第77話 ヤニクローズドサークル・後
俺達の牽制は長時間に及んだ。
自身の就寝スペースで陣を張った緊迫状態が既に1時間ほど続いていた。この1時間、誰も一言も喋っていない。ワンポールテント内には依然として一触即発の空気が立ち込めている。
俺はこの中、嗜好品を奪取する方法を考えていた。
──トントン
(……煙草を持っているのは恐らく俺だけだ)
客観的に自分の有利な点を整理する。外に置かれていたせいで、酒飲みモンスターズの煙草は掴むだけでボロボロと崩れ落ちてしまうほどにずぶ濡れになっていた。
(だが酒は持ってない)
俺が個人的に持ってきた酒は昨日既に飲み干した。共有のアルコール類も底を突いている。なので、今ここに存在する可能性がある酒は、彼女達が偶然持っていた個人の物に限る。
酒飲みモンスターズは、酒飲みモンスターズだ。恐らく、1人ぐらいはアルコールを所持している。
──トントントン
(じゃあ、どうやってその酒を奪い取ろうか)
実のところ、1時間も思考を巡らせたが良い案は思い浮かばなかった。……早く何か思いつかないとヤバい。ここには悪知恵が働く人間が多すぎる。
──トントントントントントン
……さっきからうるせぇ!!
寝台に腰掛け、貧乏ゆすりを続けているヤツが居る。猫屋だ。
「猫屋、貧乏ゆすり止めろよ。行儀が悪いぞ」
「ぅ、ぅうぅぅぅぅぅうぅぅぅ……」
俺が注意すると、彼女は苦しそうな呻き声をあげた。発情期の猫でも、もっとましな声を出す。
「お煙草様、吸いたーい……」
彼女はヤニ切れを起こしていた。流石はヤニカス。1時間ほどの禁煙が辛いようだ。
まぁぶっちゃけ、煙草の離脱症状は俺もキツイ。何かやる事や目的があって断っている状況なら余裕で我慢できるが、手持ち無沙汰の時間になると無性に吸いたくなる。それが煙草だ。
「やはり猫屋は重度のニコ中であったか」
「一度病院に行く事を僕は強くお勧めするよ」
安瀬と西代が、猫屋をなじる。
きっと2人も煙草を吸いたいと感じているだろう。だが、喫煙量の多い猫屋は別格。間違いなく負のスパイラルに陥ってる。
「うぅー……う、うにゃぁーーー!! も、もう我慢のげんかーーい! 安瀬桜、かくごーーー!!」
「……はぁ!?」
突如、猛獣の如く猫屋が安瀬に飛び掛かった。
「な、なんで拙者が!?」
「こういう時は、安瀬ちゃんが隠し持っているに決まってるんじゃーーーーー!!」
「風評被害甚だしいでござる!! ……って、うわぁ!?」
瞬く間に、猫屋が安瀬を投げた。決して乱雑に床に叩きつけたのでなく、ストンっと柔らかい音がするほど優しく転がした。彼女の無駄な技量の高さが伺える早業だ。
というか、猫屋のヤツ、打撃だけじゃなくて
「今だぁーー!!」
床に寝た安瀬を跨いで、猫屋が安瀬のバックに手を突っ込む。
「ね、猫屋!? お主、人の荷物を勝手に漁るでない!! それは人としてやっちゃダメなやつであろうが!!」
「う、うるさーーい!! いいから煙草寄こせーーー!!」
あぁ、なんて醜い争いなんだろう。ほんとクズだよな、コイツ等。見ていて胸がすく思いだ。
「どこだーー!? これかーー!?」
何か見つけたのか、猫屋はバックから左手を引き抜く。
「ん? なにこれー?」
手に握られていたのはビニール袋。中には布地が見えた。
「それ昨日穿いてた拙者の下着!?」
「うわっ!? ばっちぃー!?」
「ばっちくないわ! ぶち殺すぞ
ついに安瀬がキレた。狭いテント内の一部で、もみ合いの喧嘩が勃発する。『フシャーーーーッ!!』『グルルルルッ!!』と2人はマウントを取り合いジタバタと暴れ合った。
