三ノ巻3話  隣り合って女子二人


 息を切らしてかすみは駆けた。街灯もまばらな夜の道路を、革靴の音を立てて。もがくように手を足を動かし、破裂しそうな肺を心臓を叱咤して。

 同じく息を切らして駆ける賀来、その背中を追って。


 どれほど走ったか、ようやく賀来との距離が縮まり――あの厚底の靴だ、走りにくかったに違いない――、かすみはその肩に手をかける。

「賀来……賀来さん!」


 賀来の足がもつれ、その場に立ち止まり。それにぶち当たってかすみも足を止めた。二人してその場にへたり込む。

 しばらくは言葉もなく――そんな余裕もなく――互いにもたれかかるような姿勢のまま、ただ息をする。破れそうな胸で、早い呼吸を。


 ようやくそれが収まってから。かすみは賀来に正面から向き合い、再び口を開いた――目の端で元来た方を見たが、誰も追いかけてはきていない――。

「賀来さん――」

 大丈夫ですか、そう言おうとしてやめた。

「――つらかった、ですね」


 賀来はただうつむいていた。


 つらかった、そうだった――思えば。

 かすみも同じような顔をしていた。賀来が崇春の言葉に衝撃を受けていたとき。

そう、『伴侶などは思いもよらぬ』と――いや、色々気が早いというか話が大きすぎるとは思うが――。


 表情もなく、賀来はただ黙っていた。


 何と声をかければいいか分からず、かすみも黙っていた。

 せめて肩を叩こうと思い、手を伸ばしかけて。

 やめて、背を曲げ身をかがめた。自分の頭を指す。

「良かったら。なでますか、頭」


 賀来は目を瞬かせたが、言われるままに手を伸ばした。おずおずと、ゆっくりと、かすみをなでる。


 やがて、その目の端が、しわり、と緩む。

「……なんか、しっとりしてる……『めふっ』ってなる」


 かすみは、う、と息を詰まらせる。

「すいません、なんか……汗かいて」


 賀来はそれでもかすみをなでた。無言で何度も、何度も何度も。変わらず表情はなかったが、けれどもやがて、呼吸は穏やかになっていった。


 ふすぅぅ、と長く息を――風船がしぼむように――つき、肩を落として。賀来は口を開く。

「いいな、かすみは」

 遠くを見るような目で、それでもようやく――力なく――ほほえんで。続けた。

「ね。本当に私の使い魔になってよ。一生」


 かすみの顔が――意識してどうにかほほえみ返したが――固まる。

「や、あの。飼育とかはだめですからね?」


 だだをこねるように賀来の眉が寄る。

「えー? じゃーあ、私を……我を使い魔にせぬか?」


 苦笑してかすみは返す。

「それはそれでおそれ多いというか……魔王女? を使い魔とか」


 眉の端を泣きそうな形に下げ、賀来が強くすがりつく。

「じゃあ、じゃあ! そういうのいいから、魔王位とか魔王領とかあげるから! 恋人になってよ、我の!」


「それ要求レベル下がったんです!? 上がってないです!?」

 反射的に口に出した後。かすみは息をこぼした、笑うように。


 想像上の魔王女の架空の魔王位、空想上の魔王領。それでもきっと、彼女にはそれなりに大切で。

 その大切なものを投げ出しても、誰かにそばにいてほしいんだ。使い魔だろうが、恋人だろうが――それほどには彼女は傷ついて。そうなるほどには大切に思っていたわけだ、崇春を。


 そこまで考えてふと気づく。

――ああ、そうか。同じか、私も。彼女ほど深くではないかもしれないけれど、同じことで傷ついた。そして、傷ついたということは。私もきっと。あの人のことを――


 そう考えると、笑みがこぼれて。ため息がそれを追う。


――同じだ、私と。私自身と、この子は一緒だ。


「いいですよ。なります、恋人」

「ええぇ!? いいのぉ!?」


 薄くんでかすみは言ったのに、賀来の顔に浮かんだのは驚きだった。

 そのことに苦笑して、かすみは言う。

「いいですよ、別に。一生とかはだめですけど……ちょっとぐらい。たとえばそう、今日帰るまでだとか」


「そ、そうか……びっくりしたけど……」

 賀来は視線をうつむける。そして、続きを言った。

「――ありが、とう。……ちょっと、嬉しい」


 かすみがうなずき、賀来の頭をなでようとした――手が自然にそう動いた――とき。


 どこからか、近くから。ぜるような音がした。


 顔をめぐらし、音のした方を探すうち。かすみの目は一点で止まった。

 今いる道の奥、さらに行った辺り。道の端、苔むした古い石段。こんもりとした森へと上がるそれの上には、同じく古びた石の鳥居。

つい昨日、崇春らと怪仏が戦った神社。


 そこからまた、音が聞こえた。ちょうどこの二人が聞いた、怪仏が立てていたのと同じ音が。


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