三ノ巻15話 斑野高校生徒会
――一方、その頃。
斉藤の巨体に先導され、かすみと賀来は靴箱へと向かっていた。
斉藤は辺りを重々しく見回しながら、一歩一歩歩いていた。ぎしぎしと音がしそうな動きで、同じ側の手足を同時に出して。
賀来が言う。
「斉藤くん、固くなりすぎだぞ。歩き方忘れておる、歩き方!」
言われて斉藤が立ち止まる。本当に歩き方を忘れてしまったかのように。
賀来はほほ笑む。
「斉藤くん、大丈夫だ。そなたは強い、我はそれをよく知っておる。故、何も心配はしておらぬ。だから」
その広い背を、ぽん、と叩く。
「そなたも、我のことは心配するな」
斉藤は前を向いたまま小さくうなずく。
「……ウ、ス。感謝、ス」
そこから普通に――ただし何度も周りを見ながら――歩き出し。やがて靴箱に着いた。
外履きの靴に履き替え、校舎を出たところで。その男に声をかけられた。
「こんにちは。三人で帰るのかな」
まず目についたのは、男が持った黄色い旗だった。小学生の登校時に、横断歩道で交通誘導するボランティアが持つような。『みぎみて、ひだりみて』と書かれたビニール製の小さな旗。
制服を着たその男は続けて言う。人なつこそうな笑みをたたえたまま、さわやかな声で。
「いやあ、ごめん急に。聞いてないかな、校内に不審者が出たって話」
かすみは答える。
「まあ、聞いたことは」
男は――かすみたちより上の学年だろうか。活動的な印象を受ける、ほどよく引き締まった体。ブレザーはその体をぴったりと覆っている、まるで男に合わせてあつらえたかのように。あるいは、彼のためにその制服がデザインされたかのように――腕に通した、生徒会と書かれた腕章を示す。
「それで僕たちが――生徒会がね――ボランティアでね。こうして下校を見守ったり、集団下校を
先導するように歩く男の後をついて。校門へと向かう、両脇に植え込みの続く道を歩きながら、かすみは首を横に振った。
「いえ、見てません」
特に嘘をつく必要もなかったが、色々聞かれても面倒だ。それに今は、早く渦生の所へ行くべきだった。
前を歩きながら男はうなずく。耳や襟にかからない長さで整えられた髪はつややかというより、黒絹のような粘りを感じさせる黒だった。
「それは何より。もし見かけても、動画撮ろうとかしないですぐ逃げてね。それから先生か、僕たちに言ってくれ。ところでもう一つ教えてくれないかな――」
男の笑みがそこで消えた。涼やかな目は真っ直ぐに、かすみを見ていた。その目の奥まで見透かそうとするかのように。
「――何か、悩みはないかい?」
かすみの足が止まる。続けて賀来も。
斉藤は何歩か歩いたところで不審げに振り返る。
男の足は、かすみと同じタイミングで止まっていた。
胸に手を当てて男は言う。
「力になってあげられるかもしれない、何かあれば遠慮なく言って欲しい。この
かすみは唾を飲み込んだ。その音が大きく鼓膜に響いた。
来た。かすみたちの張った罠に、飛び込んできた。おそらくは黒幕が。
それにしても生徒会長――言われてみれば学校行事で見覚えがある――。だが、確かにその立場なら。面識のない生徒からも相談ごとを聞き易いのではないか。そう考えれば、やはり。
黒幕は、この人。
