第22話  勝利 ~しかし、諸行無常に落下中~


「だーかーら! 落ち着いて話せよいいかテメエ、崇春はどこ行きやがった!」


 全く落ち着いていない渦生うずき――今日は仕事の制服ではなくジャージ姿だ――の言葉を、唾が飛んでこないよう距離を置いてかすみは聞いていた。耳を覆いたい衝動に駆られながら。


「いや、ですから……崇春さんはここで待つように言って、校内へ走っていって。それっきりです」

「つまり……あいつは何やってんだ、正体の目星がついたってのか!?」


 到着してから三度目の同じ質問に、小さく息をついて顔をそらす。校舎の方を見た――それにしても本当に。どうしているんだろう、あの人は――。

 と、そのとき。目を向けた方、裏庭に面した校舎の三階から。激しい音と共に、窓ガラスが外へ向けてぶち破られていた。


「え」


 すでに傾きかかった日の、黄色味を帯びた光の中。かすみにはスローモーションのように見えた、宙に舞う煌めく雨のようなガラスの小片、回転しながら落ちていく、鏡のように光る大きな破片。それらの中心に人がいた。


 拳を振り抜いた姿勢の、僧形の男――崇春。ただ、その体はいたる所から血を流し、衣は擦り切れ、焦げている。そして崇春が拳で打ち抜いた先、そこには大きな人の形をした、石造りの何かがあった。おそらくそれは地蔵なのだろうが、頭の部分は打ち砕かれたのか残っていなかった――だが何か、人の頭らしきものが見えた、まるで着ぐるみみたいに、地蔵の中に入っていたかのように――。


「あ」

「ああ?」

 賀来がらい渦生うずきもかすみと同じ方向へ視線を向け。同じように固まっていた。


「……む?」

 崇春自身の視線もまた、固まっていた。下を見て。かすみと目が合って。


「む、うううぅぅ――っっ!?」

 スローモーションはそこまでで、拳を突き出した姿勢のまま、全てが自由落下していくそのとき。


 かすみの後ろから声が聞こえた。ここ数日聞き慣れた――そして昨晩から聞いていない――真っ直ぐによく通る声。

「崇春! 使え、あの力!」


 その声が響くと同時、あるいはそれより早く。崇春の両手は何か、花が開いたような形に組み合わされていた。落下しながら、そのままの姿勢で声を放つ。

「オン・ビロダキシャ・ウン!」


 ざわ、と音がした。いや、ざわめく感覚が通り過ぎた――髪の毛から爪先まで、細胞の全てを――。その感覚はほんの一瞬で、気のせいだったようにさえ、かすみには思えたが。


 ざわざわざわ、と音がしていた。辺りから、かすみの周囲、足元の地面から、裏庭中から。全ての草が、植え込みが庭木が、震えていた。いや、震えているのではない。動いて――伸びていた。

 草は懸命に背伸びをするかのように葉を茎を伸ばし。木は力を持て余したかのように膨らませた根を、地面を割って盛り上がらせる。そして、ちょうど崇春の下付近――いや、今まさに落下していくその周囲――にある木々は。明らかに不自然に、まるで鞭を振るうような速さで、その枝葉を崇春の方へと伸ばし。その体――と、一緒に落ちてきた石造りの何か――に巻きつける。

 それらの勢いと重さに枝が、木の幹がしなり、音を立てて軋み、葉を散らし。それでも確かに、崇春らを受け止めていた。


 口を開けて見ていたかすみの後ろから、足音と共に声が聞こえた。先ほど崇春へ投げかけられたのと同じ声。

「ヴィルーダカこと増長天ぞうちょうてん。その名は『恵みを増大させる者』『発芽した穀物』『成長させる者』を意味する。武力にて四方の一、南方を守護すると同時に、成長と恵みを与える者……すなわち強く優しき者。それが彼……の守護仏さ」


 かすみは振り向いた。崇春の方は気になるが、それはともかくとしてどうしても、笑顔になる。

「百見さん! 大丈夫ですか」


 渦生が裏門のすぐ前に停めていた、車から降りて。百見はこちらへ歩いてきていた。渦生が着せていたのだろう、じじむさい色の半纏はんてんを着込んだまま。


「ああ、大事ないさ。それよりも向こうだ」

 わずかに笑みを見せてそう言った後、かすみの横を通ってその向こうへ駆けていく。


 そちらでは渦生の手を貸り、崇春――と地蔵らしきもの――が枝から地面へと降りていた。


 かすみもそちらに駆け寄る。

「崇春さん! 大丈夫ですか、怪我は、それにその――」

 地蔵はいったい誰だったのか、それに今回の原因とはいえ、その人も無事でいるのか。聞きたいことは多く、それが喉で詰まって全ては出てこなかったが。


 答えようとする様子もなく、天を仰いで崇春は笑った。

「がっはっは! またしても目立ってしもうたわい、【芽立増長がりゅうぞうちょう】の力での。四天王が一、『芽立めだつ者』こと増長天ぞうちょうてんの、この崇春がのう!」


 大見得を切るようなポーズを取った崇春の、血を流す頭へ――おそらく本を持ってきていないので――百見がチョップを叩き込む。

「崇春! 君は馬鹿かっ! 早くこの場を離れるぞ、もう一つの力を使え。南贍部洲なんせんぶしゅうの守護者としての」


 言いながら半纏はんてんを脱ぎ、地蔵の上にかけた。そのせいで、石の体から突き出た顔はかすみには見えなかった。おそらく、後ろでおたおたと崇春たちを見回している賀来にも。


 崇春はうなずくと、再び花が開くような印を結んだ。

「うむ……オン・ビロダキシャ・ウン! 南贍部洲なんせんぶしゅう護王ごおうたる増長天ぞうちょうてんの名において、深く謝すと共に請願せいがん致す――還り給え、【還元供養かんげんくよう】」


 その場に起こった動きはスローモーションではなかった。むしろ早送り、いや早戻し。

 まるで時が巻き戻るように、枝葉を伸ばしていた木々はそれをすぼめ、元へと還り。辺りに散らばっていたガラス片は、宙へ浮き上がるとパズルのように次々とつながりながら、これも落ちていた窓枠へとはまる。傷一つなくなった窓は宙へと舞い、元あった窓へと収まる。錠さえもきちんと締めて。


 口を開けて見ていると、横から渦生が言う。

「谷﨑何やってる、持て!」

「え?」


 渦生に背をどやされて気づいたが。崇春たちはすでに抱えていた、横たわる大きな地蔵の腕や腰を。

 それでとにかく、かすみも脚を持つ。


「ちょ、え、何これ、何?」

 そう言う賀来は何か問いたげに、中途半端に手を上げたまま。崇春たちを見回してはいたが、地蔵を持とうとはしなかった――地蔵の話自体聞いて間もないし、無理はないだろうが――。


 渦生が声を上げる。

「よし行くぞ、車に運べ! 早く!」


 物音に気づいたのか、残っていた生徒らがぱらぱらと顔を出し、こちらを見る中。引きずるように地蔵を運び、とにもかくにも車――パトカーではない、貨物車風のバン――の後部座席に押し込む。


 渦生が言う。

「よし乗れ! あとガーライル、お前は帰れ!」

「えぇ!?」

崇春たちを見回しながら後ろをついてきた、賀来が声を上げたが。誰も取り合わずドアを閉めた。


 急発進する中、窓を開けてかすみは叫ぶ。

「とりあえず後で、後で連絡しますからー!」

 呼び止めるように手を向けたまま、遠ざかる賀来はずっとこちらを見ていた。


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