二ノ巻18話 欲するものは
「な……に……」
つぶやく黒田――あるいは阿修羅――に、平坂円次は続けて言った。
「みっともねェ。そう言ったンだ、黒田」
黒田はそのまま、口を開けて円次を見ていたが。すぐに表情を歪める。阿修羅の声で答えた。
「――フン、倒れた奴に攻撃するのが卑怯だってかァァ? そんなもん――」
円次は表情を変えずに言う。
「ンなもん、いくらでもやりゃあいい。倒れる奴が悪ィんだよ……オレが言ってンのはそんなことじゃねェ」
黒田の、いや阿修羅の、
「そんなワケ分かンねェもんくっつけてよ。何を強くなった気になってンだ」
黒田は目を瞬かせていたが。すぐに笑った、甲高い阿修羅の声で。
「――チャハハハハっ! 何を、何を言ってやがる! オレに、このオレにブッ倒された奴がっ! 面白ェェぜ、なァァにを偉そうに!」
円次の鋭い目が、ぴくりと動いた。舌打ちをし、それから再び口を開く。
「ああ、確かに――」
そのとき。
「――待てい!」
円次の言葉をさえぎるように、低く重い声が響いた。木立の陰から。
「――ええい、待てい! 勝負は未だついておらぬはず、阿修羅よ……この怪仏・
木陰からのっそりと現れたのは、古代中国風の鎧をまとった偉丈夫。ただしその全身は、先ほど戦った渦生の炎に黒く焦がされたままだった。高く結い上げた髪すら、ちりちりと焦げ
黒田は、阿修羅は何も言わず、口だけ開けてそちらを見た後。
鼻息を盛大に吹き出し、身を折り曲げて笑った。
「――ブハ、チャーッハハハハハッ! 誰かと、誰かと思えばてめぇかよォォ! オレが出てきたときにゃあもうブッ倒されてた、真っ黒お焦げの固まりさんじゃあないっスかァァ!」
黒く焦げた
「――ぐぬぬぬぬ……ええい、言わせておけば! 我とて、我とてあの明王と戦った直後でなければ! いや、連戦にせよ、あの明王に不覚さえ取っておらねば……!」
阿修羅は耳に片手を当てて、帝釈天へ向けてみせる。
「――はァァ? お前が強けりゃ連戦でも勝ててたってかァァ? ほんじゃあ結局、お前が悪いんじゃないんですかねェェ? ですよね
帝釈天は全身をわななかせ、そのせいで
「――ぐぬ、ごののののののの……! 言わせておけばぁ……! だいたい、だいたいじゃなあ! 貴様が――」
そこで円次へ向き直り、指を差してにらむ。
「――貴様が我が力、受け入れてさえおれば! あの明王にもこ奴にも、不覚を取ることなぞなかったのだ! 聞いておるのか、平坂円次よ! 今からでも遅くはない、我が力受け取れい!」
片手の短双剣がわずかに電光を放ち、その表面の焦げを弾き落とす。
「――さあ、この
円次は答える。黒田に目を据えたまま。
「てめェこそ話聞いてンのか。いらねェっつってンだろ、ンなみっともねェもんよ」
「――な……!?」
帝釈天の顔がこわばり、頬から焦げが小さく剥げ落ちる。
視線をぶらすことなく円次は言う。
「てめェはオレじゃねェ。てめェの力はオレの力じゃねェ。当たり前のこったろうが。それが分かってねェから、あんなみっともねェことになる……犬のエサみてェに投げ与えられた力ではしゃいだり、好きなだけ打てとか言われて打ってみたりよ」
うつむいて、つぶやくように続けた。
「まあ、さすがにあいつも分かってはきたか」
円次の視線の先に回りこむように、帝釈天が身を乗り出してきた。
「――いや待て、待て待て待て! 考えても、考えてもみよ! 今や、あ奴は怪仏!
怪仏を倒すには怪仏の力が要るのだぞ! だから、な? 我のだな、力をだなぁ……」
円次は細い眉を寄せ、いら立たしげに帝釈天をにらむ。
「いらねっつってンだろ。くれるっつうンならほれ、刀だけよこせや」
「――え? あ、じゃあ……はい。我の『力』を……」
おずおずと短双剣を差し出す帝釈天。
間髪入れず、円次の手がそれをはたき落とす。頬を引きつらせて叫んだ。
「いらねェっつってンだろ脳ミソねェのかてめェは! 頭空っぽの方が夢詰め込めるタイプかてめェは! いいか、聞けや」
帝釈天の結った髪をつかみ、鼻と鼻とがぶつかりそうな距離まで顔を寄せて。歯を剥いて、一語一語を噛み砕くように言った。
「オレが欲しいのは、よ。『力』じゃねェ、ンなもん自前のがあンだよ。鍛えたオレの力と技が。オレが欲しいのは『刀』だ、怪仏に通じる刀。それだけだ」
そのままの体勢で、帝釈天は口を開け閉めする。空気の足りない金魚のように。
「――な……え、や……、でも、我としては……その」
「あ?」
円次が頬を引きつらせる。
「――あ! いやっ、はい! すんません、した……」
帝釈天は慌てたように視線をそらせ、消え入りそうな声でそう言った。
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