第4話 言い渡された任務

 薄紫うすむらさきそうに再び招集がかかったのは、アニシチェの儀式から一週間が経った日のことだった。午後の講義をすべて終わらせた澄史とうしは、時間がないので講義でつかった書物や香道具を両腕に抱えたまま急ぎ足で藤菖とうしょうへ向かった。

 部屋に着くと、すでに薄紫うすむらさきそうのほとんどが揃っていた。皆、興奮気味に今日の召集の理由について囁き合っている。

「あれから、白銀しろがねの皇子おうじはどんな容態か知ってるか?」

「知らないよ。だから俺たちがここに呼ばれてるんだろ?」

「なあ知ってるか?あのアニシチェとやら、ここの薄墨うすすみそうの棟に泊ってるらしいぜ。」

「本当か?なら……」

 部屋を満たすざわめきと熱気に、澄史とうしは何だかくらくらとしてきた。一瞬、腕に抱えた香道具を落としそうになって脇をぎゅっと締める。人が集まるところは嫌いだ。とくに薄紫うすむらさきそうの間では、澄史は羨望と嫉妬の対象であり、要するに敬遠されている存在だ。自分をそんな風に見てくる集団の中でじっとしていなければいけない時間は、澄史にとっていつも耐え難いものだった。空いている場所を探そうとして偶然同胞と目が合うと、相手の目に何とも言えぬ居心地の悪さが浮かぶのが見えて、胸の中をざらざらした何かで撫でられているような不快感を覚える。

(俺が気にし過ぎているだけかもしれないけど。)

少しの辛抱だと自分に言い聞かせると、澄史は軽く息を吸い込み、部屋の左後方の辺りに見つけたまだ空いている座布団に腰を下ろした。

 と、前方の御簾がするすると上がり、藤月とうげつ和尚おしょうの姿が前にいる僧の肩越しに見えた。先ほどまで部屋を満たしていた囁き声が、引き波のように消えていく。部屋が完全に静まり返ると、藤月和尚はよく通る低い声で話しはじめた。

 「皆の者、今日も講義や研究ご苦労であった。私も多忙な皆の時間を取りたくないと思うておる故、単刀直入にいきたい。今日皆を呼び出したのは、他でもない、白銀しろがねの皇子おうじのご容態について報告があるからだ。」

一瞬にして部屋中に緊張が走る。

「皇子は、あれから劇的な回復に向かわれている。ここ三日は少しではあるが薬膳粥を召し上がられ、昨日などは上体を起こして紅蕾こうらい様とお話されるまでになられた。」

しんと静まり返った部屋に、声にならない驚きが広がった。

「アニシチェの話では、この調子であれば早くて一週間もすれば完治は間違いないそうだ。そこで、この先皇子の治療は我々忠清寺ちゅうしんじむらさきそうが引き継ぐことになった。今のところまだむらさきそう総出で対応しているが、何か思わぬ事態が起こった場合には再度皆の協力を仰ぐことがあるかもしれぬ。その際は、皆全身全霊を尽くして務めを果たすことを期待しておる。用件は以上だが、何か質問のある者はいるか。」

間髪入れずに、部屋の中央の辺りから手が上がった。

「和尚、アニシチェはこれからどうなるのでしょうか?功績をあげたということで、白川しらかわくにの僧界に入るのでしょうか?」

この言葉で、部屋中が一気にざわめいた。白川しらかわくにの僧界は、この国のあらゆる寺、あらゆる宗派に属するすべての僧が東宰相とうざいしょうやその他の高僧を目指して争ういわば戦場だ。現在もっとも勢力のある忠清寺の僧だけでも激しい競争に満ちた世界であるのに、そこにどこの馬の骨とも分からない異教の僧が加わるとなれば、皆心穏やかでないのも当然である。

「皆、静粛に。……その点が皆にとって気になるのも重々承知している。安心しなさい、いくらこのような功績を残したといっても、帝は異教徒を政まつりごとに関わらせようなどとは全く考えておられぬ。白川しらかわくにまつりごととは、この忠清寺ちゅうしんじと運命をともにしているも同然なのだからな。」

