二ノ巻7話(中編)  崇春が道着に着替えたら


 渦生が頬を引きつらせ、声を上げた。

「オイ……!」

 崇春も目を見開き、賀来が目を瞬かせる。

「むう……!」

「え、何、え?」


 渦生が間に入り、平坂を制止する。

 部員もそれにならい、あるいは倒れた黒田を助け起こしていた。


 平坂は自分の小手を脱ぎ捨て、後頭部でくくった紐をほどいて面を取り去る。頭に巻いた手拭いも取り、長髪をさらした。

「こンなもんじゃねェ……」

 歯を剥いて頬を歪め、平坂はそうつぶやいた。


「こンなもんじゃねェだろてめェ、何やってる! ふざけンなよ、こんなぬるいンじゃ――」


 そこまで言って、まるで声が喉に詰まったかのように、言葉にならないことにいら立ったかのように。平坂は顔を歪め、足を上げて。座り込んだままの黒田を蹴り倒した。


「テメエ……!」

「おい……」

「何してんだ!」

 渦生も、他の部員らも口々に非難の声を上げるが。

 平坂はとどめを刺そうとするかのように、倒れた相手に向かって。ゆらり、と竹刀を振りかぶった。


 竹刀が天井を差して動きを止めた、そのとき。


「待てええぇぇい!」

 道場の畳を床板を踏み鳴らし、崇春が駆けた。平坂と倒れた部員の間に割って入る。


「待てい! おんしの試合、見事じゃった。じゃが、それ以上は試合にあらず」

 一歩踏み出し、続ける。

「それでもやるというんなら。この崇春が相手になろうわい」


 平坂は眉根を寄せる。竹刀を構えたまま言った。

「さっきの……。だがよ、オマエも分からねェか? 昨日、あれを見たんなら――」


 平坂は頬を吊り上げ、固く笑う。

「普通じゃねェ。普通なんてもんを越えた力――そいつをオレは見てェだけだ」


 崇春は左手左脚を前に出し、半身を切った体勢で構える。

「むう……あくまで、おんしがやる気ならば……わしも、加減はせん」


 かすみは二人と百見を交互に見る。

「ちょ、あれ、大丈夫――」


 百見は何も言わず、平坂に目をやっていた。その両手はさりげなく、甲を合わせる形になっていた――いんを即座に結べるように――。


 かすみの顔が歪む。ああもう、とただそう思った――結局戦ってしまうのか、崇春は大丈夫なのか、自分には何かできないのか――。


 崇春と平坂、互いがわずかに身じろぎし、にじるように足を進める。間合いを計り、詰めるように。


 そのとき、身を起こした黒田が声を上げる。

「待――」


 待て、というその声が合図だったかのように。平坂は床を蹴って跳び出した。

 踏み下ろす足が床板を揺らす、その音と同時に。上段から振り下ろした一刀が、崇春の頭へと振り落とされていた。高く響く竹刀の音。


「む……!」

 だが、崇春は×の字に組んだ両腕を掲げ、竹刀を受けていた。反撃に移るべく拳を引き、溜めを作って打とうとする。

 しかし打たれた、その腕を。拳を繰り出すどころか、引こうとするその動きを。

痛む箇所を反射的にか、逆の手が押さえようとして。その腕さえもさらに打たれた。


「が……!」

 崇春はさすがに顔をしかめ、大きく跳びすさろうとしたが。

 同じ距離をぴったりと、平坂は跳躍してきていた。面ではなく肩口への、斜めに斬るような打ち――袈裟けさ斬りというのか、剣道にはないだろう攻撃――。


 しかし。その打撃が当たる前に、崇春が歯をき、声を上げる。

「なんの……【スシュン白刃取りキャッチ】じゃい!」


 繰り出される攻撃を受け止めるべく出された両の手は。その攻撃をまともに喰らい、次の打撃――身を引きながらの小手――まで当てられた後、空しく打ち合う音を立てた。


「ぐうう……」

 歯を噛み締め、打たれた腕を押さえる崇春。


 構えを取りながらも――以前にも見せた、左脚を出して竹刀を斜め前に寝かせた形――平坂が笑う。

「どうした、その程度か。黒田を倒したみたいに決めてみせてくれよ」


 その言葉を聞いたとき。何かに気づいたように、崇春が目を見開く。

「おおぉ! 【スシュンタックル】じゃああ!」

 平坂へ向けて駆けると同時。頭をかばうように両手を掲げつつ、指を広げて前へ突き出す。駆け寄って組みつこうとする体勢。黒田との試合で見せた、投げ技に持ち込もうというつもりか。


「ふん」

 だが、それを読んでいたかのように、平坂もまた前に出た。踏み抜くように床板を打つ足の音とともに、体重を乗せた突きが、崇春の腹へと打ち込まれる。背中まで貫こうとするかのように、深く。


「ぐう……!」

 うめき声を上げながら。崇春はしかし、笑っていた。

「かかったの……【スシュン白刃取りキャッチ】じゃああ!」

 腹へめり込んだその竹刀を。引かれるよりも早く、崇春の両が挟み込む。合掌のような形になったそれは攻撃を止めただけに留まらず。震えながら竹刀をきしませ。やがて、めりり、と音を立てて、竹刀をへし折った。


「なっ……!」

 頬を引きつらせた平坂の手には。いまや三分の一ほどを折り取られた――ささくれ立った竹の繊維せんいと、鍔元つばもとから切先までを結ぶ紐でかろうじてつながってはいる――竹刀があった。


 音を立てて手を払い、崇春が歩み寄る。

「さあてと。ここからはわしの番よ、たっぷり目立たせてもらおうかい!」


 平坂は舌打ち一つ残して跳びすさり、短くなった竹刀をそれでも構えた。

 崇春はそこへ踏み込み、平坂の道着へ手を伸ばす。


 が。そのとき二人の間に、横から竹刀が突き込まれた。

「待て!」

 竹刀を握っていたのは渦生だった。


 間に割って入り、動きを止めた二人を押し退けて言う。

「待て。この勝負、俺が預かる。――崇春。お前の気持ちは分かる、だがこいつは剣道部の問題だ。横から手を出す必要はねえ。――平坂」

竹刀を下ろし、平坂へ向き直る。

「お前が強ぇのは知ってる。だがな、だからって他人をなぶっていいワケじゃねぇ……明らかに試合を越えた範囲じゃあな。ソレをやった、今のお前は剣士じゃねぇ。ただのバカだ」

 親指で出入口を示した。

「剣士じゃねぇもんがなんで剣道場にいる。出てけ」


 平坂は何も言わず、渦生の目を見据えていたが。

 舌打ちすると黒田に目をやり、それから崇春を見た。外していた防具を抱え、出入口に向かった。その近くに立てかけていた竹刀袋を取る。


 その背に渦生が声をかける。

「平坂。……頭冷やして、明日また来い」


 平坂は振り向きもせず出ていった。

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