第44話 福音凶報


「佐藤先生、この糞忙しい時期に何の御用っすか……」

「まーた、カンニングの検査ですかー……?」

「僕達、前回あんな目に遭ったんですよ……?」

「流石にもうテストで不正はしないでござる……」


 に入って、既に3日目。俺達4人はテスト終わりに佐藤先生の研究室に呼び出されていた。


「まずは今日のテストお疲れ様でした。……貴方たち、凄い顔してるわよ?」

「……俺達、ここ3日間は禁酒とバイトとテスト勉強でありえないほど疲れてるんですよ」


 春休みを目前とした、2月の終わり。俺たちは多忙を極めに極めていた。


 理由は半年間の勉強の成果を求められる期末テストのせいだ。この試験の出来で取得単位数が決まる、大学生にとっての正念場。進級を掛けた天王山と言ってもいい。


「飲み会の誘いならー、春休みに入ってからにしてくださーい……」

「あ、猫屋。それはまずいよ。……僕たちの引っ越しは春休みに入ってすぐだろう……?」

「あー、そっかー……、アハハ、疲れすぎて忘れてたー……」


 猫屋と西代が間の抜けた会話を繰り広げる。


(何でもいいから、早く部室に帰って仮眠したい……)


 俺達は昨日、あの糞狭い部室で深夜5時まで勉強していた。禁酒と寝不足でどうにかなってしまいそうだ。性欲だけはノンアルコールによる減欲法で抑え込んでいるが、それが無ければ俺は三大欲求を我慢するストレスによって本当に発狂していただろう。


「……その春休みに入った、その日の話なのだけど」


 俺達の様子を心配そうに眺めながら、佐藤先生は話題を切り出す。


「体育祭があります」

「「「「…………あ、そうですか」」」」


 俺達と何の関係があるのかまるで分らないが、一応は全員で相槌を打っておいた。


「……まるで興味がなさそうね?」

「ないっす」

「ないでーす」

「ないです」

「ないでござる」


 この年になって、光り輝く汗を流しながら泥臭く運動会? 今のコンディションも相まって微塵もやる気が湧いてこない。もし、参加が強制だと言うのなら、酒でも飲んで適当に流そう。


「……優勝した場合、サークルにも活動費として10万円が支給されます」


「しゃあ!! やるぞ、テメェら!!」

「全員、血祭りに上げてやるにゃーー!!」

「卑怯な事は僕に任せてくれ!!」

「合戦の勝負、必ずしも大勢小勢に依らず……ただ士卒しそつの志を一つにするとせざるとなり!!」


 体育祭、なんて素敵な響きなんだ!! 勤勉かつ健康的であることは、大日本皇帝陛下の赤子せきしして義務付けられていると言っても過言ではない。大学生活を思い返せば、俺たちは不摂生で怠惰な生活を続けすぎている。高校時代の泥臭さを思い出し、光り輝く青春の汗を流すのも悪くないな!


「若者らしく、元気に満ち溢れているようで大変よろしい」


 先生は俺たちの気概を見てほほ笑む。大変に有益な情報をくれた先生には感謝しかない。


「でも先生、なんで急に俺達を呼び出してそんな事を?」

「貴方たち……郷土民俗研究サークルとしてまったく活動してないわよね? あのサークルの責任者は私なんですから、何か実績を残してくれないと書類にサインした私の面子が潰れます」


 サークルや部活の立ち上げには当然、大学教員の責任者が必要だ。俺達に頼れる教員は佐藤先生しかいなかったため、先生に責任者になってもらっていた。


「「「「あ、あぁー……」」」」


 火事と物件探しに幽霊騒ぎとバレンタイン、またこの間のレース勝負などで忙しく、俺達はサークルを立ち上げてからそれらしい活動など全くやっていない。月に一度提出しなければならない活動報告書も未作成。……というか、俺達はたった一月でどんだけ馬鹿をやっているんだ。


