未来のみらいのパラドックス
流川あずは
未来のみらいのパラドックス
「タイムマシンが実在するって言ったら、信じる?」
初対面で唐突に、開口一番そう言ったそいつを、おれは幾分いぶかしげに見たことだろう。
「ああ?タイムマシン?」
タイムマシンって、あのSFでよく出てくる、乗り物の?
阿保らしい。
「あるわけねぇだろ、そんなもん。ていうか、お前誰だよ」
おれがそういうと、そいつは嬉しそうに笑った。
「んー、そうだな。タイムマシンに乗ってやってきた、インベーダー、とか?」
何をわけのわからんことを。何だか知らんがこんな電波野郎にかまっている暇はない。おれはそいつを無視して立ち去ろうとする。
「ね、もうちょっと話そうよ。せっかくだし。そんなに急ぐ必要もないでしょ」
そう言っておれの肩をつかんだそいつの握力があまりにも強くて、驚いた。こいつは危ないやつなのかもしれない。とりあえず、話を聞いておくか。
「なんだよ」
そいつは満足そうに笑って、言った。
「ねぇ、親殺しのパラドックスって、知ってる?」
親殺しのパラドックス。それは、タイムトラベルに関する有名なパラドックスだ。タイムトラベルした男が己の親を殺す。そうしたら親がいないから男が生まれないが、男がいなければ親が男に殺されることはないので、論理的に破綻する、というものだ。
「まぁ、知ってるけど」
「さすが。それで、そのパラドックスだけど。実際に試したらどうなると思う?」
は?実際にって。パラドックスなんだから、実行不可能だろう。
「だから、実際に論理が破綻するから、タイムマシンは存在し得ないんだろ」
おれがそう言うとそいつは、優等生が頭の悪い同級生に勉強を教える時のような、かすかな優越感と多大な憐憫を含むまなざしをおれに向けて、微笑んだ。
「タイムマシンが存在するとして、だよ。思考実験みたいなもの。ほらあのトロッコ問題みたいなね」
そんな有り得もしない仮定の話をして、一体何になるというんだ。おれはめんどうくさくなって、適当に答える。
「親を殺したやつが消えるんじゃないか。バック何とかいう映画みたいに」
相手はわざとらしい溜息をつく。
「消えたって問題は解決しないでしょ。結局、親を殺したらそこに存在しない、存在しなければ親は殺されない、っていう論理の破綻は解消されないんだから」
「あっそう。じゃあ、そのままなんじゃないか。元の時代に戻ったら、別人が親になってて、みたいな」
心底どうでもよかったので、おれは思い付きを答えた。けれど、相手はおれの答えに満足したらしかった。
「ああ、いいね。半分くらいは正解かな。結構鋭いじゃん」
正解って、何を基準にして言ってるんだ。タイムマシンなんて存在するわけないのに。だが、もったいぶった相手の態度に、おれはイライラしてきていた。
「じゃあ答えはなんなんだよ」
相手は、よくぞ聞いてくれました、とでも言うように笑いながら言った。
「帰れなくなるんだよ」
なんだ、ばかばかしい。結局消えるのとそんなに変わらないじゃないか。おれは嘲りを隠す努力もせず嗤う。
「それじゃあ、結局論理は破綻したままじゃねぇか」
相手は教え諭すような、それでいて妙に冷え冷えする口調で言った。
「並行世界、パラレルワールドって知ってるでしょ。世界というのは、紙の上に無数に引かれた線みたいなもの。親を殺した瞬間に、新しい線が引かれて、その世界はその線の世界に移行する。タイムトラベラーの親が生きている世界Aから、トラベラーによって親が殺された世界Bへ。でもタイムマシンはあくまで時間を移動する機械だから、世界までは飛び越えられない。親を殺したタイムトラベラーは、自分が元居た世界Aには帰れない」
タイムトラベルの次はパラレルワールド?おれはあまりに空想的な話に、頭がくらくらしてきた。本気でこんなことしゃべっているのか。
やっぱり頭のおかしいやつなんだ。
