第55話 ワスレナグサ


 ワイワイとした話し声がどこからでも聞こえてくる大学講義室。何時であろうと休憩時間中の教室内は騒がしいものだ。俺達もその例外ではない。


「ふっふふ」

「に、西代。お前、まさか……」

「あぁ、君の想像通りだ」

「ま、マジで羨ましいぞ、おい!!」

「はははっ!! そうだろう、そうだろうとも!!」


 普段はクールぶっている西代が大声を上げる。今日はそれだけ喜ばしい出来事があったのだ。


「何をやっておるんじゃお主ら」

「ちょ、ちょっと顔近くなーい?」


 俺たちの密談に安瀬と猫屋が割り込んでくる。


「……猫屋、安瀬。君たちの身長は何センチだった?」


 新学期のはじめの登校2日目。大学生とはいえ、恒例行事は必ず存在する。俺たちは大学で身体測定を受けた後だった。


「私は162センチだったよー」

「拙者は157である。まぁ、女子の平均でござるな」


 2人は特に淀むことなく、自身の身長を言ってのけた。


 くっ、こういう時、女は本当に羨ましい。まぁ俺もそこまで低い訳ではないのだけど……。


「っふ、僕は伸びていたよ」

「お、おぉ!!」

「へぇー、良かったねー」

「ふむ、何センチでござるか?」

「149.01さ!! ふふふ……! これで僕も1つ上のランクにステージを進めたわけだ……!!」

「おめでとう、西代……!! この年で少しでも背が伸びるなんてな……!!」


 西代は自分の低身長をそこそこ気にしている。俺は男なのでその気持ちはよく分かった。


「それで陣内君、君はどうだった?」


 そんな小さな彼女は控えめに今回の測定結果を俺に問うた。


「……171.4だ。何故か去年よりも0.5センチも縮んでた」


 西代が俺の肩に手をポンっと置いてくれる。


「辛い……本当に辛い時間だったね」

「うぅっ」


 21歳男性の平均身長は171.4センチだ。……本当に平均ギリギリ。もちろん、傲慢な発言だとは理解してる。平均という事は半分は俺より背が小さい人がいるはずだ。……だが、男というものは、ち〇この長さを求めるように、身長だって無限に欲する生物。高望みするのは仕方がない事だ。


「どうでもいいでござるな」

「そーだねー」

「…………」


 神は二物を与えず。それは嘘だと思う。容姿端麗、運動センス抜群、多芸多才、巨乳、細身、そしてアルコール耐性。


 俺は才能に溢れたウーマンズを何とも言えない顔で眺めた。


************************************************************


 時間は少し経ち、場所は大勢の生徒でごった返す大学本館前。その大通りでは木の長机が乱立しており、簡易的な受付場を無数に作っていた。


 春の新入生勧誘だ。部活動とサークルが一堂に集まって新戦力を補充する行事。参加は強制であり、俺達も他の団体と同じように勧誘を行っている。


『二十歳未満お断り。入部条件、机上の焼酎を全て一気飲み』


 揮毫きごう、つまり毛筆で書かれたその内容を新入生に晒してだ。書道半紙の上に文鎮ぶんちん代わりのボトルを置いている。


 入部条件から分かるとおり、新しい部員を入れる気は無い。

 俺は新しく後輩を入れて騒ぐのも楽しそうだと思っていたが、彼女達3人は首を横に振った。


 曰く、『酒と煙草、賭博ができない奴を入れても面白くないし、逆に2浪して入ってくる新入生にまともな奴はいない』だそうだ。後半は自己紹介だろうか?


