従う者

猫山華奈叶

第1話

「今寝ないと寝られなくなるわよ」

 深夜零時、母の吉松留美(よしまつるり)が俺の部屋に入って来るや否やそんな事を述べた。

「ん? 急にどうしたの?」

「もう十二時なんだから、早く寝なさい」

「ああ、うん」

 早く寝ないといけないのは分かるけど、親が子供に嘘をつくのは如何なものか。

 母が部屋を出ていくと言われたことを無視して、先程までしていたゲームを続けた。

 ゲームにのめり込んでしまい、ふと時計を見ると、朝の五時を指していた。これはまずいと思って、ベッドから飛び出た。

「やっばー、課題してない。しとかないと」

 ゲームをベッドに放り投げて、床に置いてある鞄から今日の課題を全て取り出した。そのまま勢いよくボンッと机に置いた。はあー、面倒臭い。誰かにやってもらいたい。眠気に襲われながらなんとか耐える。二時間かけて課題は終わらせることが出来た。

 時間はもう七時。眠いが、もう学校に行かなければいけない。もう少し時間があるといっても、朝食を済ませばすぐ登校時間になるだろう。それに朝食はゆっくりしたい。

 自分の部屋を出て、階段を降りて一階に向かう。階段下りたすぐ左の扉を開けると、リビングだ。

「青(あお)、おはよう。寝てないの?」

 母が台所からひょっこりと顔を出した。

「おはよう。うん……課題終わんなくて」

「そう言うのは早くやっとかないからそうなるのよ。本当に寝られなくなるわよ」

「寝られないどころかすぐに寝れちゃうよ。今からでも寝て良い?」

「学校はちゃんと行きなさい」

 冗談で言ったのに、母は俺に強く返答した。顔の表情も少し怒っているようだった。

「はいはーい、分かってますよー」

 母の言う事を軽く流して、テーブルに置かれた朝ごはんを食べ始めた。朝食中、欠伸が止まらなくて何度もしてしまう。そんな俺を見て、母は先ほどよりも強く話す。

「寝てないからそうなるんでしょ? 授業もしっかり聞くのよ?」

「はいはい」

 何度も言ってくるもんだから少しイラっとして、軽く返すと、自分の部屋に鞄を取りに戻った。鞄を右肩に背負い、再び階段を下りる。靴を履いていると、ドアが開いて母が顔を出した。

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 一日寝ていないと欠伸は止まらないし、肌も乾燥してくる。それでも、寝てないのは自分の責任なので、ちゃんと行く。まあそもそも行かなかったら母に怒られる。仮病を使う訳にもいかないだろう。まあ学校が終われば、急いで帰ってゆっくり寝られる。何とか耐えて見せる。


 時間ギリギリに学校に着いたので、既に多くの生徒たちが来ていた。誰に挨拶することもなく、自分の席に着いた。そのまま机に顔を伏せて、少しの間でも寝ることにした。授業が始まるまでは、なるべく体を休ませてあげたい。

「学校来てすぐに寝るとはね」

 特徴があって分かりやすいこの声は文先多夢(ふみさきたゆめ)だと目を閉じながらでもすぐに分かる。それだけ彼は特徴のある太くて大きな声をしている。

「寝てないんだ。寝させてくれ」

 目を閉じたままわざと少し面倒臭そうに答えた。

「仕方なイッフルねー」

 所々でよくわからない言葉を使って話してくるのも彼の特徴の一つだ。最初は何を言っているか分からない時があったが、今ではかなり慣れてきている。

 チャイムが鳴った。少ししか寝られていない。逆にしんどくなってしまったかもしれない。

 寝る訳に行かない理由は二つある。この学校は寝ていると、怒られる。それでも寝ていると、親にまで言われてしまう可能性がある。成績を下げる訳にもいかない。母にも父にもきっと怒られる。その為に授業は聞いておかないと何も分からない。簡単に言うと、教師と親に怒られるのがただただ面倒くさい。それを回避しなければならなかった。

 休み時間になると、すぐに机にうつ伏せになって休んだ。どの授業の後も必ずすぐに寝た。


 そんなしんどい状態で昼休みを入れて、十三回のチャイムを聞き終えた。ようやく学校が終わったのだった。地味に長い終礼が終わると、俺は急いで教室を出た。部活は特に何もしていない。あとは家に帰ってお風呂に入り、寝るだけだった。

 家に帰るとすぐにお風呂に入り、ご飯は食べず、そのまま眠った。


 一日はゲームで徹夜し、次の日は寝て一日を過ごす。そんな生活がだいたい二週間ほど続いた。

学校ではかなり辛かったりするけど、寝ても起こらない先生もいるのでその時間は周りを気にせず眠った。一時間はあっという間である。

 母は何度も「本当に眠れなくなるわよ」と言い続ける。別の意味でそう言っているのかも知れないけど、眠れなくなる日などあるはずもなかった。いつも学校でも家に帰ってもすぐにどこでも眠れた。人間なのだから、寝ていなければすぐに寝られるの何て当たり前だ。