購入費用をケチらなかったおかげで、円錐状型のワンポールテントは縦にも横にも広い。2人が喧嘩できるスペースくらいは余裕にある。
「やれやれ。醜い争いだね」
「ん? あぁ、そうだな」
俺がクズ2人の乱闘をニコニコと観戦していると、西代が俺の就寝スペースにやってくる。争うクズ共を尻目に、彼女は俺が座する寝台に腰掛けた。
「ところで陣内君。煙草、持ってるよね?」
「……おいおい。そんなわけないだろ? 俺が煙草を1人占めするなんて──」
「缶ケースのピースはそこまで雨の被害を受けなかったんじゃないかい? それに、君は一番最初にテントから出た。懐に煙草を仕舞う余裕はあったはずだ」
西代は早口で自分の推論を語って聞かせた。
……コイツ、探偵かよ。推理が完璧すぎて引くわ。
「いいや? 普通にずぶ濡れだったぜ」
だがあくまで推論の粋をでない。この程度の揺さぶりで俺から煙草をせしめようというのは甘い考えだ。
「ふぅ。そう言うのなら仕方ないね」
西代はスッと俺に身を寄せた。ぐにゅりと形の良い胸が、俺の腕によって潰される。
ぐるりと脳が反転する感覚がした。
プチン、プチンと、彼女のシャツの胸ボタンが2つほど外される。俺の視界に、黒いブラジャーと隆起した白のお餅が晒された。
「煙草をくれるなら……もう1つボタンを外してあげる」
俺はすぐさま煙草を一本彼女に差し出した!!
「……くくくっ、ばーか」
西代は蠱惑的に微笑を浮かべ俺から煙草を奪い取ると、胸の谷間に煙草を押し込む。そのまま彼女は
「ごちそうさま、陣内君。後でコッソリ一緒に吸おうね?」
勝ち誇った表情で彼女は自分の寝台に戻って行く。
「────────はっ!」
意識が正常に戻る。遅れて、俺はまんまと姦計にハマったのだと気づいた。
「う、う、うぐおおっおぉぉぉぉぉ……!!!!」
寝袋に倒れ込んで、狂うほど悶えた。俺のアイデンティティが音を立てて崩壊している。
(こ、こ、この俺が色仕掛けに引っかかった!!!??? う、うわあああああああああああああああああああああああああ!!!!)
酒が無い。ノンアルコールも存在しない。この状態の俺は普通の男子だ。酒を飲んでいない状態だと、むっつりの毛すらある。西代はそれを見抜いて、俺にすり寄った。
あの女狐、男の純情を弄びやがった……!!
(ち、ちくしょう!! すっげぇ恥ずかしい……!!)
寝袋に包まった状態で西代の方を向いた。邪気を込めて彼女を睨みつける。
「ふふ、なんだい? そう情熱的に見つめないでよ」
「覚えてろよテメェ……!!」
俺は復讐の誓いを言霊として吐き出し…………高鳴った胸の鼓動を必死に抑え込んだ。
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「ハァ、ハァ……や、やはりお主には敵わぬか。ギブじゃ、ギブ」
キャットファイトは前評判通り、猫屋の勝利で終わった。テントの厚い床敷物の上に仰向けの状態で安瀬が抑え込まれている。
「いやー、動けるね安瀬ちゃん! ポテンシャル高ーーい!」
流石は性格以外完璧な女、安瀬だ。片手とはいえ、あの猫屋相手に寝技で食い下がっていた。
「ねぇー、今度一緒にうちのお父さんから護身術でも習わなーい? 安瀬ちゃんなら、いい具合に私の遊び相手になると思うんだよねー!」
「やらん。一生頑張っても、お主の片手以下で終わりそうじゃ」
「ふひひっ、まぁーそうかもねーー! 私って、超天才な訳だからーー!!」
適度な運動でストレスを発散できたのか、先ほどまで禁断症状に震えていた猫屋は打って変わってご機嫌そうだ。
彼女たちの攻防は結構激しかった。タイツや緩い
(即急にアルコールが必要だ!!)
