第02話 噂話は、武器になる
「あの狸、好き勝手な真似を…、又しても因縁をつけるか。和議を得て、引き伸ばし、家康の死を待つなど、絵に描いた餅。こうなれば、腹をくくるしかあるまい」
「淀殿様、それは如何なものかと」
「何が、何が如何なものか、このままでは…」
「お怒りは承知。なれど、和議を受け入れて、士気は下がっておりまする。さらに、浪人たちの多くを雇い払い致しておりまする」
「そのようなこと、知りませぬわ。また雇えばいいではないか」
「そのような資金は…、それに城は…」
「秀頼に伝えよ、早急に兵を集めよ、とな」
淀殿の焦りは、隠せないでいた。老齢な家康がなくなり、豊臣恩顧の大名を手にし、挽回を画策。そのための時間稼ぎに時間のかかる外堀、内堀、二の丸の埋め立て条件を飲んだ。にも関わらず、徳川勢では、諸大名が家康の信頼を得る機会と奮起し、多くの人夫を動員し、作業も徹夜で行った。驚く程の速さで作業は進み、豊臣家担当の二の丸まで埋めた。これには講義したが二の丸も埋められてしまった。数ヶ月で大坂城は、丸腰の本丸のみとなってしまった。
大坂冬の陣の和議を受けて、豊臣家に雇われていた兵は、国元に戻った。城内に留まれたのは極一部で、行き場を失った民兵を含む浪人の大半は、城下町界隈に留まっていた。
戦い半ばでの解雇に納得が行かず、豊臣家への怨みや不甲斐なさを酒の勢いを借り、くだを巻く者も少なくなかった。
兵が欲しいときだけ、向かい入れ、用が済めばお払い箱。雇用の関係にあるのは分かっていた。しかし、お家の大事に尽力を惜しまない覚悟を持った者には、余りにも打算的過ぎる対応を面白く思わない者も少なからずだった。その風潮は、義理薄弱の豊臣家と揶揄されるまでに浸透していた。
幸村は九度山に戻る前に、義を果たしていた。大坂冬の陣では、病気療養のため出陣していなかった兄、信之。その代わりにまだ若い信吉や信政が名代として参陣。それを知った幸村は、信之の立場を思い、六文銭の旗印を使わず、真紅の旗印を使った。
幸村は戦後、信吉、信政、離れ離れとなっていた真田家の家臣との接見を願い出、それを叶えた。
「この度は、私目のことにて本家に多大なる気苦労と御迷惑をおかけ致した事、これこの通り、お詫び申し上げる」
と、頭を下げ、真田家の絆の確認を動かぬものにした。その気遣いは、上田に住む姉・松村にも手紙で伝えていた。
にわかにきな臭くなってきた豊臣家の動きを警戒し、家康は駿府から伏見城に入っていた。そこに現れたのは、天海だった。
「お久しぶで御座いますな」
「おお、江戸の様子はどうだ」
「急ぎ、進めておりまするゆえ、ご安心を」
「それは大義じゃ。大義と言えば、そなたの言うた通り、あの女狐はころりと態度を変えよったわ」
「それは宜しゅう御座いましたな」
「それはそれとして、何故、訪ねてきた」
「御機嫌伺い…ですかな」
「今更、何を言うか」
「はははは、そうで御座いますな。では、本題に」
「江戸に人員を割くのは、無理じゃぞ」
「それはご心配なく。今、江戸には職を求めて、人が集まっておりますゆえ。そんなことではなく、豊臣のことです」
「ほう、新たな手立てを思いついたか」
「いえ、もう進めておりまする」
「ほう、わしの許可なく、進めておるのか」
家康は不敵な笑いを天海に向けた。
「怖い怖い、内密に進めてこそ、生きる策も御座います」
「何をしていると言うのじゃ」
「半蔵殿をお借りして、巷に噂を流しておりまする」
「噂とな」
「半蔵殿の手の者たちによって、浪人たちが集まる場所に行き、豊臣が如何に非情で、落ちぶれたかを…ですよ」
「そのような噂を流して、如何なる成果があると言うのじゃ」
「これは、家康様とあろうお方のお言葉とも思えませぬな」
「真意を言うがよい、早う言え」
「それでは…今、豊臣はまた浪人を集めておりますでしょう」
「だから、わしはここにおる」
「ならば、人員を集めさせなければいい。言い換えれば、集まりにくくすればいい。豊臣に就くことが愚かなことか、自らに掛かる火の粉が大きいかを知らしめることですよ」
「…それで噂か」
「はい、巷では豊臣擁護派と批判派に別れてきておりまする。火の粉に関しては、京都所司代の板倉殿にも、不穏な者の取締と密会の摘発にご尽力を頂いておりまする。それもこれも、豊臣への反感を煽り、密告者を募っているお陰。既に効果は出ておりまする」
「なるほど…戦は戦場のみにあらずか」
「左様で。今日お伺い致したのは、反逆者の摘発を強化するため、家康様の号令を頂きたく、参上致しました」
「既に効果がでておるのであれば、それで良いではないか」
「いいえ、天下に徳川に逆らうとどうなるかを知らしめるためと、徳川家臣の気を引き締めさせるためで御座います」
「完膚なき…か」
「私どもに時は御座りませぬ。豊臣とはこれが最後。そのための…」
「分かった、直様、命を出そう」
「お願い致しましたぞ」
「相分かった、それにしてもそなたを敵にせぬで良かったわ」
「それは、お互い様と言うことで」
「食えぬの~ほんに」
二人は、笑顔で徳川天下統一の明日を誓っていた。
「半蔵殿、聞いておったな」
「はっ」
「家康様のお許しを得た。直ちに板倉殿に手はず通り、関係各所に繋ぎをとって頂き、公然と取り締まられるようお伝えくだされ」
「直ちに」
「お頼みしたぞ」
半蔵は直ちに連絡網を駆使して、迅速に対応した。
「話は変わりますが、真田幸村と言う者、侮れませぬな」
「ああ、関心したわ。寝返らず、わしを親子で脅かしよる」
「幸村は諦めなされ。やつは前も申し上げた通り、家康様を討つことが生きがいとしておりまする。心に根ざした信念を砕くには時が御座いませぬゆえに。また、暗殺を謀るのもお控えなされよ。関ヶ原の後も幾度か真田幸村暗殺を企てた者が居ったそうな。しかし、尽く、しくじっておりまする。幸村の率いる者たちを甘く見れば、後悔致しますぞ」
「またもや敵に回すか…因果なものよな」
「念を押すようで申し訳御座りませぬが敢えて言わせて頂きます。決して、信之殿を人質に交渉はなされぬようお願い申し上げます。徳川の名誉のためで御座います。江戸の発展に要らぬ汚点は、避けなければなりませぬから」
「分かっておるわ、既に前の交渉でも封印しておるわ」
「そうで御座いましたな、念には念をと言うことで」
「心配性じゃな、そなたも老いたな」
「お互い様でしょう」
「それでは、私は江戸の町づくりに戻ります」
「あとは、わしが天下を揺るぎないものに致すわ」
「お頼み申しましたぞ」
「ああ、健吾でな」
「家康様も」
二人の談笑は、穏やかに過ぎ去った。
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