第56話 クズ可愛い?


「はぁ、入院中にもっと陣内にアプローチしておけばよかったー……4人でいると、楽しすぎてずっとふざけちゃーう……」


 飲食店内のテーブル席で猫屋が憂鬱そうに煙を吐いた。プカプカと浮かぶ紫煙は、彼女の頭上にある換気扇に吸い込まれていく。


「……あのさー、。3つも下の妹に恋愛相談って頭大丈夫?」

「う、うっさいなー。アンタの大学入学祝いも兼ねてるんだからねー? ありがたく相談相手になりなさいよー」

「ならせめて禁煙席にしてよー」


 場所は焼肉屋の喫煙席。猫屋姉妹は仲良く肉を焼いて食べていた。


「煙草の煙も、肉焼く煙も同じでしょー?」


 そう言って、猫屋は再び水パイプを咥えてブクブクと音を鳴らす。煙で水を泡立たせる過程が実に楽しそうだ。その後に来るマイルドで温度の低い薫香も堪らないのだろう。彼女はニコニコと満面の笑みを浮かべている。


 猫屋は親友西代が贈ってくれたボングをとても気にっていた。


「……タバコくさーい」


 猫屋花梨かりんは微妙な顔をして姉を見つめている。姉と違い、彼女は煙草の匂いが苦手そうだった。


「というかー、私じゃなくて普通に高校の女友達に相談すればいいんじゃないの? 姉ちゃん、友達多い方だったよねー?」

「花梨、女子校で育った人間の恋愛観、舐めてるでしょー」


 猫屋は女子校に通っていたが、花梨は共学に通っていた。


「え? どーいうこと?」

「私の友達、1人は卒業してすぐに20歳年上の教師と結婚して、もう一人はマッチングアプリで知り合った30歳の年上男性と付き合いだしたからね」


 猫屋は淡々と恐ろしい現実を口にする。


「ね、姉ちゃん……! それ、何で止めてあげなかったのー!?」

「し、仕方ないじゃーん。本人が幸せそうなんだからー。……恋愛ってのは個人の自由でしょー?」

「そりゃあ自由だけどさー……え、て、てかさー。あ、あの、姉ちゃん?」


 普通とはかけ離れた恋愛事情を聴いて、花梨は女子校あるあるの一つを思い出した。


「女子校って同性に告白しちゃう女の子がいるって聞くけどー……」

「……まぁ、そっちに目覚める子もいたよー? 思春期のガキ詰め込んでんだから当たり前じゃーん」

「ほ、ほえー……姉ちゃんはどうなの? 私、姉ちゃんの高校時代の話って部活動のことしか知らないしちょっと気になるー。……やっぱり告白とかされてた?」

「まぁ、年に12回くらいはされてたけどー」

「月に1回ペース!?」


 花梨は姉のモテモテ具合に驚愕する。


「自分で言うのもなんだけど、私、高校生の頃は王子様的なポジションだったからー……。あーそれと、相手の子を馬鹿にしたら許さないからねー。向こうは……その、マジだったわけだしさー」

「馬鹿になんてしないし、むしろ少しだけ納得ー…………強かったもんね、姉ちゃん」


 花梨が姉と同じ高校に通わなかった理由がそれだった。猫屋が10年に一人の天才だとしたら、花梨は優秀ではあるが凡庸。姉と比較される事を妹は嫌がったのだ。


「……今でも私より喧嘩つよそー」

「アンタは健康体なのに腑抜けすぎ。……彼氏君と同じ大学で同棲始めたんだってー? はぁー、私に勝てなくて泣いてた、あのガキンチョがねー? 人の変化ってーマジで速ーい」