気持ち悪い俺を酒で正常に戻さなければいけない。知的でクール、色事に動じないという無敵のアイデンティティを取り戻す。……何でもいいから、早く血潮にアルコールを注入するんだ。
「はぁ……無駄に動いたせいでお腹が空いたで
「あー、それ私もー。そっちの2人はどんな感じー?」
「僕もだよ。朝から何も食べてないしね。一時休戦にして、早めのお昼ご飯にしようか」
「!!」
話題がご飯に移ったその時、俺にある閃きが舞い降りる。
「…………そうだな。俺も腹が減った。車から食材と調味料を取って来る」
口早にそう言って、俺はテントから出て車へと向かった。
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車のバックドアを縦に開いて雨避けにし、その下で調味料を入れているプラ箱を開く。俺はそこから透明なボトルを取り出した。
「とうとう、これに手を出す時が来たか……」
料理酒。
度数12パーセント前後。製造過程で日本酒に塩や甘味料を加えた物であり……それ以上は俺もよく知らない。味に関してはまるで未知だ。一応飲めるらしいが、それ本来の使用用途は料理に混ぜる事。飲むために作られたものじゃない。
料理酒の存在に気がついた時は自分の事を天才だと思った。…………けれど正直言って、今はちょっと躊躇してる。まずい酒を飲むのは嫌だ。
「ま、まぁ仕方ないか」
心身症とか言う、この訳の分からん体質を発揮するには酒が必要だ。それにまた西代に色仕掛けでもされたら困る。
西代は手段を選ばない。男の俺相手に、割と平気でああいう事をする。逆に俺もアイツには容赦しない節があるので釣り合いは取れているように思えるが……まぁ、それは酒が入っている時の話であって、今はダメだ。やっばい。普通に可愛い。
俺は手の甲に料理酒を数滴ほど落とした。それを恐る恐る、舌でゆっくりと舐めとる。口内で酒精を転がし、一応は味わってみた。
「ん?」
…………意外とイケる。いや、むしろ美味い。少し塩気が濃いが面白い味だ。
「んっぷ」
俺は料理酒の注ぎ口に直接口をつけた。ボトルを傾け、ジャバジャバと一気に飲み下す。
「……んっ……んっ、ぷはぁ! イケるなぁ、これ!!」
すまし汁みたいな旨味成分がグッと濃縮されている。調味料会社の企業努力が伺える品だ。
「美味い、美味いぞ!」
俺は、この料理酒と言うやつを気に入ってしまった。これから料理酒で何かを作る時には、少しづつ飲んでしまうかもしれない。そう思うくらいには美味しかった。
「じ、じんなーい」
「ん?」
名前を呼ばれたので、料理酒を咥えたまま振り向く。
そこには自分の荷物を背負った猫屋が居た。彼女は雨の中、濡れているにもかかわらず突っ立ている。
「お前、なんで外に居んの?」
「う、運動したら喉乾いちゃって、車に置いてたお茶取りに来たんだけど……」
「?」
何故か、猫屋の冗長な口調が鳴りを潜めている。なおかつ、彼女は恐るべき物を見る目で俺を見つめていた。
「ま、まさか陣内がそこまで酷いアルコール依存症だったなんて!! 正直、ちょっと怖いよ!!」
「──────ぉ、ぉぉ」
思わず言葉が詰まった。
「あ、あのね、えっと、その……明日にでも2人で病院行こう? だ、大丈夫。わ、私も一緒に付き添うから……。病気が治るまで、2人で一緒に頑張ろうね?」
「本気で哀れむなよ!! あと誰が病気だって!?」
「陣内だよバカ!! 料理酒を『美味い、美味い』って言いながら飲んでるのマジでヤバいって!!」
「ぅぐ」
弁明の難しい状況になってしまった。
そ、そう見えるかぁ。そう見えちゃうよなぁ……。でも美味かったのは事実だしなぁ。
「い、いや、これが意外と美味しくてだな」
「そ、そんなわけないじゃーん……うぅ、可哀そう。お酒の飲みすぎで、ついに頭のネジ外れちゃったんだね、陣内」
猫屋は下手な泣きまねをしながら、俺に近づいて来る。
「絶対に見捨てないから、アル中はちゃんと治そうね!!」
俺の肩をポンポンと叩き、猫屋はそれはそれはたいそう綺麗な笑顔を俺に向けた。ピカピカとしていて眩しい。
明らかに馬鹿にしたものが混じっている。
カチンときた。口喧嘩の時間だ。
「さっきヤニ切れで暴れてた奴に言われたかねぇ! お前の方こそ禁煙外来に行ってこいよ!!」
「あぁーー!! 人が心配してやってるのにそういう事言うんだー!!」
「余計なお世話だって言ってんだよ、このニコ中!!」
「んだとぅ、このアル中!!」
「だから俺はアル中じゃねぇ!!」
「私だってニコ中違うからーー!!」
この論争もう何回目だよ! いい加減うんざりするわ!!