 ぴゅーーぴゅーー。


 突如、春の爽やかな風が吹いて桜が舞い散る。


 トランプカードを配りながら、俺は頭上の木を見上げた。俺達が陣取った場所は人の目に付きにくい隅っこ。なおつ、そこは細い桜の木が植えてある花見スポットだった。


「桜が綺麗だ」

「じ、陣内!! びっくりするから止めて欲しいでござる……!!」

「あ、そっか。悪い」


 安瀬あぜさくら。確かに、彼女からすれば急に褒められたと思ってしまうだろう。


「うんうん。桜が綺麗だねー」

「ふふっ、そうだね。桜が綺麗だ」

「……むぅ、貴様きさんらは意地悪でありんす」


 居心地が悪いのか照れているのか分からないが、安瀬の不貞腐れた様子は少し面白い。


 彼女はそっぽを向いて、ぐい吞みを煽る。


「んっ……ふぅ。陣内、ベット」

「了解」


 安瀬は10と彫られたポーカーチップを5枚テーブルに投げた。


 俺達は、酒を飲み、煙草を吸って、賭け事に興じて暇な時間を潰している。今ゲームでは俺はディーラーの役だ。


「安瀬、僕は知っているよ。君がそう言った風に掛け金を釣り上げる時はブタが多いんだ」

「はっ、つまらない戯言を吐くでないわ。そう思うのなら、降りずに勝負すればよかろう」

「あぁ、そうだね。ふふふ、ブラフにもなっていないその強気が呆気なく崩壊するさまを楽しませてもらおうか。……コールだ」


 西代も5枚のコインを机にぶちまけた。……10と彫られたコインにはそれ以上の意味はない。10は10だ。俺たちは仲間内で超健全にポーカーを楽しんでいる。


「猫屋はどうするんだ?」

「んー、悔しいけどおりる。結局最後に勝つのは冷静なタイプな訳だしー」


 猫屋は手札を捨て、水パイプを咥えた。


 彼女が下りたので場は進む。俺は5枚目のコミュニティカードをめくった。


「ベット」


 安瀬が冷ややかな声で掛け金を釣り上げた。コインが10枚ばら撒かれる。


「レイズ」


 西代も間髪入れずに掛け金を釣り上げる。コインが20枚ばら撒かれた。


 安瀬が一瞬止まる。彼女は西代の濁った眼を射抜くように見つめていた。


「おや? 手札に自信があるのならここはすぐにコールすべきだろう? もしかして、本当にブタなのかい?」

「西代ちゃんノリノリだねー」

「それな」


 安瀬を見下すように挑発する西代は凄く楽しそうだ。イキイキしていると言ってもいい。煽っているのか、逆にそう思わせて下ろそうとしているのかは分からないが、とにかく邪悪だ。


「…………コールじゃ」

「ふふ、本当に賭け事は面白いね」


 冷笑する西代。対する安瀬は下唇を噛んで自分の選択を信じようとしていた。


「わー、強心臓だね二人とも。もうちょっと手札が良かったら私も参加したんだけどなー……」

「よし、じゃあ二人とも手札をめくれ」

「「…………」」


 2人は手に汗を握って見つめ合う。緊張の一瞬……のはずだった。


 その時、長机に置かれていた芋焼酎が誰かの手に取られた。


 ──ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ。


 液体が喉を通る快音が俺達4人の耳に入り込む。恐るべき飲酒スピード。度数25パーセントが水と同じ間隔で消費されている。その事実に驚愕して、意識が参入者へと集中する。


 もはやポーカーの勝敗などに興味はなく、俺たちは瓶をラッパ飲みするを一心に見つめていた。


「ふぅ、美味しかった……ひっく。……これで私は入部条件を満たしたのかしら?」

「…………………………い、いや、それは、えっと」


 急な先生の登場に後ずさる。どうせこんな学生行事、先生方は監視していないだろうと思って好き勝手やっていたが想定が甘かった。


「さて、大学内で白昼堂々と飲酒、喫煙、賭博行為。その三大禁忌タブーを冒した事に対して何か申し開きはあるのかしら?」

「いや、酒は先生も今飲んで──」

「これは初めから空瓶でした」

「え、いや」

「空でした」

「あ、はい」


 先生が言うのなら白だろうが黒になる。……今の俺達に抗議する権利は無い。

 

