第26話  一件落着、が……?


 そうこうするうち日も落ちて。騒ぎ疲れ、満腹にもなったかすみはその場から離れ、桜の木の根元に腰を下ろした。

「ふう……」

 葉桜の下、長く息をつく。思えばたった四日ほどだが、多くのことがあり過ぎた。怪仏に襲われ、崇春と出会い、百見に出会い。そしてまた怪仏と対峙して、今皆とここにいる。考えてみれば不思議な縁だった。


 目をやれば、バーベキューコンロの周りでは今も、渦生や賀来が騒いでいる。崇春を中心に。


「ふふ」

 頬をなでる風に、くすぐられたみたいにかすみは笑った。


「やあ。隣、いいかな」

 コップを手にした百見が、同じく場を離れてかすみの方へ来ていた。


 かすみがうなずくと、百見は一人分間を開け、地面に腰を下ろした。

「改めて礼を言いたい。崇春から聞いたよ、君の意見がなければ怪仏の正体に気づけなかったとね。僕がいない間、本当によく頑張ってくれた。ありがとう」

 言うと、深く頭を下げてくる。


「いえっ、そんな。結局気づいたのも、それに賀来さんを説得したのだって崇春さんですし。大体、怪仏と戦うのにも、私じゃ役に立てないでしょうし……」


 とはいえ、崇春に置いていかれたのは悔しくもあった。

戦いとなれば、ついて行ったところで邪魔にしかならない。それは自分で言ったとおり分かっている。だがそれとは別のところで、最後まで共に立ち向かいたい、そんな気持ちも確かにあった。ここまで一緒に関わってきたのだから。

 そう思うと、視線がうつむく。


 コップの中の崇春酒――と、今はそう呼ぶことにする――を一息にあおり、意識して明るく言った。

「そうだ、そういえば。百見さんとか、崇春さんも……あの不思議な力って、何なんですか」


 百見は小さく口を開けた。

「……ああ、今聞くんだねそれ。もっと早い段階で聞かれるものだと、正直思っていたけれど」

「いや、気にはなってましたけど。正直、怪仏のことで手一杯で……私も、お二人も。聞くタイミングが……」


 百見は小さく息を吹き出す。眼鏡を抑えてうつむき、肩を振るわせた。

「ふ……ふふ。はは……真面目だな君は。気を使い過ぎだ」

「え、あ、すみません」


 百見が笑ったまま顔を上げる。

「いや、いいんだが。そうだな、逆に聞こう。この力、何だと思う?」

「え、そりゃあ……仏様の力、ですよね。守護仏がどうとか」

 百見自身がそう言っていた。


 百見は微笑んだまま言う。

「だとしたら。仏道の修行を積めば、誰でもこの力が使えるのかな? 君でも? 印を結んで真言を唱えたら、あるいは悟りを開いたら?」

 かすみの眉が寄る。

「え、いや……どうでしょう。無理な気が」


 笑みを消して百見が言う。

「約半分は正解だね。まず、仏道を修行したからといって、この力を使うことは無理。君も僕も、崇春も誰もね。そして、君でもこの力を使える可能性は、ゼロではない。ついでに言えばこの力の場合、印と真言は引き金ではあるが……深い意味は無い」

「……え?」


 想像していた答えと、真逆のものが返ってきた。仏道の修行が必要だがかすみは素質がないから無理とか、そういう答えだと思っていた。


 楽しげに微笑んで百見は言う。

「まず、ね。仏様の力とやら、僕は見たことがないな……寺の子に生まれて十数年、ね。君は見たことが?」

 かすみの頬が妙に引きつる。

「いや、ていうか……百見さんが使いましたよね? その力」


 百見は肩をすくめる。そしてかすみの目を見据えた。

「言っておくが。仏法、あるいはその目指すところである悟りと、超能力とは別に関係ない――伝説上は関係あるように語られることはあるが――。原始仏典を紐解くに、開祖たるお釈迦様だってただの人間だ。食事もすれば排泄もする――最期の時には食あたりで、下痢に苦しんだともいう――。そして、彼が人をきつけたのは超能力や奇蹟ではない。彼の教えであり、最期の最期まで人を気遣い続けたその生き様だ――何しろ、その食あたりの原因となった、食事を用意した人のことまで気遣っていた。責められること、悔いることのないよう言葉を伝えていた――。……覚えているかな、君にも言ったはずだ。『法句経ほっくきょう』こと原始仏典『ダンマパダ』の一節」