「よぉし、丁度いいから白黒付けようじゃねぇか。そんなに言うなら明日病院に検査受けに行くぞ!!」
「面白いじゃーーん!! もし、依存症って診断されたらー、お医者さんが良いって言うまで禁酒してよねーー!!」
「おう、良いぜ!! テメェも同じ条件でな!!」
「上等!! 泣いて謝ったって許してあげないんだからー!!」
「っは! 誰が泣くって? 暇さえあれば煙草吸ってる猫屋が検査で引っかからないわけがないだろ!! 泣くのは絶対にお前の方だ!!」
「あれれー!! 陣内こそ、四六時中お酒飲んでる癖して検査から逃れられる自信があるんだーー!! へぇーー、すっごいねぇーー!! 凄いバカだよねーー!!」
俺は瞬時に押し黙ってしまった。
何か、積み重なったボディブローのような不快感が俺に押し寄せる。臓腑がズンズンと重たい。具体的に言えば、肝臓付近だ。
検査に引っかかたら、また、何日も、禁酒?
「……………………」
猫屋も口を一文字に結び、目を泳がせていた。彼女は胸に手を当てて深く深呼吸を繰り返している。
肺を心配している様子だった。
「や、やっぱり、病院はやめにしようぜ。お、俺が悪かったからさ」
「う、うん、そーだね。私もムキになってごめんね」
「いや、俺の方こそごめん」
「いやいや、私の方こそー……」
俺達はペコペコとお互いに頭を下げ続ける。大切な物を守るためだ。
「「ははっ、あはははははは」」
珍しく、平和的に、俺達は仲直りをしたのだった。
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猫屋と無事に和解した後、俺達は食材を持ってテント内に帰った。
飯時まで争うつもりは彼女達にも、俺にも無く、調理から食事の終わりまで何1つとして諍いは発生しなかった。
(……そろそろ煙草が吸いたいな)
腹がそこそこ膨れたので、俺は食後の煙草を満喫したくなっていた。
「俺、ちょっとトイレ」
この場で吸うわけにはいかない。なので、一旦外に出る事にした。
このキャンプ場の喫煙所はトイレの真横に存在する。そこまで行って煙草を燻らせよう。折り畳み傘を持っているので道中濡れる心配はない。
「あぁ、僕もついて行くよ。何がとは言わないけど、陣内君が抜け駆けするかもしれないからね」
「あー、確かに監視は必要だよねーー」
「…………うむ、そうであるな。頼んだでおじゃる」
いけしゃあしゃあと、よく口が回るもんだ。西代は俺と同じく煙草が吸いたくてついて来ようとしているだけだ。
「ぬかるんでるだろーし、転ばないよう気を付けてねー」
「あいよ」
2人を置いて、俺と西代はテントから出た。まだ雨の勢いが強い。
「ほれ」
傘を開いて、西代を手招く。先ほど煙草を奪われた恨みはあるが、雨に濡らして歩かせるほどではない。
「うん、どうも」
西代は抵抗なく俺と一緒の傘に入った。
そのまま小さな彼女と一緒にトイレの横にある喫煙所まで、泥に足を取られないよう慎重に歩く。
寒がりの西代を濡らさないよう、傘を傾ける。少しだけ肩に雨がかかった。
「君と相合傘か。……これは、何だがとても悪い事をしている気分になるよ」
「随分と
先ほどの色仕掛け。女の武器を使って俺から煙草を奪い取った事に対して、意外にも彼女は罪悪感を持っているようだった。
「そういう意味じゃない。…………そうだ、陣内君。僕と2人で煙草を共有しようか」
「はぁ?」
「僕と共同戦線を張ろうって言ってるのさ」
同じ傘の中、彼女はこちらを見上げて意地が悪そうにニヤリと笑った。
