第39話 不動を望む者
「ん、あれ? アイツどこ行った??」
テナント内の薬局で耳の穴開け道具を調達し終え、店外に出た直後の事。少し目を離した途端に猫屋の姿がどこにも見当たらない。
「さぁ? どこに行ったんだろうね」
「うぉ!?」
真横から急に聞こえきた馴染みのある声。このショッピングモールに入ってから一向に姿を現さなかった西代がそこにはいた。背が小さいので声を掛けられるまで気が付かなかった。
「お前、何処から……」
「あそこからさ」
そう言って彼女は店から見える映画館のフロントを指差した。
「僕が安瀬に付き合って歴史物の映画を見ていたのは知っているだろう?」
「ん、あぁ。猫屋から聞いた」
「それが思ったよりもつまらなくてね。まだ上映中だったけど、僕だけ先に抜けてきたのさ」
え? なんだこいつ本当に映画を見ていたのか? てっきり、はぐれる為の都合の良い言い訳だと思っていた。もしかして、辱め作戦は俺の誇大妄想? ……いや、まだ分からないな。ただ話を合わせているだけかもしれない。
「映画はどんな内容だったんだ?」
「コアなファン向けの本格的なシナリオでまったく理解できなかったよ。僕は安瀬レベルの歴女ではないからね」
肩をすくめ、やれやれといった仕草を見せる西代。その動作に嘘っぽさは微塵も感じられない。
(これはどっちなんだ? 本当に何もないのか?)
なら安瀬のあの過剰なスキンシップは何だったんだ?? 何故か猫屋はピアスを贈ってから
「さて、陣内君。ちょっと僕の買い物に付き合って欲しいんだけど構わないかな?」
「ん、あぁ、それは別にいいけど他の奴らは……」
「放置でいいだろう? それとも、僕と2人きりでは気まずいかい?」
「はぁ? そんなわけないだろ」
「ふふっ、君ならそう言ってくれると思ってたよ」
西代が静かに笑う。会話術とその美貌で話題を逸らされてしまった。
「じゃあ早速行こうか。ついて来てくれ」
そう言って、西代は小さな手で俺の手を掴み歩き出す。シュルリと指を絡みつかせた恋人繋ぎ。
「っ!?」
手には神経が集中しているためか、その小さな手の輪郭が細部までよく分かった。モチモチと柔らかく、とにかく指が細い。
恋人繋ぎでモール内を歩く俺達。端から見ればどう見てもカップルだ。
「今日は随分と迷子になる人が多いようだからね。こうして、
西代はこちらを見上げて楽しそうにもっともらしい訳を述べる。
「……まぁそうだな」
なんと恐ろしい事を簡単にやってのけるのだろうか。俺の精神がもし先ほどの暴走状態だったなら、プチ旅行中の事など忘れて彼女をそのまま大人の休憩所に連れ込んでいたかもしれない。
「……? 案外、気にしないんだね? てっきり、赤面してすぐに払いのけられると思ってたよ」
「え、ぅ」
いかん、今西代に俺の性欲が無い事がバレるのはよくない気がする。
何か適当に言い訳をしなければ。
「顔に出さない様にしてるだけで
「…………へ、へぇ。そ、そうなんだ。ご、ごめんね? やっぱり手を握るのは止めておくことにしようか」
やばい!! 何だ今の気持ちの悪い自白は!? つい、変な事を口走ってしまった!! 西代が滅茶苦茶引いてるっ!!
「いや! 離さなくていい! 何ならずっと握っていたいくらい小さくて可愛い手だ! …………あれ??」
「……君、どうしたんだい?」
西代の言う通りだ。なぜか情緒が安定していない。
というか彼女から伝わってくる体温が火種となり、心の奥底からチリチリと情欲の火が漏れ出している感じがする。
(やっぱりノンアルコールだと効果が安定しないのか?)
