08:調査
すっかり真夜中になっていた。
夜空には月が浮かんでいる。
昨夜が満月だったので今夜は僅かに欠けているが、煌々と輝く、見事な月だ。
巨神の谷の現地調査は数日掛けて行われる予定だが、何しろ百年越しの捜し物だ。時間は幾らあっても足りない。
シロップは早速今夜から調査に入るつもりだと言う。
準備をする二人。
焚き火を消したベルハイドは、手早く防具を身につけ、腰のベルトの左右に剣を差し、マントを羽織った。
ふと見ると、洞窟の壁の四角い穴から月明かりが差し込んでくる。
その月明かりに照らされ、服を着ているシロップの真っ白い毛並みがキラキラと光った。
綺麗だな……と、ベルハイドは思わず見とれた。
「ふふ、なぁに、じろじろ見て」
「あ、いや」
一般的ではないかもしれないが、それでも結ばれた者同士。
甘く柔らかな空気が流れる。
「俺、さっきさ」
「うん」
「なんて言うべきだったのかな」
それを聞いたシロップがピタッ止まる。
ベルハイドの方を向き、わざとらしいジト目をして、むーっと不満げな声を出した。
「もう!」
そう言ってシロップは足をタン! と強く地面に打ち付ける。
兎特有の、怒りの所作だ。
「それを女に聞くのは違うでしょ、この肉食男子は!」
シロップは、またわざと大げさに、ぷいっと横を向く。
ベルハイドは、うへぇ、と言う顔をした。
これはあれだ。『察して欲しい』というやつだ。
考え、察して、相手が言って欲しいことを言わなくてはならない。
それが上手く行かないと、怒らせてしまう。
高難度の
(こいつは難問だぞ……)
腕を組み、渋い顔で考え込むベルハイド。
それをを見て、シロップはふっと表情を和らげる。
「強く言いすぎた。そんなに悩まないで……あ、でもやっぱり、ちゃんと考えて」
「どっちだよ……」
渋い顔を崩さないベルハイド。
シロップはクスクス笑って、ベルハイドの顎下をすいすいと撫でた。
猫はここを撫でられるのに弱い。
「出ましょうか。準備できてる?」
「ああ」
ベルハイドは喉がゴロゴロ鳴りそうになるのを我慢しながら答えた。
二人が洞窟から外に出ると、月光が辺りを青く照らしていた。
心地よい夜風が吹き抜けていく。
ベルハイドは改めて巨神の谷の景観を見渡して言った。
「何か当てがあるのか?この無数の洞窟一つ一つ調べていくわけじゃないよな?」
「それは、勿論」
シロップは鞄から包み紙を取り出し、丁寧に広げる。
それを覗き込んだベルハイドが言った。
「この谷の地図か」
地図によれば、谷全体は丁字路の形になっており、ここは南端のようだ。
まっすぐ北上すると突き当たり、そこから東西に分かれているのである。
地図をよく見ると、谷の両脇の崖に、びっしりと『×』の印が書き込まれていた。
「これは何の印だ?」
「巨神を目撃した祖先から何代か後、私の曾祖父がこの地図を作ったの。それから祖父の代、父の代と、世代を跨いで谷を調べてきた」
ベルハイドは目を丸くした。
「驚いたな。この印は『調査済み』の箇所か。九割以上、ほぼ全て埋まっているじゃないか」
「そう、あと少しで調べ終わるというわけ。私の代で、長い長い調査が終わるのよ」
目指すは丁字の東端、印の付いてない区画と言う訳だ。
「行きましょう」
そう言ってシロップは駆けだした。
ベルハイドもそれに続く。
二人は瓦礫の山を避けながら、巨神の谷を北上した。
走りながらベルハイドは耳を立て、周囲を警戒する。
洞窟だらけのこの谷の地形は、山窩が
しかしどうやら、そういった気配は感じられない。
感覚の鋭いベルハイドには、何となく理由がわかった。
先程まで休憩していた洞窟は問題なかったが、基本的にこの谷の地形は、酷く不安定なのだ。
音として聞こえるほどではないが、どの崖からもギシギシと軋みが感じられる。
実際に崩れて瓦礫の山となっている所も多い。
地震が来たら、どの辺りの崖が崩れるのか、わかった物では無い。
これでは、この谷に住み着こうとする者もいないだろう。
(だとすると……シロップに張り付いて護衛するより、手分けして探す方が効率良いかもな)
そう思っていると、程なくして二人は北端の突き当たりに着いた。
この辺りが谷の中心地だ。古い崖崩れ跡があり、そこに土が積もって小山のようになっている。
ここから谷は東西に分かれている。
二人は顔を見合わせ、進路を東へ向けた。
東へ少し進むと崖崩れを起こしている箇所が多くなり、瓦礫の山を迂回するのに苦労させられた。
先程の谷の中心部の古い崖崩れ跡と比べると、近年に崩れたようだ。
瓦礫の山から金属の棒が何本も突き出ていて、如何にも危なっかしい。
シロップは走りながら、大量の瓦礫を見て言う。