「タイムマシンとパラレルワールドは、切っても切れない関係にあるんだよ。だって、考えてみなよ。タイムマシンが作られたその瞬間に、タイムトラベルの可能性が生まれる。この時点で、タイムマシンが存在する世界と存在しない世界が分岐するんだ」
相手はおれの心を見透かしたように、そう説明した。言葉は柔らかいが、どことなく人を見下したような、無知を憐れむような、そんな態度だった。まるで全てを知っているかのような、神にでもなったかのような。
「世界は秩序を愛している。どんなに歴史を変えても、一番自然な進み方に…きれいな直線に、軌道修正する。だから、世界そのものが崩壊するようなことはない。古い映画でよくある、タイムパラドックスで世界消滅、なんてことは滅多なことじゃ起こり得ない」
まるで映画の話でもしているようだ。しかし、それにしては理路整然としていて、真剣だった。気持ち悪いくらいに。
そいつは、ぼそりとつぶやく。
「あんなことになるくらいなら、世界ごと消滅してしまえばよかったのに」
あんなこと?いや、それよりも。
「なんだよ、さっきから頭のおかしいことをごちゃごちゃと。だいたい、タイムマシンなんか存在しないのに正解も間違いもないだろ。一体、お前は何が目的なんだ」
おれは耐えきれなくなっていた。こんな何を考えているのかわからないやつと一緒にいるのが。
「目的。ああ、気になる?」
そういうと、相手はどこからともなく銃のような形をした、奇妙な機械を出した。それは空中から急に現れたようにしか見えなかった。
「これね、ちょっと危ない機械でね。生き物に向けてトリガーを引くと、その生き物の脳細胞の組織を破壊することができるんだよ。記憶が無くなっちゃうんだって。昔は戦争にも使われたらしいよ。まぁ、僕が言う昔は、君にとっては未来なんだけど」
そう言いながら、相手はおれのほうにその機械の銃口を向けた。こいつ、本当に未来から来たっていうのか。そんな、まさか。だって有り得ないだろ。いやいや、それよりあいつは、なんであの機械をおれに向けているんだ。
「なんだよ、そんなもの、どうすんだ」
おれの声は震えていた。自分でも分かっている。相手は相変わらずおれを憐れむように微笑する。
「僕にはね、兄がいたんだ。兄さんはまぁ、時空警察ってやつでさ。よくタイムトラベルしてたんだけど、ある時任務先で子供が事故死しそうになってね。それを助けたんだよ。でも子供を助けた兄さんは、子供の身代わりに死んでしまった。ぼくは、それが悔しくてしょうがなかった。兄さんの行いは正しい。正しい兄さんが死ぬなんて、こんな世界は間違ってる」
それは熱病患者のうわごとのようで、ひどい妄言だった。相手は薄ら笑いを浮かべる。
「そして、兄さんが助けた子供というのが、君が将来つくるはずの子供なんだよ。だから、今君を殺せば、兄さんは子供を助けるために死ぬことはない。君には悪いけど、これが世界の『正しさ』のためなんだ」
おれは改めて思う。ああ、こいつは狂ってるんだな、と。
この狂った男の背後から、またどこからともなく機械が現れた。それは巨大な球形で、人が入れるような大きさだった。濁った窓から、運転席のようなものが見える。
タイムマシンが存在することと、こいつが狂っていることは、必ずしも相反することではない。
狂った男は、引き金を引いた。
ああ、やっと会える。少年は恍惚とした表情で、のたうち回る男を見ていた。廃ビルの二階、誰も寄り付かない場所。この男がここを頻繁に出入りしていることは、調査済みだった。この時代で言う学生服、というやつを着ている。高校生。自分と同じくらいの少年だ。
多少の罪悪感がないでもない。特に悪いことをしていたわけではないし。でも、まぁとりたてて頭の良いやつでもなかったようだし、歴史に名を遺す人物でもない。この男と、その子孫数名が消えたところで問題にはならないだろう。ただ、そういう世界が生まれるだけだ。
