第21話  烈闘決着


「――な……んなんだ、お前は……分からん……分からんが、我が邪魔をするなら消し去るまで! 受けよ、黒縄こくじょう地獄の罰! オン・エンマヤ・ソワカ!」


 真言と共に印を結ぶ。それが合図だったかのように、霧の向こうの四方から、空気を切る音と共に黒い縄が放たれる。


「むう……!?」

 鉄線で編まれたかのようなそれはたちまち崇春の四肢に絡みつく。どうにか崇春は踏ん張るが、それでも縄は手を足を、それぞれ四方に引こうとする。


「――【地獄道黒縄縛こくじょうばく】。そのまま引き裂いてくれてもよいが、貴様にはそれでも足りぬか……更に受けよ、【地獄道大炎縄だいえんじょう】!」

 閻摩えんまの印が崇春に向けて押し出されたのと同時。油に火が走るように、黒い縄の上を炎が走る。たちまちにそれは崇春を包み込んで燃え上がった。


「ぬ……ぐ、おおおおおおっ!?」


 閻摩えんまの笑い声が響く。

「――ふ……ふはははあ、燃えよ……燃え尽きよ!」

「ぐぅ……おお、おおおおおおっっ!」

 燃え盛る音と崇春の叫びに交じり、ぎりり、と引き絞るような音が上がった。見れば、崇春が足を踏ん張り、両の腕を震わせながら、その手の黒縄を引いていた。自分の方へと引き寄せるように。


「――何……!?」

 歯を食いしばり、腕を引き、息を継ぐ合間に崇春がつぶやく。

「救う、救うてみせるぞ、百見も皆も、斉藤も……」


 吐き捨てるように閻摩えんまが言う。

「――麗しい友情といったところか、だがそんなものが……」


 大きく息を吸い、両の手を返して縄をつかんで。はっきりと崇春は言った。

「救うてみせる。怪仏、おんしも」


 針に貫かれるのも構わず、崇春は足を踏み締めた。震えながらもさらに引いた、両手が胸の前で交差する。

 右手を上に手の甲を合わせ、中指を絡め合わす。薬指のみを軽く立て、残りの指は全て自然に曲げた。全体としてみればそのいんは、開いた花のようにも見えた。


「オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ジハタエイ・ソワカ! 帰命頂礼きみょうちょうらい、『増長天ぞうちょうてん』!」

「――ぬ……!?」

 閻摩えんまは両手を身構えた。かつて戦った百見はこうした印と真言の後、力ある存在――まるで怪仏たる閻摩のような――を、び出していたのを目にしている。それを思えば当然の反応であった、が。


 炎に包まれ、震えながら印を組む崇春の前に。百見のときのような、神仏は一向に現れなかった。


閻摩えんまは吐息を洩らし、やがて肩を揺すって笑った。

「――ふ……はは、ふはははは! 何だそれは、何だそれは! ただのこけおどし……」


 しかし、その笑い声はすぐに止まった。肩を揺する動きも。


「むううう……」

 崇春が組んでいた印を崩し、拳を握り、顔の前へ交差させて掲げた。その拳も膨れ上がった筋肉も、黒い縄も激しく震えている。そこから上がる炎さえも。

 両の手はそれぞれ逆の手の縄をつかむ。その手は腕は、なおも震えながらゆっくりと――しかし止まることなく――、縄を強く引いていた。

 やがて縄が激しく震え、ぶつり、ぶつり、と音を上げ。その鉄線の一本一本が、弾けるようにちぎれ出した。


 剣を振りかぶるように両腕を掲げる。

「……ぁっっ!」

 振り下ろした、と同時。腕に巻きついた縄の、鉄線の全てがちぎれ飛んだ。


「――な……あああ!?」

 声を上げた閻摩えんまの顔から、またも破片がこぼれ落ちた。今やその口元は、大きく穴が開いていた。


 その間にも崇春は片足の縄をつかみ、歯を食いしばって引き絞る。ぶぢぶぢぶぢ、と音を立て、縄は同じくちぎれ落ちた。反対側の縄をちぎる頃には、縄の上を走る炎も崇春を覆っていた炎も、すでに消えてなくなっていた。まるで閻摩えんまが、燃やし続けるのを忘れたように。