「そこで体育祭に白羽の矢が立ったわけでやんすね」

「そういう事です……体育祭はサークルと部活動に入っている者だけが参加できる内々の学校行事。参加は強制ではないので人数も少ないです。おまけに文化系と運動系の区分はちゃんと分けて評価されますから、勝ち目も十二分にあるでしょう?」


 郷土民俗研究サークルは文化系の活動に該当している。ガチムチの体育会系を相手取るわけではないのなら、先生の言う通り勝機は無数に存在しているように思えた。


「名誉挽回のいいチャンスだね」

「ついでに遠征費という名のお小遣いもゲットできるわけか!」

「春休みに入ったらさー、そのお金でまた旅行にでも行こー!!」

「名案でござるな!!」


 俺達のテンションは活動費の使い道を考えて跳ね上がった。


「一応、当日は私も見に行く事にするわ。……捕らぬ狸の皮算用にならない事を期待してます」

「「「「はい!! お任せください!!」」」」


 最恐の問題児、安瀬桜。元スポーツエリート、猫屋李花。確率と胆力たんりょくの魔物、西代桃。そこに冷静で常識人枠の俺を含めれば、一般民衆など屁でもないだろう。


 テスト勉強や引っ越し日の調整をしながら、計画を練るのは死ぬほど大変だろうが金の為だ。張り切って今週を乗り切ろう。


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 体育祭当日。


 快晴に恵まれたお天気模様。運動するには最適な、冬終わりの少しだけ肌寒い気温。


 こんなにいい天気だが、俺の心にはどんよりとした雨雲が停滞していた。


「陣内、お前、顔色が悪いが本当に走れるのか?」


 大学運動場の土に無理やり敷かれた競走場。それがまた俺の気分を萎えさせた。大学なのだからウレタン加工で舗装されたレーンがあってもいいだろうに……


「……実は体の調子はむしろいい。高校生の頃に戻ったような気分だ」

「そ、そうなのか? ……でも、そんな風に見えないぞ?」


 俺の隣で話しかけてくるのは、最近よく会う信号機トリオの赤担当、赤崎。


「お前は何のサークルの代表で出場してるんだ?」

「歌唱サークルだ」

「……意外だな。歌、上手いのか?」

「まったく。他大との交流目当てで入ってるだけ。……インカレの歌唱サークルってアホみたいに飲み会をやるんだぜ? 一時期はそれに参加しまくって、全員で入れ食い状態だったわ」


 どうやら、歌唱サークルに入っているのは赤崎だけではないようだ。


「はぁ……俺はお前たちがちょっと羨ましいよ……」

「……本当にどうした? 寝不足……もしくは二日酔いか??」


 俺の精神不調の原因はそんなもののせいではなかった。昨日は規則正しく9時には就寝し、酒も飲んでいない。


「というか、敵に情けを掛けるとは随分と余裕だな……」

「まぁ、ほら、俺は高校の頃サッカー部だったからな。走るのが仕事みたいなスポーツだし、足には自信があるんだ」

「それを言えば、俺は陸上部だったよ……」


 俺が高校時代、淳司やむっこ達と意欲的に取り組んだ部活動とは走る事だ。今考えれば、何故昔の自分はあそこまでひたむきに走っていたのだろうか。自動車とバイクを手に入れてようやく気が付いたが、俺は走るのが嫌いだ。疲れる……。


「げ、本職かよ……でも、確か陣内って喫煙者だよな?」

「あぁ、体力はガッツリと落ちてるよ」


 それに加え、走るという行為はメンタル面がもろに結果に影響する。


「はぁ……勝てる気がしない……」


 赤崎以外の出走者を確認しながら、俺は本音をさらけ出した。10万円の活動費は喉から手が出るほど欲しいはずだが、どうにも気分が高揚しない。


「おいおい、弱気過ぎだろ。……ほら、もう始まるぞ」

「……だりぃー」


************************************************************


「遠目から見て、陣内さんのやる気が感じられないのだけれど……」


 100メートル徒競走のゴールテープ地点。佐藤甘利は担当生徒のどんよりとした雰囲気を見て心配そうな声を漏らす。


 既に徒競走はスタート目前。他の参加者が各々スタートダッシュの体勢に入っているが、その中で陣内だけは微動だにせず虚空を見上げている。


「先生殿、ご安心をでおじゃる」

「今の陣内はー、爆発寸前の風船みたいなものでー」

「僕たちのですぐに覚醒しますから」


 そう言うや否や、酒飲みモンスターズは缶ビールを懐から取り出した。サッポロ黒ラベルのロング缶が3本。アルミ材質の表面を滴る水滴が光輝き、内容物の冷たさを容易に想像させる。


「……? え、貴方たち? 何を──」


 パンッ!