「あのねぇ、貴方たち……新入生から『この大学はどこでも煙草を吸っていいんですね』って聞かれた私の気持ちが分かりますか? 少しは慎みを持ちなさい」

「す、すいません。ほ、ほらお前たちも謝れ──」


 背後に視界を向ける。そこに、酒飲みモンスターズの姿は無かった。


「ま、マジかあいつ等」

「凄まじい逃げ足の速さね」


 俺が先生と話している一瞬の隙をついて逃げやがった。く、クズどもめ……。


「まったく……あら? 陣内さん、もしかして春休みに事故にでも遭ったのかしら?」


 先生は探るような表情で俺の顔を見つめてくる。視線の先は眉上の縫い傷だ。恐れ多い事に先生はこんな俺を心配してくれているようだ。


「あ、えっと、はい、その通りです。まぁ、もう退院したので学業に支障はありません」

「なるほど。それなら今、お酒は飲んでないのかしら。貴方、怪我人でしょう?」

「あぁー、そうですね」

「そう。なら丁度良かったわ。ここでの不祥事を見逃してあげるから、少しに付き合って欲しいのだけど」

「実験、ですか?」

「えぇ。今日届いたばかりの測定器の被験者になって欲しいのよ」


 ひ、被験者と言われると少し怖いな。

 

「先生の頼みなら断りはしませんけど……何をするんですか?」

「脳波を取らせてもらいます」

「の、脳波? それって情報の分野というより、医療科学の方では?」

「データを取って分析する事は技術者の仕事範囲です。それに本格的な物ではないわ。生徒の卒業研究用の題材に購入したのだけど、その試験的な導入ね」


 なるほど。専攻分野でなくとも、取ったものが電子的なデータなら活用する。それが情報家か。


「でも困ったわね。暇そうな貴方たち4人で実験しようと思っていたのだけど……。陣内さん、他の被験者に心当たりはないかしら? できれば酔っていない健康な人があと3人くらい欲しいのだけど」

「他の被験者ですか……」


 ぱっと思いついた知り合いはむっことバイト仲間の大場。その2人だけ。数が足りない。それにむっこはともかく、部活に所属していない大場は所在地不明だ。


「すいません。俺あんまり大学に友達いなくて──」


 ………………いや、いる。


 俺は少し考えて、ある人物たちの存在を思い出した。


「……ちょっと知り合いを探してきます。ここで待っていてください」


 に、あいつ等は絶対にこの場にいるはずだ。


************************************************************


「くぅ……!! 今年も穢れを知らない18歳達が実に美味しそうだぜ!!」

「例年通り野郎がほとんどだが、その中で光るダイヤの原石を見つけるこの瞬間がたまらないよな!!」

「待ってろよヴァージン共!! 必ずその膜をぶち抜いてやるからな!!」


「…………」


 いた。

 赤、緑、黄の三色頭がトレードマークの3人組だ。彼らは双眼鏡を片手に新入生女子を観察している。その姿はちゃんとした不審者だ。


 俺は声音を限りなく低くして背後から彼らに話しかけた。


「オホン、えぇーこちらに不審な人物がいると通報を受けてやって来たのですが」


 バタバタバタ!! と彼らは慌てふためきこちらに振り向いた。


「「「ち、違う!! 俺らは別にやましい事なんて──」」」

「いや十分やましい行為だろ、それは」

「……なんだ、陣内か」

「たく、脅かすなよな」

「マジで通報されたかと思ったじゃねぇか」


 良かった。信号機トリヲはちゃんと際どい事をしている自覚があったようだ。


「悪い悪い……あのさ、唐突なんだけどちょっと実験に付き合ってくれないか?」

「「「……は?」」」


************************************************************


「脳波の計測ですか……」


 俺は佐藤先生と赤崎たちを引き合わせた。彼らは実験と聞くと、意外にもあっさりとついて来てくれたのだ。


「確かにある事象に対しての脳波測定パターンを評価項目ごとに分けてデータ化し、コレスポンデンス分析やクラスター分析に掛けて考察すればそれだけで卒業論文が1本出来上がりそうですね」

「……え?」


 赤崎の口から、何かよく分からない単語が飛び出しまくった。


「でもその場合だとサンプルサイズがかなり必要だな」

「なぁに、それさえ取ってしまえば後はマクロにぶち込んで終わりだろ。楽な割に結構面白い研究になると思うぜ、俺は」


 緑川と黄山もその話に乗る。


「…………」


 だ、誰だこいつ等。先ほど新入生女子をしゃぶるように観察していた性欲猿はどこに消えた??


