爆走! 独走! 正義令嬢!

ワナビ擬き

神様……チョイスぅぅぅぅ!


 「急がな!」


  母のお使いで予想よりも遅くなってしまい、焦りながら道を疾走する。


  はよせな、ラブロマンス5が売切れてまう!


  悲しいかな、ほとんど家から出ない引きこもり予備軍である大阪おおさか虎娘とらこの脚力では、どれほど頑張っても大した速度は出ない。

 いくら大好きな乙女ゲーの中でも元祖の元祖、最初期に発売されたシリーズの10年ぶりの作品が発売される日だと発奮したところで、すぐさまガス欠に陥る。

 いったん立ち止まると、ぜーぜーと荒い自分の息が耳に入る。

 手を膝に当てて、肺が必死に酸素を取り込もうとするが、乾いて乾いて仕方がない口の中を潤そうと、唾液腺が頑張るのであまりできていないようだ。

 さっきから何度もこうやって立ち止まっては少しだけ息を整えてから、すぐさま再度走り出すといったことを繰り返しているせいか、口の中は血の味がする。

 足の筋肉はすでにパンパンで、酷い筋肉痛のようだ。

 足裏に至っては、まるで膨らんでいるかのような錯覚を受け、血管が血液を運んでいる拍動のようなものが感じられる。

 そんな状態でまともなフォームを取れるはずもなく、痛みを我慢しながら無理矢理走っているせいで、怪我人が走っているかのような不思議な姿勢で進み続ける。


 あと一息やで! 次の電車を逃したら、あかんからな!


 自分に叱咤激励をし、駅までの最後のダッシュを敢行する。

 駅に着いても、まだ終わりではない。

 時刻表を見ると後一分で出てしまう。

 ピークは過ぎたとはいえ、まだ混雑する人混みの中を進むのは一苦労だ。

 鞄から出したICカードを片手に改札を通る時に、思わず周りの人たちは声をかけてしまうほどの顔色の悪さに、本人だけが気付いていない。

 走りたくても、人が多く、なおかつさっきまでの全速力で疲労が溜まっていたせいで、歩くしかない。

 できることといえば、可能な限り足を動かしつつ時計を見るだけ。

 足の関節を挟んだ、下の方の、足の骨が謎の痛みを発しているが、そんなもん気にしてたら、間に合わん! と気合で足を進める。

 しかし、現実は厳しかった。

 ウチが階段の中ほどまで到達したあたりで、発車のベルが鳴る。

 ウチは大いに焦り、人と人の間を半ば無理矢理に押しとおって階段を駆け下りていく。

 このころには顔から血の気が引き、今にも倒れそうな顔色になっていたため、ぶつかられた人達も文句が口から出てこなくなる。

 ウチがいくら大声を張り上げて、待ってやああああ! と言っても、職務に忠実な車掌が構わず車両を発車させる。


 間に…合わん…かっ…た……。


 息が切れ切れになりながらも、絶望感に襲われる。

 同時に、自分の言い分を聞いてくれなかった車掌にも不当な怒りがわいてくる。


 車掌さんも停めといてくれたらよかったやないか!

 こんなに可愛い女子校生が一生懸命乗ろうと走ってきたのに、そのまま発射するなんて鬼や! 悪魔や!

 あんたは大阪人とちゃうんか? 大阪人の風上にも置けん奴や!


 一通りの文句を心の中で言い放ったところで、冷静になる。

 いくら不平不満を言って、現状を嘆いたところで現実は変わらない。


 しゃあない。頭切り替えて、どうするか考えんとなあ。


 そう思い、ベンチにでも座って落ち着いて思考をまとめようと踵を返した……つもりだった。


「え」


 いきなり傾いた視界に思わず声が漏れてしまう。

 近くにいた人が咄嗟に伸ばしてくれた手に掴まろうとするが、手に力が入らない。


 なんでや……。


 意識も朦朧として、心中の声でさえボンヤリとしたものになってしまっている。

 そのままグルリと視界は回り、一瞬の浮遊感の後、何か硬いものが後頭部に当たった記憶を最後に、虎娘はこの世を去った。


 ――――はずだった。


 少なくともウチはそう記憶してんねんけどなあ……。


 暗転した視界がひらけたと思ったら、目の前に広がっていた、明らかに日本の病院ではない、ましてや母が待っている自宅でもない、華美になりすぎない程度に煌びやかな部屋。

 自分が覚えている限りの最後の記憶を思い出してみたが、目の前の状況に説明がつくような要素はなく、むしろ断絶されたような記憶と現実との乖離に、ますます頭が混乱しただけだった。

 夢ではないかと思い、試しに頬を抓ったりしてみるが、普通に痛い。


 いつもよりも痛いんちゃうか?