 佐藤甘利の疑問は空砲によって中断され、各走者は全速力で走りだす。


「「「せーの」」」


 ──カシュッ──


 それとほぼ同時に、ビール缶のプルタブが解放された。


 本来なら空砲に掻き消されるはずの炭酸が弾ける小さな音色。ただ、この運動場において、その微音を唯一聞き取ることができる人物が存在していた。


 陣内梅治はテスト期間が終わろうが禁酒を強制的に続けさせられている。その1


「うおおおおおおおおおぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ゛゛ッッッ!!!!!!」


 俊足しゅんそく奔走ほんそう馳駆ちく脱兎だっと韋駄天いだてん


 ギャラリーをドン引きさせるほどの雄叫び声を上げて、陣内梅治は光よりも早くゴールテープをその身で引き裂いた。


「ぜぇ、はぁ、はぁ……!! 酒……酒ぇ……酒くれぇええ!!」


 安瀬たちの前に、飢えた獣が1匹躍り出る。獣は血走った眼でビール所有者の許諾を待つ。


「「「あ、うん、はい……」」」

「ふんっ!!」

 

 陣内は3女から差し出されたビール缶をひったくる様に奪い取り、3本同時に胃に流す。5秒も経たず、計1.5リットルをアルコール中毒者は飲み下した。


「…………ぶっはぁああッ!! あ゛゛ーー、生き返ったぜ!!」


 落涙しながら陣内は生の実感を感じ取る。その目は先ほどまでとは違い、光に満ちていた。


「いやー、やっぱ酒が無いと気分が上がらないな! 本当に、マジで!! さっきまで空が灰色に見えてたぐらいだ!! あ゛あ゛あ゛、おビール様最高!!」


 アルコールの酩酊感によってハイになり、エクスタシーさえ感じている様子の陣内。


「「「「…………」」」」


 佐藤甘利を含める女性陣は、何も言わず、ただただ彼をヤベー奴を見る目で観察する。


「貴方たち……彼と一緒にいて恥ずかしくなる時は無い?」


 陣内には聞こえない様に、佐藤は真っ直ぐな罵倒を吐く。冷静な常識人などはどこにもいなかった。


「い、いや、アルコールさえ入っておれば、そ、そこまで悪くは……」

「う、うん。酒さえ与えておけばー……割とー……」

「……ま、まぁ、陣内君を見てると自分がまともだと思えるから、ぼ、僕は受け入れてますよ?」


 酒飲みモンスターズは何とか陣内をフォローする言葉を絞り出す。ここまで彼が取り乱すとは彼女達も考えていなかったようだ。


「この作戦を提案したのは我であるが……」

「これからはー……やめとこっかー……」

「……そうだね」


 以降、陣内の酒バカパワーに期待する作戦は酒飲みモンスターズの中で禁止されることになった。


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 体育祭の第一競技、徒競走は俺の狂気的なまでの奉仕精神によって見事に1着を勝ち取った。


 残りの競技は、借り物競争と騎馬戦の2つ。今は運動系の団体に所属する奴らが100メートルを走っている所だ。


 俺は木陰に敷いた大きなビニールシートの上で体を休めながら、さらにガソリンを補充していた。酒飲みモンスターズと佐藤先生も一緒にだ。


「何を飲んでるんだい?」

「アルコール入りの冷やした甘酒。西代もどうだ?」


 甘酒は飲む点滴と呼ばれるほどに栄養補給食品として格段に優れている。グ〇コのキャラメルは一粒で300メートル走れるとうたっているらしいが、こっちの方が胃に負担がかからない。