 今日も学校に帰ってきてからゲームをしていた。時計で五時になっている事を確認する。いつも通り課題を急いで始める。眠気に耐えて課題を終える。課題が終わって、リビングに向かった。ゆっくり朝食を済ませ、家を出て学校に向かう。このパターンがかなり馴染んできていた。学校では勿論しんどいがこの習慣を戻すことはかなり困難だった。

 今日は優しい先生の教科がなかった。休み時間はすぐに寝る。授業中は顔をつねったり、自販機で買ったエナジードリンクを飲んで眠気を抑えたりした。今日も何とか一日学校を耐えることが出来た。

家に帰り、すぐにお風呂に入ってベッドに勢いよく飛び込んだ。

電気を消して、目を閉じる。


…………………………。


おかしいな。寝られない。いつもなら五を数えるころには自然に眠れていたのだが。いやいや、大丈夫だ。目を閉じれば勝手に寝られる。



やっぱりおかしい。寝られない。目が覚醒してしまったのかもしれない。

そういう事もある。仕方ないので、ゲーム機を数えながらでもゆっくり寝落ちするのを待つことにしよう。


 それからしばらくしても、寝られなかった。一度起き上がった。

「そうだ! ごはんを食べれば眠くなるかも!」

 そう思って、夕食を食べることにした。一階に下りて、リビングに行く。リビングで母は一人で食事をしていた。俺は食器棚にある自分のお椀を取ると、ご飯をよそおうと炊飯器を開けた。

「ねえ? 今日はご飯食べないで寝る日だったでしょ? やっぱり寝られなくなったのね」

 母が不気味な引く声で話してきた。

「いやいや、今日は寝る前にお腹空いたから、食べてから寝ようと思っただけ」

 寝られないなんて事はあるはずがない。少しの間寝られないだけだ。

「いいえ、あなたはもう寝られなくなったのよ」

「な、何言ってんの?」

「私の忠告を聞かなかった罰だもの。仕方ないわよね」

 今日の母はいつもとどこか違う。ニタリと笑っているのが見えて、自分の母親ながら少し気味が悪いと思ってしまった。母が全く別人と代わってしまったのではないかと心配になる。そのくらい母は変だったと思う。

「わ、分かったよ! じゃあご飯いらない。寝るよ! おやすみ!」

 持っていたお茶碗を食器棚に戻して、リビングを出ようとした。

「ふふふ、おやすみ? いいえ、違うでしょう? 違うのよ。あなたは寝られないのだから」

 母が何言っているのか訳が分からず、無視して俺は二階に上がった。自分の部屋に入ると、ベッドに飛び込んだ。ちょっと変な母と今日はあまり一緒にいたくないと言うのもあった。

 よく考えると、母は俺に怒っているのかも知れない。真ん中の成績を維持しているとは言え、生活習慣が乱れるのは確かに良くないことだ。

何度も「早く寝なさい」という事を聞かなかった事に怒って、わざとああいう態度を取っていたのかも知れない。過去の自分のしたことをしっかり反省して、謝ろう。

明日起きたら、謝るとして今日は寝ないと体がもたなくなってしまう。リモコンで部屋の電気を消して、目を閉じた。

 目を瞑っていると、眩しさを感じた。

「ちょっと! 電気つけ……」

 母が怒りから嫌がらせに電気をつけたのだと思い、勢いよく体を起こして怒った。しかしながら、部屋の電気は消えている。

 あれ? 気のせいだったか。不思議に思いながらも、もう一度目を閉じる。

「遅いわよ。遅いのよ! 遅すぎたのよ。遅かったのよ! 起きなさい。起きなさいよ!」

 母の声が聞こえて、再び起こされる。しかし、母はいない。部屋の外まで様子を見に行って確認するが誰もいない。

「もぉ! お母さん! からかわないでよ」

 少しだけ身震いする。今は夏でも秋でも冬でもない。温かい風が吹く春なのだ。風邪でも引いてしまっただろうか。少し無茶をしてきた所為である。幻聴が聞こえてくるのも、幻覚が見えてしまうのもきっとその所為だ。明日病院に行ってお薬を貰うのもいいかも知れない。気を取り直して、再び布団に潜り込んだ。