 母が虎娘を起こす時よりも、強く感じる痛みに首を傾げる。

 母は相当な筋力の持ち主で、貧弱な虎娘の力が遠く及ばないのはもちろんのこと、筋トレが趣味で、筋骨隆々になるほど体を鍛えまくった父すらも一捻りするほどだったはずだ。

 不思議に思って、ついさっきまでほっぺを抓っていた指を目の前に持ってくる。

 すると、現れたのは白魚のような手だった。

 あの万力のような力を持っているとは到底思えない美しい手に、そしてその手が自分から生えているという状況に目を白黒させる。

 困惑し、混乱する虎娘の頭がはじき出したのは一つの答えだった。


 ウチ……転生したんちゃう!?


 一度そう考えてしまうと、そうとしか思えなくなる。


 きっと、いや絶対そうや!


 と、フィクションのような展開に小躍りしそうなほど喜んでしまう。

 勿論、未練なんて沢山あるし、ラブロマンス5がプレイできなかったことも、これから世に出てくるはずだった様々な神ゲー、秀悦、良、普通、クソゲーまで様々な乙女ゲーができなくなるのは寂しい。

 だけど、前世の体に文句はなかったとはいえ、死に際に判明した虎娘の弱点を克服しつつ、前世の虎娘よりもきれいな体。

 これに喜ばないほど、虎娘は女を辞めていなかった。


 お洒落は何がいいんか、最期までよく分からんかったけど……綺麗な体は嬉しいわ!


 こう、きちんと手入れされたような体を目にしてしまうと、体の上に乗っかっている顔の出来も気になってしまう。

 軽く、着ている寝巻の上から確認しただけだが、ムダ毛が生えている様子もないし、胸も肩をこらない程度に大きく、今のところ虎娘の理想ともいえる体だ。

 これは否が応にも、容姿への期待が高まる。


 緊張するな……今世でのウチの顔はどうなってるんやろ……。


 期待と緊張と不安が入り混じった不思議な気持ちのまま、姿見へと近づいていく。

 家具やら、様々な装飾品の大きさのわりに少しだけ手狭に感じる部屋なので、さほど時間はかからない。

 いよいよ鏡に顔が映る一歩手前で足を止め、胸に手を当て深呼吸をする。

 そして、ゴクリと生唾を飲み込んでから足を踏み出す。


 そこに映っていたのは―――



 文句のつけようのない美少女だった。

 いや、漂う色香は美女と言った方がいいかもしれない。

 陶器のように滑らかで、色素の薄い肌、だが儚げな印象はなく、むしろ健康的という矛盾するような雰囲気がある。

 切れ長の目は、迫力があるが、不思議と怖いとは感じない。

 瞳は透き通る淡い紺色とでもいうのか、普通は出せないような奇妙な色合いがあり、それが一段と美貌を引き上げる。

 その下にはスッと通った鼻筋があり、ほんのりと赤い頬はふっくらとしつつもスッキリした印象を抱かせる。

 薄い唇、顎は小さく、全体のバランスもとれている。


 期待以上の容姿に感嘆の声を上げる。

 髪は金色のロングのままだが、ついさっきまで寝ていたので、きっと髪を結べばより綺麗になるに違いない。

 まるで星の様にきらきらと輝いているように見える髪を手でいてみると、シルクのような手触りにほわあと声が漏れそうになる。

 前世の虎娘は、それなり程度にしか髪の手入れに気を使っていなかったため、枝毛や、たまに髪が絡まったりという事があったが、今世そのようなことは一切なさそうだ。


 いまだにこの体が自分だという実感が薄いところに、この整った顔立ちを見てしまったので、より一層自覚が薄れてしまい、ニヨニヨしながら鏡の前でターンしてみたり、髪を眺めたりして時間が流れてしまう。