「うん、からありがたく頂こうか」

「あっはっは! 西代の潜入工作には正直、脱帽したである!!」

「借り物競争はー、もう勝ったも同然だよねー!!」


 借り物競争は最初にお題を引いてゴール地点まで行くというシンプルな内容。当然、俺たちは事前調査でお題をすべて把握している。


 佐藤先生による情報提供により、借り物競争のお題は大学事務員によって体育祭前日に決められ、事務室に保管される事が分かった。それを知った西代は夜間の事務室へ忍びこみ、お題を盗み見たのだ。特に実害は出ていないだろうが、普通に犯罪行為。


 俺は西代が本当にヤベー奴なんだと改めて実感した。


「ふふっ、気分はまさに世紀の大泥棒。グレンキースで一杯やりたい気分になったよ」

「あぁ、確か猿顔三世が飲んでたな」

「札束にぶっかけて、随分と勿体ない飲み方であったがのぅ……」


 俺たちにはアニメや漫画に酒が出てきた際、それを飲んでみたくなるという習性があった。今の話も映画が起因している。


「というかー、あのモンキーはそんな小悪党な事しないようなー……」

「そもそも、皆さん。教員の前で堂々と不法侵入の話をしないで欲しいのだけれど……」

「「「「あ、……」」」」


 あまりにも自然に一緒にいるため忘れていたが、先生は完全に俺たちの味方という訳ではなかった。


「あ、あはは……ね、猫屋、騎馬戦では妨害の必要は無いのかい?」


 西代は話題を変える為、猫屋に騎馬戦について最終確認を取る。俺達が騎手として担ぎ上げるのは、この中で一番運動神経の良い猫屋だった。


「…………控えめに言ってもー、楽勝って感じー?」


 猫屋は不敵な笑みを浮かべて、大口を叩いて見せる。


「凄い自信だな」

「あははー、まぁねー」

「騎馬戦では外部からの助っ人が認められておる。恐らく体育会系の益荒男ますらおも混じってくるが、本当に大丈夫でござるか?」


 騎馬戦は基本的には4人でやるもの。だがサークルの設立人数が最低3人となっているため、1名だけなら助っ人が認められていた。それなら、わざわざ騎馬戦を競技に入れる必要はないのでは? と俺は思ったが、やはり大学側は華のある競技が欲しかったようで、騎馬戦を毎年の競技に定めているようだ。


「ん、あー……」


 猫屋は曖昧な返事を返しながら、左拳を自身の顎元に構えて見せた。


 パァンッ!!


 空砲を思わせる炸裂音が響いた。猫屋が目に見えぬ速度でジャブを放ったのだ。


「昔取った杵柄きねずか……ってやつー?? 足場がどれだけグラついても、多分何とかなると思うよー」

「「「…………さ、流石っす、猫屋パイセン」」」

「す、凄いわね、猫屋さん……」


 空気を叩いた常識外れの猫屋の拳速に、俺たちは戦慄した。


「ちょっ、ちょっ、そ、そんな引かないでよーー!! こ、こんなのただの子供だましだからー! インパクトの瞬間に、手のひらで大袈裟に音を出しただけでー……!!」


 猫屋は謙遜して見せるが、それができる技術力が凄いのだ、と猫屋を除く全員が思っただろう。本当に彼女なら騎馬戦で無双できそうだ。


「別に引いてはねぇよ……純粋に褒めてるだけだ」

「で、あるな。カッコいいぜよ」

「うん。凄いね猫屋」

「え、………あ、ありがとー」

「それにこの分だと、10万円は絶対に俺たちの物だよな!!」

「そうでござるな!! 猫屋のおかげで、一番の難関が容易に突破できそうである!!」

「やっぱり運動が得意なのは羨ましいね。……それにしても、くふっ、くふふ、旅行先はどこにしようか……!! 僕、暑くなる前に北海道で海鮮をつまみに一杯やりたいと思っていてね!!」

