第45話 ルナティック月下美人
「お、おい!! 危ないだろうが!!」
「うるせえ!! 人の過去を面白おかしく話すのが好きなんだろ!? なら俺にも聞かせてくれよ、なぁ!!」
赤く燃える
「アイツが……アイツがどれだけ苦しんだと……!!」
雨が降る中、猫屋の部屋で響いた彼女の慟哭。それだけが俺の脳内で何度もフラッシュバックする。
コイツからは全てを聞き出さなければならない。
本当に猫屋の怪我に悪意が絡んでいたと言うのなら、絶対に許さない。草の根を分けてでも犯人を探し出して、必ずぶっ殺──
「ふざけてんじゃねぇぞ!!」
思考の途中、横合いから殴られた。
「っ!!」
強い衝撃を顎に受け、そのまま倒れ込んでしまう。怒りのせいか、痛みはまるで感じなかった。
「あ、やべ、殴っちまった……」
「おい、さっさと逃げるぞ!! コイツ、やべぇよ!!」
「あ、あぁ……」
俺が煙草を突き付けた方が慌てふためき、殴った方の男に逃走の扇動をする。
「待てよ、コ゛ラッ!!」
早く、立たなければいけない。
「っ……!?」
しかし、足が思ったように動いてはくれなかった。力が入らないのだ。頭もふらふらする。
(っ、や、られた……!!)
奴らは恐らく空手部だ。打撃で人を麻痺らせるなど簡単に実践できるだろう。事実、殴られたのは顎だった。
俺が動けない内に、2人は走ってどこかへ去って行く。俺はそれを見ている事しかできなかった。
「……………くそっ!!」
怒りに任せて地面に拳を叩きつけた。
何だったんだ、今の話は……猫屋の怪我が事故ではなく、傷害だと?
「……ありえねぇ」
猫屋は泣いていた。トロフィーも賞状も何もない、がらんどうの部屋で声を上げて泣いていたんだ。
「そんな事、許してたまるか」
どこの誰だかは分からないが、下手人には必ず報いを受けさせてやる。
「………………陣内?」
倒れた俺を背後から呼ぶ声が聞こえた。声に釣られて首だけで振り返ると、そこには安瀬が立っていた。
「あ、安瀬……」
安瀬は地面に座り込んでいる俺を不思議そうに眺めている。
「……さっきの聞いてたか?」
「? 何の話でありんす?」
安瀬は俺の問いかけでさらに首を傾げた。先ほどの会話と俺が殴られた事は見ていないようだ。
なら、彼女にも伝えなくてはならない。猫屋が不当に
「お、落ち着いて聞いてくれ、安瀬。実は──」
一瞬、猫屋の笑顔が思い浮かんだ。
「…………」
話していいのか?
「…………」
落ち着かなくてはいけないのは俺だ。
「…………」
俺の時とは違う。
「……? 陣内?」
今、猫屋は笑っている。先ほどの騎馬戦でも大活躍を見せ、楽しそうにしていた。言えなかった空手の事も言えるようになり、過去のしがらみは既に猫屋の足かせにはなっていない。彼女は完全に過去から立ち直ったのだ。
それを……それを俺が蒸し返すのか? 心の底から笑っている猫屋。辛い過去を乗り越えた猫屋。そこに偶然聞いた不確かな情報を与え、また過去に立ち向かわせるのか?
「なんじゃ、どうして地べたなんぞに──っ、お主、顔に痣が!?」
俺の時とは違う。俺には輝かしい未来があったわけではない。嫌いな奴を成敗してもらって気が晴れた。俺の時はそれで良かった。だが、猫屋の傷は心だけではない。外傷がある。
怪我の原因を作った張本人を探し出して、死ぬような目に遭わせても、猫屋の怪我が治るわけではない。過去が戻ってくるわけではないんだ。なら……俺が聞いた残酷な話を伝える意味はあるのか?
それは、俺が猫屋の部屋で余計な物を見つけてしまった時のように、彼女の心を土足で踏み荒らすのと……同義ではないのか?