「共同戦線だと? どういう意味だ?」
「そのままの意味さ。猫屋が
「……なんでそんな事知ってるんだ?」
「昨日の荷造りの時に、バックに詰めているのを見た」
「あぁ、なるほど」
そう言えば、先ほど彼女はバックを持ってテントの外に出ていた。何かを隠し持っている事は明確だ。西代の話の信憑性は高い。
煙草を共有しようと言ったのは、俺と西代だけで良い思いをしようと言うお誘いか。
「ちなみに拒否権はないよ? 断った時点で、君が煙草を持っている事を2人に暴露する」
「お、お前ってやつはマジで……」
そんな事になれば、俺は安瀬と猫屋にボコボコにされる。手口が狡猾だ。手を組まされる事は確定してしまったように思える。
「…………その前に聞かせろ。どうやって猫屋から酒を奪うつもりだ?」
「なぁに簡単さ。僕が注意を引くから、隙をついて君が猫屋を背後から拘束してくれ。その間に僕が猫屋のバックに手を突っ込む。そうして酒瓶を晒して猫屋を糾弾し、仲良く皆でウイスキーを楽しむんだ。もちろん、煙草は僕たちだけがこっそり占有してね」
暴力的かつ、卑怯。中々にクズい作戦だ。
「小柄な僕じゃ、あの猫屋を抑えておくことは不可能だ。そこで頼りになるのが男の共犯者という訳だよ、ワトソン君」
「お前ひでぇヤツだな。俺に
「それは別に気にしないでいいと思うよ? 猫屋は喜びそうだし」
「はぁ? なんで?」
「……ふぅ、やれやれ。相変わらず、こういうのには察しが悪い」
西代は大袈裟に溜息をついて、諦めの感情が含まれたような微笑を浮かべた。
「僕はちゃんと友達想いの良い奴で、陣内君は僕にとって都合が良い男友達って意味さ」
「……?」
彼女の返答はまるで意味不明だった。西代が良いヤツで、俺が……都合が良い?
うろ覚えだが、最近、どこかの誰かに同じことを言われた気がする。
「おい、不穏なこと言うなよ。俺を財布にでもするつもりか? 今月は金、貸せないからな」
再来週には安瀬との約束がある。結構な額を使うつもりなので貸し出す余裕がない。
「いつも僕が金を無心してるみたいな言い方はやめてくれないかな…………どうにも話がズレたね。それで結局、やるの? やらないの?」
「……はぁ」
ため息で不服の意を示す。西代の申し出は断れる物ではないが、先ほど恥をかかされた身からすると少し尺だ。脅されている事も加味すれば腹立たしいまである。
「仕方ねぇな。乗ってやるよ」
「決まりだね。なら早速、同盟の証を頂戴しよう」
西代は得意気に、俺に手を差し出してきた。そこに煙草を置けというのだろう。
「ふふふっ、これで今日もいつもと変わらない楽しい1日になりそうだ」
「はいはい、そうだな。俺達2人だけは休日を満喫しような」
俺は渋々ポケットから煙草を取り出して、半分ほど西代に手渡そうとした。
その瞬間、背後から手が飛び出す。
「とったでござる!!」
「「え?」」
西代と一緒に、急いで背後へと振り向いた。
「かっかっか!! 我の洞察眼を見誤ったな、カス共!!
「「あ、安瀬……!!」」
一瞬にして、安瀬に煙草を奪われた。
2人で一緒に出ようとした俺達を訝しみ、安瀬は俺達を追跡していたのだ。雨音とぬかるんだ地面で足音が掻き消され、彼女の接近に俺達は気が付けなかった。
「そ、それは僕の煙草だぞ!! 返せ!!」
「ちげぇよ!! 元を正せば俺の煙草だ!!」
「はっはっは!! これはもう皆の煙草となったでござるよ!! ……では、さらばじゃ!!」
安瀬は即座に踵を返そうとした。
テントに戻って、直ぐに吸うつもりだ……!!
