死に神とコウモリ

縡月(ことづき)

1話

【全4話】


満月の晴れやかな夜だった。

屋根に降り立つと同時に、最後の鐘が余韻を残しながら溶けていく。


まだ夜は更けたばかり。さて、どこへ行こうかと帽子に指を掛けようとして、その動きが止まった。

近くに、何かがいる。

相手の静か過ぎる存在感に警戒を覚え、神経を研ぎ澄ませる。自身の耳の横、グラスコードが風に鳴った瞬間、それは向こうから音を発した。



「…ご機嫌よう。コウモリさん」



それだけで。

もう相手を確認する必要はなくなった訳だが、わざわざ屋根の端へと踏み出して、足下のバルコニーを見下ろす。誰もいなかったはずのその場所で、桟へと寄りかかり、夜風に髪を遊ばせている人影と目が合った。


コウモリにとって、先に声を掛けられた事は癪だが、張り合う分野ではないという事も分かっている。

何せ、相手が相手だ。


「……死に神か」


「相変わらず、つれない態度ですね」


「馴れ合う関係になった覚えはないだろう」


それは残念、と静かな声は笑みを含んでいて、どっちが相変わらずだと鼻であしらう。

翼を広げ、彼女の横へと降り立ったところで、彼はふとあることに気が付いた。


「あんた、鎌は?」


死に神がいつも手にしている、大鎌が見当たらない。


「ちょっと銃刀法に引っ掛かりまして」


神を取り締まる法など、存在しない。俗法のことを言っているのなら、そもそも引っ掛かるなんてレベルのシロモノではない。

突っ込みを一通り脳内で再生したところで、コウモリは早々に追及を諦めた。


「それよりも、お願いがあるのですが」


話を変えるように、死に神はフードを被った。


「それは"お願い"じゃなくて"指令"だ」


「まだ何も言っていませんよ?」


一歩先を行くコウモリの答えを穏やかに阻みながら、視線で夜を指す。


「向かいに、煉瓦の屋根があるでしょう」


「・・・」


何の補足情報だ、と彼は思う。何故なら見下ろす先は、ほぼほぼ煉瓦だ。

言外の情報を読み取れるのは、無駄に長い付き合いの所為か。絞れた家は二つ。


「…どっちの」


「右のほうです」


窓の灯りを映しながら、彼の目が細められる。この話の流れにおいて、相手が言わんとしている事は聞くまでもない。


「あの家に住んでいる女の子の情報を、あるだけお願いします」


コウモリは表情を変えず、溜息だけで呆れを全面に表現する。

またかと語る目の前に、自然に果実が差し出された。


「・・・」


超音波を使うコウモリには、遠方でもコンタクトを取る能力がある。底なしの記憶力も手伝って、彼に収集できない情報はないと言っても過言ではない。

しかし彼の性格は「飛ぶ辞書」と利用されることを良しとせず、利益を得ようと近付こうものなら返討ちに遭うのがオチだ。

…しかし彼女については、その限りではない。


「正当な対価ですよ」


確かに死に神は彼にとって、神であるが故に特別な情報源である。ただ取引に応じる理由は、それだけではない。


「餌付けられてるみたいで心底気分が悪い」


「まぁそう言わず」


受け取った果実こそ、最も大きな理由だ。



此の世は全て、死に神の影響下にある。

存在するだけで、必ず終わりを迎えるのがその証拠だ。死に行くもの。枯れ行くもの。成長過程すらもまた、その一つだ。

しかし彼女の影響を受けない木が、この世に一つだけ存在する。「刻止まりの木」と呼ばれている。


その木は死に神の空間に"居る"だけでは、花が朽ちることも果実を付けることもない。彼女が"触れねば"変化をしない異端の植物。

死に神は均衡を保つために「刻止まりの木」に触れているので、傍目には他の植物と何ら変わりない。


その果実はコウモリたちにとって、年に一度は口にしなければ存在を保てないという重要な役割を持っている。



「不便だ」