「――な……な……」

 つぶやく閻摩えんまにも構わず。胸の奥から息をついた後、合掌して崇春は言う。

「護法善神二十八部衆の一にして四方よものうち南方をつかさどる者、武辺ぶへんを以て仏法を守護せし四天王の一。……この身、すでに『増長天ぞうちょうてん』なり」


 合掌したまま崇春が一歩、前へ踏み出す。

「――ひ……!」

 閻摩えんまは一歩後ずさった。

 なおも崇春は前へ出る。

閻摩えんまは一歩後ずさった。

 合掌したまま崇春が言う。

閻摩えんまよ。おんし、迷うておるな」


 欠けて穴の開いた口のまま、閻摩えんまがつぶやく。

「――……な、に……?」

「迷うておる迷うておる。あわれ、自分で作り出した地獄道にの」

「――何、を……」

畳みかけるように崇春は言う。

「ならば聞くが。斉藤を操り、賀来の呪いに基づいて人を裁き。それでおんしに何の得が?」


 閻摩えんまの動きが止まる。


「何ぞおんしに基準があって、それに基づいて裁くというならまだ分かるが。おんしの場合はその基準すら、賀来からの借り物に過ぎん。……まるで、裁くこと自体が目的のようにの」

「――な……」

「迷うておる。囚われておる、『閻摩えんま天』たるそのことに。思い出すがええ、おんしは何じゃ。ただの怪仏……ただの、積もった人の業」

「――な、やめろ……」


 崇春は貫くように、閻摩えんまの目の奥を見た。

「積もり積もった人のうらみ……じゃが、それが何じゃ。どうして他人のうらみなんぞで、おんしが人を裁かねばならん? そうしたところで何になるんじゃ? ……離れるがええ、その執着。解きほぐされよ、その想い」


 きし、と軋む音を立て。閻摩えんまの表情がこわばった――ように見えた。ぴしりぴしりと音を立て、震える全身にひびが走る。その両手は自らを砕くかのように、力を込めて印を結んだ。


「――う、うるさいうるさいうるさい! やめよ……やめねば、欠片かけらも残さず、焦熱しょうねつ地獄の灰にしてくれる! オン・エンマヤ・ソワカ……!」

 崇春へ向けて印を突き出す。

「――受けよ裁き! 蓮華れんげの如き深紅しんく焦熱しょうねつ! 【地獄道分荼離迦ふんだりか】!!」


 紅蓮花ぐれんげを意味するその言葉を放つと共に、閻摩えんまの全身から炎が上がる。その名のとおり、巨大な蓮の華のように。その炎を翼のように広げ、閻摩えんまの巨体が宙を舞った。まるで一つの砲弾のように、崇春へと飛んでゆく。


 しかし崇春は一歩も動かず、飛び来る閻摩えんまを見据えていた。

「ぉぉ、おおおお……喰らえい! この崇春最大の拳、南贍部宗なんせんぶしゅうが奥義――」


 その右手は腰元で、体よりも奥へと引かれていた。まるで弓を、そのつるの限界まで引き絞るかのように。


「――うおおおおおぉぉっ! 【真・スシュンパンチ】じゃああああああ!!」


 踏み込み、繰り出す拳のその先には。金色こんじきに輝く鎧をまとった、鬼神の隆々たる腕が、大鎚の如き巨大な拳が。おぼろげな光となって浮かんでいた。


 全てを打ち砕く音を立て。体ごと飛び込んだ崇春の拳は閻摩えんまを、その体の石を、辺りを覆う針を、そして霧すら打ち破り。もろともに打ち破っていた。廊下の外の窓ガラスをも。


「……む?」


 そして、飛び込んだ崇春も吹き飛ばされた閻摩えんまも。

 今や、窓の外にいた。三階の。


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