「研究事象を変えれば何度も使えそうですし……佐藤先生、面白い事を考えますね」

「そうでしょう? 卒業研究のテーマは学生が主導で考えるものですけど、ある程度の手助けは必要ですから。どうしてもテーマが思い浮かばない子の為に、救済処置的な物を用意してあげたかったのよ」

「お優しいのですね。陣内達が羨ましいですよ」


 ……大人の会話だった。どうしよう、彼らとは同い年のはずなのに会話についていけない。無駄にした2年の歳月を突きつけられているようで非常に心苦しい……。


「と、というかお前ら、佐藤先生と知り合いだったのか?」

「え? いや、そもそも俺たちはお前と同じ情報工学科だぞ」

「ま、まじで!?」


 情報分野の先輩だったのか。どうりで先生と会話が成り立つはずだ。


「何だ、気が付いてなかったのか」

「俺たちの担当教授は阿部先生だぜ。お前も知ってるだろう?」

「阿部先生ってあの……」


 朧げな記憶を呼び出す。確か以前、安瀬が女子高生のコスプレで講義を受けた時にセクハラ発言をした人だったはず。


「阿部先生はガチでいい人だぜ!!」

「俺達、入学してすぐの歓迎会でキャバクラに連れて行って貰ってな!!」

「気分良く女と遊んだ後は、先生の奢りで風俗を梯子させてくれたんだ!! 阿部研はマジで最高の研究室だ……!! 俺は一生ついていくよ……!!」


 類は友を呼ぶ。そんな言葉が俺の頭に思い浮かんだ。でも、やっぱり彼らの性に大らかな姿は楽しそうで少し羨ましい。


「随分とお盛んなのね」


 佐藤先生は彼らの乱れた性事情を余裕の態度で聴き流す。


「まぁそれはそれとして、阿部先生には私からきちんとお礼を言っておきます。それと、貴方たち確か大学院への進学を希望してたわよね? 面接の時は、多少甘めに見てあげるわ」

「「「ま、まじっすか!? ありがとうございます!!」」」


 信号機トリヲが仲良く頭を下げる。彼らは頭が良いようだけど、それでも大学院に行くというのは難しいのだろう。


 黄山がツンツンと肘で俺を突いてくる。


「ぐへへ、ありがとな陣内。こんなうまい話を持ってきてくれて助かるぜ。女漁りも大切だけど、大学生活も真面目にしないといけないからな」


 ……何というか、彼らは俺なんかより遥かにしっかりとしていた。


「いや、礼なんていい。この間、お前には迷惑を掛けたし」

「そ、それは気にしないでくれ……俺も結構ヤバい事やったしな」

「?」


 よく分からないが、感謝してくれるのならこちらも嬉しい。それに卒業研究は俺も2年後に行わなければいけない。今のうちにどんな物か知っておくことは大切だろう。


 俺も2回生になったことだし、今日は真面目に学業に取り組もう。


************************************************************


「「「「痛たたたたたたッ!?」」」」 


 西遊記、孫悟空の緊箍児きんこじのような万力で俺達の頭を締め付けてくる脳波測定器。無数の突起が頭をグイグイと縮小させる。


「はい、ちょっと頭に水を垂らすわよ」

「「「「つ、冷たッ!?」」」」


 頭から水を少量かけられた。な、何だこの拷問のような扱いは!?


「中古で買った旧式の物ですから。こうしないと碌に脳波を読み取れないらしいのよ」

「そんなんで卒論作って大丈夫なんですか!?」

「大丈夫よ。所詮、ここは工学系の大学。データの活用法さえ学ぶことができれば元となった物の信憑性なんて二の次です」


 な、なんか准教授の口から聞くとやけに生々しいな……。


「では、貴方たちの頭が割れる前にパパっと済ませましょう」


 そう言って、先生は研究室にある備え付けのプロジェクタースクリーンを下した。


「貴方たちは今から流れる映像を見ているだけでいいわ。脳波はこっちで読み取らせてもらうから」

「な、なるべく手短にお願いします」


 俺は持参したノンアルビールを開封して飲んだ。痛いので気を紛らわせる何かが欲しかった。


「では……」


 Oh,Yesあぁ……いいわ!! Come onもっと来て Come onもっと来て!! Please fuck meお願い、私を犯して!!


 上映されたのは全裸で交わる男女の姿だった。


「…………」


 なんだコレ。


「ほぅ、洋物ですか」

「中々そそられる」

「そうか? 俺はやっぱり日本人が一番興奮するな」


 流される洋物AVに対して、信号機達は恐るべき適応能力を見せた。何だその順応性の高さは。


 ぴぴぴぴぴぴぴーー!!


