連環 

黒咲ゆう。

第1話 死は突然に

落ちた……本当に落ちた………

あの日は雨だった....雨が降る中、学校の屋上に一人私は立っていた。

人を突き落とした感触がまだ手の中に残っている…

ーーーーーーー

朝、私はいつもと同じ学校へと続く通学路を歩いていた。


「あの学校の生徒...自殺したらしいよ」


自然と耳に入ってくる通学途中の何気ない生徒同士の会話、いつもの風景........

ただ会話の中の「自殺」というキーワードに、自然と敏感に私は耳を澄ました。


「え?自殺!またなの?この前も他の学校生徒が自殺したって話ししてたばかりじゃない」


自殺

そうあれは、自殺……

私の頭の中をめぐる記憶の中の一欠片…


「おはよーまきーー!!」


私を呼ぶ声が背後から聞こえた。

いつもの学校の教室の風景、朝から必要以上に煩い声で私を呼ぶ声....."川西 明子"だった。

昔からやたら元気一杯で、少しやっかいな友人だけど、憎めない可愛いやつだ。


「ねぇねぇ!聞いた?今日南中のマドンナだった....えーと....白川さんって子が告るんだって、あのイケメンの原田君に!」


いつも思うけれど、いったい何処からそんな噂話を拾ってくるのだろうと思いながら、私は半ば上の空で聞いていたのだが....


その時だった

「"ーーーおはようー"」


ふと聞こえてきた声で、私のいつもの風景がいっぺんにして消えて崩れ去った.....

まさか、この声はーーー


「おはようっす!玲子さん早いっすね〜」

男子生徒がその子に挨拶する声が聞こえてくる......


"ーー玲子ーー"


心臓の音が私の胸の中で煩く響き、こだました.........

私の周りで、一瞬時が止まり、またすぐに動き出した。


「おはよう、真紀さん」


私は背後からのその言葉に反応どころか顔を上げることすらできず、身体が固く硬直した。

彼女は私の背後から近づくと、私の机の端を片手の指先で撫でながら、ゆっくりと通り過ぎて行った。


「ちょっと!聞いてる?まーき!」


明子の声で、また時が動き出した。


「ごめん…聞いてなかった…わ」


額から冷や汗が流れる、動揺が隠しきれなかった....心臓の音が煩い........


「まき....大丈夫?顔色悪いよ....なんか体調悪い?」


いつも無表情で感情をあまり外に出さない私だったが、今日の私は明らかに普通では無かった。確かに私はかなり動揺していた......


私は、"彼女"がどうして....今、学校....この同じ空間にいることが理解できなかった........


私は席をスッと立った。


「ごめんなさい、私...体調が少し悪いから、保健室で休んでくるね」


私は、その場にいることに耐え切れなくなり、過呼吸になりそうなのを必死でこらえながら明子に言った。


「大丈夫?!まきが体調悪くなるなんて!今日これから嵐でもくるんじゃない?!」

明子は冗談混じりだったが、私の顔を心配そうに覗き込みながら答えた。


「えぇ、少し休めば大丈夫だから…」

私は明子にそう言い残すと、足早に保健室へと向かった。


久しぶりの保健室だった.....

保健室の先生に訳を話し、ベッドに横になった私は、ゆっくり頭の中で状況を整理しようと試みた。


"あの日、私はーーーーーー"


ーーーー1日前ーーーー


「私をこんな所に呼び出して、何の用なの?」


私は、それこそいきなり屋上に呼び出されたのだった。

突然、私の机の下に入っていた手紙で.....

それは見たことも無い小さな封筒に入っていた。

内容はこんな感じだった.....