指先に震えを感じて。それが酷くなる前にかすみは動いた。とにかく体を動かした。
賀来の襟首をつかんで引き寄せ、片手で――突っ張るほどに力のこもった人差指で――指差す。
「あります、悩みあります、この子! 恋愛でっ、そう好きな人とうまくいかなくて、悩んでます! すごく!」
賀来が顔を引きつらせてかすみを見るが――たぶん演技力に文句を言いたいのだろうが、こっちはそれどころではない――、かすみは手を離さなかった。そのままの姿勢でとにかくいた。
黒幕は、生徒会長東条紫苑は。小さく口を開けていた。やがてその肩が震え、ぶご、と鼻の奥が鳴る。そのまま息を吹き出し、肩を大きく揺らして。笑っていた。
「ちがっ……ごめん、そうじゃない、そうじゃないんだよ! いや悪かっ……ふふ、あははは!」
身を折り曲げ、手を一つ叩く。大きく息をついてから言った。
「あー面白かった……いや、ごめん笑って。違うんだ、聞き方が悪かった。何かこう、学校の設備への不満とか、行事への意見とか。いじめみたいな問題とか。そういうのあったら聞きたいな、って。いや生徒会長に恋愛相談されても……ふふ」
また思い出したように小さく笑う。定規で引いたように整えられた、斜めに伸びた前髪を気取った仕草でなでつけた。
「いやしかし、僕もそれだけ恋愛経験豊富なモテ男に見られた、ってことかな? この希代の激イケ生徒会長、東条紫苑がね……! ふふ……ははは、あーっはっはっは!」
背を反らせて高らかに笑う生徒会長を見ながら。指差していたかすみの手は、いつの間にか下がっていた。
未だかすみの手に首根っこをつかまれたまま、賀来が言う。
「こいつ……かなあ?」
かすみは首をかしげる。
「いや……さあ……」
その後で思い出して、賀来から手を離した。
そのとき。低い、女の声が聞こえた。
「まーた会長のご乱心だぁ……」
かすみたちの後ろから歩いてきたのは。生徒会の腕章をつけた女子だった。
光沢のない黒い髪はその一本一本が、まるで草むらのように思い思いの方向へ曲線を描いている。それらは襟にかからない位置でばっさりと切られていた。よほど使い古したのか、くすんだ色になったスカートは、すねの中ほどまでを隠すほど長い。
女子は分厚い黒のフレームをつまんで持ち上げ、眼鏡の向こうからやぶにらみの視線を会長へよこした。
「ていうか。何やってんですか、見守り活動の途中でしょうが。何をバカ笑いしてんですかバカなんですか」
そして、かすみたちへ深々と頭を下げる。
「すみません、うちの会長。見てのとおりの有様なんです」
会長は気取った仕草であごに手を当てる。
「そう……見てのとおりの
かすみたちの方を見たまま女子が言う。会長を指差して。
「本当にすみません、バカなんですこいつ」
会長は笑みを崩さない。
「ふ。
鈴下と呼ばれた女子は何度か手を叩く。
「はい皆さん帰りましょうねー、あとキモかったらキモいって言っていいですよー」
かすみは賀来と目を見交わす。
黒幕は『悩みを持った人間の相談に乗る、斑野高校の男子』。その意味では先ほどの言動から、生徒会長は完全に当てはまる。当てはまるのだが。
賀来の眉が悩ましげに歪み、かすみも同じ表情になる。
どうする? もう少し様子を見た方がいいのか?