「待って、安瀬! 僕が悪かった!! せめて共有するのは3人だけにしよう!! 猫屋にくれてやる必要はない!!」
「お前のどこが友達想いなんだ!?」
俺がツッコミを入れると同時に、テントに帰ろうとする安瀬の肩を西代が掴んだ。
その時──。
「ふぁっ!?」
突然後ろに引っ張られた安瀬は泥に足を取られ、西代にもたれ掛かるように倒れ込む。
「うわッ!?」
西代も同じく体制を崩す。そして彼女は隣にある俺の腕に手を伸ばした。
「ちょ!?」
ドミノが連鎖するように俺も巻き込まれた。白い煙草が宙を舞い、俺達は茶色の地面にべちゃ!! と頭から倒れ込む。
「うぎゅっ!?」
「ふぎゅっ!?」
「ぶぶっ!?」
煙草と俺達は、両方とも泥水に沈んだ。
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「……もう遠くまで行ったよねー?」
陣内達が外であれこれしている時分。猫屋しか居ない広いテント。猫屋李花は1人きりの時間を満喫しようとしていた。
「さぁーーて、今の内、今の内ぃーー!!」
猫屋はタンブラーにウイスキーをチョロチョロと流し込む。彼女は1人になったタイミングを見計らって自分だけ飲酒を楽しもうとしているようだ。
「甘いウイスキーにはー、吸いごたえのある風味豊かな煙が欲しーいんだけどーー、まぁ、今日は仕方ないかにゃーー」
猫屋がジャックダニエルを愛飲する理由は煙草との相性が抜群に良いからであった。
「ふっふ、ふ~~ん。今日は、皆が断酒して苦しんでる顔でも見て我慢しよーっと」
上機嫌に鼻歌を歌いながら、猫屋は中々最低な事を口にする。
バサッ────
その天罰が下ったのか、猫屋李花が甘い香りのウイスキーに口をつけた瞬間、ポールテントの天幕が全て吹き飛んだ。
************************************************************
押さえつけていた上部のテントが消えたせいで、カラン! とテントを支えていた支柱が倒れ込んだ。
俺達3人が止め釘を全部引っこ抜いたからだ。
「ぎゃッ!? うわ、雨なんでぇー!?」
遮るものを失ったテント内が激しい雨に襲われる。残ったのは地面に敷かれた六角形のビニールシートだけだ。
「な、なにこれーー!? な、なに!? ど、どういうことーー!?」
シートの上で、猫屋は酷く狼狽していた。いきなり雨風に晒されたので、当然の反応に見える。
「ここに、どろんこ相撲大会の開始を宣言する!!」
雨の中、泥にまみれて仁王立ちする安瀬が高らかに声をあげた。
「え!? えぇ!? な、なーに!? 相撲!? はぁ!?」
次点、西代が口を開く。
「ルールは簡単さ! この六角形のシートから出て、泥に叩き落とされたら負け!!」
「優勝商品はテメェの持ってる
最後に俺が声を張り上げて説明は終わった。
俺達3人は全てを失った。
煙草を奪い合って泥に突っ込んだ俺達は、まずは冷静になって今の現状を鑑みて『なんか、猫屋だけ綺麗なままなのはズルくね?』『それに、猫屋は酒も持っているよ?』『よし、あ奴も汚して、ついでに酒も奪い取るでござる!!』となり、この計画を実行するにまで至ったのだ。
「覚悟するぜよ猫屋!! その綺麗なおべべをぐちゃぐちゃに汚してやる!!」
「元はと言えば、素直に物資を提供しなかった君たちが悪い!!」
「俺の
俺達は今、運命共同体。仲間外れは可哀そう。
猫屋も全身きったねぇドブ色に染めてあげよう!!