「陣内ッ!!」
「っ!」
いつの間にか、安瀬が座り込んでいる俺の傍に居た。
「どうした!? 何があった!? その怪我はなんじゃ……!?」
「……あ、あぁ」
思考が纏まらない。安瀬に、この話を共有していいのか分からない。
「じ、実は……」
「実は?」
「…………よ、酔っ払い過ぎて転んだ」
「…………はぁ?」
俺は嘘をついた。
「い、いやー、やっぱり禁酒って良くないな。肝臓が弱くなっちまう」
心情とは、まるで真逆の声音を作って話す。
「運動をしてたせいもあるか。酒飲んで、煙草を吸ったら、クラっときて転んで顔を打ったんだ」
「………………」
「脳が揺れたせいか、ボーっとしてた。すまん、ありがとな。心配してくれて」
咄嗟に出たにしては、それらしい言い訳にはなった。
「…………それなら、今日はもう酒抜きでござるな。脳にダメージがあるかもしれんからの」
「あぁ、そうだな」
「……どうやら頭を打ったのは本当のようじゃの」
安瀬は立ち上がって、手をこちらに伸ばす。
「いや、いい。自分で立てる」
既に脳の揺れは治まっている。俺は足に力を入れて立ち上がった。
「普段のお主なら、怪我をしたくらいでは飲酒を止めようとはせん」
「ん?」
1人で立ち上がる俺に、安瀬は
「もう一度だけ聞くでありんす。……何があった?」
「いや、普通に転んだだけだぞ??」
安瀬の鋭い問い掛けに、一瞬の迷いも無く返す。疑われる訳にはいかない。今回の事は、どう扱っていいか俺にはまだ分からないからだ。
「……………………ま、そうでござるか」
俺の淀みない返事を信じたのか、安瀬はスパッと態度を切り替えた。
「一瞬、喧嘩にでも巻き込まれたのかと思ったでやんす」
「俺がそんな事するかよ。もし、喧嘩に発展しそうになっても全力で逃げるだけだ」
「で、あろうな。元陸上部なら正しい自己防衛手段ぜよ」
「だろう?」
俺は上手く笑えているだろうか。
「はぁ、祝勝会の前にお主の怪我の治療であるな。樽酒を飲むのが遅くなるでありんす」
「ははっ、それを言ったら俺は今日はなにも飲めないんだぞ?」
酒を飲む気分ではない。
「身から出た錆じゃ。我慢するでござる」
「…………まぁな」
************************************************************
その日の深夜3時。
祝勝会が終わり、安瀬たちは明日の引っ越し準備に向けて早めに部室で就寝している。
冷たい夜風の中、俺は駐輪場にあるベンチに座って煙草を
今日の祝勝会。猫屋は体育祭での自分の功績をふざけながら自慢して、楽しそうに笑っていた。
「…………」
やはり、話すべきではない気がする。あの笑顔を曇らせたくはない。彼女は既に一生分苦しんだはずだ。これ以上の不幸な事実などあっていいはずがない。
(…………でも、猫屋の尊厳はどうすればいい?)
猫屋の努力と才能が見知らぬクズによって傷つけられていた。そのゴミが何の罰も受けずに笑っていると思うと、殺意すら覚える。喫煙所の件から、既に10時間近くたっているが怒りはまったく風化してない。
猫屋はもう立ち直った。だから……過去の不正に蓋をして、クズを見逃し、何も聞かなかった事にして、この怒りを鎮めるべきなのだろうか。
「…………」
「眠れないのかい?」
「っ!」
眉間に皺を寄せて虚空を睨みつけていると、寝ていたはずの西代が声をかけてきた。
「び、びっくりした。なんだ、眠ってたんじゃないのか?」
「今日は何故か、僕専用の湯たんぽ君が迷子でね。寒くて起きちゃった」
「……誰が湯たんぽだ」
2月終わりとはいえ、まだ寒い。暖房がない部室は冷え性の西代には辛かったか。
「はぁ……悪いな。すぐ戻る」
俺は思考を打ち切った。これ以上考えても、納得のできる結論は出てきそうにない。仕方がないので、酒を飲んで西代の湯たんぽになってやろう。……いや、今は酒なんて必要ないか。そんな気分になるはずがない。
「何を悩んでるんだい?」
西代は脈絡もなく、俺が悩みを抱えている事を看破した。
「…………なぁ、俺ってそんなにわかりやすいか?」
安瀬にも変に詰め寄られた。自身の演技力の無さに絶望する。
「いいや? 祝勝会の時は何も感じなかった。……こんな時間に憂鬱そうに煙草を吸っていたら、誰でもそう思うだろう?」
「……なるほど」
俺の演技力に問題があったわけでは無いようで安心した。祝勝会では普通に振る舞えていたようなので、彼女達に不審がられることは無かったようだ。
「失礼するよ」
そう言って、西代が俺の隣に座ってきた。そして、俺の顔を見上げて口を開く。
「僕に相談する気は無いかい?」
「…………」
「案外、人に話す事で解決する悩みもあるさ」
「……」
「詳しくは話さなくてもいいよ」
やはり、西代は俺を丸め込むのが上手い。詳細は絶対に話す気にはなれない。しかし、