安堵のため息がここそこで漏れた。

「ほかに、尋ねたいことがある者がいなければここで解散とする。……それでは解散としようか。澄史、そなたはもう少しここに残っているように。」

 『解散』の一言で部屋中の緊張が一気に解け、皆がやがやと話しながら立ち上がり出口へと向かっていく。残っていろ、と言われた澄史は、和尚から直々に何か言われるような用があっただろうかと、不安な面持ちで正座していた。自分の横をすり抜けていく同胞たちが、訝しげな視線をちらちらと向けてくる。

「……だろ。だってほら、澄史だから……」

「知らね。また何か……『第二の神童』はやっぱり……」

途切れとぎれに聞こえてくる言葉が澄史の心をえぐる。

もう何年もこのような言葉を耳にしてきて、いい加減慣れているはずなのに。

(心にかさぶたはできないのだろうか。)

できるなら、とっくに俺の心の皮膚は分厚く硬くなっていて、こんな冷たい言葉にも目線にも、動じないようになっているのにな。

 と、突然肩を叩かれて顔を上げると、澄史の頭のすぐ上に緑雨りょくうのからかうような笑みがあった。

「どした?何かやらかしたのか?」

「緑雨!びっくりさせるなよ…。いや、別に何もしてないはずだけど…。でも、俺が自分で気がづいてないだけで何かやらかしたのかな。」

不安そうにつぶやく澄史の肩に、緑雨は腕を回して言った。

「ま、怒られたら後で俺の部屋でも来いや。俺特製の苦っが~い薬湯でも作って忘れさせてやるからさ。」

「それは感謝すればいいのか、怒られた俺へのさらなる嫌がらせと取ればいいのか、どっちなんだよ…。」

「ま、とにかくだ。そんな暗い顔しないで藤月様んとこ行って来いよ。行ったらなにか分かるんだし。」

そう言うと緑雨は澄史の腕を引っ張って立たせ、彼の背中をぽんぽんと叩いた。

「ありがとう。本当に後でお前の部屋に寄らせてもらうかも。」

緑雨はにっと笑うと、くるりと踵を返して部屋を出ていった。


 澄史は、部屋を出ていこうとする他の僧たちの流れに逆らってゆっくり和尚の居る前方へ向かいながら、緑雨のことを考えた。

(あいつは本当に忠清寺の僧じゃないみたいだな。競争と嫉妬で腐りきったこの寺で、どうしてあいつだけあんなに朗らかでいられるんだろう?俺より十七も年上だからか?あいつがいれば、こういう集まりや、他の僧と話すのも楽になる。お互い忙しいから一緒に過ごす時間がほとんどないのが残念だな。時間があれば、もっと仲良くなれそうなのに。)

 そんなことをぼんやり考えているうちに、最後の一人の僧が部屋を出ていき、澄史は藤月と向かい合って正座していた。

「急に呼び出してすまない、澄史。」

「とんでもありません、藤月和尚。」

「そなたが何か良からぬことをしでかした、などという用件ではないから安心せよ。」

そこで藤月は言葉を切った。罰せられるわけではないと分かったのは良かったが、全く見当がつかない分澄史の緊張は高まる。

「実はそなたに、重大な任務を任せることになった。帝とむらさきそう皆からの直々のご命令だ。」

「!」

驚きと困惑で、澄史は目を見開いた。

「これは機密ゆえ先ほどは皆に伝えなかったのだが、最近、白海部はっかいぶ――門外へ出たことのないそなたでもこれくらいは知っておるな?この白川ノ国で主に貧しい者たちが住まう海岸沿いの地域だ――で、白銀皇子がかかられた病と同じ症状の病にかかった者が十数名いるらしいのだ。明確な治療法が分かっていない今、もしもこれが広がる病であれば、大変なことになる前に早急に対処せねばならぬ。しかし、この寺で最も力のある紫ノ僧は暫くの間誰も白銀皇子から離れられない。……そこでだ、澄史。我々忠清寺は、そなたに白海部はっかいぶまで出向き、この病について調べてもらおうと思っておる。」