「お、良いなそれ!!」 

「試される大地……拙者も行って見たかった所でありんす!!」

「イクラ、ウニ、牡蠣……甲羅酒なんてのも乙だろう?」

「は、話を聞くだけでポン酒日本酒がやりたくなってくるぜよ!!」

「北海道と言えば、ガラス細工の酒器とかも…………」


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「……………」


 私は何も言わず、悪友たちの邪悪で親しみのある笑顔を眺めていた。ブルーシートの上で度数の低い酒を飲みながら優勝賞金の使い道を楽しそうに語り合う彼ら。


 いつもなら一緒になって大騒ぎするはずなのに、何故か今はその姿を見てるだけで、幸せな気持ちでいられることに気が付いた。


 思い出したくも無い辛い過去。だけど私は、私の事を褒めて、支えて、認めてくれる、大切な人達の笑う姿を見て、あの出来事を受け入れていた。それどころか、こうなって良かった、とさえ感じている。……昔、陣内の言っていた言葉の意味が、よく分かった。


「猫屋さん」


 その様子を見てか、佐藤先生が私に声を掛けてくる。


「……この大学に入って……良かったと思ってくれるかしら?」


 楽しそうに旅行の計画を練る3人には聞こえない様に、佐藤先生は当たり前の疑問を投げかけてくる。


 先生は入学当初から私の過去を知っている。私の変に畏まった姿を見て、わざわざそんな事を確認してくれたのだろう。


「…………ひーみつ、です!!」

「ふふっ、そうですか」


 先生のおかげで、"私の居場所はここなんだ"と心の底から思えた。


************************************************************


「「「それで、本当にあの3人の誰とも付き合ってないんだな!!」」」

「え、あぁ、まぁな」


 借り物競争は無事に俺たちの圧勝で終わり、騎馬戦が開始される直前の事。俺は何故か信号機トリオに呼び出されていた。


「実は肉体関係だけあるとか?」

「ない」

「キスまでなら済ませたとか!」

「ねーよ」

「なら、あの中に好きな奴はいるか!?」

「……俺はあいつ等と恋仲になる気は微塵もない」


 いきなり呼び出して、何だこいつ等。


「陣内、どうして手を出さないんだよ!!」

「俺ならあんな可愛い子達と同じ研究室に配属されたのなら、その日に全員をホテルへ誘うね!!」

「そうだぜ!! いつも一緒にいるって事は、あの3人もまんざらでもないんだろ!?」

「………いや、急に何なんだよ、お前ら……」


 止まる事の無い怒涛の質問攻め。その意味が本当に分からない。


「いや、俺ら次の騎馬戦に出るんだけどな……」

「お前らも出るって聞いて、急いで事実確認を済ませたかったわけだ」

「陣内は騎馬で確定だろうし、騎手をやるのはあの3女の内の誰かだろう?」


 相変わらず、こいつ等の会話のチームワークは物凄いな。


「まぁ、そうだけど……お前らに何の関係があるんだ?? 敵情視察とかするタイプだったっけ??」


 彼らが歌唱サークルの為にそこまで本気で優勝賞金を狙ってるとはあまり思えない……。


「対戦相手の調査は基本だろ? で、誰が出るんだ?? Eか? Dか? Bか??」

「……ん??」


 E、D、B?? 酒飲みモンスターズのイニシャルはA安瀬N猫屋N西代だ。


「そんなイニシャルのヤツ、うちにはいないぞ?」

「イニシャル? ちげーよ、陣内」

「俺たちが言ってるのはだ」

「合ってるよな……って、手を出してないなら分かんないか」

「…………なるほど」


 つまり、彼らが気になっているのは対戦相手の乳か。騎馬戦は人が入り乱れる荒戦。どさくさに紛れて、胸部に手をやっても捕まりはしないだろう。


「まぁ、お前らの言い方で言うならBが騎手だ」

「あ゛ー、あの足の長い金髪の子か……。胸以外は最高にエロいんだけどな……」

「俺はやっぱりEの子が良かったなー」

「俺は断然、小柄でクールそうなD押しだった」


