第50話 寄生キノコ

 蜂の死体の転がる沼地深部。そこはまた景色が一遍していた。

 まず、地に落ちた蜂の死骸を苗床に生えるキノコ。

 硬い枝のような部位の先端に紙風船のような膨らみが実っており、呼吸するように膨張を繰り返すそれは、伸縮のたびに霧と同じ色の胞子をバラ撒いていた。

 おそらくは、このキノコがこの沼地を覆う霧の原因となる種。

 ゆくゆくはこれを根絶しなくてはならないのだが、今は放置だ。

 まずは女王蜂に寄生したっつう一番デカいのを何とかする。

 

 ところでこのキノコ、洗脳タイプだって話だったが、死体から芽吹いている分には無害なんだな。

 奥へ進み、増えていく蜂の死体を見過ごしながら俺は呑気にそう考えていた。

 今にして思えば、奥地まで来て随分迂闊なことだ。

 焦りの混じったリリアからの報告を受けてで、俺はようやく自分の認識が誤っていたことを実感した。

 

「アリマこいつら動いてるぞ!」

「マジかよ!」


 どうせ死体。そう思い込んでスルーしてきた蜂たちが、ゾンビのように再起動していた。

 何がまずいって、既に数十匹に囲まれていること。そして蜂が俺にとって初見の敵であること。

 そしてもう一つヤバイのが、堅実かつ迅速に討伐しなくてはならない状況なのに、この蜂たちを安定して倒すメソッドをまだ確立できてないこと。

 蜂とは初戦闘なのでこいつらの戦闘スタイルもわかってない。

 はっきり言ってピンチだ。しかもかなりデカめのやつ。

  

「何かされる前に斬る!」


 頭部の半分がキノコに喰われた蜂に有無も言わせず斬りかかる。

 相手の動きを見てから対応するように戦うのが俺のやり方だが、今回ばかりはそうも言ってられねぇ。

 よたよたと動きの遅い蜂が立ち上がる前に斬り倒す。狙うのはもちろんキノコ。

 蜂自体は、死んでるんだ、どうせキノコが本体みたいなものだろうという読みでのキノコ狙い。


「キノコの頭を狙え! 弱点だ!」

 

 キノコの紙袋のような器官が破裂すると、糸が切れた人形のように蜂が崩れ落ちる。

 急を要する状況なので判明して即リリアと共有。まだまだ蜂の数は多い。

 リリアの方を確認すれば、レイピアの切っ先を払って蜂に寄生したキノコを裂いている。

 向こうは大丈夫そうだな。とにかく数が多いからとっとと減らさねえと。

 

 こいつら所詮は寄生体なのか、動きがすっとろい。

 蜂の体の使い方にも慣れていないのか、飛ぶのすら下手くそだ。

 一斉に襲い掛かってくるかと思いきや、思い通りに体が動かず加勢できてない蜂がちらほらいる。

 思っていたほど最悪の状況じゃなさそうだな、なんて思いながらとにかくキノコを斬りまくる。

 無我夢中で蜂どもを始末して回る。そういえばだが、キノコの頭を斬ると内部の胞子が勢いよく爆散する。

 特に俺には問題はなくて気にしていなかったが、気づけば濃霧で周囲が見えない。

 倒せば倒すほどに視界が悪くなっていた。ただでさえ濃かった霧が一層濃厚になり、俺は傍で戦っているだろうリリアの姿すら見通せなくなっていた。

 

「そっちは大丈夫か!?」

  

 返事がない。

 

「リリア! おい、リリア!?」 

 

 俺の叫びはただ、霧の奥に吸い込まれるだけだった。

 

 ……慌てるな。

 俺は大して移動してないし、向こうもこんな短時間で声も届かないほど遠くに行けないはず。

 見えないだけでリリアとの距離は近い。

 リリアの状況を考えろ。リリアも戦闘員として何ら遜色のない実力の持ち主。

 いくら数が多いとはいえ、キノコに寄生されて動きの鈍い蜂ごときに後れを取るはずがない。

 別のイレギュラーな何かが起きたんだ。そしてそれは、俺の声が届いていても返事できないような状況。

 まずはリリアを見つけなくてはならない。

 俺の周囲はキノコを切り裂いた都合で特段霧が濃く、方角はさっぱりわからない。

 まずはこの濃霧を抜ける必要がある。だがしくじってリリアを完全に見失ったら、いよいよ手遅れ。

 リリアはガスマスクという時間切れがある。ここではぐれたら、死亡する恐れが非常に高い。

 