 それは確か、崇春が言った言葉でもあった。

「恨みに恨みを返さず、楽しく生きよう……でしたっけ」


 百見は笑ってうなずく。

「そう。『楽しく生きよう』、つまり『苦しみを離れて安楽に生きよう』というのが仏教――特に初期仏教、原始仏教――の大きなテーマだ。『人生は苦しいけど、こういう生き方なら安楽に生きられますよ』という、誰にでも開かれたガイドラインだ。神仏の加護をたのむのではなく、自ら歩むための道案内だ。……で、そこに必要だろうか? 超能力がどうとかって。まああれば楽かもしれないが……人生において、それがないと苦しくてしょうがないものかな?」


 かすみもそれは、首を横に振るしかなかった。そんなものがなくても皆普通に生きている――そもそも超能力の類なんて、つい数日前まで見たことはないのだが――。


 百見は続ける。

「つまり、仏教とこの力は無関係。その上でぶっちゃけるが。怪仏だよ、これは」

「……へ?」

 怪仏って。今日倒したものと、同じではないか。


 表情を変えず百見は言う。

「そう、怪仏。守護仏だのというのは嘘も方便……ただのあの場のハッタリさ。今日の彼と僕との違いは、怪仏に使われていたか、怪仏を使っていたか。ただそれだけでしかない」


 口を開けたまま何も言えずにいた、かすみを放っておいたまま、百見は崇春に目をやった。

「崇春の使った植物を操る力、吹き飛んだ窓を直した力もそう。……大乗仏教の世界観では、世界――宇宙といってもいいか――の中心に、須弥山しゅみせんという巨大な山があり、その遥か上方に仏の世界があるとされるが。その須弥山しゅみせんの四方に四つの大陸があるといわれ、その内の南の大陸、南贍部洲さんせんぶしゅうが人類の世界だとされている。そして四方を司る四天王の内、南を守護するのが増長天ぞうちょうてん。――つまり、『地球』そのものと『人』とを司り守護する。それが彼の使う力の、ごうであり縁起えんぎである……そう言うことができる」


 かすみが何も言えずにいると、百見は肩をすくめて続けた。

「と言っても。この宇宙観は現代のそれとは全く異なるし、釈迦自身の提唱した原始仏教にもそうしたものは語られていないようだ。気にする必要はないが……ともかく、彼の力についてはそうした背景があるということさ」


 かすみは目を瞬かせていた――正直、理解は追いついていない――が。ふと気になって言ってみた。

「そういえば、『四天王』って。他にもいるんですか、そういう力を持った人が」


 百見の表情が消える。

「東方の守護者『持国天じこくてん』と、北方の守護者『多聞天たもんてん』、またの名を『毘沙門天びしゃもんてん』、か。……そうだね、僕らもそれを探しに来た。渦生さんの依頼と並行してね」


 そこまで言うと、百見は両手で印を結んだ。

「ところで。それに関係するかは分からないが、君に見てほしいものがある。……オン・ビロバキシャ・ナギャ――」

 真言を唱える百見の前に、今は小さくひな人形ほどの、広目天が現れた。その手にした筆が掲げられ、点を打つように空間を突く。その先から墨が広がり、そして薄まり。両手に収まるような空間に、今日目にしたような白黒の映像が広がった。


 そこに映っていたのは斉藤だった。小学生ではなく、高校の制服を着た今の姿。どこか教室らしきところ――それにしては人の気配がない――で、椅子に座り、誰かと話しているようだった。