「いや、姉ちゃんに言われたくないんだけどー」


 花梨の視線が猫屋の右肘に向けられる。花梨の声質が少しだけこわばった。


「それ、どうしたの? あんなに扱いには気を付けてたのに……」

「あー、これ?」


 猫屋は肩だけを持ち上げるようにして、まだギブスで固定されている右腕を動かした。


「どーでもよくなってね、こんなの」


 猫屋の視線は発言の通り冷めきっていた。


「先生が言うには1年くらいリハビリしたら曲げ伸ばしくらいはできるようになるらしいーし、大学卒業までに動かせればそれでいいやー」

「い、いいやーって……」


 花梨は言葉を選ぶために、少しの間、思考を回す。


「……曲げ伸ばしできるくらいに治ったらさ、どこまでやっていいの? 突きとか出せそう?」

「いーや。拳を振りぬいた慣性にすら耐え切れずにー、肘が脱臼するらしー。神経の圧迫も前よりひどくなってるのは確実なんだってさー」


 猫屋はあっけらかんとした口調で自分の右腕の説明をする。

 彼女は妹との会話を特に気にする事なく、左手で箸を使い焼き肉を器用に掴む。そのまま十分に加熱された牛タンを口へと運んだ。


「うーーん!! 美味しーーい……!! あ゛ー、ビール飲みたーい……だ、誰も見てないだろーし、こっそり飲んじゃおーかな……」

「姉ちゃん、こっちは結構真面目に話してんだけどー……」


 花梨は呆れと悲しみが混在した表情を一瞬だけ見せた。


「……もう復帰は絶対に無理なの?」


 花梨は姉の天下無双の姿をまじかで見て育った人間だった。猫屋の才能がどれほど希少で優れたものだったかをこの世で一番理解していた。その為、口にしたことは無いが本人以上に姉の引退に未練を感じていたのだ。


「ん? ……まぁ、無理だねー。というか、煙草吸いまくってるからー、もとより不可能だったんだけどー」

「……じゃあー、次の質問。ケガは痛くないの?」

「雨の日とかは痛むけどそれは昔からだしねー。痛み止めの代わりに煙草吸ってたら気になんないしー」

「……ねぇー、何があったのか知らないけどさー。もっと自分を大切にしなよ」

「うるさいなー……それに、別にコレ、悪いことばっかりじゃないよ?」


 猫屋は耳につけているピアスをチャリチャリと弄る。先ほどとは違い、彼女は熱っぽい視線で今の生活に思いを馳せた。


「これのおかげでー、あははっ。陣内、すごく優しくしてくれるし……」


 少し歪んだ思い出し笑いを浮かべ、猫屋は想い人について饒舌に語り始める。


「料理の時とか、何も言わずに右側に立っててー、当たり前みたいな顔して手伝ってくれてー……階段上る時とかも右側で、買い出しの帰り道でも右側。荷物ももちろん持ってくれてー、授業中も私がちゃんとノート取れてるか確認してくれてー…………くひゅ、くひゅひゅ……4人でいる時はずっと楽しくて、2人きりの時はただ居てくれるだけで、ちょっとヤバいくらい幸せー……ふひひっ。わたしー……今、人生の絶頂期かもー……本当に腕ぶっ壊して正解だったー……」


 常に明るい彼女にしては珍しく、ブツブツとうわ言のようにしておっもい言葉を紡ぐ。


 そんな彼女の様子を見て、姉を心配していたはずの花梨の全身が一気にあわ立った。


「……おっえーー!! 恋愛ポンコツな姉のせいで鳥肌が立ったッ!! 私の心配返して欲しいんですけどー……!! 姉ちゃん、メンタルヘラってるよ、それ!!」 

「だ、誰が恋愛ポンコツだってーー!?」

「ポンコツじゃん!! だってマジでやばいよ、今の!! 普通にダメ!! そんな重そうな感じ出してたら、梅治さんにめんどくさい女って思われるからねー……!!」

「そ、そんなに言わなくてもいいじゃーん」


 妹の容赦のなさすぎる酷評に、猫屋は軽く落ち込んでしまう。


「ふ、ふん……い、言われなくてもわかってるしー。こういう、陣内の善意につけこむようなのが良くないって事くらいはさー」


 三度みたびドン引きする妹を見て、さすがに猫屋も先ほどの発言の重さを自覚したようだ。


「で、でもー、なんか、もうちょっとこのままでもいいかなーって。え、えへへー……!」


 しかし、陣内が2人きりになった時にだけ自分に向ける優しい視線を思い出して、猫屋は堪え切れず、またニヤニヤとした笑みを浮かべるのだった。


 そのどこまでも幸せそうな表情は恋する乙女の物だった。


「………………はぁー」


 花梨はそれを見て、気が抜けてしまう。


「本当に変わったね、姉ちゃん」

「ん? えー、そーお?」


 変わった、と言われて猫屋は意外そうな顔を作る。


「どのあたりがー?」

「どのって……高校卒業したくらいの姉ちゃんはさー、毎日、吐きそうなほど走ってて、顔が土気色になるまで練習して、食べる物は蒸した鶏むね肉と野菜、それとプロテインばっかり。あとは体重を増やすために不味いオートミールを大量に体に詰め込んで、良質な栄養素を確保するために変な油とかサプリメントばっかり飲んでて……」

「あ、あー……私、そんなにヤバかったー?」

「うん。目が逝ってたし、あの頃は見てて怖かったー」

「…………はぁー」


 文字通り地獄のような練習の日々。猫屋にとってかなり辛い過去だったはずだが、既に彼女は気にも留めていない。それよりも恋する乙女には重要なことがあった。


「本当に女らしくないよねー、私」


 猫屋はソファーに深く体を預け、緩くパーマのかかった金髪をクルクルとねじる。発言とは真逆で、そのアンニュイな姿は女らしさそのものだった。


「え、そーう? 今は筋肉もかなり落ちて脂肪もついてるし、前より全然色っぽいよ、ねーちゃん。体重も身長に比べてすごく軽そうだしー、腰とか脚のライン、ヤバヤバだよ?」