「あ、あぁーね。そういう展開かー。……はぁーー、だっるぅ。もう色々と雨でびちょびちょだよー……」
ようやく事態を飲み込めたようで、猫屋は座った状態から立ち上がった。
「よーするにー……皆で寄ってたかって私の大切なお酒様を奪って、なおかつドロに叩き落そうって言うんだね。へぇーー……そう」
幽鬼が聳えるように、猫屋は妙な圧力を纏って臨戦態勢を取る。
「「「…………」」」
俺達は不思議と、開けてはいけない物を開けてしまった錯覚に陥った。
「陣内って、身長170ちょいで、体重は65くらいだったよねー?」
「え? あ、あぁ、そうだけど」
「身長差10センチ、体重差は20キロって感じかーー……」
猫屋は目を細めて、俺を一点に見つめだした。ゾクゾクと俺の背筋に悪寒が走る。
「それなら、3対1でも余裕じゃーん」
俺より小さくて華奢なはずの彼女は、自信満々にそう言い切る。
「ほら、みんなおいでー?」
猫屋が獰猛に笑った。
「やさぁーしく、いい子、いい子、してあげるからねー? 怪我とかしないように、ちゃーんとよしよしって感じで円から出してあげるーー」
「「「……………………っ」」」
暴力的な子ども扱いを受けて、息巻いていたはずの俺達は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
頭から泥を被り、煙草をダメにしてしまったやるせなさでこの作戦を企画したが…………あ、あれ? や、ヤバくね? 猫屋は細身だから、相撲なら勝てると思ってたんだけど……まるで動じてないぞ? むしろ自分の勝利を確信して、イキイキとしてるような……。
「お、恐れるな皆の衆!! あんなのは虚勢じゃ!! いくらあ奴がネコ科最大の猛獣だとしても、3対1なら流石に勝てる!!」
「そ、そうだよ! 数の有利はこっちにある!! 陣内君もいるし、きっとなんとかなるはずだ!!」
「お、おぅ、任せろ! あ、あんな性格も体重も軽そうなヤツ、直ぐに抱えて押し出してやるよ……!!」
「あぁーー、そういうウダウダした
士気を高める俺達を猫屋は冷笑して、気怠るそうに前手を胴前に構える。その立ち姿はうすら寒い物を感じるほど堂に入っていた。
「早く来なよ。ビビってんの?」
短い、侮辱じみた誘い文句が開戦の合図だった。
「「「…………う、うぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」
なりふり構わず俺達は決死の覚悟で吶喊する。3人の心持は、まるで巨大な怪物に挑む勇者パーティー。今日一番の団結を胸に、俺達は勇敢に戦おうとした。
1人だけ無事で、酒も持ってるとか、絶対に許してたまるかぁぁあああああああああああああ!!
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土俵に最後に残ったのは猫屋ただ1人だけでした。
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…………今回の"キャンプ軟禁、泥沼相撲事件"には、残念な事にまだ続きがある。
相撲が終わった後、俺達は再びポールテントを立て直した。雨と風が酷い中で、凍えながら長時間の作業を強いられる事になり、体は当然冷え切った。
その日は結局、ウイスキーを共有しながら全員で丸く固まり、なんとか体温を保ち1昼夜を凌ぐ羽目になった。
「へくしゅッ、へくしゅんッ!!」
その更に翌日、全員がしっかりと風邪をこじらせた。
くしゃみが止まらない。
「うぅぅ、頭が痛いでござるぅ……」
「舌が苦ーい……でもお腹すいたぁー……」
「寒い、寒いよぉ。誰か、湯たんぽ持って来てぇ……」
寝室が死屍累々となる。俺達4人はまた大学を自主休講し、今度は病床に伏したのだ。
「………………」
ベットから起き上がり、布団が縦に並ぶ彼女たちの就寝場所に目をやる。風邪で弱っているのか、酒飲みモンスターズはポロポロと涙を流していた。
「……少し待ってろ。薬とお粥、あと湯たんぽもちゃんと用意するから」
俺は熱がある中、酒飲みモンスターズの介抱をした。
こういうのは体力のある男の仕事だ。男として生まれた者の当然の責務。それに風邪を引いた原因は悪ふざけした俺にもあるので、率先してちゃんと看病しよう。
……だけど結局、疲れを取るために行ったキャンプのせいで余計に疲れが溜まった気がする。
『暫く、こいつ等とキャンプはしなくていいや』と俺は心の底から思った。
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