 俺達が画面を眺めて10秒ほど経った時、測定機に繋がれたPCから甲高い音が響いた。


「良かった。正常に作動したみたいね」

「先生、それって……」

「えぇ、そうよ。強い感情を察知して音がなるようにしてあるの。今回反応したのは赤崎さんと緑川さんね」


 確かに、この洋物AVに関心を持ったのは赤崎と緑川だけだ。中古と言っていたけど測定器は正確に機能しているようだ。

 

「脳波を見てみると、黄山さんも少しは揺れ動いているわね。……陣内さんは全く動いてないですけど」


 それを聞いて、信号機達が俺を哀れな目で見つめてくる。


「な、何だよ……」

「陣内、お前大丈夫か?」

「ちゃんと亜鉛とか取ってる?」

「酒ばっか飲んでないで息子のメンテナンスもしてやれよ」

「う、うるせぇな!! ほっとけ!!」


 ぐぬぬ、屈辱的だ。この状態でなければ、俺の御柱はきちんと機能するのに……。決して不能なんかではない。そうだろう、相棒?


「というか先生、いきなりなんて物を見せてくるんですか。普通に逆セクハラですよ、これ」

「ふふ、ごめんなさい。でも、男女に関わらず反応を引き出すにはこれくらいインパクトが必要ですから」


 先生は初めは俺と酒飲みモンスターズで実験しようと思っていたはず。あいつ等にAVを見せるつもりだったのか……。


「じゃあ次ね」


 そう言って、先生はPCを操作して流れている映像を切り替えた。今度はエロアニメだ。


「あれだな、ヌルヌル動くな」

「なぁーに見せられてるんだ俺たちは」

「頭が痛い」

「お前ら反応悪いな。俺は結構いけるぞ?」


 再びPCから音が鳴り響く。どうやら先ほど反応を見せなかった黄山の脳波が大きく揺らいだようだ。


「佐藤先生、是非今夜のオカズにしたいので作品名を教えてください」

「お、お前な……」


 明け透けないヤツというか、恥を知らないヤツというか……。


「えぇと、"信じて送り出した幼馴染が、まさか寝取られて外国に出稼ぎに行くなんて。外国から送られてくるNTRビデオレター、100通"。……凄いタイトルね」


 ビビビビビビッビビビビビッビビビビビッ!!!!


 突如、けたたましいサイレンが室内に鳴り響いた。


「おいおい、寝取られ物に過剰反応している変態がいるぞ」

「まぁ最近の流行りだしな」

「はははっ、でもこの反応はヤベーだろ。どんだけ興奮して──」

「オレだ」


 持っていたアルミ缶を握りつぶす。


「「「え?」」」

「…………」

 

 俺にはこの世で許せないものが二つだけある。それは、居酒屋で出てくる不味いお通しとNTRとかいう糞ジャンルだ。


 ……なんでフィクションで胸糞悪い浮気〇ックスを見なきゃ行けないんだよ。○○〇に○○〇ぶち込んだらすぐにア〇顔晒しやがって。チ〇ポか? 〇ン〇がデカけりゃ現実でもああなるって言いたいのか? 男の価値は全部チンポで決まるんですか?? 


「じ、陣内。お前があの美人たちに手を出していないのはもしかして……」


 映像を睨む俺を、赤崎が真剣な目で見つめてくる。もしかして俺の過去を察してくれているのだろうか? ……気遣いは嬉しいけど俺は別にEDという訳ではない。そこは訂正しておかないとな。