「…………」


 妹の正当な評価を受けてなお、猫屋の表情は暗い。


「これ見なさい、花梨」

「え、なーに?」


 猫屋はスマホを操作して一枚の写真を妹に見せる。そこに映し出されていたのは草津温泉に行った際に撮影した記念写真だった。


「この2人に告白しない男がさー、私に振り向いてくれると思うー?」


 浴衣姿の安瀬と西代。猫屋は2人を指差した。


「あー、前に遊園地で会った奴等かー……乳デカい方は私の彼氏に色目を使ってたから特によく覚えてる……」

「アハハ…! あったねー、そんなの!!」


 以前、遊園地で遊んだ際に、安瀬は猫屋の命令で渋々と逆ナンをさせられていた。


「……次会ったらぶっ飛ばしていーい?」

「か、花梨!!」


 猫屋は妹の無謀な発言を聞いて震えあがる。


「し、死にたくないならこの2人だけは敵に回さないよーにしなさい!! わ、私なんかより1000倍恐ろしいからね!! この人たち!!」

「え、えー……」


 自分を片手の状態で制するほど強い姉の忠告を受けて、今度は姉の友人関係に花梨はドン引きするのだった。


「……と、とりあえず話を戻そっかー」

「う、うん……け、けどさー、確かにこの2人は馬鹿みたいに美人だけど、姉ちゃんも負けてないと思うよー?」

「……でも男ってさー、胸が大きい子とか、背が小さい子の方が好きでしょ?」


 猫屋の身長は162センチ。女性の平均身長は157センチ程度なので背の高い部類には入る。


「胸はともかく、背は梅治さんより低いんだからそこまで気にしなくていいんじゃない? てかー、男って自分よりか弱い子が好きなだけっぽくなーい?」


 花梨の指摘は概ね正しい。男性が異性に魅力を感じる要素の一つに、庇護欲は確実に存在している。


「そ、そんなこと言われたら、私、今でも素人なら4秒くらいでぶっ飛ばせる自信があるんだけどー」

「や、やばすぎでしょ……」


 もう引く要素しかない姉であった。


「……いいよねー。か弱い女子はさー……西代ちゃんとか本当に小さくて可愛いしー。安瀬ちゃんは言うまでもなく巨乳で美人だしー」


 猫屋は女として完成された美貌を持つ友人たちに羨望の感情を抱く。


(ん? あれ? か弱い……かにゃ? 性格的に、なんか、私より強い暴力性を抱えたモンスターな気がー……)

「姉ちゃん、考えすぎじゃなーい?」


 猫屋の失礼な思考は花梨の言葉で打ち切られた。


「男なんて適当に押せば落ちるでしょ? 梅治さんも年頃の男なんだしー、姉ちゃんクラスが本気出せば楽勝だってー」

「……」


 妹の楽観的な態度を見て、姉は目を細める。


「……参考までに聞くけどさー、アンタはどうやって彼氏君と付き合えたの?」

「向こうが告白してきたー」

「全然参考になんなーい……!!」


 陣内は他の男と違ってめんどくさい感じなのに!! と猫屋は内心でさらに文句をつける。


「というか、そんなにか弱く見られたいのなら2人きりになってー?」

「……弱みって、例えば?」

「それこそ、右腕が痛いふりしてマッサージしてもらったりしてさー。そのまま色んな所を触らせまくって、エッチな雰囲気に持ち込んで…………ん?」


 カリンは自分の発言に対して疑問を覚え、首をかしげる。


(自分で言っておいてなんだけど、それって結構ゲスい感じするー……)


 相手の善意を利用した色仕掛け。道徳的に正しくないのは確かだ。"恋と戦争においてはあらゆる戦術が許される"とは言うが、実際に手段を択ばない人間は稀である。


「それ超いいじゃーーん!!」


 だが、1ミリも悩まずに猫屋はその作戦を採用する。彼女はキラキラと目を輝かせて妹の発言に"うんうん"と首を振っていた。


 陣内と猫屋は、安瀬や西代と比べて良識がある方ではあるが、それでも十分にクズの部類。倫理観は4人ともちゃんと終わっていた。


!! その時に何とか2人きりになって、色々と仕掛けてみよーーっと!!」

「……うん、姉ちゃんが良いなら、それで私もいいんだけどねー……」


 クズは恋愛の仕方までクズなのか……。そんなことを思って、花梨は姉が奢ってくれる焼肉を黙々と食べた。

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