第88話 西代桃が本当に欲しかったもの?
「私の方が先に仲良くなろうとしてたのにー!! 話しかけるタイミングをずっと見計らってたのにーーッ!! なんで3日そこらで付き合ってんのーお前ら!? 共学育ちは、時間が過ぎるスピードが私とは違うって言うのー!?」
「待て、待て、何言ってんだ。落ち着けよ」
「落ち着ている場合じゃなぁーい!! もう私!! 引っ越してきて1月くらいボッチでご飯食べてるの!! 焦燥感半端ないのー!!」
「おい、いい加減に」
「苦しーの!! 寂しーいの!! 毎日、妹に連絡しちゃっててー、姉としての威厳が底を尽きそうなの!!」
「っ」
こちらの意思を無視して喚き散らす彼女。
身勝手な振る舞いに、煤が降り注ぐような怒りが堆積していった。
「るせぇぞカス!! 1人で勝手に舞い上がってんじゃねぇ!!」
「あ゛ぁ゛ん!? 今なんて言ったコラァー!! 誰がカスだってーー!?」
「テメェだよ、テメェ!! いきなり人様を呼びつけておいて意味不明に騒ぎ散らすな!!」
身構えていた俺は本気で怒鳴り声をあげる。
「金切り声がイラつくんだよッ!!」
発声に混じりけのない純粋な害意が混じった。
「んぐっ」
怒号を聞いた猫屋が、一瞬だけ黙り込む。
「い、いきなりヒートアップしちゃったのは悪かったけどさー……そ、そんなに怒るー?」
「………………ん」
そう言われると、こちらに非があるように聞こえる。
これだから女は嫌いだ。すぐに被害者面をする。…………まぁ、少しキツく言い過ぎたのは認めるけど。
「はぁぁぁ」
深いため息と共に、張りつめていた気が抜け落ちる。肩透かしを食らったという言葉がピッタリと当てはまる状況。
身構えていた自分が馬鹿みたいだった。
「……友達ができないって?」
早口で喚き散らされた言葉から、聞き取れた単語を抽出して聞き返す。
怒鳴ってしまった罪悪感から、少しだけ雑談に付き合ってやる事にした。
「んな訳ないだろ。お前みたいなのは一声かけたら、周りの男子がすぐに群がってくるはずだ。違うか?」
「と、年下の男の子となんてー、何を話せばいいか分かんないしー……」
「はぁ? それこそ得意分野じゃないのか? 男をたぶらかす為に生まれたような顔してるんだから」
俺は返答を待たずに、ポケットから煙草を取りだした。無駄に緊張したせいか、喫煙所に呼び出されたせいか、人心地つきたくなったのだ。
煙草を咥え、ライターのフリントを回す。ジジッと火花が散ったが、炎は灯らない。
「っち」
ライラーのガスが切れていた。
「ん」
カシュンっと小気味のよい開閉音。大鷲が彫られた銀色のジッポから安定感のある種火が盛る。
猫屋が俺に対して火を差し出してくれた。
「……あざ」
一応会釈をしてから火を貰う。息を吸い込むと、100円ライターとはけた違いのスピードでウィンストンの先端に薄明かりが灯る。
「ふぅー…………良いジッポだな。彼氏のお下がりか?」
「あのさー、お前何か勘違いしてなーい?」
キラキラと眩いネイルを見せつけるよう、彼女は自身の胸に手を置いた。
「私ってー、中高とも女子校なのー」
「え、マジか?」
「うん、大マジー」
女子校出身。それは俺の人生で初めて出会った人種だったので、素で驚いてしまう。
「だからー、年の離れた男の人ならまだしもー、歳が近い男の子は……ちょっと、話しかけるのはハードルが高いって言うかー?」
「いやいや、俺とは話せてるじゃん」
「お前は男以前にー、人として見てなーい」
「あっそ……」
初めて出会った人種だったが、生物学的分類は女である事には変わりないようだ。
やっぱ嫌いだわ、コイツ。
「そもそもだ。数は少ないが西代の他にも女子はいたろ?」
俺は当然の疑問を口に出した。