思っている間に、会長が鋭い声を上げた。
「しっ! 静かに」
立てた人差指を口元に当てた、会長の視線の先を追うと。校門までの道に沿って続く植え込み、その一角が。がさ、がさ、と小さく揺れていた。
かすみたちの動きを手で制し、会長は植え込みを見守る。
やがてそこから顔をのぞかせたのは。くすんだ色をしたネズミだった。ネズミはすぐに顔を引っ込め、それきり音はしなくなった。
ほ、と会長が息をつく。
「良かった……不審者でも潜んでいたらと思うと、焦ったよ」
表情を変えずに鈴下が言う。
「はいはい。そのときはこの生徒会長が、命に代えても守ってくれますからねー皆さん」
会長は何か考えるように腕組みをする。
「うん、それはそうなんだが。一つ気になることがあってね。……なぜネズミがいたと思う?」
「なぜ、って……」
つぶやいた後でかすみは思う。この町は田舎だ、学校の最寄り駅でさえ無人駅なぐらい。そもそも通っている私鉄に、有人駅が終点ぐらいしかない。山も田畑も多い以上、野ネズミぐらいは出るだろう。
斉藤が口を開く。
「エサがある、から……スか」
会長は何度もうなずく。
「それはそのとおりだね。人がいて食事をする以上、エサとなるものは出る。残飯の類の他にもネズミなら草木の種なども食べるわけだし。だが……それらを無くすことは不可能だ」
かすみは目を瞬かせる。
何の話をしようとしているのだ、この人は。
会長は植え込みを指差す。力を込めた指で。
「問題はあれ! 隠れ場が――身を隠せる茂みなどが――あることなんだ」
かすみたちを見回して続ける。
「野生動物は皆臆病だ、可能な限り身を隠して行動しようとする。特にエサ場まで隠れ場となる草木の茂みが続いていることが彼らにとって理想。そうした場所を彼らは縄張りとして、度々姿を現すこととなる、つまり! あの状況を放置すれば、野生動物との接触による生徒の事故が懸念される……イノシシとか!」
「イノシシ……」
確かにこの町でも、山に近い土地では何度も出ていると聞いたことがある。田畑を荒らされる害が出ているとも。しかし、学校にまで現れるものだろうか。
拳を握って会長は言う。
「すなわち! この気配りのできる生徒会長、東条紫苑の出番というわけだよ! ちょっとあれ刈ってくる」
かすみは思わず言った。
「え、それ、勝手にやっていいんですか」
走り出しかけたところで足を止め、会長はかすみの方を向く。
「刈るといっても接地面辺りの枝葉を落とすだけさ、それで足元が見えるから隠れ場としての機能はなくなる。それに、うちの生徒会にはボランティア活動の伝統があってね。その実績のおかげで、敷地内の草木は自由に手入れしていいと先生方からお墨付きをいただいている」
見下ろすようにかすみに目をやり、あごに手を当てて言う。
「これが一般生徒と、斑野高校生徒会の差。これが……権力だ」
「は、はあ……」
ひとかけらもうらやましくはないが。
思いついたように、かすみたちを見回しながら身を乗り出す。
「あ、そうそう! 良かったら君たちもどうだい、生徒会やってみない? だいぶいいらしいよー、内申点」
「いえ、私たちは別に――」
聞いていないかのように。会長は笑顔を鈴下に向け、手を一つ叩くと早口に言う。
「よーしかわいい後輩候補だ、丁重におもてなししてくれたまえ! ああそうそう、生徒会では恋愛相談は受けつけてないけれど。特に、鈴下さんには言わない方がいいよー」
「いや、だから別に――」
かすみの言葉も聞かずに会長は言う。自らの胸を親指で指して、低い声で。
「後輩ども、早く昇ってこい……この俺の、生徒会長の権力の座までな。……くくく、ははははは!」
かすみたちは口を開けたまま、会長が走り去った方を見ていたが。
やがて賀来がぽつりと言う。
「あれは……絶対違うな」
同じ表情でかすみも言う。
「ええ……はい」
そのとき。二人の間にのっそりと、鈴下が体を割り込ませた。
「じゃ、これ」
かすみに、自分が持っていた旗を押しつけてくる。
「え?」
鈴下は眼鏡をつまんで持ち上げ、やぶにらみの目をしばたかせる。
「え、じゃありませんよ。会長にあなたたちのこと頼まれましたからね。……あの人がほっぽり出したここの仕事、手伝ってもらいますね」
「え」
眼鏡を持ち上げたまま、鈴下は、ずい、と顔を寄せる。
「それに。恋愛の話とやら、このわたしが聞いて差し上げましょう」
「え?」
鈴下はメモ帳とペンを取り出す。
「斑野高校文芸部員、生徒会書記兼任。
構えるようにメモとペンと持ち、再び、ずい、と身を寄せる。
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