「放課後、弓道部の練習が終わり次第....先輩の事でお話したいことがあるので旧校舎のA棟屋上で貴方を待っています。K.Rより」


私が部活を終えて、その屋上へと向かうと、屋上で彼女が待っていた。

昼過ぎから雲行きが怪しく、夕方なのに、既に暗くなって今にも雨が降りそうだった。


「来てくれたのね、嬉しい.....貴方、私の事嫌っているでしょう?」


彼女は冷たい口調で私の回答も待たずに一方的に話を始めた。


「先輩の事でお話がしたかったの…鮫島先輩、弓道部のキャップだから貴方と親しいでしょうし、それに……

"貴方と先輩と付き合っている"なんて噂があるけれど、真相はどうなのかしら?」


変わらず冷たい口調のままだったが、急に目つきが鋭く変わった気がした。


確か、この子の名前は、黒木玲子…

あまり私が、人生の中において関わってこなかった系統の人間だ。

私はあまり知らないし、興味も無かったが、確か男子の中では知らない子がいないほどの美人として、この学校で有名な娘のはずだった。

ただ私には、一見、優しいお嬢様系の娘に見えるものの、いつも特別な"仮面をつけている"ように見えた。

女王様のような態度や行動パターン…

一見豪華で美しい仮面のように見えるけど、人との関わり合いの中で、それは大きな障害となる…


私はゆっくりと口を開いた。


「つ…付き合ってます……」


つい心にも無い言葉が口から出た。

私は嘘をついた…

彼女をからかってみたいと、ふと思ったからだ…ただ、そんな単純な理由からだった。


彼女が深い息を吐いた。

急に周辺の空気が重たくなった気がした。

そして彼女から漂うオーラのような影も、突然、重たくてどす黒い、とても嫌な色に変化した気さえした。

そして、暗い空からは、ボツボツと雨さえ降り始めた…


「………そぅ、そっかぁ…噂じゃなかったんだぁ…」


彼女は、急に怒りを露わに、小さい声でぶつぶつと何かを言い始めた。その姿は、明らかに普段の彼女とは全く違う狂気に満ちた姿だった。


やがて、彼女は大きく体を揺らめかせながら、ゆっくりと私に近づいてきた。

彼女の異様なオーラに圧倒された私はゆっくりと後ずさりを繰り返した…

背中にひんやりと屋上の鉄の柵が触れて、寒気に身体がビクッと震えた…


彼女が、いきなり私の顔の近くまで来て歩みを止めた。

雨に濡れた黒髪の間から覗いた瞳は、憎しみに満ち、黒く濁っていた。

私は恐怖のあまり、その場から動けなくなった。


彼女は私の怯えた表情を見て

「あははははははははっ!!っっ!」


""ーーーー嗤ったーーーー""


誰もいない校舎の屋上に高らかに嗤う彼女の声だけが響いた。


そして彼女は笑いながら、ゆっくりと私の喉に手をまわすと、ギュッと首を強く絞め始めた。

それは、信じられないほどに強い力だった…


私はそれでも、必死の思いで、彼女の手を振り払うと、その場から逃げ出した。

何とか屋上の出入り口までたどり着いたが、なぜか扉が開かなかった…


そんな馬鹿な…来た時は間違いなく空いていたのに…警備員がうっかり、閉めてしまったのか…


逃げ場を失った私は、もう彼女と向き合うしか無かった…

私は身体の震えに必死で堪えて、ゆっくりと近づいてくる彼女に向き合うと、震える声で大きく言った。


「ちがぅっ!付き合ってなんかない!さっきのは嘘!!!っっーー!」


しかし、目の前に迫る彼女は、もうあの私の知っている黒木玲子ではなかった。

彼女は、もはや私の叫びなど聞いていない様子で、さらに私に歩み寄ると、いきなり私の髪を掴み上げた。


「先輩、どうしてなの…?なんで。こんな女がいいの?……騙されただけだよね、そうだよね、あはっ!そうだよ〜」


私はなんとか彼女の手首を掴み、今度もその手を振り払おうとしたが、髪を力強く掴んだ手はどうしても振り払えなかった。

これが女性の力なのだろうか…と思うほど、その力は凄まじく、私の髪は異様な力で強く固く掴まれていた。


「離して……っっ黒木さん!!!」


腹の底から絞り出したその声すら、彼女の耳には全く届いていないようだった。


「次から次へと、すぐ先輩を好きになっちゃう子が出てくるんだからキリがない〜本当に先輩はモテモテなんだから…

先輩を幸せにできる女は私だけなのよ…アンタは、地獄で先輩に近づいたことを後悔しな」


彼女は私の髪を掴んだまま、私の身体をズルズルと柵の無い屋上の端の方に引きずっていった。


私は、そのまま屋上の縁から彼女に突き飛ばされて死んでいた…


""ハズだった""


しかし…

私は、まさに屋上から突き落とされそうになったその瞬間、咄嗟に彼女の腕を掴み、落ちかけた反動で逆に彼女を…黒木玲子を突き落としたのだった。


彼女は一瞬にして、屋上から落ちていき、そして......地面に衝突してグシャリと潰れた.....