 俺は弁明のために口を開こうとした。だがその前に、赤崎が言葉を続ける。


「自分の性癖を満たすためにのはちょっとやりすぎじゃね?」

「そうだな。でも、寝取られ性癖のやつって現実にいたんだな」

「なぁ、これは真剣な相談なんだが俺達もお前の趣味に協力させてもらう事は──」

「逆だ糞ども!! あと本当に見境ねぇなお前ら!!」


 酷すぎる勘違いに俺はひたすら怒るしかなかった。


************************************************************


 十分に測定器が動くことが確認できたので実験は早々に終了した。

 今は器具の片づけを手伝っている所。付き合ってくれた赤崎たちは先に帰したため、研究室には俺と佐藤先生の2人だけ。


「……ふぅ、これで終わりですか?」

「えぇ、ありがとう陣内さん。とても有意義な時間だったわ」

「いえ、そんな……色々と不祥事を握り潰してもらってますし、この程度のお手伝いならいつでも頼んでください」

「ふふふっ、そうね。まったく、貴方たちには手を焼かされてばかりだわ」


 先生は困ったように笑う。今日も本当にすいませんでした。


「あ、あはは、御迷惑おかけしました。……じゃ、じゃあ俺はこれで失礼します」

「陣内さん」


 退室しようとする俺を先生は呼び止めた。


「はい? なんですか?」

「貴方のその体質、ノンアルコールでも発現するのね?」

「…………」


 俺は静かに驚いた。先生の発した言葉が、あまりにも慮外のものだったせいだ。


「特異な症状よね。きっと、貴方の情の深さが引き起こしてしまった物なのでしょうけど」

「え、あ、ど、どうも」


 反応に困り、適当に返事をしてしまう。


「……あれ? 俺、先生にこの体質の事を話ましたっけ??」

「冬休みの飲み会で言っていましたよ。自分はそういう体質だって」

「そうっすか」


 あまり覚えていない。別にバレて困る話ではないけど、自分が変な体質のビックリ人間であると知られているのはちょっと恥ずかしい。


「自分の事ながら変な体質ですよね。まぁ、便利だとは思うんですけど」

「恋心と性欲の違いをご存じかしら?」

「……え?」


 先生と俺の会話が急にズレる。前にもこのような事があった気がする。


「恋心と性欲。それらは愛という大きな感情を構成する要素であり、2つは混合され結びついている物である。その為、2つに決定的と言えるほどの違いは存在しない。……私が目を通した心理学的恋愛論文にはそう書かれていたわ」

「は、はぁ」


 とりあえず、相槌を打った。何の話かよく分からない。


「貴方、お酒を飲んだ時に性欲以外の感情も抑制されたことはない?」

「…………」


 そう言われれば、そんな気もするような……?


「そもそもの話、性欲だけがピンポイントで抑制されるというのもおかしな話です。人の感情は複雑に絡み合う坩堝。他の感情も巻き込んで抑制されていると考えるのが自然……そうでしょう?」

「な、なるほど」

「性欲だけが抜け落ちるのではなく、お酒を摂取する事によって、。……それが私の立てた推論なんですが、どうでしょうか?」

「お、おぉー」


 ──パチパチパチ。


 俺は先生の理路整然とした語り口に感動して、思わず拍手を返した。


「……随分と他人事なのね?」

「あ、いや、別に興味がないわけではないですし、先生の考察が俺も嬉しいです」


 素直に思ったことを口にする。


「それで俺が困ることは何一つないんで」


 むしろ、先生から太鼓判を頂けたようで安心する。恋愛感情も搔き消している、か……それが本当なら何とも便利な話だ。あの3人と生活する上でとても頼もしい。恋心なんて持つ気は全くないが、恋は急に落ちる物というしな。


「忠告します」


 俺の無頓着な態度を受けて、何故か先生が表所を険しいものに変化させた。


「そのような心身症しんしんしょうを自分の都合よく使うのは止めなさい」

「え?」


 先ほどの高説を語る口調とは違って、芯の入った声だった。


「心は列記とした人体の一部です。正常な反応を無理やり捻じ曲げ続ければ、そこには必ず異常が生じます」


 。先生はそこを他よりも強く発音した。


「陣内さん、これは決して大袈裟な話ではありません」


 真剣な眼差しが俺を貫く。


「心療内科への受診を強くお勧めします。……異常が現れる前に、症状の改善を──」

「お断りします」


 拒絶した。ハッキリとした声音で先生の言葉を切った。……何故だろうか。胸の奥からがする。


「失礼だと思いますが言わせてください。それは余計なお世話です」


 先生は俺の言葉を受けて目を点にしていた。本当に失礼な物言いだとは思う。しかし、今の発言を取り消すつもりはない。


 症状の改善? ……冗談じゃない。


 仮に先生の言う通り、俺のEDが再発したとしよう。いや、そうだな……本当に強い異常が現れて一生不能になってしまったとしよう。確かにそれは男として嫌だ。


 だがその代わりに、あいつ等の隣に居られるというのなら別に構わない。


 あの3人と一緒に生活するのは本当に楽しい。下らない事で笑って、馬鹿みたいにはしゃぐ夢のような毎日だ。


 ただ、俺は男であり、あいつ等は魅力的な女性。きっと、先生の言う心身症しんしんしょう? が無ければ俺は欲望に負けて手を出していた。1年もの長い付き合いになんてならずに、関係は破綻していただろう。