「ほら、いつも最前列に座ってクソ真面目に講義を受けてる、同じチューター班の髪が長い女とか」
「それってー……
「あぁ、それだ」
入学2日目に猫屋と小競り合いを起こした原因は、たしかアイツにあったはずだ。
あの鉄面皮のクソ女が俺を睨みつけて、俺が真っ当に怒りを露わにし、安瀬を庇う形で猫屋が俺に喧嘩を売った。
その経緯から鑑みるに、猫屋が交友を育む相手は安瀬の方が適切な気がする。
「…………あの人ねー」
突如、猫屋が陰鬱な表所を作る。
ただ、その変化は一瞬のもの。彼女は何かを誤魔化すようにして懐からラッキーストライクを取り出し、火を点ける。
「ふぅーー…………まぁー、いいじゃん。なんか、無駄に勉強を頑張ってる感じだしー? 私みたいなのが声をかけるのは悪いでしょー?」
「?」
間延びした声音からは、感情がそぎ落とされていた。先ほどまで情緒豊かに吠えていたとは思えないほど機械的なそれに、俺は引っかかりを感じた。
「……それなら、現役合格したヤツらは?」
「あぁー、
俺たちが所属する学科には、西代、猫屋、安瀬以外にも、3人ほど女がいる。
現役で大学に合格した、2つ年下の女性陣。気にかけた事すらなかったが、どうやら1人は土屋という名前らしい。
「何回か話しかけてみてー、仲良くなれそうー…………だった、んだけどー」
だった、という過去形の表現は上手くいかなかった未来を俺に予想させた。
「会話の途中で煙草を吸いに行こうとしたらー、味わい深い顔をされちゃってさー……」
「あぁ、なるほど」
安瀬の件とは違い、こちらには得心がいった。
その時の土屋とやらの心情は想像に難くない。
『
猫屋さんへ
あ、お煙草を吸われるのですね。
別に良いですけど、副流煙は絶対にこちらへ向けないでくださいね?
それと、どうしても匂うので喫煙後の10分間は私から距離を取ってください。
また、喫煙の頻度は1日に1本までとさせて欲しいです。
以上が、私たちと交流を持つことを許容できる、最低条件です。
敬具 』
喫煙者は100%この世の悪だ。
どう弁明しても、煙草を吸っているヤツが悪い。それは間違いないので、喫煙者は日陰で腰を低くしながら、健常者の顔色を伺い続けるしかない。俺でさえ、男女関係なく喫煙には気を配る。
特に嫌煙家は女性が多い印象。
「すぅー…………ぷはぁーー…………」
女の癖して、しっかりとした風味の煙草を吸う猫屋。紫煙を漂わせるその姿は、モデルじみた顔立ちとは相反した強烈なギャップを感じさせた。
「私ってー、友達か煙草かどっちかを選べって言われたらー、煙草を取っちゃうタイプなんだよねー……。だからそういう反応されちゃうとー、そこでゲームセットって言うかー……」
「うっわ、マジかお前」
つまり、彼女は煙草と友人作りを天秤にかけ、煙草を選んだのだ。
とても引いた。頭おかしいな、コイツ。女子校ってタバコの葉でも育ててんのか?
「と、とにかくー、煙草吸ってる同年代の女子なんてー、西代ちゃん以外いないの!!」
今まで暗かった彼女の表所が、パっと明るいものに変化した。
「それにー!! 西代ちゃんって超美形じゃーーん!! 背が小っちゃい所は可愛いーんだけどー、本を読んでる姿とかはすっごくクール!! 私、アンバランスなシルエットって大好きなんだよねーー!!」
ニコニコと笑って、猫屋は同性を褒めちぎる。
陽キャ女子が偶に見せる『可愛い子だけで友達を固めたーい!!』みたいな願望は、男の俺にはいまいち共感できなかった。
女子校でもあるんだ、そういうの……。
「ふぅ……まぁ、話はだいたい分かった」
甘い白煙を吹かして、俺は改めて彼女を見据える。
「でも、それを聞いて俺は一体どうすればいいんだ?」
猫屋が西代と友人になりたい事は理解できた。だが、それを俺にぶちまけて、彼女は俺に何をさせたいんだ?