「病院には行かせない。病院には行かせないわよ! 学校に行きなさい。学校に行きなさいよ! 課題しなさい。 課題しなさいよ!」

 何度も何度も同じ声が聞こえてくる。リモコンを取ると急いで電気をつけた。その直後声はしなくなる。

「ねえ、お母さん? いるの? 寝かせてお願い」

「嫌。嫌よ! 無理。無理よ! 話を聞きなさい。話を聞きなさいよ! あんたが悪い。あんたが悪いのよ!」

話しかけると、再び声がする。偶数個目の言葉が奇数個目より強くなって、聞こえてくる。耳を抑えても声は消えてくれない。それどころか大きく聞こえてくる。

「お願い! やめて! 怖い……怖いよ」

 布団を被っても何の意味もありゃしない。

「課題しろ。課題しろよ! 早く終わらせろ。早く終わらせろよ!」

 この声の言う通りにすれば止まるのだろうか。一縷の望みにかけて課題をすることにした。いつもであれば五時起床して、そこからなのだが寝られるのならこの際逆になってもいい。勉強を始めると眠気に襲われ始めたので、ベッドに入るが、すぐに眠気が覚める。諦めるしかなくて眠気を我慢しながら、課題を終わらせたのでいつも以上に時間が掛かってしまった。それでも何とか終わらせる事が出来た。


 時間はもう午前一時。空腹でお腹が鳴った。少し眠くなったので、ベッドに入るけど、空腹のせいで今度は眠れない。仕方なくこっそり台所から食べ物を探した。

「食べるな。食べるなよ! 言う事聞け。言う事聞けよ! 同じ事言わせるな。 同じこと言わせないでよ! 死にたいの? 死にたいのよ!」

段々不気味な声へと変わっていく。所々声も掠れていてとても気味が悪い。それでも気にせずに食べ物を漁る。冷蔵庫にあったおにぎりを取ろうとした時、息が出来なくなった。

 急いでおにぎりを離すと解放される。

「話聞け。話聞けよ!」

「どうなってる?」

 何が起こったのか。訳が分からない。寝られないし、ご飯すら食べさせて貰えない。母の話を二週間聞かなかったらなのだろうか。

 食事もさせてもらえなさそうなので、仕方なく部屋に戻った。

 寝ようとするけど、邪魔されている訳でもないのに寝られることはなかった。


 眠れないまま朝の七時を迎えた。仮病を使うつもりで布団に包まっていたら、息が出来なくなったので、行く以外に方法が無くなった。学校の休み時間に寝ていたので、何度かは休めているのだが、それでもしんどかった。少しイライラっとしてしまうような感じもある。体が段々とおかしくなっているのが何となく自分でも分かる。


 学校に着いて、すぐさま机に顔を伏せて目を閉じた。この間だけは何者にも邪魔されない。今の幸せはこの時間だけだった。

 チャイムが鳴ってもまた無視をすれば、不気味な声と喉に何か詰まったような苦しさで起きる他選択肢はない。この声のせいで教師に怒られても全く怖くなくなっていた。

「お、おい。しんどうだな。大丈夫か?」

 多夢の声が聞こえてくるけど、「うん」とかだけ返した。その後何か話してきた気がするが、しんどさで無視していた。

 

何とか四時限目まで耐えた。昨日からご飯を食べていなかったから、コンビニで買った弁当をぼーっと食べていた。そこで声が聞こえてくるのだ。

「寝たい? 寝たいの? 残念。残念よ!」

「あなたは誰ですか? 何故睡眠の邪魔を?」

「話しかけないで。話しかけないでよ! 静かにしなさい。静かにしなさいよ!」

 何言ってもこういった感じで返される。助けて。助けてください。どうか僕を寝かせてください。もうしんどいのです。


 弁当を食べてからの二時間は特にしんどかった。無性にむしゃくしゃしてきて、我慢するのも大変だった。それでも、休憩時間はずっと休んでいたおかげで今日も耐えることが出来た。帰宅する。

 眠気が出ている今のうちに寝ようとお風呂にすぐ入り、布団に潜った。けれど、その瞬間に眠気が収まる。

 体を壊れるまでずっとこのままなのだろうか。休み時間のみの休憩だけでどこまで体は持つのだろうか。

 それから休日、休めるかと期待して待っていた。しかし、そんな期待も虚しく、学校と同じように課題と勉強をさせられる。学校の時のようにサボろうとすれば呼吸を出来なくされてしまう。



一週間が過ぎたある日、体が勝手に動くようになっていた。勝手に椅子に座り、勉強を始める。勿論自分の意思でない。俺の体なのに自由が奪われる。こんな事なら無理して、倒れる方が良かったのだと今更ながら、気づいたのだった。もう遅い。自由が出来るあの時には戻れない。

母の声と似たその何者かに支配され、その者のいう事を聞かされていた。



全く寝もしないで勉強しているはずなのに俺の体は倒れることはなく、六月下旬を迎えた。この時期は期末テストが迎えている。前のテストで中間の成績だった俺は、いつのまにか学年一位にまでなっていた。それでも、体は止まらず。勝手に動く。


 最近寝られるのはほんの十分やそこらになってきた。学校にいても休み時間さえ、休ませてもらえなくなってきた。

 今や、その休める時間だけが俺の唯一の幸せとなっている。








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