 でもこの体質さえあれば、少なくとも卒業までの3年間は彼女達と遊んでいられる。


 彼女達が関係を壊す事もあり得ない。

 に恋心を抱く人間はいない。容姿は平凡で背も高くない。学力はお粗末、大酒飲み、おまけに2浪した碌でなし。たまたま、見目麗しい才女たちと気が合った。それが俺だ。

 

「すいませんが先生。今日はもう失礼します。このお詫びはまた」


 俺はそれだけ言い残して研究室を去った。


************************************************************


 陣内が去った後の研究室。そこで佐藤は困ったように目頭を押さえた。


「はぁ……まさか、あそこまではっきりと拒絶されるなんて……過去は順調に清算されていたはずなのに……」


 佐藤甘利の思惑は外れた。彼女は人の良い陣内なら少しは聞く耳を持ってくれると思っていたのだ。だがそれは、春休みに入る前までの話。


「……母親を早くに亡くした問題児」


 ポツリと、彼女は安瀬桜の過去を口に出す。


「怪我を負い引退を余儀なくされた元スポーツエリート」


 次は猫屋李花。


退


 次は西代桃。

 つらつらと佐藤は彼女たちの過去を並べる。


「そこに過去の恋愛でトラウマを抱えたグループ唯一の男子。……どうして、こう、面倒なのが一か所に集まったのかしら」


 ただの苦労人、佐藤甘利の胃がキリキリと荒れる。 


「何が起きるか本当に想像できないわ……もし4人同時に退学でもされたら、評価がだだ下がりなのよねぇ。はぁ……」


 若くして准教授に上り詰めた佐藤。彼女は彼らへの愛着と自身の身可愛さを混ぜ合わせて1人なげく。


「せめて限界を迎える前に、、彼の錠前を外してくれるといいのだけれど……」


************************************************************


 ……少しだけ陰鬱な気分で廊下を歩く。俺は今、絶賛自己嫌悪中だ。自分を心配してくれた目上の人に、感情に任せて生意気な口を利いてしまった。


 ガキすぎる。反省しろ、阿呆。


「はぁ」


 ため息をついて、何となく廊下の窓ガラスから外を眺めた。季節は春。大学内には観賞用の花々が綺麗に咲いてる。花でも見て心を安らげたい気分だった。


 青とピンクのワスレナグサ。その上を蝶がふらふらと舞い踊っている。


 花蜜に群がる夢虫ゆめむし。それはまるで今の自分のようではないか。ふと、そんな感想が思い浮かんだ。


「いや、どうした俺。流石に卑屈すぎるわ」


 酔っていないせいだ。テンションをアッパーにする為だけに酒が飲みたい。だけど、そういう訳にもいかないので飲酒欲求を振り払うようにずかずかと廊下を進む。


 目的地は家だ。今日の予定はもうない。俺を置いて逃げた酒飲みモンスターズを叱るためにも早く帰宅しよう。晩飯の用意もあるしな。


「……ん?」


 廊下の途中。就職指導室の前に陳列された用紙群を横切った。それらは就職に役立つ資格の申し込みパンフレットだ。


 その中の1枚を手に取った。


 見ているのは情報系として登竜門のような資格の用紙。1月ほど真面目に勉強すれば取れるものだと聞いた。……ちょうど禁酒の残り日数もそのくらいだ。


「……参考書でも買ってみるか」


 今日は色々と自分の未熟さを考えさせられた。

 なので、害虫ではなく、せめて益虫と思えるくらいには自分を磨いてみようと思う。別にそれで何が変わるわけではないのだろうけど、漠然とした不安を抱え、ウジウジとするくらいなら行動を起こすべきだ。


 そんな、らしくない事を考え込んでしまった。

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