「…………ん、んーー?」
金髪バカが腕を組んで、低い唸り声を上げる。
(おいおい……)
さてはコイツ、何も考えてなかったな。ただ激情のままに俺を呼び出しただけかよ。
「えーっと……お前にはー、西代ちゃんへの橋渡し役になって貰ってー、その後は自然にフェードアウトしてもらうのが理想かなー?」
「お前って本当に最低のカスなんだな」
ゴミみたいな嘆願に、俺はありったけの侮蔑を投げた。
「はぁ、アホくさ」
今日何度目かのため息をついた俺は、まだほんの少し吸える煙草をもみ消して、きびすを返した。
「あ、ちょ、どこ行くのー?」
「講義室に戻る」
「いや、まだ話は終わってな──」
「終わったよ。俺の中ではな」
怒鳴った罪悪感で話に付き合ったが、まさしく時間の無駄だった。
「結論はこうだ。……テメェは大人しくボッチで飯食ってろよ、バーカ」
「……!!」
「はっ、じゃあな」
捨て台詞を吐き、鼻で嘲笑いながら喫煙所を後にする。
今日は少々特別な日だった。
講義があるのは1限だけで、それ以降は身体測定と『春の部活動・サークル新入生勧誘会』が開かれる。
今日は西代と一緒にそれらを見に行くのだ。彼女みたいなのに邪魔をされたくはない。
邪魔者はキツイ言葉を投げかけて遠ざけておくにかぎる。
************************************************************
1限が終わってすぐ。身体測定が始まる前の待機時間。
俺は相変わらず西代の隣に座り、暇つぶしがてら雑談に興じていた…………のだが。
「ねぇー、西代ちゃん!! こんな奴とじゃなくて、私と一緒に
「…………」
「…………」
そこで、金髪バカが俺たち2人に話しかけてきやがった。
「あの……
「うんうん!! 猫屋で良いよー! わぁー、初めて名前を呼んでもらえたー」
「え、あ、うん。そうだね」
2人のテンションの差は歴然としていた。猫屋は覚悟を決めた面持ちで西代と相対しており、逆に西代の方は話しかけられた理由が分からずに困惑している。
「おい、無視しろ西代。コイツと関わると、きっと碌な事にならないぞ」
「君のそれは自己紹介かな? 陣内君?」
「ははは! 西代、冗談キツイぜ?」
「ふふっ、冗談に聞こえたのかい?」
「お?」
「ん?」
流れるような煽りに、笑顔で西代に圧を掛ける。それを受け、西代も能面のような笑顔で返した。
「……2人とも、仲良いーんだね…………でも西代ちゃん。この男、本当に最低だから早く別れた方が身のためだよー」
「は? 猫屋、今なんだって?」
『別れた方が』と言われ、西代は顔を引きつらせる。
「あ、そのー、いやー……彼氏の事を悪く言われるのは確かにいい気分じゃないかもしれないけどー、でも、コイツってマジ性格おわ──」
「そうじゃない。誰と、誰が、付き合ってるって?」
「? 陣内と西代ちゃんでしょー? え、違うのー?」
「違う」
西代が強い低音で否定する。
酷すぎる勘違いだった。俺とこのギャンブル中毒の珍獣が付き合っているなど、あり得ない事だ。
「猫屋。僕は寛容的な方だけど、流石に今の発言には怒るよ」
俺は説明を彼女に任せて、水筒に詰めてきたお酒様を啜る。
「身体測定前にハイボールを飲んでるようなアル中と、僕が恋仲だって?」
「は、ハイボール!? え、それお酒!? マジでー!?」
「いやいや、間違ってるぞ、西代」
「だ、だよねー。あぁー、びっくりした。校内で酒飲むなんて、頭おかし────」
「ただのハイボールじゃない。これは梅干しハイボールだ。言葉はきちんと使おうな」
ハイボールに使ったウイスキーはセール品の安酒。だが、その代わりに大ぶりな梅干しを5個も入れてある。
口内がぎゅっとなるような酸っぱさがとてもイイ。日ごろの疲れが吹き飛ぶようだ。
「ね? おかしいだろう?」
「うっわー……真正のバケモンじゃーん」
「ほっとけ」
採血がある健康診断ならともかく、身体測定なんて酔っていても何も問題は無い。
「そっかー、なら2人の関係ってー……」
「ただの友達だ、アホ」