 どれくらい経っただろうか、コンコンというノックの音が聞こえてきた。


「お嬢様。入ってもよろしいでしょうか」

 

 女性の声だ。

 自分の体に見惚れて、鏡で自分を見つめるのに夢中になっていた虎娘は特に考えることもなく、いつも通りの口調で許可を出す。


 ええで。


 そして、次の瞬間にハッとなり、不味いことになったと顔を青くする。

 転生したばかりという事は、恐らく今世の自分は前世とは違う口調だっただろう。

 そして、この部屋の中の様々な品の数々。

 目利きなんて全くできない虎娘でもわかる値段の高さから推測して、恐らく貴族位についている人物なのだろう。

 転生したとはいっても、いままでこの世界で生きてきた記憶が欠片もない虎娘など、どんな扱いを受けるか分かったものではない。

 最悪の場合、処刑されるというのもあり得る話だ。

 だからこそ、慎重に自分の情報を集めていかないといけなかったのに、初めの一歩を踏み外したどころか、地獄へのレッドカーペットへと意気揚々と踏み出していくような一歩目に頭を抱えたくなる。


 しかし、そんな虎娘の心情とは裏腹に、口から出てきた言葉は驚きのものだった。


「入っていいですわよ」


 明らかに脳は、自分のコッテコテな関西弁の返答を口にするように、口に、喉に信号を発していた。

 それに反して、実際に喉が空気を振動させて声となったのは、虎娘が使うはずのないお嬢様言葉。

 意識と現実の齟齬に頭が混乱する。

 だが、虎娘がどれだけ理解できなかろうが、現実は現実。

 虎娘の返答を受けて、扉を静かに開け、声の主が中に入ってくる。


 虎娘が扉の方を振り向くと、そこに立っていたのは――メイドだった。

 それも、秋葉原やら文化祭やらにいそうなミニスカメイドではなく、クラシカルな雰囲気を出しつつも、鼻につかない程度の可愛さを醸し出すメイドだ。

 彼女は頭を下げた状態から、顔を上げ驚いたよな顔を見せる。


「お嬢様がご自分から姿見の前にお待ちになられているとは……」


 彼女の口ぶりからすると、記憶が戻る前の転生した虎娘もあまり着飾ることに感心はなかったようだ。


 こんなに綺麗な見た目してんのに、もったいないなあ。


 と前世の自分のことは棚に上げて虎娘は思う。

 父と母の優れた容姿を引き継いだ虎娘は、学校でも評判になれる程度の容姿の土壌はあった。 

 しかし、ほとんど磨かれなかったため、身近な友人以外はあまりそのことを知らない状況だった。

 記憶があろうが、なかろうが、人間の性根は変わらないということだろう。


 自分の主人がそんなことを思っているとは露知らず、メイドは驚愕の表情をすぐに戻すと、虎娘のほうへ近づいてくる。

 そして、鏡の方へ向きなおした虎娘のすぐ後ろに立つと、質問をしてくる。

 態度からして、一応という雰囲気がうかがえるので、転生した虎娘がいつも同じ答えを返していた、形式的なものなのだろう。


「お嬢様。髪型はいつものでよろしいですか?」


 虎娘としては、どんな髪型でもこの綺麗な顔を引き立たせてくれるならなんだっていいので、断る理由はない。


「勿論ですわ」


 記憶は残っていないはずなのに、何となくどんな返答をすればいつも通りの言葉に変換されて出てくるのか分かってしまう。


 これは記憶はなくなってないと考えるべきなんか、それとも、ウチは転生したわけではなく、憑依みたいな状態なんかな?