そんなことよりも、兄さんの方が大切だ。兄さんは素晴らしい人だった。人類に、世界に必要な人間だ。この男と、その子供がいないこの世界線なら、未来に戻れば兄が生きているはずだ。もしかしたら「この世界の僕」もいるかもしれないが、別にかまわない。兄がいるなら。兄が生きているなら。それだけでいい。
少年はタイムマシンに触れる。音もなく、タイムマシンの扉が開く。男が急に笑い始めた。少年が使った機械は、ある特殊な波形の電磁波で脳細胞の組織を徐々に破壊していく。どこかの機能が破壊されて、狂ったのかもしれない。よくあることだ。
少年はタイムマシンに乗り込む。パネルを操作し、自分が元居た時代へと帰るためにメモリを合わせる。
「兄さん、僕はやったよ」
少年はそう一人でつぶやき、アクセルを踏んだ。
タイムマシンが、震える。ひゅっと一瞬だけ閃光が走る。ふわりと浮くような感覚。ここまでは、いつも通りだった。
ガコン
異音がした。窓の外は変わっていない。時空移動の振動もない。あわてて、もう一度アクセルを踏むが、今度は最初の震えさえなかった。
どうなっているんだ。少年は考えて、思い出す。昔兄から聞いた、タイムトラベルの原則を。
「タイムトラベラーは、絶対に先祖と関わってはいけないんだよ。関わって歴史を変えたりすると、世界線が変わった時に、世界がそのトラベラーを取り込むんだ。歴史を改変したということは、そのトラベラーはその世界の創出にかかわる人物になる。しかし血縁者どうしという、つながりある者が関わることで起こる歴史改変は、世界にとっての論理に反する。世界は秩序を愛しているからね。自分の秩序に合うように、世界の流れを変えるんだよ。世界の秩序に反したトラベラーは、その時代に閉じ込められてしまうんだ。だから、そのトラベラーはタイムマシンを使えなくなる」
まさか、あの男が僕の先祖だっていうのか。そんな、そしたら。
僕はあの男を殺すことで、「この」世界から兄の存在を抹消した、ということなのか。
僕は手に持っている機械を見た。実はこれには、もう一つ機能がある。それは、生き物の脳細胞の組織をコピーして、破壊された別の生き物の脳にペーストできる、というものだ。言ってしまえば、肉体を乗っ取ることができるわけだ。
兄さんの存在を消さないためには、もとの歴史通りこの男が結婚して子供をつくることが必要だ。そのためには。
僕がこの男の代わりになるしかない。
少年は笑い続ける男の前に立つ。これは幻聴か、それとも本当に言ったのか。どちらにせよ、少年にははっきりと聞こえた。
「馬鹿だなぁ、お前」
男はそう言ったきり、動かなくなった。
あれから、十数年経った。身構えていたよりは簡単に、事が運んだ。特に意識せず普通に暮らしていただけで、もともとこの男が結婚するはずだった女と知り合い、付き合い、結婚した。今、腕の中では赤ん坊が寝息を立てている。この子供、この子供が兄を殺し、そして兄を生み出す通過点となる。ふいに耳鳴りがした。
ああ。まただ。
耳鳴りは大きくなっていき、やがて笑い声になる。そして、その狂ったような笑い声の隙間から、はっきりと聞こえてくるのだ。
「馬鹿だなぁ、お前」
声はクリアに、何度も何度も聞こえる。そして耳鳴りが収まった後も、残響のように脳裏にこびりついている。
「馬鹿だなぁ、お前」
もうすぐ、この子は事故にあい、兄に助けられる。兄は死に、それを知った僕は、この肉体の持ち主、この男を殺しに行く。そして真実を知って成り代わり、女と結婚して子供を産む。
永遠に、果てることのない循環は、この血を存在させ続ける。世界の狂った秩序は、それを望んでいる。この世界は間違っている。間違っていることで完成している、正しい世界。 それは僕が作り上げてしまった、地獄だった。
未来のみらいのパラドックス 流川あずは @annkomoti
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