 やっぱりコイツ等、結構面白いよな。俺達とは別方向に全力な、愛すべき馬鹿だ。その性欲有り余る姿は、俺からすればちょっとだけ羨ましい。


「まぁいいや!! 陣内、情報提供ありがとな!!」 

「もう騎馬戦が始まるし戻って良いぞ。俺たちは今から誰が騎手になるかでジャンケンするから!!」

「一番揉みごたえが無いのが来たが、絶対に負けん!!」

「そうか……男として気持ちは理解できるけど、俺はそのジャンケンには負けた方がいいと思うけどな」

「「「??」」」


************************************************************


「って、事があった。気を付けろよ、猫屋」


 俺は即座に信号機トリオを売った。彼らが勢い余って突っ込んで、転倒でもしたら古傷がある猫屋が危ない。


「……本気のロシアンフックをお見舞いしてやるにゃー」


 まぁ、俺の心配など無意味だったのかもしれないが。


「いや、お前、人目があるんだから暴力はちょっと……」


 接触はともかく、ガチ打撃はまずいだろう……。


「って、ていうかーー!! Bじゃないしーー!! もっとあるから鵜呑みにしないでね、陣内!!」

「あ、はい……」


 俺にそのような事を言われても反応に困る。


 それに、信号機達の推定カップは恐らく当たっている。俺は彼女たちの下着をよく見るし、最近は一緒に洗濯するせいでだいたいのサイズは把握できてしまっていた。


「っぷ……そ、そうだね。猫屋はもっとあるよ──ぶふっ!!」

「ぶふっ……わ、我もそうおも──ハハハハッ!!」


 猫屋の必死の偽証を馬鹿みたいに嘲るのは、平均よりだ。まぁ、嘘をつく姿は滑稽ではあるが……


「お、おい。良くないぞ、そう言うのは……」


 男に置き換えるのなら、チビと言われるようなものだろう。ちょっと猫屋が可哀そうだ。猫屋は、その、胸なんかなくても、かなり可愛いのだから。


「じ、陣内にそう言われると、なんかガチでへこむーー……」

「え、えぇ? な、なんでだ??」

「そ、そうでござるよ、乙女心が分かっておらぬな。こ、こういう時は、い、一緒に笑い飛ばすものでありん……ふふっ」

「だね。……まぁ、ふふっ、無い方が悪いんだから」

「え、そういうもんなのか??」

「んな訳あるかーーッ!! もぎ取るぞ、おのれらーーー!!」


 そう言って、猫屋は持ってる奴らの乳を掴みにかかる。


「「ゲヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!!」」


 取っ組み合いの最中、安瀬と西代は悪魔みたいに笑っていた。……なんていうか、姦しい。もっと酒が欲しくなってくるな。


「と言うか、なーにが推定カップだ!! あの信号機共、恥かかせやがってーーーッ!!」


 その後の騎馬戦。赤崎の腹にコッソリと叩き込まれたボディブローを俺は見逃しはしなかった。


************************************************************


 騎馬戦は怒る猫屋の一人勝ちで幕を下ろした。


 俺たちの騎馬は背丈の不一致が原因でバランスが悪く機動性が一切なかったが、それでも猫屋は圧勝して見せた。彼女の鉢巻きを狙う手は呆気なく空を切り、逆に猫屋の手中にはいつの間にか鉢巻きが握られているという珍事。


 伊勢崎の狂猫の名は伊達ではなかったという事だ。


 文化系の種目は全て終わったので俺は喫煙所まで一人で赴き、疲れた体にニコチンを補給していた。酒飲みモンスターズは今日の為に用意した祝い酒の準備をしている。内容量が2斗36リットル樽酒たるざけだ。今日の祝勝会は派手な物になるだろう。


「すぅーー……はぁーーー……」


 甘い煙草が美味しい。体育祭への参戦が決まってから、俺は禁酒だけでなく禁煙も強いられていた。煙草を吸うのは実に3日ぶりだ。


(全種目、ぶっちぎりの1位。まじで、旅行が楽しみだ……!!)