 斉藤ではない声がした――というか、人間の声ではないようにすら聞こえた。話している相手の声らしかったが、合成音のような、マイクに口を近づけ過ぎたときのような、妙にくぐもって割れた音声だった。


 ――なるほど。それは心配だね、その子のこと――

 同じく椅子に腰かけ、机に置いた手を組んで、その人物はうなずいた、らしかった――その頭の辺りだけが、黒く濃いもやのようなものに覆われて見えた。まるで映像のその部分だけ切り取ったかのように――。その体は男子用の制服にきっちりと包まれている。


 かすみは思わずつぶやく。

「これは……?」

 百見は口元に人差指を立て、続きを見るよう目で促がす。


 映像の中で斉藤がうなずく。

「……ウス」

 それに合わせるように目の前の人物も、何度もうなずく。黒いもやを揺らめかせながら。

 ――話を聞く限りでは、すぐにいじめといったことに結びつくかは何とも言えないけれど。それでも心配だろうね、君としては。どうだい、君の方からは何かしてあげるつもりはないかな、その子のために――

 斉藤が答えずにいると、その人の左手が手品師のそれのように優雅にひらめいた。斉藤を、あるいは天を差すような角度で、真っ直ぐに指を伸ばした。


 ――いや、分かるよ。できることであれば、やってあげたい……やってみたい。そうだね?――

「……ウス」

 斉藤が再びうなずくと。


 その人は左の人差指を立てたまま、右手を制服の内へ、同じく優雅に差し込んだ。そして、引き出したその手の上には。

 自らの頭と同じ、もやが渦巻いていた。黒いそれが揺らめき、少しずつ形を取り始める。人形のように小さくとも、確かに見覚えのある形。百見の本に描かれたのと同じ――ただしその顔は怒りに歪んでいる――、閻摩天。


「な……!」

 かすみは小さく声を上げたが、無論映像の向こうの人物は意に介した様子もない。どころか、本来なら相手の行動に驚くだろう斉藤すら、身じろぎもしなかった。その人物に魅入られたかのように。


 ――心配することはない。君ならできるさ。僕が力を貸そう。さあ――

 優しく言って、その人は右手を差し出した。

 引き込まれるように、震えながら斉藤は右手を伸ばす。

 その人は手を取り、握手した。同時、黒い閻摩天はもやとなって舞い上がり、斉藤の体を覆う。そのもやが斉藤の体に染み込むように消えた後、その人は左手を添えて、優しく斉藤の手を握る。

 ――さあ、行くがいい斉藤逸人。僕のことは忘れたまえ。為すべきことを成すがいい。君の力、怪仏・閻摩天と共に――

 斉藤は椅子の音を立てて立ち上がり、巨体をふらつかせながらその場を去った。


 そこまでで映像は止まり、全体がにじんだように黒く染まる。

広目天が筆でその跡を拭う。そして広目天の姿はかすむように薄まり、消えた。


 しばらく黙っていた後、かすみは言う。心なしか、いや、はっきりと動悸が速まっていた。

「これ、は……」

「斉藤くん、彼が怪仏の力をどのようにして得たのか。覚えていないというのも嘘ではないのかも知れないが……少なくとも、こぼれ落ちた――あの賀来さんの情景と一緒に――怪仏の記憶には、この情景が残っていた」

「さっきの人、いったい……」


 百見はかぶりを振る。

「さてね。まあ、実際にあの姿や声で接したとは考えにくいが……あるいは情景を映し取る広目天の力を、拒めるほどの力を持った存在ということか。もちろんそれより重要なのは、あの人物が怪仏を与えていたということ」


 そこまで聞いて、かすみは思い出すことがあった。

「渦生さんが言ってました、確か……最近、怪仏に関する事件が増えてるって。それも、斑野まだらの高校の中で」

 そして、さっきの人物も斑野まだらの高校の制服を着ていた。


 百見はうなずく。

「ああ。あるいは、今回の件も……始まりでしかないのかも知れないね」


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