嘘つきの微笑

tonop

(一)

     (一)


「―――落ちた」

 重いつぶやきは、文机に載った丼に鋭い視線を向けた彼からのもの。

 それが味についてだと察したのは、長年のつき合いからの勘ではなく、私の文机にも、彼のと同じ器が空になって置かれているから。

「“一番”のおやじ、味自慢標榜しときながら、この期に及んで嘘つきやがった」

 憎々しげな口調は、

「即、黒縄こくじょう地獄」

 有無を言わさぬ調子で続いた。

 そこは今いる等活とうかつ地獄の一階層下。

「はっ」

 少し離れて彼の横顔を見る位置に座る私は、速やかに丼を床にさげ、かわりにノートPCを机上にあげた。

 と、

“ギィ~”

 私から正面に見えるドアが開いた。

 そこには目も覚めるような真っ赤なボディコンが―――。

「呼ばれてから入れといわれたろうが!」

 怒声が飛んだ。

 が、

「でも、時間になったから~」

 粘りつくような口ぶりに怯んだようすはない。

「てめえ勝手に判断するな!」

 しかし、時間管理も私の重要な仕事ゆえ、

「たしかに午後の審理時間には入っております」

 つりあがったぎょろ目に冷静に告げた。

 眉間のしわを一段と深くした彼だったが、忌々しそうに二度三度煙を吹かすと、

「入れ!」

 丼の横にあった灰皿にフィルターを押しつけた。

「では、そこにお座りください」

 室内中央奥で胡坐する彼の文机、その前に敷かれる半畳ほどの板を指し示した私に、

「は~い」

 軽く応じたボディコンは、指示通りしなしなと腰をおろした。

「女座りすんじゃねえ! しっかり正座しろ!」

「だって痛いんだも~ん」

「つべこべぬかすな! ここは神聖な裁判所ぞ!」

 仕方なしといった態で膝をそろえた真っ赤な被告は、室内を見まわしながら、

「それにしちゃ、なんだか緊張感ないんじゃない。せんに絵で見た風景と全然違うし」

「黙れ! これが現実だ!」

 一〇畳ほどの室内。被告の座る板部分以外はグレーのパンチカーペット。ドアを除いての四方は暗幕が張られ、天井はコンクリのむきだし。小劇場の素舞台としか一見思えない空間は、たしかに緊張感が薄い。

 ただ、冠に道服姿の彼の衣装は、一般的に伝えられているものと変わらず、威厳はある。

「いいか、俺は血も涙もない冷酷無比の存在で通っている。しかと肝に命じろ」

「弁護士とかは―――」 

「私選も国選もおらん。ちゃんと公判前説明聞いてたのか?

 てめえはただこっちの質問に正直に答えりゃいいだけだ。もし嘘こいたら、ただじゃおかねえ。シタ抜いてやるからな」

「やだ~、そんなの~」

「だったら、こくな!」

「じゃあ、煙草吸ってもいい?」

「なんだその交換条件!」

 大きな目が剥かれた。

「てめえ、自分の立場わきまえろよ!」

「だって、吸わないと落ち着いて答えられないのよ~。ここ禁煙じゃないんでしょ~? 今日、もう何時間も吸ってないの~。あなたもわかるでしょ、このつらさ。あ、手が震えてきた~。これって脳がうまく働かなくなる前兆~」

「“あなた”ではなく、“閻魔さま”、もしくは“判事さま”と呼ぶように」 

 注意を入れたが、

「おねがい、おねがい、お~ね~が~い~!」

 と、文机越しに厚化粧を彼に迫らせている被告は、聞いてはいない。

「うざい!」

「後生よ~!」

 彼は顔をそむけながら、

「わかった! どうせは今この時が最後だ!」

 折れた。

 するとすかさず、金のラメラメポシェットから煙草ケースをとりだした被告は、中から極細の一本を抜きだし着火。

「で、名前は?」

 細長い紫煙を吹きあげる被告に彼が問うと、

羅麗華られいかで~す」

 真っ赤な唇が陽気に答えた。

「られいか?」

「六波羅探題の羅に、麗しい華で、羅麗華」

 と、被告は首をかしがせた。

「本名を訊いてる!」

「え~。だっても~ずっとこれで暮してるから~」

「てめえなめんなよ! こっちは冷酷無比といっただろうが!」

「本名はデータに入っておりますので、その尋問は省いても」

 なめらかな審理進行も、私の重要な任務だ。

「―――いいたくなければ構わん。名前だろうがなんだろうが、いくら隠しても地獄行きは決定事項」

 彼は一つ胸を上下させると、告げた。

「ど~して決まってるのよ~」

 と、目を瞠った被告は、

「あたし悪いことなんて一切してきてないもん」

 ころっとすまし顔に変え、判事机の灰皿に灰を落とした。

「嘘つくなっていっただろ! てめえの生前の悪事はすべてそのPCに保存されてあるんだ。たとえそれを嘘だっていっても、そのときのようす、動画でばっちりこれに映しだせるんだからな」

 と、太い指は、私との間に設置されている『浄波璃じょうはりかがみ』を指した。 

「おっきいわよね~このモニター。お店にあったのよりも迫力あるわ~。なんインチ?」

「65インチです。それに、モニターではなく、死者の生前における善悪の行いを映す鏡です」

「鏡? 鏡なのに動画映しだせるんだ~。ハイブリッドね~」

「いえ、そういうことではなく―――」

「じゃあ、ちょっとミラーモードにしてくれない? メイク直したいから」

「うるせえ!」

 憤怒の形相が割った。

「世間話は地獄に堕ちてからゆっくりやりやがれ!」

「そう怒鳴ってばっかりいないでよ~。つば飛んで汚いし、ただでさえあなたの顔怖くてすくんじゃってるんだから」

 しれっと大嘘をこいた被告は、尖らせた口でフィルターを吸った。

「ルックス持ちだすんじゃねえ!」

 やはり盛大につばが飛ぶ。

「てめえの顔こそ他人ひとのこといえねえ鬼瓦じゃねえか!」

「女の子に対してそんないい方ないでしょ!」

「だから嘘こくんじゃねえっていっただろ!」

「なにが嘘なのよ!?」

「塗りたくった化粧顔に伸びかけの髭見せてる女の子がどこの世界にいるってんだ!」

 あぁ~! という嘆きとともに、被告は両手で顔を覆った。

「髭脱毛まで、お金がまわらなかったんだもの~」

「髭だけじゃねえ! すね毛だってストッキングの間から顔出してやがるじゃねえか!」

 ひゃ~! という悲鳴とともに、ボディコンの上体はくずおれた。

「おまけにその胸の膨らみも詰め物だってことは、先刻お見通しだ!」

 おぉ~! という驚きとともに、元に起きあがった。

「だいたいなんだ! その盛りあがりすぎたふくらはぎと張りすぎた肩筋かたきんは!?」

「柔道部時代の名残が消えないのよ~」

 片方の付けまつ毛をずらしたオカマの被告は、すっかり開き直り、煙草を揉み消した。

「そんな顔と図体で、男どもに何度も言い寄っただろ、向うが嫌がってるの知りつつ! それこそ地獄行きに値する蛮行であり罪!」

「プライベートじゃ少なかったわ。ほとんど仕事でよ。だってお客さんとらなきゃ、入ってくるものが―――」

“バン!”

 叩かれた机の上で、アルミの灰皿が揺れた。

「だが地獄堕ちの一番の要因は、人殺しだ!」

「……」

「なぜ殺した!? 正直にゲロしやがれ!」

 ぎょろ目に睨みつけられたごつい体格は、固まったままだった。

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