 文化部の優勝は俺たちで確定した。


 旅行はどこに行こうか。東北もいいが、九州の方にも興味がある。九州の芋焼酎は度数が本州の物とは違うため、どんな感じなのか気になっている……本場で飲んでみたい。


「あー、しかし凄かったな、あの文化部の方で騎手やってた女」


 俺が充実した春休みの展望に胸を膨らませていると、喫煙所に大きな声で話す2人組の男がやってきた。


「ほぼ全部の鉢巻きを取ってなかったか? 動きからして素人じゃないよな??」

「……あれって確か、猫屋李花だろ? 俺、群馬の出身だからよく知ってるわ」


 見知らぬ声が猫屋の話をするのが聞こえてくる。視線を声の方にやると体格の良い男達が俺と同じように煙草を吸いだした。


「あ、俺も思い出した。確か、50キロ級の強化選手に選ばれてたよな」

「あぁ、あり得ねぇほど強かったぜ。……怪我さえなかったらオリンピック出てたんじゃないか?」

「ま、マジ? すげぇな、それ……。俺達とはレベルが違うな」

「ははっ! 比べんなよ馬鹿!」


 どうやら彼らはこの大学の空手部のようだ。彼らも体育祭に参加しているのだろう。猫屋の一騎当千の活躍を見て、彼女の過去について色々と話し合っているようだ。


「…………」


 彼らの話は不快ではないが、あまり聞き入るべきではないと感じた。猫屋本人が話すならいざ知らず、彼女の知らない所で俺がその過去を知ることには抵抗がある。


 それに、ニコチンの補給はできた。さっさとあいつ等の所に戻ろう。樽酒が俺を待っている。猫屋が踵落としでの鏡開きフタ開けを披露してくれるらしい。迫力がありそうで楽しみだ……!!


 俺はまだ長い煙草を公衆灰皿に押し付けようとした。




「にしても、なんてグロい話だよな」




 ……今、なんて言った?


 火を消そうとする手が止まった。

信じられない言葉が聞こえてきたからだ。


「え? なんだそれ?」 

「あぁ、いや、俺の高校、男女混合の空手部でな。……そこでチラッと耳に挟んだんだけど……」


 全神経を研ぎ澄まして、彼らの話に集中する。


「あの女が怪我した試合を知ってるか?」


 あの女とは猫屋の事か。


「ん、あぁ、まぁな。俺も大会出てたし」

「なんかよ、猫屋李花に勝てないからって、後輩に"軽く怪我させて来い"って指示を出した奴がいたらしいぜ?」


 …………………………は?


「で、やりすぎて骨折させたんだってよ」


 ただの骨折ではない、開放骨折だ。


「お、おい。それってかなり大事になったんじゃねぇの? 普通に傷害事件だろ?」


 そうだ、骨が皮膚を突き破ったんだ。


「いいや。結局、事故として処理された」


 ……なんだそれは。


「まぁ、そんな命令を後輩に出した奴だ。関わった全員で口裏を合わせて、事故だったって言い張ったんだろうな」

「お前、何でそんな事知ってるんだ?」

「本当に偶然、部の女子が話してるのを聞いた。……女ってマジでこえーわ」


 なんだ、それは。


「はぁー、うわぁ。……なんか、空手女子の闇を知ったわ」

「ヤバいよな? で、ここからが、もっとえぐいんだけどな?」


 ふざけるな。


「その指示を出した女、らしい──」

「ふざけるな」


 気が付けば、俺は何の因縁もないその男に掴みかかっていた。


「え、は? な、なんだお前?」

「知ってる事を全部話せ」


 許容できない。そんな現実は、絶対に、許容できない。


「お、おい! いきなりなん──」


 俺はまだ火が付いている煙草を見知らぬ男の目前もくぜんに突き付けた。


「いいからっ、全部話せって言ってんだよ!! ぶっ殺すぞ、クソがッ!!」


 汚泥のような怒りが心の底からあふれて止まらなかった。

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