それに、西代は俺を2度も救ってくれた。俺なんかよりきっと頼りになる。
「……例えばの話だ」
「うん」
念頭に置いた無意味な言葉にも、西代は優しく相槌を打ってくれた。
「途轍もない交通事故があった。車に轢かれたAは重傷を負い、人生に大きな損失ができる」
Aを猫屋だと仮定する。
「車を運転していたのがBだ」
Bは後輩だ。先輩とやらに"猫屋にケガをさせろ"と命令された後輩。
「Bは謝った。それにAも仕方ないと納得して、後遺症を抱えてしまったが新しい人生を苦しみながら歩き出した」
恐らく、謝罪はあったはずだ。空虚で何の意味もない最低の平謝りが。
「しかし、その交通事故は別人の指示によって仕組まれた事だった。指示を出したクズをCとする」
「…………」
「そして、Cの悪事を知った、Aの……親族であるD」
Dは俺だ。
「
俺の下手くそで突飛な例え話は終わる。あまり踏み込んだ話をして猫屋の事だと勘付かれてはいけなかったため、話の精度の塩梅が難しかった。情報が極端に少ないので、これでは西代も返答に困ってしまうだろう。
「
俺の思惑を裏切り、西代は一瞬で結論を出した。
その答えの速さに驚いて、俺は彼女の顔を凝視する。
「
「A? ここで大切なのは
彼女はキョトンとした顔をして、意味の分からない事を
「どういう事だ?」
「その例え話の選択肢は2つ。親族の為に復讐するか、しないか。それだけさ」
「……いや、もっと色々とあるだろ? 一旦、被害者であるAに相談するとか……」
西代の答えはどうにも性急すぎる。他にも警察に相談する、などといった選択肢が無数に存在するはずだ。
「Aに言う必要がどこにあるんだい??」
「……え?」
俺は今度こそ、彼女の話がよく分からなくなった。
「Aには何も言う必要はないね。Dはただ、BとCを地獄に叩き落とせばいいのさ」
「……それを
気分が良くなるのは、勝手に復讐した俺だけだ。
「ん? ……あぁ、そうか。ごめん、ごめん。既に言っていたつもりだったけど、文化祭のあの場に、陣内君はいなかったね」
「?」
「僕の性根というか、考え方の話さ」
そう言って、西代はベンチから腰を上げた。俺の前に立ち、彼女は俺の目を真っ直ぐに見つめる。
「復讐は前に進むために必要な儀式だ」
月光を背に浴びて持論を語る西代の目は一切の曇りなく透き通っていた。
「大切な人に悪い事をした奴が、ニコニコと反省もせずに残りの人生を送ることを陣内君は許容できるのかい?」
「お、俺は……」
「僕にはできないね」
俺の返答を待たずに彼女は話を続ける。
「尊厳が踏みにじられたのなら、相応の報いを加害者に与える……当然の事さ」
「当然、か」
「うん……さらに仮定の話をしようか。Dが行った復讐が成功し、BとCに天罰が落ちた。そして、偶然にもそれをAが知ったとしよう。もちろん、実行犯がDという事はAは知らずにだ」
西代は微笑を浮かべる。
「Aは多分、薄暗い感情で少しだけ喜ぶと思うよ? まぁ、内心はやっぱり複雑かもしれないけどね」
「…………」
その言葉に、俺は答えを得た気がした。
猫屋の知らぬところで、下手人を地獄に叩き落とす。
俺の脳内で、急速に悪意の絵図が描きあがっていった。
「西代、ありがとう」
彼女の回答は性善説的では決してない。むしろ、真逆。
「ん、悩みは解決したかい?」
「あぁ、月まで吹き飛んだ」
本人が知らぬ所で行われる、自分本位で勝手な復讐劇。
「それは良かった。……っくしゅん!」
「あ、悪い。変な話に長い間付き合わせて」
もとより、俺は悪い事は好きな方だ。
「はぁ、その通りだよ。……でも、親戚が轢き逃げにでもあったのかい? あぁ、いや、詮索するつもりはないよ」
「いや、全然。でも、ありがとな。もういいんだ。本当にすっきりした」
「……ふふっ、そうかい? お役に立てて何よりだ」
俺の親友を虚仮にしておいて、ただで済むと思うな。
「部室に戻って、とっとと寝ようぜ」
「そうだね、明日は引っ越し準備があるわけだし。…………ついにルームシェアのスタートさ! 僕、凄い楽しみだよ!」
必ず、報復する。
「お、お前なぁ……一応、男がいるんだぞ?」
「はははっ! 僕達に1年近く手を出さない奇行人種が、今さら何を言ってるんだい?」
俺の自己満足で、猫屋の尊厳を取り戻す。
「そうか…………もうそんなになるのか」
そして、何食わぬ顔をしてこの生活に戻ってくるんだ。
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『すまん、急用ができた。春休みが終わるまでには帰ってくる!』と書置きを残して、俺は彼女たちの元から消えた。
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