二ノ巻2話(後編)  剣士邂逅(かいこう)


 かすみは男の去った方向を指差す。

「えっと……行かせて、良かったんですかね」


 百見が肩をすくめる。

「さて、ね。仮に彼が怪仏として、何をしたかと言っても……木を倒しただけ。ここの管理者でもない僕らがとがめ立てできるかと言えば、微妙なところだ。何も分からないまま追及できるのか、という点も同様だね」

 賀来へ目を向けて続けた。

「それよりも、彼に覚えが? 隣の部とか言っていたが」


 目を瞬かせ、賀来がつぶやく。

「柔道部の隣……同じ道場の、剣道部。あんな感じの奴……確か、いた」


 校庭の片隅には別棟があり、柔・剣道場として使われている。見た目には平屋造りの日本家屋、いかにも道場といった風情だ。

それにしても剣道部。なるほど、あの格好や木刀からしてそうなのだろう。


とはいえ、それより気になるのは。賀来と共に見た、あの怪仏の影。剣を使う、六本腕の怪仏。一撃で木を切り倒すほどの怪力を持った。

 それと戦うことになるのか、崇春や百見は――そして、かすみは何もできない――。


 かすみは自分を抱くように腕を組み、うつむいて唇を噛んだ。


 崇春が声を上げる。

「むう……そりゃあそれとしてじゃ。せっかくおやしろまで来たけぇのう。仏法者としてここの神にも、一つ挨拶あいさつをしておくかの!」


 そのまま茂みをかき分けて大股で歩き、参道の方へと向かう。


 かすみはつぶやいた。

「えーと。やってる場合ですかね、っていうか……そもそも神社って、仏教じゃないんじゃ……」


 百見が言う。

「神社は日本古来の神々をまつ神道しんとう、寺院は仏教。そう、半分は正解だね」


 かすみは首をかしげる。

「ん? 半分?」


「そう、半分。もう半分の答えとしては『神仏混淆しんぶつこんこう』……土地古来の神道しんとうと大陸伝来の仏教が混ざり合って共存してきた、という事実がある。伝来時のいざこざはあれど、以降は潰し合うこともなくね。世界的に見ても稀有けうな宗教形態であり、非常に特異な文化だ。だからそう、仏法者が神道しんとうの神に敬意を払うということはあながち間違いでもないんだよ」


 眼鏡を押し上げて百見は続ける。だんだんと早口になりながら。

「もっとも神仏混淆しんぶつこんこうについては明治時代の神仏分離令、いわゆる廃仏毀釈はいぶつきしゃくで薄れてしまったが……ああ勿体もったいない。とはいえそれでも多く残っているんだ、本地垂迹ほんじすいじゃく説というのをご存知かなつまり日本の神々の本体は仏であって、仮の姿として神として現れているという説なんだ、これを逆にした逆本地垂迹ほんじすいじゃく説というのもありかつては寺院の敷地に神社が神社の敷地に寺院があることもごく普通だったんだ寺内社じないしゃ社内寺しゃないじとそれぞれ言うんだけれど、そうそう神道しんとうのルーツたる自然信仰と仏教の中でも特に密教みっきょう混淆こんこうさせた修験道しゅげんどうも実に興味深い、その眼目がんもくはいわば自然との一体化つまりこれは神道的にも仏教的にも非常に――」


 賀来が半歩後ずさり、かすみにだけ聞こえるようにつぶやく。

「ね。何言ってんの、こいつ……」


 かすみは力なく笑って首を横に振る。

 そうだ、百見もまた――ある意味崇春と同じく――仏教な男、いや不器用な男。なのだった。


 そうする間にも崇春が参拝しているのか、大きな拍手かしわでの音が響いた。


 かすみは息をついて――とりあえず話を切り上げようと――言う。

「あー、その。百見さん、せっかくですし。私たちもお参りしておきませんか」


 いよいよ早口になっていた言葉と早送りのような身振り手振りをぴたりと止め、一呼吸置いてから百見が答える。

「――なるほど、そうだね。実践、それもまた仏教徒としての在り方か」

 そうして参道の方へと歩き出しかけたとき。何かに気づいたように、百見は茂みの奥に目を向けた。そちらへと分け入っていく。


「どうしたんですか?」

 言いながら後をついていった、その先には。


 木が倒されていた、二本。今日見たものと同じように。何かを叩きつけたかのように、ささくれ立った荒い断面を見せて倒れていた。

 違うのはその太さで、一本は竹刀ほどの太さ、もう一本は手首ほどの太さ。どちらも、今日切り倒されていたものより細かった。


 百見はその断面に触れる。

「乾いているな……特にこの、細い方は」


 ということは、この二本は今日切り倒されたものではなく。細い方は特に、一番最初に倒されていたということか。


「もしこれも、怪仏が倒したのなら……以前から、二回はここに来ていた、ってことですか」


「ああ。僕らと出くわしたことで、今後も来るかは分からないが……この場所は、今後確認しておく必要がありそうだ。それに平坂といったか、彼の学校での様子もね」


 かすみは唾を飲み込む。

ついて来た賀来は隣で目を瞬かせる。


「どうしたんじゃい、皆参らんのかー?」

 崇春の声だけが、場違いに間延びして響いていた。


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