私は、一瞬にして壊れてしまう人間の脆さを初めて実感した。


私の頭は混乱した......雨が次第に本降りになる中、私はずぶ濡れになりながら、しばらく屋上から下を見て立ちすくんでいた。


"黒木さんを殺してしまった"

でも、これは"事故"だ、確かこういったケースは「正当防衛」のハズ…


それに…誰も見ていない…


ふと脳裏に浮かんだ

最近この町で起きている謎の女生徒の連続自殺…


悪魔の囁き…


そう…これは自殺


私はその場から、そっと逃げ出した。

逃げた道筋はよく覚えていないが、私は校舎の階段を一気に駆け降りて、気が付いた時には校舎から既にかなり離れた所にいた。


私はまず、その場で、まずゆっくりと深呼吸をした。

そして漠然とした頭で思った…

明日きっと彼女は発見されるだろう…

最近続いていると言う自殺の一つとして…

人形のように脆く壊れた姿でーーー


ーーーーーーーーーーーーーー


静かな保健室の中で、時計の針の動く音だけが聞こえてくる..........

頭の中で、大体の状況は整理できたが、相変わらず胸の鼓動は落ち着いてはくれない......

彼女は死んだーーそう。彼女は落ちて砕けてしまった…

私は見た、この目で確かに見た…


それなのに....彼女は生きている......間違いなく生きている


なぜ.....


私は訳の分からない恐怖に震え、ベッドの枕を強く握りしめた......


その時、ガラガラと音を立てて保健室のドアがゆっくりと開く音が聞こえてきた...そして、床が軋む音が.....


ベッドの脇のカーテン越しに、保健室の奥の方から声がした


「ねぇ。起きてる……?」


この声は!?..... 例の物静かで感情のない声.........間違いない.....


ーーー"黒木玲子だ"ーーー。


私が答えないでいると、しばらくして彼女が言葉を続けた。


「私を見て震えてたわね、声も体も.........。怖いって感情が十分伝わってきたわ.....今ここで、また貴方の喉を締めてあげたいけど.....」

彼女は私を弄ぶように、悪戯に笑いながら言った。


私の額から大きな冷や汗の粒が流れ落ちる.......

私は荒くなる呼吸を抑えながら言った。


「ど…どうして……どうして生きているの……?っ」


心の動揺がそのまま声となって出てしまった。


カーテン越しで、彼女の姿は見えないままだったが、部屋の奥で一つの影が動き、その影がゆっくりと揺らめくように動いたかと思うと、私のベッド脇の椅子がギシッと不快な軋む音を立て、彼女がその椅子に腰を掛けたのが分かった。


「うふふ…どうしてだと思う?私は生きてる....ただ、それだけのことよ?貴方の記憶なんて何の意味も持たない。貴方は一度私を殺した....フフッ....でも、その事実でさえ、もう意味を持たないのよ......」


彼女は低い声で意味深な言葉を呟いた......保健室に2人だけの時間が流れた......1人は死んだはずの人間だった。


私は未だに理解できなかった......


椅子から立ち上がったような音がして、彼女が言った。


「またね真紀さん。今日からはきっと仲良くできるハズよ……ねぇ?そうでしょう?。誰かに"この事"を話しても信じてもらえないわ。"もし"話したら…その時は、ウフフ.....」


そう言い残して彼女は立ち去っていった。


彼女は一体何者なのだろう?

頭によぎる不安の声.....私は身体中に冷や汗をグッショリとかいていた。


その日の夜.....私は眠れなかった

夏の夜.....今晩も蒸し暑く、夜になっても、なかなか蝉の鳴き声が泣き止まなかった。

いつもは煩い蝉の声だったが、なぜかその晩は心休まる気がして、少し心が落ち着いた。


朝起きて一階のリビングに降りると、カーテンが閉め切ったままの暗い家の中で母が泣いていた。

私は驚いて、母に駆け寄り、優しく肩を撫でながら理由を聞いた。

いつもは泣く姿など見せたりしない強い母......それなのに今、肩を震わせ、声を殺して苦しそうに泣き続けている。


「っっ……真紀…お父さんが…っっ…病院から…っ...さっき、ーーー亡くなったって連絡がーーーー」


いきなり強い耳鳴りがしたようで、足がグラッとよろめき、身体の力が一気に抜けたような気がした。

まるで高く高く積み上げた積み木が一気に崩れ落ちるような..........


