二ノ巻10話(中編)  夜と炎と


 渦生がつぶやく。

「『帝釈天たいしゃくてん』。インド神話に語られる雷神にして武神、インドラか……お前らしい怪仏かもな。だが、その力使うなら容赦はしねえ」


 印を結んだ手を突き出し、叫ぶ。

「オン・クロダナウ・ウン・ジャク! はなって、潰して、焼き尽くせ! 【炎波・豪乱瀑えんぱごうらんばく】!」


 片脚立ちの烏枢沙摩うすさま明王みょうおうが、大きく首を巡らせた。その動きを、びたり、と止めると同時、開いた片手を指先まで、張り詰めたように伸ばしてポーズを取る。ちょうど、歌舞伎役者が見得みえを切るような動き。

 反対の手は赤熱した槍を振りかぶり、火の粉を散らすそれを大きく横に振るった。その刃から湧き上がる炎が背丈を越える波となって、円次へ向けて殺到する。


 円次は痺れ、震える手で、短くなった木刀を構え直したが。

 目の前に、帝釈天たいしゃくてんが足を踏み出す。炎の波に向かい、立ちはだかるように。


 いかめしい顔を歪めて帝釈天たいしゃくてんが笑う。

「――ふん。この程度の炎、バターギイを溶かす役にしか立たぬわ。受けよ、【閃雷の金剛杵ヴァジュラ】!」


 手にした短双剣が白く輝き、ばちばちと爆ぜるような音を上げた。そこからほとばしる雷電光が炎の波へと向かって飛ぶ。いや、その手前の地面へと。

 炸裂したいかずちは爆音を上げ、地面を吹き飛ばした。その上を走る炎ごと。


「何……!」

 弾け飛ぶ火の粉と土に、渦生は手を顔の前にかざしながら目をつむる。


 そこへ、帝釈天たいしゃくてんはなおも力を振るう。

 短双剣を左手に持ち替えると、その両端から稲妻が細く、孤を描いて伸びる。全体として見れば三日月のように。そして、開いた右手をその間、三日月の端と端との中間へと添えると。

走った、細い稲妻が。三日月の端と端とを結ぶように。まるで、弓のつるのように。

 右手がそのつるをつかみ、後ろへ大きく引き絞る。ぎりぎりと音さえ立てそうに震えてたわむその弓には、今や幾本もの稲妻が横に――つがえられた複数の矢のように――走っていた。


「受けよ、【瞬雷の強弓シャクラダヌス】!」

 右手を離す、それと同時に。つがえられた稲妻は、くびきを解かれたようにほとばしった。


 幾筋もの細い稲妻が、、夕立のように。未だ漂う土煙の向こう、渦生と明王へと降り注ぐ。

「が……あああっ!?」


 渦生の叫びを気にした風もなく、帝釈天たいしゃくてんは円次へと振り向く。

「――如何いかがか、『神々の帝シャクロー・デーヴァナム』たる我が力は。さあ――」


 稲妻の小さく走る、その手の短双剣を円次へと差し出す。

「――力を望む者よ、我が金剛杵ヴァジュラを取るがよい。さすればこの力、お前のものぞ」


 かれるように、痺れたように、円次の手が震える。

「この力、が……」


 にたり、と笑って帝釈天たいしゃくてんはうなずく。

「――ああ、全てはお前のもの。存分に振るうがよい、このいかずち

「へえ……嬉しいね」


 円次はその金剛杵ヴァジュラの方へ、ゆらりと手を突き出した。焼け落ちた木刀を未だ握ったままの手を。

金剛杵ヴァジュラの位置を越えて――帝釈天たいしゃくてんの、その腹へと。勢いをつけて。

体重を乗せた、突きとおすような一撃をくれた。


「――な!?」

 息を詰まらせた帝釈天が身を折り曲げる、その顔へ横殴りにもう一撃。

 素早く跳びすさり、目星をつけておいたいい感じの枝――長さがあってある程度は振るえそうだ――を拾う。


 細かな枝葉を折り取りながら言った。

「嬉しいぜ。『人智を越えた力』『怪仏』……テメェみてェなのと戦えるとはよ!」

 口の端が吊り上がり、手が震える――武者震い。


 左足を前に出し、枝を左斜め上に寝かせた構えを取る。

「当てっこ剣道に相手のない演武……ぬるいンだよ、そんなんじゃ。鍛え鍛えた技と力、振るう場所なんてなかったがよ。テメエみてェなのが相手なら、いくらでもぶちかませるってもんよ! ――おおおおおおっっ!!」


 腹から上がる声のままに、駆け出し、枝を振り上げる。打ち下ろすそれが帝釈天たいしゃくてんの脳天を打ち、さらに振り上げ打つそれが、こめかみ、首、肩、胴を打つ。


 打たれるままによろめいた、帝釈天たいしゃくてんは、目をつむったまま幾度も短双剣を振るう。苦しまぎれのようなそれはしかし、未だ稲妻を帯びていた。

 円次の構えた枝が、軽々と四つに焼き切られる。


「げ……」

 つぶやきつつも、円次は笑った。無理な動きで、帝釈天たいしゃくてんはよろめいていた。そして円次の手にした枝は、もはや武器と呼べる長さではなかったが。

 手挟たばさんでおいた。半分に燃え落ちた木刀を、右腰の帯へ。


 ――居合抜きは通常、左腰に帯びた刀を右手で抜刀する。そこから、武士の礼法として『座った際、即座に抜刀できないよう右側に刀を置き、敵意のないことを示す』というものがある。

 そこからまた逆に。『鞘を右手で取り左手で抜刀する』という、不意をつくかのような技を備えた居合流派が存在する。そして円次の流派にも、同様の技があった――。


 右手に残った枝を、相手の顔面へと放る。

わずかに反応し、帝釈天たいしゃくてんが顔をそらせた、そこへ。視界の外れへと潜むように、身を低めながら。円次の左手は木刀を抜き放つ。相手の足を刈るように。


「ぬ……!?」


 相手が大きくよろめいたそこへさらに踏み込み、突きを入れようとして。

 しかし、帝釈天たいしゃくてんの手にした短双剣が稲妻を閃かせた。


「があっ!」

肌の上を走った焼けつくような電撃に、思わず呻いた円次だったが。

さらに呻きたいことに、帝釈天たいしゃくてんは倒れもしていなかった。立像のように堂々と立ちはだかっていた。


「――大した剣閃よ。我がもしも人間なら、確実に倒れていた――あるいは命すらもおびやかされていた――ろうが。我は怪仏……怪仏の力にらぬ打撃など、わずかにしか通りはせぬ」

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