マッシヴ・フード・コロシアム ~ミチル豪食伝~
ワッショイよしだ
その1
落雷と聞きまがうような、デカい腹の音が、商店街のアーケードに鳴り響いた。
地面も震わす轟音に、道行く人々は振り返り、猫には逃げられ、散歩中の犬には尾を逆立てて吠えられまくる。
空腹の少女一人に対してひどすぎる仕打ちだ。
私、真道ミチル16歳は、今まさに空腹で餓死しかけていた。
行き過ぎた飽食のこの時代にあっては、どの飲食店も賞金つきの大食いメニューを置いてその店の看板とし、客を呼ぶための呼び飯となっている。そしてほとんどの挑戦者は大量の食べ残しとともに無残に破れ去る。
「あー……ここもダメかぁ……」
ラーメン屋の入り口には、「立ち入り禁止」の赤文字とともに相撲の優勝杯のような空鉢を持った笑顔の私のポラロイド写真が貼られている。
「こないだ変装してもすぐバレちゃったし、そろそろ引っ越しかな……」
引っ越しはもう何度目だろう。天涯孤独の16歳に対してひどすぎる流転の運命。
それもこれも、私がなかなか腹が満たされない、いわゆる『大食い』であることが原因なのだ。
中学を卒業してからは大企業ホーク食産――の工場のラインバイトをしている。その稼ぎもあるし、廃棄の持ち帰りもできる。
それでも私は満たされない。
その足りない分を補うため、私は大食いメニューを食べ歩く生活を余儀なくされていた。
収入がほぼ食費に消えるせいで満足に服も買えていない。ボロボロになったトレーナーにジーンズ。もとは白かったのにすっかり地面と同じ色になってしまったスニーカー。帰る家も四畳半の風呂・トイレ共同のボロアパート。
とぼとぼ歩く道すがら、ふと視界の端に『スナック きゅう』というネオンが目に入る。初めて見る店だ。
そのネオンの下にはランチタイムを知らせる黒板が出ていて、
『特製2キロカツカレー、食べきったら賞金一万円』
これは渡りに船!
今日の私の胃袋は、きっとここで満たされる!
私はウッキウキで雑居ビルの階段を駆け下り、地下にあるスナックの扉を全力で引き開けた。
*
勢いよく開けたドアの向こうは、地下だけあって暗く陰気な雰囲気で、カウンターのみの狭い店内。
客は一人。薄汚いオッサンが、まだ昼だというのにクダを巻いている。
ただ、私の目当てはただひとつ!
「特製2キロカツカレー、下さい!!」
カウンター内にいる派手でキレイなママさんはしばらく黙ったまま私をジロジロ見て、
「……お嬢ちゃん、ほんとにいいの?」
「大丈夫です!」
また暫く私を眺めたあと、「フーン……」とつぶやき、
「じゃ、ちょっと待ってなさい」
と、厨房へと消えていった。
私はオッサンから距離を置き、出入口に一番近い席に腰掛けてカレーを待つ。
なんと運がいいんだろう!
カツカレー!
私の大好物の中でも1,2を争うキングオブ洋食!
ただのカレーだけでもウレシイところ、揚げ物の王者たるトンカツが乗っており、ガリッガリの空腹時にこれが出てきて喜ばないやつの気が知れないぜ!
やがて奥から不敵な笑顔のママがやってくる。
「待たせたね……ほッ……ふん……ッ」
カウンターにようやく乗っかったそれは、まごうことなく、『水槽』であった。
「さぁとくと見なッ!! これがスナックきゅう名物・2キロカツ水槽カレーだッ!」
透明な立方体には、大量のライスが砂利のようにぎゅうぎゅうに敷き詰められ、その上に大量のルーが注ぎ込まれている。更には巨大なカツが4枚、ざぶざぶとカレーの海に浮かんでいる。
「へッ ママも人が悪いぜ……」と、酔っ払いがつぶやいた。「どこが2キロだよ、10キロはあるだろ」
「ヒヒヒ! 誰が2キロのカツカレーだって言ったかなぁ? カツが2キロのカツカレーなのよウチの名物は。さあ、20分で食べきってもらうからね。ちなみに食べきれなかったら材料費2万円、きっちり払ってもらうからね」
私はしばし言葉を失っていた。
「あらぁ、見なかったの? 黒板にも値段は書いてあったろう? ほら、黒板の裏の黒板にもさ、小さかったかもしれないけどねぇ」
「……まったく、若いやつにも容赦しねえな」
「アンタは黙ってな。この不景気、勝つためにはどんな手段とったってかまやしないさ」
ごくり。
と、私は大きく生唾を飲み込む。
「なんだいこの子、黙り込んじゃって――」
誤算、これは誤算。
「完璧に……誤算だ……それもウレシイ誤算……!」
「……え? 今なんて……」
「ありがとうございます! それじゃさっそく……」
私は水槽にスプーンを突っ込み、カレールーの海からまだサクサク感が損なわれていないトンカツを掬い出す。
「いただきますッ!」
*
ここのカレーは具が少なめ、少し黒めの欧風カレーだ。
よく噛むように、味わってカレーを食べる。
うまい。
食べた直後は甘さが強いが、その奥には深いコクと辛さが潜んでいる。
ボリュームがあるとんかつがルーの奥行きと合わさり暴力的なうまみに変貌し、その荒れ狂う大波をライスがうまく一つにまとめている。
スプーンが止まらない。
服を汚さないように食べるのには苦労するけど、でもその苦労に見合う最高の味が、この水槽には詰まっている――!