父さんが死んだ......?


私の頭の中がクラクラして、何も考えることができず、やがて頭の中が真っ白になった.........

ただただ....無意識に涙が雨のように止めどなく頬に流れた。

母さんが自分も体を震わせながら、震えている私をそっと抱きしめて、頭を優しく撫でてくれた。

私達はお互いの肩に濡れた瞼を押し付けながら沢山泣いた.........


数日後

町外れの火葬場で、父の安らかな遺体を私と母は久しぶりに会う親戚達と一緒に見下ろしていた。

冷たい鉄板の上に乗せられた痩せ細った父の姿がそこにはあった.........


父は昔から"心臓病"だった

かなり重く、ずいぶんと長く病院で入院生活をしていた。

家に帰って来られたのは、少し病状が落ち着いた時の数回....しかも数年前のことだけだった。


父さんは優しかったけど、少し頼りない........そんな父だった


父の死因は"心臓発作"ーーー。


今朝、発作を起こしてすぐに亡くなったと……母は聞いたらしい。


家族の一人が一瞬にして消えてしまった.......

私はいつもは流さない涙を大量に流して、既に冷たくなった父の胸に手を当てた。


「父さん…お疲れ様。よく頑張ったね、病気の事で喧嘩もしたけれど、大好きだったよ、安らかに眠ってね……」


"大好き"今まで父に言えなかった言葉........心の底から思っていたけど、簡単に言い出せなかった愛の言葉.....

今、静かに眠っている父の前では、自然と素直に言葉にできることが、かえって悲しみを増した。


泣きながら、いつまでも父の胸をさすっている.........そんな私の姿を見て、母は後ろから私を抱きしめながら言った。


「お父さんも真紀の事を愛していたわよ。とっても、とってもね…もちろん私もよ....お父さん、きっと天国から真紀の事見守ってくれているわよ」


母の優しい言葉にさらに涙が溢れた。


沢山の彩り溢れた花達に囲まれて、父の顔は心なしか少し喜んでいるように見えた。

生前に父が家族と行きたがっていた沖縄、私はその沖縄の海の写真を父の手の脇にそっと添えた。


やがて、父の身体が、ゆっくりと鉄の炉に吸い込まれていった.....重い扉がガシャンと大きな音を立てて閉められた


こんな光景を見る日が、こんなに直ぐに来るなんて考えたことすらなかった。


私が休憩室で腰を下ろして休んでいると、母が来て、私に冷たい缶コーヒーを手渡してくれた。


私はゆっくりコーヒーを喉に流し込んだ.......いつもは美味しく感じるコーヒーが、今日はとても苦く感じた。


私が、ふと何気なく休憩室の外を見ると、親戚達が集まる奥の方から、見たことのない一人の男性がこちらを見ているのに気がついた。


""ーーー知らない男ーーー"" 


長い白衣をを引きずるように着て、グシャグシャの長い髪で顔が良く見えない........


白衣?火葬場には似つかわしくない服装だ....その男が、片目をギョロリと見開いて私の方を見た.....気がした.........


私は思わず顔を伏せたが、不意に得体のしれない不安感に苛まれた......ゾワゾワと肌に鳥肌が立つのを感じた。


次に、私がその男の方を向くと、もうそこにその男の姿は無かった......私の見間違いだろうか……


それから私は父の骨上げをした.....父の骨は小さかった....細い骨を一つ一つ箸で摘み骨壷へ入れていったが、あっという間にごく小さな壺に父の身体が全て納められた。


その日の夕方だった

私が父の葬儀から帰り、家で疲れて休んでいると、明子が私の家に尋ねてきた。


驚いたことに、明子の髪や手は血で汚れていた。

しかも姿の異様さも酷かったが、明子の様子は何かおかしく、いつもの明子ではなかった。


「まきっ…ごめん、お父さんが亡くなって大変な時なのに…わ…私、私……」


明子は何かに怯えているような様子で、一生懸命に何かを伝えようとするのだが、喉にものが詰まっているかのように、上手く言葉が出せないようだった。


「私…まきにしか相談できなくって…」


明子の足元をふと見ると明子は裸足のままだった.......