「この辺りは父が調べていたはずだけど、大分、崩れているわね」
「調べた後、割と最近に崩れた、ってことか」
「そうなるわね」
ベルハイドは懸念を率直に言う。
「調べた後なら良いけどよ。調べる前に崩れている所があるとすると、厳しいな。そこに巨神が眠っていたとしたら、どうなる?」
シロップは少し笑った。
「ふふ。いくら巨神でも眠っている間に崖崩れに巻き込まれたら、不味いわよね。でも、多分大丈夫」
「というと?」
「先祖代々の口伝なんだけど、巨神は一人で眠っている訳じゃなくて。それを守護している『妖精』が居たらしいのよ」
「妖精……」
ベルハイドはおとぎ話に出てくる妖精を思い浮かべた。
手のひらに載るほど小さく、羽が生えていて、虫のように飛べる。
大変な悪戯好きで気まぐれな存在だが、中には大きな力を持つ者も居るという。
そんなもの、実在するだろうか。
少なくともベルハイドはお目にかかったことが無い。
「いずれにしろ巨神の守護者が居るなら、崖が崩れないように維持するなり、それでも駄目なら移動するなり、手を打つはずだと?」
「そういう事」
寝所を守る護衛が居る。
その巨神はかなり地位の高い存在なのだろうか。
ベルハイドはついでとばかりに、かねてから疑問に思っていたことを聞いた。
「なあ。そもそも『眠れる巨神』ってどういう状態なんだ? 百年前、いやもっと前から眠っていたら、それはもう『永眠』って言わないか?」
重要な事だ。既に巨神が亡くなっていたのだとしたら、この探索は、ただのお墓の調査と言うことになってしまう。
シロップは笑って答えた。
「あはは、永眠。思うよね。でも、それも大丈夫」
「そうなのか?」
「妖精が先祖に話した内容が伝わっているのよ。『巨神は今、眠っている』『あと百年ほどで目覚める』ってね」
なんと。
これはもう、単なる目撃記録の域を超えている。
「シロップの祖先は、巨神の守護者と交流して、話まで聞いていたのか!」
「そうなの。私の一族が総出で探索し続けてきたのも、わかる話じゃない?」
如何にも興味深い。
ベルハイドは頷いた。
「ああ。しかも『あと百年ほどで目覚める』だって? 百年前の百年後って、つまり今じゃないか」
「だから絶対私達で見つけないと。でしょ?」
高揚感で笑いがこみ上げてくる。
面白くなってきたぜ――そう思った。
それから程なくして、二人は巨神の谷の端に着いた。
ここより東は瓦礫で完全に埋まっており、その上に土が積もり、木まで生えている。
この辺りが谷の東端、最後の調査区域である。
ベルハイドは耳を立て慎重に周囲を探るが、やはり視線や気配は感じられない。
せいぜい虫や蜥蜴などが居るかも知れない、そんな程度だ。
「シロップ。この辺りは、何者かが潜んでいることは無さそうだ。だから、手分けして巨神を探すのはどうだ?」
ベルハイドがそう言うと、シロップは驚きと喜びの混ざった表情で返した。
「良いの? ベルハイドへの依頼は護衛で、調査は含まれていないわよ?」
「ああ。さっきの話を聞いて、俄然興味が湧いた。手伝わせてくれ。それに、物探しは得意な方なんだ」
シロップは笑った。
確かにベルハイドの洞察力は、調査向きだ。
「ふふ。ありがとう、決まりね」
「何かあったらすぐ呼んでくれ。駆けつける」
「わかった」
シロップは谷の地図を広げて、周囲の状況と見比べる。
そして地図と付近の崖を交互に指差しながら言う。
「ベルハイドは北側。ここと、こちらの崖を調べて欲しい。私は南側。ここから、ここまでの崖を調べるね」
「了解だ。早速取りかかる」
そう言うなりベルハイドは北側の崖に走った。
ここにも沢山の、四角い洞窟が並んで口を開けている。
そのまま間近の洞窟に飛び込むと思いきや、そうではなかった。
洞窟の入り口の横にあった突起に手を掛けると、するりと上に登る。
崖と言っても、様々な凹凸、手掛かりになりそうな物も多い。
とは言えほぼ垂直の崖だ。それをするすると登っていく。
「ええええ!?」
見ていたシロップが驚きの声を上げる。
もともと猫は木登りが得意だし、高い所が好きだ。
それにしてもこれは尋常では無い。鍛え上げられたベルハイドの身体能力は驚愕に値した。
素早く崖の上まで登り切ると、最も高い位置に並んだ洞窟の一つに、するりと潜り込むのが見えた。
「すっご……」
思わず呟いた。
(そうか、ベルハイドは上から下に向かって調べる気なんだ)
そう思いながらシロップは南の崖に目を向ける。
(負けてられないわね。こっちも取りかかろう)
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