ビールを3本も飲めば、俺の体質は2時間は継続するはず。だが、まだそこまでの時間は経っていない。酒精が無いぶん、鈍り方も曖昧な気がする。
(まずいな……)
ノンアルコール缶はもう残っていない。今から買いに行くのも不自然だ。減欲効果が切れてしまえば、彼女たちに翻弄される俺に逆戻りだ。その事態は望ましくない。
こうなったら多少強引にでも、西代から悪だくみの内容を聞き出す必要がある。
酒飲みモンスターズが何かを企んでいる可能性は非常に高い。こうなれば強硬手段だ。
「西代」
俺は顔を傾げた彼女を呼び掛ける。
「なんだい?」
「悪いが予定変更だ。先に俺の用事に付き合ってくれ」
「え? ……まぁ急ぐ訳ではないから別にいいけど、どこに行くんだい?」
「ここだ」
俺は偶然にもすぐ横にあった大きな男性物のアパレルショップを指差した。
「新しい服が欲しいのかい?」
「あぁ、せっかくだからセンスのいいヤツを見繕ってもらおうと思ってな。お前なら男性物にも目利きがあるだろ?」
「なるほど。そういう事なら任せてくれ」
「あぁ、頼んだ」
俺は彼女を連れて足早に入店する。そして服などには目もくれずに試着用の更衣室に向かって一直線に突き進んだ。
「陣内君……? え、服は──」
「よいしょっと」
「え、ちょ!?」
ポンっと、彼女の背を軽く押して、自分ごと更衣室の中に彼女を軟禁する。それと同時にカーテンを引いて外界からの視線を遮った。これで邪魔が入ることはない。
「え、え、急に何だい?」
狭い空間に男女で2人きり。西代は俺の急な異常行動に狼狽えていた。
そんな西代を無視して、俺は逃げ道を塞ぐように彼女の背後の壁に手を着く。所謂壁ドンのポーズ。
「っ!?」
口説くつもりなどは全くないが、威圧感を与えるにはピッタリの体勢だ。
事実として西代は目を見開いて驚いている。
「えっと……いったいどういうつもりだい? か、か弱い淑女をこんな所に押しとどめるのはあまり感心しないね」
「淑女ってキャラかよ、お前」
「むっ、デリカシーが足りないね。僕はこれでも成熟した1人の女だ」
「襲う気はないから安心しろよ。
俺の言葉を聞いて西代は目を細めた。
「悪だくみ? ふっ、一体何のことだい?」
ニヒルに顔を歪めて、彼女は平然とした口調で白を切る。
「とぼけるなよ。嫌酒薬まで食べさせておいて、何もないは通じないぜ」
「いいや。本当に何を言ってるのか僕には分からないね」
「口を割る気はないんだな」
なるべく圧力をかけるため、声音を落として西代に問い詰める。
「ふふ、どうせ大したことはできないだろう?」
だが、彼女は毅然とした態度を崩さない。人を舐め腐った表情と言葉。酔っていない俺にそこまで酷い事はできやしないと高を括っていやがる。
「言ったな?」
女にそんな事を言われれば、男として黙ってはいられない。
「……話は変わるが、西代。去年、
「? ……まぁ、かなり衝撃的な思い出だからね。それが何だい?」
「あの時の罰ゲームはまだ不履行だったな」
俺は壁についた手をゆっくりと引き戻す。
思い出すのは懐かしき俺の部屋で、半裸になり青ざめる西代の姿。あの時の西代は白シャツに黒ズボンといった装いだったが、今は違う。
萌え袖が可愛いオーバーサイズの白い厚手のシャツ。ぶかぶかな上着とは逆に、下は黒のミニスカート。自身の容姿をよく理解した最適な格好と言える。
だが、しかし──
「珍しくスカートなんぞ穿いてきたのは過失だったな!!」
俺は彼女のスカートの中に両手を突っ込み、その内にあるパンツだけを足元までずり下げた。
「………………………………ぴゅいっ!!??」
「おぉ、今日履いてるやつはコレか」
西代の細い足首に引っかかっている絹のショーツ。それはフリルのついたピンク色の代物。彼女と同棲状態にある俺は当然それを見た事はあった。やはり手に取ると男の物とは違って布面積が小さく感じるな。
「じ、じ、じ、じ、陣内君ッ!! 君は一体何をしてるんだッ!?」
