第10話:立場

「私は後で食べさせていただきますので、先にお食べください、マイレディ」


 ヨハンが城や屋敷にいる時のような常識を口にします。

 このような非常時には、臨機応変にしなさいと叱責するのは簡単です。

 ですがヨハンの立場になって考えれば、元の主君に忠誠心を踏みにじられた時に、命懸けで助けてくれた淑女と二人きりで森の中にいるのです。

 しかも今さっき、わたくしに対して騎士の誓いをしたばかりなのです。

 普段以上に君臣の立場を明確にしようとするのは当然です。

 それだけ忠誠心が強いと同時に、わたくしを女性として意識しているのでしょう。

 

「ありがとう、ヨハン、貴男の忠誠心はとてもうれしいは、でも、今は時間の方が大切だから、同時に食事をしましょう。

 それに、人質になっていたヨハンは体力が落ちているわよね。

 しっかりと食べて、ぐっすりと寝て、できるだけ早くわたくしを護る力を取り戻して欲しいのよ、分かった」


 私はそう言って、神使ヒューが集めて来てくれた果物をヨハンに渡しました。

 春なのに季節外れの果物がある事に驚いてはいけません。

 ヨハンもヒューが果物を他の馬の背中に乗せて帰ってきた時は、とても不思議そうな顔をしていましたが、主君であるわたくしが当たり前のように受け取ったので、グッと疑問を飲み込んで、何も聞かないだけの分別がありました。


「はい、分かりました、マイロード。

 マイロードが非常時と言ってくださいましたので、私も臨機応変に対応させていただきます」


 ヨハンはそう言うと、完全に熟したリンゴにかぶりつきました。

 本来なら秋に実るはずのリンゴが、春に完熟しているのです。

 何処かから盗んできたのでなければ、ありえない話です。

 春の果物であるオレンジや瓜もあるのですが、これから追手と競争すると思えば、多少はお腹に溜まる物が食べたかったのです。

 そういう意味では、食べ応えのあるリンゴを持って来てくれたのは助かります。


「お腹一杯食べたら、先ほど言ったように、今夜はぐっすりと眠りなさい。

 わたくしの愛馬であるヒューは、例え相手がこの国一番の刺客であろうと、近づけば必ず気がついて起こしてくれます。

 他にも野生の勘を持つ乗用馬が六頭もいるのです。

 寝られるときにしっかりと寝ておくのです。

 明日からは不眠不休で馬を駆ってもらう事になるかもしれないのです」


「承りました、マイレディ。

 しかしながらマイレディの寝顔を見る訳にはいきませんので、私は向こうを向いて先に眠らせていただきます」


 冷静に状況を判断して、不寝番をする事なく眠った方がいいと判断したのと、淑女の寝顔を見てはいけないと思ったのでしょう。

 ヨハンは素直に応じてくれて、毛布代わりに乾いた血塗れの衣服を何枚も使って、何とか整えた寝床で横になりました。

 よほど疲れていたのでしょう、直ぐに安らかな寝息が聞こえてきました。

 わたくしも、ヒューを信じて眠る事にします。

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