「とにかく....私の部屋にあがって....話はそれから......」

私は明子の異様な姿にそれだけ言うと、明子を部屋に招き入れた.....


明子は部屋に入ってからも、震えているばかりで、なかなか話し出さなかったが、やがて思い切ったような顔をして、いきなり口を開いた。 


「私…こ…殺しちゃった…人を…殺すつもりはなかったの…急にあの子が私の頭をっ…殴って来て…そ…っそれでっっ!」


明子の頭の傷の血はまだ止まっていないようで、よく見ると足の裏にも傷があり、床にはポタポタと血が落ちている…明子は苦痛で辛そうに眉をしかめており、呼吸も酷く荒かった。


その時、私の頭を稲妻のようによぎったのは、死んだハズの例のあの子の名前………


「まさか....黒木…玲子………?」


思ったことが、そのまま言葉になって吐き出された。

頭が混乱して、何が何やら訳が分からなくなった.....意味が無いことだと分かっていながら、私は頭を抱えてその場で蹲った。


「なんで!?なんで分かったの?……そう、黒木さ…ん……私ね…」


そして明子は少し落ち着いた様子で、数時間前の話をゆっくりとし始めた。


まず驚いたことに、明子は数週間に鮫島先輩に告白されて、急に鮫島先輩と付き合うことになっていたらしい........


だが、本題は数日前のこと.....

黒木玲子が、鮫島先輩がこのクラスの誰かと付き合っているという噂を耳にしたらしく、明子に直接聞いてきたらしい

明子は付き合うことになっていたものの、鮫島先輩と自分では、そもそもがつり合わないと感じていたため、ついこう言ってしまったと言う....


「うーん誰かな~、きっと真紀とか、美人で可愛い子なんじゃないかなぁ〜」


その時の彼女の様子は明らかにおかしかったと。


それで....私のところに........私はなぜ自分のところに黒木玲子が突然やって来たのか合点がいった......


そして悪いことに、私が父の忌引きで休んでいる間に、鮫島先輩と明子が仲良く下校する姿を目撃した生徒によって明子と鮫島先輩の交際が広まってしまった。

校内に噂が広まった日、明子は交際を認めるのが恥ずかしくなって学校を休んでしまったが、ちょうどその日に明子の家に黒木玲子が学校のプリントを持ってやってきた。


「体調は大丈夫かしら?学校のプリント持ってきてあげたわ」

彼女は長い黒髪をかきあげながら、学校のプリントを明子に早々と手渡すと、続けて言った。


「外は暑くてたまらない.....喉乾いたわ〜中で一休みさせてもらえないかしら?ちょうど貴方とゆっくりお話してみたかったの。いいでしょう?」

彼女はそう言うと、半ば無理やりに明子の家に上がり込んだ。


明子の両親は小さい頃に事故で亡くなっており、それ以来、年の離れた兄の英二と二人暮らしだったが、当日その英二は働きに出ており、家には明子一人だけだった。


「この部屋、蒸し暑いわね。冷房つけてもいいかしら……?」


彼女は明子の返事を待たずにリモコンへと手を伸ばし、勝手にエアコンのスイッチを入れた。


エアコンが動き出し、重く澱んだような空気が流れる中、明子はたまらず口を開いた。


「何か……話があるの…?」


エアコンから冷たくなった空気が流れてきて、明子の肌に小さく鳥肌が立った。


黒木玲子は少し前屈みになって明子に顔を近づけながら言った。


「この前、私.....貴方にこのクラスの中で鮫島先輩と付き合っている人がいるらしいけど誰かしらね?って聞いたわよね」


彼女は、さらに明子ににじり寄るように近づくと話しを続けた。


「あの時、確か貴方は、可愛くて綺麗な真紀さんとかじゃないかな?って言ったわよね。貴方は私に"嘘"をついた。可愛くて綺麗な女性って実は貴方なのね.....」


クーラーから漏れ出る機械音と空気が送られる音..........それ以外、音のしない静かな部屋の中が、重々しい空気で満たされた。


明子は正座した足を整えて言った。


「あ…あたしが先輩と付き合ってるなんて誰も信じないでしょう……?あたしは、…じ…地味で可愛くない普通の子…カッコよくて誰からも人気のある先輩とは……誰が見ても不釣り合いな彼女。だから言えなかったの…嘘をついてごめんなさい……」