「──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────え?」
俺が猫屋を罵倒したその時、西代が言葉に詰まった。
「と、友達? 僕、と……君、が?」
ポツリ、ポツリと西代はたどたどしい声を漏らす。
黒曜石のような光沢をおびる大きな瞳が、収縮と震えを繰り返していた。
「え、違うのか?」
「ぁ、ぅ、いや……その…………僕に……えっと、その」
「?」
西代の様子がどこかおかしい。
まるで幽霊でも見るかの如く、俺の事をジッと注視していた。
「アレだけ色々やったんだから、俺は普通に友達だと思ってたんだけど……」
「はーい、勘違した痛々しいバカはっけーん!! 陣内って恥ずかしーいヤツー!! ちょー可哀そう!!」
「あ゛ぁ゛?」
「西代ちゃんみたいな可愛い子がー、お前みたいな性格最悪のバカと友達になる訳ないじゃーーん!!」
「性格が悪いのはテメェの方だろうがこの野蛮人!! 初対面の時、お前が後頭部に向かって水筒をぶん投げたの、俺は忘れてねぇからな!!」
「最初に憎まれ口叩いたのはそっちでしょー!! 私はー、何も悪くありませーん!」
「ふざけんな!! 今からでも佐藤先生に真相を報告してやろうか!! このヤニカスボッチ!!」
「はぁーー!? やってみろよアル中ゴミカスー!! チクった時は、お前をボコボコにして血祭りにあげ────」
「あのさ……!!」
汚れ切った罵詈雑言の中を、透き通った単音が通る。
西代が俺たちの言い争いに割って入ったのだ。
「ゆ、友人の定義って……どこからどこまでだと思う?」
「「………はい?」」
口論の最中、西代はあまりにズレた事を口にした。
「お前はお前で、なにコミュ障みたいなこと言ってんだ? 一度でも酒を飲み交わしたのなら、そいつは友人だろ? 全世界の常識だぞ」
「そ、そっか……そうなの、かな?」
「いやいや、なーにその常識……あ、でもその理屈ならー! 喫煙所で煙草吸った間柄でもー、友達って言っていいよねーー!! これで私もー、
「ああ、いいんじゃないか? 良かったな、ヤニカス。喫煙所に居た全員が友達じゃん。そいつらの方に行って来いよ」
「ぅ…………私、屁理屈こねるヤツきらーい!! 陣内ってひねくれすぎー!!」
「俺もお前なんか大嫌いだ!! ずっと1人でボッチ飯しとけ!!」
「ふざけんなーー!! お前こそー!! 1人で酒でも飲んでろー!!」
これは人的資源の奪い合いだ。西代は俺が『仲良くしてやってもいい』と思えた貴重な人材。
頭空っぽで軽薄そうな女なんかに、奪われるわけにはいかない……!!
「……ふふっ」
激化していく口喧嘩。そこに今度は、微笑が間隙を縫う。
「? 西代ちゃーん?」
「おい、何笑ってんだ?」
「あぁ、いや、ごめん。何でもないよ」
西代は憑き物が落ちたような微笑みを浮かべながら、力を抜いて座席に背を預ける。
「ただ……もう僕にはそんなもの、出来るはずがないと勝手に思い込んでいただけさ」
「?」
西代はそのまま、掠れて消えてしまいそうな言葉を紡いだ。
「……猫屋、3人で巡ろうか」
「え?」
「
「んー……まぁー、西代ちゃんがそう言うのならー……」
西代の提案を、猫屋は渋々と言った様子で受け入れた。
なんで彼女の方が妥協してやってる雰囲気を出しているのだろうか。
「それとさ、猫屋……もし1人ぼっちが嫌だって言うのなら、これからは……3人で一緒に
「ハァ!? んなもん、断固としてお断りだ!! こんな癇癪持ちと一緒に講義を受けるなんて、俺は死んでも御免だね!!」
「それ私のセリフー!! お前みたいな酒臭そーなヤツ、近くにいるだけで虫唾が走るってーの!!」
「……君らは割とすぐに打ち解けられると思うけどね、僕は」
「ねぇよ!!」
「それはなーい!!」
「ふふっ、あはははは……!」
同タイミングで声を荒げた俺たちを見て、西代は屈託なく笑っていた。
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