 と考えるが、答えは出ない。

 虎娘がそんな意味のない思考を巡らせている間に、メイドが髪を結び終えたのか後ろから離れて待機しているのが目に入る。

 虎娘は鏡の前で、左右を見たり、後ろを見たりしてみる。

 正面からでは違いが分かりにくいが、左右から三つ編みが後ろに向かって一本ずつ伸びていて、後頭部の真ん中の方で、赤いリボンのようなもので纏められている。


 それを視認して、髪型の全体像を頭の中で思い描いた瞬間――。



 虎娘の頭に電流が走ったような衝撃が起きた。

 学業では平均の成績、暗記科目に関してはコツコツ努力するのが苦手と言う虎娘の生来の気質もあってか、特に苦手だ。

 しかし、こと乙女ゲーに関していえば、虎娘は驚異的な記憶力を見せる。

 そんな虎娘の脳が目覚めた時からずっと、頭の片隅で信号を出していた。


 何か、見覚えがあるぞ! 脳が疼くぞ! と。


 そして、自分の完全な容姿を理解したときに、その信号と記憶領域の信号が繋がり、虎娘に天啓のごとく、すべての記憶を一瞬で引き出させたのだ。


「だ、大丈夫ですか! お嬢様!」


 メイドが心配そうに近づいてくる。


 そうや、彼女もウチは知ってる。

 『ジャスティス・ブレイク』っちゅう、乙女ゲーとは思えへんタイトルの作品に出てくる、悪役令嬢ならぬの付き人をしてる、ドメナ。ドメナ・ラファ―ジュや。

 そして、ウチ。ウチはラピス。正式にはラピスミレ・ビアンカ・クリューソス。


 一度思い出された記憶は芋づる式に蘇ってくる。


 そう、この世界は剣と魔法のファンタジーな世界。

 魔法が発達して、科学が廃れたせいで、地球の中世レベルの文化と、地球を凌駕する文化が混ざったいびつな世界観。

 ウチは、世界中から貴族や、豪商や、英雄など、将来を期待される人物が集まる、この、アートルム王立学園の入学権を金で入手し、将来的にはこの国の王子、宰相の息子、騎士団長の息子、公爵家の跡取り息子、それに裏の世界を牛耳る、大組織の次期頭領を篭絡し、クーデターを起こしてこの国を乗っ取ろうとしている主人公を止める役割を担っている。

 女子供、老人など戦う覚悟が無かったり、庇護下に置かれているべき存在以外はどんな風にでも使うし、あらゆる手段で目的を達成しようとする主人公にことごとく正義の鉄槌を食らわせる。

 しかも、主人公も攻略対象もそれなりに鍛え上げているはずなのに、最終決戦間近にならないと、全員でかかっていっても鎧袖一触に蹴散らされてしまう。

 さっきの怪力はそういう事だったんだろう。


 このゲーム、なかなかに面白く、しかもアイデアが斬新なので、爆発的とまではいかないが、界隈の人間はこぞってプレイし、コアなファンもたくさんついた。

 何を隠そう、虎娘もその一人である。

 DLCだってもちろん買ったし、特典はすべての店舗の分を手に入れた。

 ファンブックだって買って、ページの端が擦り切れるほど読み込み、そうプレイ回数は二桁の中ほどに届きそうなぐらいだった。

 ありとあらゆるルート分岐、全エンド自力回収、隠しキャラ自力発見。

 なんなら、虎娘が趣味でやっていたブログの中身は攻略本レベルの情報がちらほらというレベルではないほど散見できたし、実際攻略本が発売されるまでは虎娘のブログが攻略ガイドだった。


 ゲームをプレイしていた時は、ラピスが本当にウザくて、遭遇したら戦闘では勝てないし、正論を突き付けてくるし、街の人達は全員彼女に味方するから、クエストは彼女に見つからず、できるなら彼女が出現するまでに終わらせるのが鉄則だった。

 しかし、現実にその世界に入り、虎娘がラピスになると、突然愛着がわいてくるのが不思議だ。

 しかも、ゲームの中でも十分美人だった、というか主人公よりも美人だったのが、現実で見るともっと美人になっているのだから、敵わない。

 乙女ゲー界隈の人は、綺麗な顔に弱いのだ。


 そこまで考えて、ようやく記憶の一通りの復活作業が終わった。

 また後で、髪か何かに書き付けて整理しないといけないが、とりあえず、今はドメナに返事をしなくては。


「大丈夫。少し気分が優れなかっただけだから。もう直ったわ」


 そう言うと、意外と考え込んでいた時間は短かったのか、まだ心配そうな顔をしながらも、ドメナは医者を呼びに行こうとしていた足を止めた。


 いやな、ドメナはかわええで。ラピスもほんまに美人やわ。

 でもな、ウチを転生させた神様みたいなのがおるんやとしたらやで、一つだけ言わせてな……。




 神様……チョイスぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!








 ふう、スッキリしたわ。

 ほな、反乱に巻き込まれて死なんように、存分に正義の裁きを下しに行こか!


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