明子は彼女に頭を下げて謝ったが、彼女が明らかにイライラし始めたのが分かった.....彼女は、いきなり唇を噛みながら貧乏ゆすりをし始めたのだ。


「貴方みたいな子、確かに可愛いくない……貴方は何か彼の弱みを握っているの?そうでないならどうして…?」


彼女は、いつの間にか立ち上がると、部屋の机に置いてあった花瓶を手に取って弄んでいた.....花瓶の中の水が跳ねてあたりに飛び散る


「私、先輩に"告白"されたの……」


その"告白"という言葉に反応して彼女はいきなり動きを止めた.......そしてゆっくりと重そうに口を開いた。


「こ…告白.....?…先輩からですって...ぁ…貴方が告白したんでしょう?ねぇ?貴方が彼を勝手に好きになって恋焦がれて…そうでしょ…?だから、そんな嘘を言っているのでしょう?ねぇねぇねぇねぇ…そうでしょぅ?。、。」


彼女は長い髪を大きく揺らめかせながら、赤く充血した目で明子を睨みつけてきた。


彼女の異様な態度に不安と恐怖を感じた明子が言った。

「違うの…私、彼とは一つ年は離れているけど小学生の頃からお友達なの…。私の家族は事故で両親が亡くなってからお兄ちゃん一人だけ.......寂しくて泣いてばかりだった私を

""正輝""くん...鮫島先輩が小さな頃から支えてくれたの…っだから……その......告白された時、嬉しかった......わ…私も好きだったからっっ…!!!」


明子は勇気を出して、思いの内を曝け出して言ったが、逆効果だった......


彼女は体をカタカタと震わせ、花瓶を強く握りしめながら言った。


「ーーー""正輝""くんーーーもう、そんな名前で呼び合う仲なのね……私が思っていたよりよっぽど親密で…わ…私の彼を奪うつもり……?彼は私だけのモノ。大切な宝物……それを………」


彼女は呼吸を荒げると、今度はカタガタと歯が擦れる鈍い音を立てながら歯軋りをし、ボソボソと何か呟き始めた..........


「お前も.....お前も....お前も.....ーー"お前"も殺してやるっ!!!」


彼女は持っていた花瓶を、いきなり明子の頭めがけて振り下ろした。

ガシャンッッと花瓶が割れる音........赤い鮮血が部屋の中に飛び散った


明子は血が溢れ、割れるように痛む頭を押さえ、それでも必死に身体を引きずるようにして、部屋の隣のキッチンに逃げ込んだ。


キッチンの流しの上には、先ほどまで夕ご飯の支度をしていたために、まな板と包丁が転がっていた。

まな板の上には、さっき切ったばかりの野菜がそのままになっており、コンロの火にかけていたヤカンからは湯が沸いた際のピヒューッという音がずっと鳴り続けていた。

明子はとっさに包丁を握りしめると、背中に隠して、キッチンの死角になる棚の横に身を潜めた。


ギシリ....ギシリ…古びた床が軋む音が微かに聞こえてくる

彼女がゆっくりとキッチンに近付いてくるのが嫌でも分かった.......いつも聴き慣れたはずの音が恐怖の音に変わった。


明子はその時、足が酷く痛むのに気づいた。

足の裏を見ると、先ほど襲われた時に割れた花瓶の破片を踏んでしまったらしく、花瓶の破片が足の裏の皮膚の中に鉤爪のように刺さっていて抜けなかった。

じわりとじわりと痛む激痛で気が遠くなりそうだったが、床の軋む音は段々と大きくなってきた......ギシリ...ギシリ....ピタッ


彼女は、なぜかキッチンの入り口で一瞬歩みを止めた。

明子がそっと覗くと、彼女が乱れた黒い髪を持ち上げて赤黒く濁った目を見開いてこちらをジッと見ていた.........


慌てて明子が元の場所に戻ると、彼女がいったんキッチンから遠ざかっていく音が聞こえたが、やがて今度はカランカランと聞き慣れない妙な音が聞こえてきた。

不思議に思った明子がまた覗くと、目の前に

右手に金属バットを持った彼女が立っていた。

そのバットは小さい頃に兄が使っていたモノで、確か防犯用に玄関に置いてあったものだった。

明子が唖然と見ている前で、いきなり彼女がバットを振り上げて言った。


「ーーサヨナラ、ウソツキさんーー」


グサッッ!!!グァーッ!!