「脅迫。ほら、完全に脱がすから暴れるなよ。転んだりしたら中身が見えるぞ」
「っっっ!!??」
俺の言葉に過敏に反応して、西代はスカートを力強くガバっと押さえる。
俺はそれを見て、ゆっくりと彼女の足にかかっていたパンツを丁寧に取り外す。
「よし、取れた取れた」
「ひゅー……!! ひゅー……!!」
西代は茹でたタコのように顔を真っ赤に染めて荒い呼吸を繰り返している。瞳の端に涙さえ蓄えて、こちらを睨みつけてくる。しかし、その下半身は内ももになり小鹿のように震えていた。
実に好い眺めだ。
戦利品である下着を人差し指に引っかけてクルクルと回しながら、俺は彼女を追求する。
「コレを返して欲しかったら、さっさと話せ」
「人のショーツを振り回すな馬鹿ッ!! 君は僕の事を何だと思っているんだ!!」
「賭博狂いの麗人」
「女だと思っているなら、下着を返してくれ!!」
「いやだ。……早く話せよめんどくさい。それに俺は不履行だった罰ゲームを実行しているだけだ。責められる非はない」
「ぐっ」
陣内家の罰ゲームは必ず実行される。その掟を彼女も忘れたわけでは無かろう。我ながらなんて完璧な理論武装なのだろうか。
恥辱に震える西代はスカートから片手を離して、袖口を口元に引き寄せた。
「
「あぁ、無線のマイクならここにあるぞ?」
俺はそう言って、ポケットから小型の無線マイクを取り出して見せた。
もちろん既にスイッチは切ってある。
「な、なんで陣内君がそれを!?」
「さっき手を繋いだ時にスッた」
「はぁ!?」
盗聴の時はいつも袖口にマイクを仕込んでいたので今回もそこだと思い、更衣室に向かう際に調べた。スッた時点で禄でもない事を画策している事は確定した。それが今回の俺の凶行を実行させるきっかけとなった。
「さて、これで頼もしすぎる同士の助けは期待できなくなったな」
「…………」
「まだ何か言いたそうだな?」
「ぼ、僕の胆力を舐めないでもらおうか」
窮地に陥っているはずの西代だが、その目は生意気にも未だに生気を残していた。
「このまま外に出て新しい下着を買いに行くことくらい、僕にとってなんてことは無いっ!!」
西代の"ノーパンなんて恥ずかしくないよ"宣言。
こいつ、さっきは自分の事を淑女って言ってたよな? 普通、淑女はノーパンでうろつくことを良しとはしない。
仕方ない、本気で脅しにかかろう。
「……おいおい、西代さんよ」
スッと、俺は彼女の細い腰とスカートの間に指をねじ込んだ。スカートのゴム紐に圧迫されて、腰の柔肌に俺の指が食い込む。
「ぴゅっ、ぴゅい!?」
「あの時の罰ゲーム内容は、確か"全裸の鑑賞"だったはずだよな??」
「──ッ!!??」
今度こそ、西代は完全に固まった。俺が人目のない更衣室に西代を連れ込んだのはこの脅し文句を言うためだ。アパレルショップに足を踏み入れた瞬間に、彼女の敗北は決まっていた。
「話すと言うならパンツは返すし罰ゲームは無しだ」
「ひっ、ひっ……」
「だが、もし、口を割らなかった場合は全裸になるまでこの場で引ん剝く」
「ぜ、ぜ、ぜ……!!??」
「もちろんその後、5分はしっかり鑑賞させてもら──」
「分かったっ!! 分かったからッ!! 話すからもう勘弁してくれ!!」
「その言葉が聞きたかった」
俺は西代の腰から手を離す。
(ふぅ、上手くいってよかった)
内心で安堵する。もしここで西代が折れなかったらどうしようかと思っていた。
俺と彼女の関係はすでにあの頃とは大きく変化している。全裸など見る気はサラサラない。
「……鬼畜アル中男」
まぁ、俺の葛藤など西代は知る由はないが。
「鬼、悪魔、人でなし、変態パンツ泥棒」
「なんとでも言え」
「お父さん、お母さんごめんなさい。僕は汚されてしまいました……うぅ、もうお嫁にいけない……」
「そこまではしてねぇよ!」
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「俺を動揺させた回数を基準に女子力の競い合い……ね」