水槽カレーとの出会いを惜しむ間もなく、水槽はあっという間に空になってしまった。
おおむね空腹感は誤魔化せたけれど、
「まだまだ、まだ食べれるな」
と、私はつぶやいた。
タイマーを確認すると13分。
……まだ7分も余裕があるのか……もっと味わって食べればよかったな。
「ママさん」と声をかけるが、そのママ本人がジッと空になった水槽を見たまま固まっている。
「あの、ママさん……?」
ハッと我に返った彼女は私を怯えるような目で睨み、バン、とカウンターに手を叩きつける。
「あの、このカレー――」
「とっとと失せな」
何か期限を損ねるようなことしたっけ……まぁ1万円払わされるんで多少は腹立つだろうけど……
「どんなイカサマ使ったんだか知らないけどね、こんなのはデタラメだよ」
「いや、私はちゃんと! ほら、おなかもこんな膨れて」
と、少し膨れた腹を、私はぽんぽんと叩いて見せた。
「あんだけの量でたったそれっぽっちかい!? ますます怪しいね!!」
「もうそのくれえにしとけや、みっともない」と思わぬ方向から助け舟が出た。
酔っ払いが真剣な目つきで私たちを見ている。「俺だってそいつが食ってるとこずっと見てたんだ。なんのイカサマも使っていやしねえ」
「……ちッ」
観念したようにママさんが舌打ちし、たたきつけた手をゆっくりとどける。
「ほら、金ならやる。だからもう二度と店に来るんじゃないよ」
そこには、くしゃくしゃの1万円札があった。
「……この、バケモンが」
*
『どうなってんだよ』
『本物の〈餓鬼〉ってやつだな、とんでもねえ』
『人間じゃないみたい』
『家族は大変だろうな。こんな大喰らい、飼ってられねえぜ』
『おっそろしー、どうやって今まで生きて来たんだろうな』
『この、バケモンが』
*
食べることは、私を幸せな気分にしてくれる。
それなのに、思い出すのは嫌な言葉ばかり。
私が満足すると、周りのみんなはいつも不安になる。
怖くなる。
食べ物から私を遠ざける。
私の胃袋が、他人のそれとちょっと違うことくらい分かっている。
でも、それでも、この言葉の暴力には……ずっと慣れることができない。
私がおなか一杯になるところを見て笑ってくれていたのは、私のお母さんくらい。
もう今はいない、私の最後の家族だったひと――
私は一万円札を受け取り、スナックのドアを開ける。
だが、ドアのノブから手が離せない。
私は、このまま無言で立ち去る。
礼も皮肉も言わずに。
そうすべきだ。
私にこんな思いをさせた奴らにに、情けも感謝も気の利いた一言だってかけてやるもんか。
でも、私にはお母さんとの約束がある。
絶対に破れない約束が。
『ミチル、ほら、食べ終わったら言うことあるでしょ?』
私は振り向いて店内を見る。
まだ私を睨みつけるママさんと、目をまんまるくして私を見る酔っ払い。
「ごちそうさまでしたッ! このカレー、とってもおいしかったですッ!」
こんなやつに言いたくはない、でも心からの言葉。
私がいつも思っている、『食べること』『おいしさ』への最大級の感謝。
無理やり作った笑顔の頬に涙が伝っていたことに、外に出て初めて気が付いた。
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