物語評論集

ごるごし

第1話 本好きの下剋上とマネジメント

「本好きの下剋上〜司書になるためには手段を選んでいられません」(以下、本好きの下剋上)とは、香月美夜が書いた中世ファンタジー風の転生小説である。2013年から2017年にかけて小説家になろうで連載された。TOブックスから第一部から第五部までの合本版が発売されており、2019年に秋アニメとしても放送された。

 主人公の本須麗乃は地震で本に押しつぶされて、エーレンフェストのごくごく普通の家庭に『マイン』として転生した。第一部から第五部までのあらすじが長くなるため大部分を端折るが、本須麗乃時代の知識と『マイン』が持つ形質を活かして、貴族から神に近い存在になるまでを描いたファンタジーである。特筆する点は、徐々にエーレンフェストの成り立ちを理解できるように話が進められる。つまり、一般的な家庭から貴族に至るまで、順々に話が展開されるため、登場人物や用語などが多数存在していても読んでいくうちに読者が慣れさせられる点が、他の小説と比べて読みやすいと感じる。


 本須麗乃はタイトルの通り、図書館司書になるほど本が好きで、転生してからも本が好きでたまらない。たびたび本のために暴走し、常識はずれの行動が下剋上に結びついてくる。

『マイン』は結果として本須麗乃時代の知識でイノベーションを起こす。『マイン』の暴走の結果、周囲も巻き込まれながらもマーケティングを展開する。ファンタジー小説として面白いのはもちろんのことであるが、『マネジメント』の基本を抑えているのである。

「マネジメント」とは、ピーター・ドラッカーが執筆した、経営学の古典である。1973年に執筆されたが、2000年頃にドラッカーブームが発生し、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」というライトノベルがブームを後押しした。日本人にとって野球とは、どういうわけか身近な存在である(「巨人の星」や「ドカベン」など、野球マンガ・アニメは事欠かない)。「もしドラ」では、身近なスポーツをテーマとして、ドラッカーが提唱するマネジメントの概念を掘り下げているため、ブームの火付け役ともなった。

 マネジメントを端的に言い表すと、イノベーションとマーケティングを行うことで、ヒト・モノ・カネを流通させるための組織論である。イノベーションとは、顧客を新たに創造することであり、マーケティングとは顧客を獲得する手段である。イノベーションとマーケティングを個別に考えると矛盾している点に気づくかもしれないが、ドラッカーはイノベーションとマーケティングを同時に行う必要がある。これを端的に表す言葉が顧客創造である。顧客を想像し、市場に商品を流通させる。そのためには、ヒト・モノ・カネが必要になる。どのように管理するか問いを投げかけているのがマネジメントである。


 本好きの下剋上では、マネジメントの本質がよく表現されている。例えば、『マイン』は羊皮紙以外の紙を創造したが、当然ながら紙というものはまだ高価である。特に、羊皮紙は契約書で重宝されている。紙の大量生産ができるからと言って、紙を大量に市場へ流せば反発が起きる。羊皮紙協会も紙を目の敵にしたが、マインの商売仲間であるベンノが植物紙は契約書以外で使うと間を取り持った。とは言うものの、本はまだ高価である。

『マイン』は植物紙という商品を発明したが、高価な紙しか知らない人たちからすれば、安い紙というのは常識はずれなのである。本好きの下剋上が素晴らしいのは、周囲が協力しながら、植物紙という発明を毀損せずに、植物紙で作られた本を普及させる点にある。紙を作るというのは、全体を通してのテーマの一つであるが、紙を作ったからと言って、それが受け入れられるかは別問題である。

 本好きの下剋上では、本とは革表紙があって、羊皮紙が膨らまないように鋲が打ち込まれていて、ときには表紙に宝石が散りばめられるものである。植物紙は、羊皮紙のように膨らまず、安価に製造できるとは言っても、既存の豪奢な本以外の本というのは全く想像できないのである。マインは第四部において、様々な貴族から寝物語を収集し、それを植物紙の本という形で商品を制作する。本は貴族か金持ちの商人しか持たない、という世界において、貴族社会で本の流通が画策される。これは、マインではなく、貴族社会を知る人間の協力があってこそである。

 また、マインは活版印刷も発明する。もとはグーテンベルクのものであるが、『マイン』の世界で大量に印刷する方法を知る人はいない。写本を通じてオリジナルのコピーを作るのが常識なのである。一瞬で大量の本が印刷できると説明しても、周囲はそれの良さを理解できない。唯一、ルッツがその成功を信じて商品の開発を進める。

 ここで重要なのが、マインは様々な発明をするが、もし周囲に協力する人間がいなければただの木偶人形ということである。ガリレオも突飛なことを喋って周囲から嫌われたが、嫌われるような人間は今世紀で評価されないのである。『マネジメント』では、組織が重要視される。『マネジメント』の答えを持つ組織は、自ずから成果を挙げるのである。マイン、ルッツ、ベンノ、フェルディナンド等々の主要な人物が、マインを支え、マインを信じることができなければ、本好きの下剋上はただ常識はずれの病弱な人がいるだけで話が終わってしまうのである。


 本好きの下剋上において、破壊的なイノベーションはそれを支持する人がいなければ誰も手伝わず、マーケティングにも失敗する可能性がある、という点がよく描かれている。ベンノは初期の頃から商人としてマインを支えるが、マーケティングに成功するのもベンノの金銭感覚に助けられることが多い。もともと羊皮紙が高価である点で、植物紙も初期の頃は高価だった。活版印刷ができるようになっても、本は貴族の手にしか渡らないから、貴族向けの商品をベンノは提案している。マインもそれに触発されて、貴族向けの絵本や玩具を発明する。もともとカミルという弟向けの発明であっても、貴族院で活かせることが見いだされるのであれば、貴族向けの商品も開発する。

 商品開発において、もともとの目的というのは忘れ去ったほうがいい一例である。Facebookももともとは自分の好みの女性は誰か選り分けるツールであったが、それが巨大化してSNSという形になった。Amazonも通販サイトの一つでしかなかったが、それが倉庫を持って、ユーザが欲しい物を予め倉庫に送りつけておくことで、発送から配達までの時間を限りなく短くしている。倉庫に顧客が欲しいものを置いておく、という発明が、物流業界においてイノベーションとなった。そして、Amazonはもともと余った計算資源を貸し出しているだけだったが、サーバのオペレーションの手間を省くツールを開発することで、レンタルサーバ業界に破壊的なイノベーションをもたらした。

 結果として当初の目的よりも、新しい目的で誰が喜ぶのか、顧客を創造することによって莫大な利益を上げている。誰が喜ぶのか定義し、その顧客に対して適切なアピールを繰り返すことで、単なる発明が利益に還元される。本好きの下剋上を例に出すと、貴族院に入る前の社交場で、数字や文字の読み取りを満足に行うために、カルタやトランプが発明されている。カルタやトランプも貴族向けの商品なので高価であるが、エーレンフェストの貴族院の新入生は、全員初回講義で合格をもぎ取る、という破壊的なイノベーションをもたらした。これらはマインを支える人たちが知恵を出し合わなければ成立しないのである。


 本好きの下剋上は、概ねラノベで読む産業革命である。しかし、産業革命も誰にとって何がいいのかわからなければ、利益を生み出さない発明に過ぎない。本好きの下剋上は、マネジメントとは何か、という点を改めて突きつける良い教材である。

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