二ノ巻1話  怪仏の影


 夜の最中さなか鎮守ちんじゅの森の、真っ暗闇の木立こだちの中を。かがんだ四人が縦に連なり、息を殺して抜き足差し足。

けれど誰かが小枝を踏み折り、思わず小さく悲鳴を上げた――四人の一人、谷﨑たにさきかすみは。


 火がつくように、後ろの一人が高い声を上げる――

「ちょおお!? 何っ、やめっ、気づかれるだろ!」

――銀髪の混じるツインテールを震わせた、賀来がらい留美子。


 二人の前にいた者が小さくため息をついた。賀来を指差し、口の動きだけで言う――『それは君もだ、カラベラ嬢』

 ――銀縁眼鏡を指で押し上げた、百見ひゃっけんこと岸山一見かずみ。大げさに肩をすくめ、かぶりを振ってみせる。


 その動作が気にさわったか、賀来が大きく歯をいたが。

 かすみは慌てて人差指を自分の口の前に立て、しーっ、と息を漏らした。


 それでどうにか、何も言わずに収まった。


 が。その三人の前を行く、大きな背中の男の方から。すうぅ、と息を吸い込む音がした。


「頼もおおおおぉぉぉうっっっ!!」


 鎮守の森の静寂しじまを震わせ、野太い声が辺りに響いた。驚いたのか、何羽かの鳥が木から飛び立ち、枝葉を揺らす。

 その男――はち切れそうな筋肉をぼろぼろの僧衣に押し込めた、崇春すしゅんこと丸藤崇春まるとうたかはる――は、さらに言葉を続ける。


夜分やぶんあいすまぬことなれど、無礼を承知で申すわい! そこにおるのは怪仏かいぶつ――」


 かすみが崇春を指差して、ぱくぱくと口を動かし。賀来が口を開けて固まる中。

百見が、手にした本の背表紙で崇春を叩いた。

「君は馬鹿かっ! 何やってる、静かに近寄っていた意味が分かっているのか!」


 打たれた後頭部をさすりつつ、崇春は言う。

「何言うちょんじゃ、忍び寄ったところでどうにもならんわい。どうせ、正面から向き合わにゃいかんのじゃ。怪仏とは……人のごうとはの」


 崇春がそう言う間にも。茂みの向こう、やしろの前で。地に足をる音がした。返事はなく、ただわずかに歩を進めた音が。


誰かがいる。おそらくかすみと賀来の見た、怪仏かいぶつが。





 斑野まだらの高校の帰り道。本屋と古本屋、レンタルDVD屋まではしごして――一軒一軒はかなり離れている、無人駅しかない田舎のことだ――かすみと賀来は帰っていた。

 それぞれ戦利品の素晴らしさをし合いながら、靴を鳴らして夜道を帰る。ぽつりぽつりとしか街灯のない、田んぼの間の一車線の道。

 やがてその道は、背丈ほどに積まれた石垣の横へと差しかかる。その真ん中には道から上がる、同じく石積みの階段。その先には苔生こけむした石の鳥居と、こんもりと膨らむ闇のような、鎮守の森。名も知らぬ小さな神社。


 そういえば、この間の怪仏かいぶつ騒動。崇春がかすみを守るため、野宿していた場所――神社ではなくお堂だが――は、ちょっと似た感じだったな、と思いつつ、かすみが神社を見上げていると。


 その奥から音がした。まるで火花のぜるような。


 その高く鳴る音に、二人同時に身をすくませ。それから、目を見合わせる。

 何でしょうね、と、かすみが言う前に。賀来は石段を上っていた。


「え、ちょ……」


 かすみの声と、止めるように思わず出した手を気にした様子もなく。鳥居の向こうを見据えたまま賀来は言う。考えるようにあごに手を当てて。

「神社の森、夜、そして甲高い音……これはおそらく――」

 その手を一つ振ると同時、人差指を立てて言う。

「――あれだ、ワラ人形の、ほら……うしこく参り? というやつだ! え、凄いな、どんな感じで? 誰がやってんの――」

 振り向き、白い歯を見せた。

「――気になる! いや、そう、魔術的に、魔王女たる我としてはな!」


 嬉しげに緩む賀来の頬とは対照的に、かすみの頬は引きつった。

 いや、前の怪仏騒ぎ。遠因のいくらかは、あなたのやった呪い――それ自体に効果はなかったにせよ――ですからね? 


 夜闇のせいかどうなのか、かすみの表情に気づいた様子もなく。賀来はいそいそと石段を駆け上がる。帰りを急ぐシンデレラだって、ここまで素早くは階段を駆けられまい。


「かすみ、我に続け! 後学こうがくのためだ、呪い見学としゃれ込もうぞ!」

「ちょ、待っ、えええ!?」


 ともかく必死に、賀来の――その手の鞄で揺れる、蛍光色の骨格模型の――後を追う。


 そして二人は見た。竹刀を振るう何者かと、六本の腕を備えた影が、木を一息に断ち斬るのを。





 ――そしてその後。二人はすぐにその場を離れ、崇春と百見に連絡を取った。

 伝法渦生でんぽううずきにも電話はかけたが――仕事中なのか酔って寝ているのか――つながらなかった。斉藤逸人そるとにも声をかけようかと思ったが、柔道の猛者もさにせよ怪仏に対する力はない。心苦しかったが、やめておいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る