あまりに突然のことで、澄史は返事をしようとしたが言葉がまったく出てこなかった。

「加えて、そなたに調べてもらいたいのは、病だけではないのだ。この国で白銀皇子のかかられた病を癒すことができたのは…至極遺憾ではあるが…アニシチェだけだ、ということはそなたも知っておろう。アニシチェについてな、帝の側近が、内密にかなり詳しく情報を集めたのだが…それによると、あやつはムアースキの密教を受け継ぐ者だということが分かったのだ。」


 ムアースキ、というのは、白川ノ国から海を越えた先にある大陸の山岳国のことだ。澄史もかなり以前に書物で読んだことがある。もともとは作物も育たず狩れる動物も少ない貧しい国だったが、ある時神力を操る人間が現れ、ムアースキを豊かな土地に創り変えたと書かれていた。その人物は自分の技を人々に広め、人々はこの人物を崇めるようになり、次第に教団ができた。教団は土着の自然崇拝と混じりあい、ムアースキで強大な力を持つようになった。ムアースキ国王は、はじめこの教団を弾圧していたが、いくら弾圧してもこの教団の勢いをそぐことはできないと判断すると策を一転させ、保護する代わりに教団の力――その超神的な力――を国政に取り入れるようになったのだ。周りの国から何度も領地を取られ、搾取され続けていたムアースキはそれからというもの、神力を操る無敵の国に成り変わった。ムアースキ密教と呼ばれるこの教団には、信者以外には絶対に教えを漏らさないという厳重な戒律が存在する。実際、この密教がどのような宗教なのか、どのような力を使うことができるのかなど、その実態は国外には一切情報がない。ムアースキという国自体も厳しい鎖国状態にあり、内外の出入りは余程のことが無い限り不可能になっているという。


「で、ですが藤月様、ムアースキの人間は国を出られないと、以前どこかで読みました…。そ、それに、厳しい戒律とともに生きるムアースキ密教の信者が、海を越えてわざわざ白川ノ国に来るなど、いったい何の目的があって…。」

「それも含めて、そなたに調べてもらいたいのだ。」

まだ困惑した表情を浮かべている澄史に、藤月は畳みかける。

「要するに、そなたにはアニシチェとともに白海部まで赴き、きやつの普段の様子から、どのようにあの病を癒すのかまで、すべてを事細かに我々に報告してほしいのだ。もちろん、内密にだがな。」

「十分な情報が集まるまで、アニシチェと行動をともにしろと…?」

「そうだ。そなたは情報を集めるだけでよい。それらをもとにあの病の治療法を見つけること、アニシチェという人物についてさらに調べること、ひいてはムアースキ密教の実態を探ることは私と紫ノ僧で行う。」

「で、ですが藤月様…私の日々の研究や講義は…。」

「そなたも承知のことだと思うが、これは帝直々のご命令だ。それが何にも勝ることは言うまでもないだろう。あおそうへの講義は心配するでない。そなたは天啓を受けて山籠もりしているということにしておけば、誰も何の疑いもはさまない。」

 たしかにこれは良い口実だった。この寺で位の高い僧の中には、数十年に一人くらいの割合である日突然天啓を受ける者がいる。そういった者たちは受けた啓示をより確実なものにするために山籠もりし、忠清寺の新たな教えという形でその啓示を表すことができるようになるまで出てこない。その期間は人によって様々で、数十年かかる者もいれば、ほんの数週間で出てくる者もいる。

 寺中にその名をとどろかせている澄史であれば、たしかに「天啓を受けて山籠もりしている」と言えば誰もがあっさりと信じるだろう。いつ帰ってきても怪しまれることもない、完璧な口実だ。

「して、事は急を要する。そなたには明日の朝、日の出前に出発してもらいたい。」

「!」

澄史は驚きのあまり全身がこわばるのを感じた。

「夜明け前には門に馬を用意させておく。アニシチェも馬でそなたとともに出発することになっている。白海部に近い宿もこちらで手配しておいた。そなたたち二人は、こちらが任務終了を告げるまでその宿に泊まるように。よいか、片時もアニシチェから目を離すでないぞ。きやつの一挙一動、すべての報告を期待している。」

藤月和尚の声には、有無を言わさぬ響きがあった。澄史は大きく息を吸い込むと、腹の底から絞り出すように言った。

「謹んで、お受けいたします。」




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