「……よし」 


 これしかない。

 すっとろい挙動でこちらに寄ってくる蜂に掴みかかり、"緑色の"足場のキノコに叩きつける。

 緑の足場キノコは、トランポリンのような性質を持つ。叩きつけられた蜂が天高く舞い上がった。

 俺は飛び上がった蜂目掛けて『絶』による蹴りを繰り出す。

 それによって濃厚な胞子の霧を抜け、俺の体が跳ねた蜂のいる高空まで吸い寄せられた。

 

 蜂を蹴り飛ばしながら上空から周囲を見渡す。

 霧は深く、高所に居てもなおリリアの姿は見つからなかった。

 

 だが、当てはある。

 リリアも俺と同様に蜂を切り裂いていた。

 であれば、彼女のいる場所は俺と同様に特段濃い霧に包まれているはずだ。

 

 少し離れた場所の、黄土色が密集した場所。

 俺はそこにいるはずのリリア目掛け、絶による飛び蹴りを繰り出した。


 上空から急襲するようなライダーキック。

 濃霧を突き破り俺の蹴りがぶちあたったのは、リリアではなくちくわのような形状の背の高いキノコ。

 その筒の上端からは僅かに人の足がはみ出ており、ばたばたと足先を振ってもがいている。

 位置エネルギーを伴った俺の強力な飛び蹴りをちくわキノコは無防備に喰らい、どてっと横に倒れた。

 俺はすかさずちくわキノコに駆け寄り、はみ出た足首を掴んでちくわの具を引っ張りだした。

 

「っぷはっ! 死ぬかと思ったぁ!」


 ちくわキノコの筒から出てきたのは、もちろんリリア。

 内部は粘液に満たされていたのか、若草色のどろどろとした粘液でローブを湿らせている。

 出てきたリリアは即座に怒り心頭でちくわキノコを真っ二つに斬り裂いた。

 

「ハァ……ハァ……。かなり命の危険を感じた」

「間に合ってよかった」

「あ、ああ。助かったよ」


 あのままリリアがちくわキノコに誘拐されたと思うと心底ぞっとする。

 リリアがローブを滴らせるこの粘液は明らかに消化用。現に分厚い布の生地には穴が空いている。

 分断された状況でちくわキノコに頭から呑み込まれ、自力の脱出も悲鳴も上げられないまま濃霧の中遠くに連れ去られるという状況。

 うまく機転を利かせて最悪の事態は免れたが、かなりヤバかった。 

 リリアとの一連のイベントが"終了"していてもおかしくないアクシデントだ。

 

「すまん。俺の判断ミスだ」


 寄生された蜂をキノコを斬れば容易く倒せるというのは、とんだミスリードだった。

 確かにすぐさま倒せるが、それをすると内部の大量の胞子が爆散し辺りが見えなくなる。

 濃霧でパーティーを孤立させ、あのちくわキノコが拉致して助けすら呼ばせずに連れ去り消化……というのがこの一帯のやり口なんだろう。

 まんまとしてやられた。

 蜂はわざわざキノコ部分を攻撃しなくても挙動が鈍重なので容易く倒せた。

 大量の敵に囲まれたという焦りで、判断をしくじってリリアを危険に晒してしまった。

 俺は猛省しながらリリアに謝罪した。

 

「いい。気にするな。謝罪するのはこちらも同じでな。……今ので、ガスマスクがダメになった」


 リリアのマスクを見れば、若草色の粘液によって呼吸部がやや溶解している。

 溶解液の溜まるちくわキノコに頭から呑み込まれたのが効いたようだ。

 マスクをしていなければ、リリアの顔はとうに焼け爛れていたかもしれない。

 ……想像したくないな。

 ともあれ、リリアのマスクがもはや長く持たないのは一目瞭然だ。

 

「……撤退だな」


 惜しい気持ちはあるが、今は引こう。

 リリアを亡くすよりかはよほどマシだ。   

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