甘いものを苦々しい顔で齧るものだから、彼女は笑った。


「貴方にとってはこの程度、首輪の役割にすらならないでしょうに」


何者にも縛られない、自由で孤高な夜の住人。誰も彼を従える気などない。性格が厄介すぎるのだ。


彼は桟に腰掛け、親指で唇を拭う。


「首輪をつけたところで、犬の手綱すら取れなかったあんたには使えないだろう?」


「…え」


死に神は穏やかな笑みを引っ込めた。

数日前の路地、誰にも見られていないと思っていた自分の行動を思い返す。

飼い主を待っていた犬があまりに可愛かったのだが、触れる間も無く唸られた。


「生きている動物になど、好かれる道理がない」


「…分かっていますよ」


一度は反撃の言葉を考えるも、結局ふいと顔を逸らす。

コウモリは僅かに鼻で笑った。



死に神が仕事対象の情報を集めるのは、今に始まった話ではない。それは決まって、老衰ではない少しばかり異例のときだと、コウモリは知っていた。


例の家へと視線を戻すと、淡々と告げる。


「一日だ。それ以上の短縮は出来ない」


呈示された仕事の所要時間に、死に神はどこか安心したように頷く。


「構いません。お礼を言います、貴方の仕事の腕は信用していますから」



死に神が、まだ死を運ぶだけの存在だった頃。こんな仕事は無かった。

コウモリの辞書には、端的な表現でこう書かれていた。


しに-がみ【死神】:死を司る神


彼女が求めるようになった情報は、死が訪れる相手の事、そして心残りとなりそうな事だ。時には死を予感させ、本人に、周りに"時間"を与える。

無駄なことを、と何度も言った。人間など、ふその"時間"に気が付かない愚者ばかりだというのに。


それでも結局。


最初で最後の死神の涙を、…思えばあれが死神と呼ばれた最後だったのかもしれないが、それを知っている唯一の存在は、情報を売ることに甘んじてしまっている。



「…あ」


コウモリは唐突に何かに思い当たり、手に持っていた本をパラパラと捲りだす。

記憶を頼りに辿り着いたページ。それは所謂、死に神の「説話集」だ。


「昔に大鎌を没収されたときは、生者に過剰に干渉したとき…」


死に神の手が宙を切ったのと、彼が本を引っ込めるのは同時だった。

その反応を見て、納得したように眼鏡を上げる。


「やっぱり実話なんだな」


「貴方はまだそんな悪趣味な本を…」


作者も出版年も不明だが、いつ何処で手に入れたのか最後の一冊はコウモリが所有している。

死に神は何度も回収を試みて、未だ叶わずにいる。


「今度は何をやらかしたんだか」


再び手が宙を切った。

本を高く掲げて死に神から逃れながら、コウモリは呆れた。


「貴方に報告するような事柄はございません」


確かに、報告されるような関係ではない。

さして興味もない。推測できる範囲内だから。



死に神は本を回収するための駆け引きを考え、口を開く。


次の瞬間コウモリは何を思ったか、空いた方の手で死に神のフードに触れた。

布は髪から肩へと音もなく滑り落ち、僅かに驚いた彼女の瞳とぶつかる。


死のない世界は悲惨だ。

死んだ肉体に取り残されないよう、閉じ込められないよう、死に神は存在する。

それでも、死は、その仕事は忌み嫌われる。


「…何で今の方が、そんな表情出来るのか」


「…何を言っているんですか」


あれ程に無表情だった面影は、今はない。

当時は関わりがなかったというのもあるが、多少は彼女に対して畏怖もあったというのに。

今となっては、それが一番馬鹿らしい。


神も変わる。自分の目で見なければ信じなかったであろう、その事実を成し遂げたことだけは認めているからこそ。

コウモリはあの日、辞書を訂正したのだ。



しに-がみ【死に神】:死者の魂を護り導く神

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