明子の手に思わぬ衝撃と彼女の叫び声が耳にに響き渡った。 


彼女の腹に一本の包丁が光った…


グラグラと彼女は重心を失ったかのようにふらつくと背中から床に倒れた…見る間に赤い水溜りができ、白かったキッチンの床のカーペットが赤く赤く染まった。


「ハァハァ…ぇ…し…死ん…だ…の…こ…殺しちゃった……」


荒く苦しくなる呼吸…ズキンズキンと痛む頭


明子はようやく一通り説明を終えると、私の服の裾を握りしめて泣き出した…


一人も友達のいない私の唯一の親友…

いつも元気な明子が、ただただ泣きじゃくっている。そんな明子を守ってあげたいと心から思った。


私は、幸い血は止まっていたが、念のため明子の頭と足の傷を手当てしてから、明子に言った。


「戻りたくは無いでしょうけど、このままにしてはおけない…いったん家に戻りましょう」


明子は無言で頷いた。

二人で明子の家へと向かった…その足はズシリと重かったが、私は懸命に勇気を振り絞って歩いた。


明子の家に着いて玄関の扉を開けると、異様な匂いに咄嗟に鼻を摘んだ。


これは血の匂いーーー間違いない


明子は私の手を握ると、怖々小声で言った。


「………お風呂場に…」


その言葉通り、彼女は居た…狭い浴室の浴槽の中に 


ーー""黒木玲子""ーー


そう、間違いなかった

彼女の腹には、明子が言っていたように包丁が深く突き刺さったままだった。

彼女は、黒く濁ったままの目を見開いたままで既に息をしていなかった。


彼女は、これで2度、心臓の動きを止めたことになる…


明子は、身体を震わせて固まって動かない私の手を強く握って言った。


「……ごめんなさぃ、まきにまで迷惑かけてっ…で…でももう、まきにしか話せなくて…け、警察呼んだ方がっ……」


明子の手は私より熱を帯びて、小刻みに震えていた。


私は明子の目を見つめながら、思い切って言った。


「………隠…そう…………」


私の口から出た言葉に、明子も驚いている様子だった。

言葉の意味が咄嗟に理解できないのか、唇を震わせて私をじっと見ている。


それから私は明子に全てを話した。

今まで喉元に溜まっていた言葉が突如溢れだしたようだった。話し終えると、心がフワッと軽くなった気がした。


「そんな事……ありえない…と思うけれど、でも…でも…」


明子は明らかに戸惑っていたが、私を見て深く頷き、その後、私は明子と"秘密の約束"を交わした。


その後、私達は黒木玲子の遺体を毛布で包み、明子の家の横に流れている小川の畔に

穴を掘って遺体を埋めることにした。

私達は、蝉の声が静かになるまで延々と掘り続けた。夏の蒸し暑い夜にザザザ…ザザザ…と土を掘る音が響いた。幸い明子の家の周辺は空家が多く、気づく人は誰一人としていなかった。

慣れない真夜中の重労働は、かなり身体に応えた。


次の日の朝、私は明子の寝室で目を覚ました。開け離れた窓に揺れる白いカーテン…

何も無かったなら、爽やかな朝だったが、私は寝不足で重い瞼を擦り、上半身を起こすと、明子が私の寝ている部屋を覗き込んだ。


「おそよ〜私たち学校サボっちゃったね〜はは…いろいろあって疲れたし、まき疲れてスヤスヤだったから、つい起こせなくって…」


明子は無理にぎこちない笑顔を見せて言った。明らかにいつものヤンチャな彼女の笑みでは無かった…


私たちは昨晩の重労働で疲れきって、目覚まし時計に気づかず寝込んでいたらしい。


きっと、ほとんど休んだことのない私を先生や友人達が心配しているだろう…何も言わずに家を開けてきたから母も心配しているだろうな…私は、そんなことをボンヤリ考えていた。


明子は私の寝ているベッドにボフンと跳ねるように腰掛けると、一息深く吐いてから言った。


「……明日から学校いこ。二人ならきっと""大丈夫""だもんね、まき、本当にありがとう。」


明子は目にいっぱいの涙を溜め、私の目を真っ直ぐ見つめて言った。


二人なら明日はきっと大丈夫…私は、明子の言葉を信じたかった。

私達は大きな秘密を共有した…私は明子との間に親友以上の強い絆を感じたーーー

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