何の歯止めにもならない。


 背後から引かれて斜めに滑走する馬男の――背後に引かれて共に疾走する崇春の――目の前に壁が迫る。


「どっせえええぇいっっ!」

 両足を強く踏み切り、砲撃のような音すら立てて。崇春は跳んだ。

「――ヒヒいっ!?」

 無理やり引っ張られて馬男も跳ぶ――目の前の壁へ。そして背後から崇春に押され、体勢を変えられ。


 激突した、壁に、斜めに。ただし足から、二人とも。そして二人とも、疾走の勢いをそこで殺すことはできず。

 結果、そのまま走っていた。二人とも壁の上を、床と並行に。


「――ヒヒヒヒぃぃぃっっ!?」

 そのまま廊下の壁を駆け、窓ガラスに足を突っ込みかけて。危うく跳んで窓枠に着地、それでも勢いは殺せず高速で足を継ぐ。次から次へと窓枠を狙って。


 やがて窓の地帯を通り過ぎるも、今度は階段で足場が――壁が――途切れる。

「なんのおおおぉっ!」

 崇春が馬男を引っ張って跳び、階段の真ん中――上り階段と下り階段の間、その手すり――に足をかけ。また跳ぶ。


 今度は廊下の、教室側の壁に着地。なおも勢いは衰えず――今度は進路を調整し、窓ガラスはよけられた――、教室の窓枠を揺らしながら走る。


 いつの間にか馬男の横で、共に走りながら崇春は言う。

「さあてと。これなら邪魔は入るまい、一丁一対一サシでやろうかい!」

「――……へ?」

 口を開ける馬男に、崇春は拳を掲げてみせる。

「どちらかの、脚が止まるか手が止まるか。それまで一つおとこ勝負、どつき比べといこうかい!」

「――え、ちょっ、待――」

「わしからゆくぞ、【スシュンパンチ】じゃああ!」

 戸惑う馬男の横面に、走りながらの拳がめり込む。

「――ブヒぁぁぁあ!?」


 悲鳴を上げる馬男――それでも脚は止まらない――を引っ張り上げ、崇春はまたも跳んだ。階段を越えた先、直角にそびえ立つ次の壁へと跳び上がり、体勢を入れ替えて脚から着地。その勢いのままさらに走る。


「さあ、次はおんしの番じゃい! このわしのつら、ガツンと殴って目立ったらんかい!」

「――いや、だからっ、待――」

「ええい、遠慮は無用じゃい! どうしても遠慮するっちゅうなら……わしの顔の方からゆくぞ! どっしゃあああ!」

 そうして、振りかぶるように頭を後ろへ引き。顔面から――頭突きというよりまさに顔面から――、馬男の顔へと叩きつける。

「――がっ、なあああぁ!?」

 鼻血を吹いてのけ反る馬男に、自分の胸を叩いてみせ。なおも崇春は呼びかける。

「さあさあさあさあ、どんと来んかい! どうしても来んというんなら――こちらからゆくぞ」

「――ひ、ひぃぃ!!?」


 悲鳴に構わず、崇春は再び頭を振りかぶる。

「おおおおっ! 【スシュンガン】! 【スシュンガン】! 【スシュンガン】【スシュンガン】【スシュンパンチ】! 【スシュンガン】【スシュンガン】【スシュンパンチ】【スシュン肘】! 【スシュン肩】【スシュン腰】【スシュン顎】――」


 拳の跡がへこみ、あるいは腫れて。口から泡を散らし、変形した顔で馬男は叫ぶ。

「――ブルルル……ヒヒィン! もう、もう許しませんん! 貴方には愛のむちが必要なようですねぇぇ!」

 両手で斧を構え、刃を振るうのではなく、そのままに柄を突き出す。それは崇春の打撃を阻みつつ、胴体へ横一文字の打撃となった。


「む……!」

 崇春がうなる間にも次の打撃が跳ぶ。その次も、その次も。

「――ウマあああぁっ! 【ッスルパンチ】! 【ッスルパンチ】! 【ッチョ首】【ッハヘッド】【ニッシュチョップ】【イ・ベスト張り手】! さらに【ッスルパンチ】! 【ックスタックル】!」


「むぐう!」

 肩からの突進に跳ね飛ばされ、崇春は距離を取ったところで――未だ壁を駆けながら――踏みとどまり、さらに駆ける。

 だが。そこで、双方の間合いが変わっていた。今までのようなほぼ密着ではなく、数歩の距離――崇春なら助走をつけた打撃を放てる、馬男ならその武器を振るえる。両者に取って必殺の間合い――。


 崇春が叫び、馬男がえる。

あああぁぁっ!」

「――ブヒヒイイィィンっ!」


「【真・スシュンパンチ】!!」

「【こう両断撃】!」

 輝く甲冑かっちゅうを身に着けた鬼神の大拳たいけん、そのヴィジョンをまとった崇春の拳。

 両手で柄を握り締め、横殴りに振るう馬男の斧。

 それらが今、交錯する。


 ――が。

「――ヒヒィ、ン……はっ!?」

 突如、馬男の手が緩む。斧は速度をたちまちに失い、崇春に到達する手前で動きを止めた。

「むう……!?」

 それに気づいた一瞬、崇春もまた拳を緩めた。鬼神の大拳はたちまちに輪郭を失い、崇春の拳もまた、馬男の寸前で止まった。


 同時、二人の脚も緩まっていた。教室の壁を斜めに、落ちるようにして慣性で走りながら。廊下へと、二人まとめて横様よこざまに倒れた。そのまま、もつれるように廊下を転がる。

 やがてどちらもあお向けに倒れる。大の字になった二人の、荒い息が廊下に響く。


 そのまま呼吸を整えながら崇春が天井を眺めるうち、二人分の足跡が遠くから響いてくるのが聞こえた。百見と円次が追ってきたのだろう。


「ぐ、むう……」

 額に手を当て、かぶりを振りながら崇春が身を起こす。倒れたままの馬男に問うた。

「なぜじゃ。なぜ、手を止めた」


 震えながら身を起こした、馬男が口を開く。

「――ふん。馬鹿ちんが……たとえ怪仏となったにせよ、正当防衛でもなくば。生徒に手を上げることなど――」


 そのとき。

「――悪よ滅びよ! 【ハイパー・聖光砲ライトカノン】!!」

 いつの間に現れたのか。ライトカノンが右手の砲身に、たぎるような烈光をたたえ。それを、一抱えもある弾丸として放つ。馬男の背へ。


「――バ……があああ、ああ、ぁ……」

 目を口を見開き、倒れ伏す馬男。その体は輪郭を揺らめかせ、光のちりとなって消え。

 後に残されたのは。横たわる、眼鏡をかけたスーツ姿の男、白髪混じりの縮れ毛の。


 崇春らの担任、品ノ川先生がそこにいた。


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