俺を辱める意図はそこまでなかったようだが、概ね予想は間違っていなかったようだ。
「お前らさ、なんでそんな身売りじみた企画やってんだよ?」
「女には引けない戦いというものがあるのさ」
「自分をもっと大切にしろ、この大馬鹿」
「ご忠告どうもありがとう。人のパンツをはぎ取った人間の言葉とはとても思えないね」
「俺がやる分にはいいんだよ」
俺には無敵の減欲体質があるので、何かをする際に彼女たちの安全は保障されている。ただ、彼女たちの方から急に迫られると飲酒の準備が整わない。今回に至っては嫌酒薬と言う劇物まで飲まされる羽目になったわけだしな。
「……そう言った君の態度が今回の騒動の引き金になったような」
「え?」
「いや、何でもないよ。それより、これからどうするつもりだい?」
「ん、あー……」
これで当初の目的通り、酒飲みモンスターズの計画を潰すことは叶ったと言えるだろう。もう彼女らの色香に惑わされることはない。逆手にとって彼女達を揶揄う事もできる訳だが……。
「ちょっと疲れたな……」
安瀬にやたらめったに振り回されたせいか、体の奥がどうにも重たい。
糖分とニコチンを脳に給油したい。
「僕もさ。君のおかげで気疲れが凄い」
顔に影を落として西代は忌々しそうに呟く。彼女のその姿を見て、溜飲も下がった。実害は無かったし、仕返しは今度でいいや。
「お前もそう言うなら、なんか甘いものでも食べに行こうぜ」
「それならちょうどいい。ここの階にチョコの専門店があるんだ。もとより君とそこに行こうと考えていた所さ」
「へぇ、またなんで?」
「せっかくのバレンタインチョコがアレじゃあ、陣内君がかわいそうだと思ってね。市販品を再度プレゼントしようと考えてたのさ」
「え、まじか」
意外にも彼女は俺の事を気遣ってくれるつもりだったようだ。
「奢ってもらえるのは嬉しいけど、いいのか? 俺さっきお前のパンツひん剥いたんだぞ?」
「それは今後一生口に出さないでくれ。……まぁ、先行投資ってやつさ。ホワイトデーのお返しを楽しみにしておくよ」
そう言うと西代はぐっと体を伸ばす。
「どうせなら安瀬たちも呼び戻してチョコでも食べながら一旦休憩しよう。君にバレた時点で勝負は無効試合。やる気もなくなったしね」
「賛成だ。俺も明日に疲れを残したくない」
「明日?」
「遊園地。俺、けっこう楽しみなんだよな」
久しぶりの遊園地。明日は嫌酒薬も飲まされないだろうし、酩酊状態で遊園地を楽しめるわけだ。
「遊園地……ね」
西代は俺の言葉を確かめるようにつぶやく。
「友達と遊園地なんて何年ぶりだろう」
「あぁ、俺もだ。最後に行ったのは……」
一瞬、由香里との遊園地デートを思い出してしまった。あの頃はまだ楽しかっただけに振り返ると微妙な気持ちになる。
だけど──
「お前ら3人とならあの時よりも絶対楽しいだろうな」
それがきっと俺の忌まわしい記憶を上書きしてくれるだろう。
「……え?」
「……ん?」
俺は西代と思わず顔を見あわせた。
(あれ? 今、無意識に口に出してたか?)
少しだけ恥ずかしい。未だに由香里との思い出に翻弄されるとは。ノンアルでの減欲状態のせいもあってか、どうにも口が軽い。
「うん、そうだね……。このまま、4人で、楽しく、ずっと……」
「西代?」
西代はブツブツとした独り言を虚空に向かって呟いている。
俺の失言を笑わないのはありがたいが、その反応は少し意外だった。
「……ふふっ、確かに明日も楽しみだね!」
微笑を浮かべる小柄の
クールぶった彼女の屈託のない笑顔は凄く綺麗だとは思う。しかし、やはり男の俺には目の保養であると同時に目の毒だ。あ゛あ゛、早く強いアルコールを飲みたい。
「あ、先に言っておくけど、僕はお化け屋敷にだけは絶対に行かないからね?」
「え、俺、お前がビビり散らかすの滅茶苦茶楽しみにしてたんだけど」
「また嫌酒薬を飲まされたいようだね……!!」
「ははっ、冗談だ。もうオバケ騒ぎは懲りた」
ふざけ合って俺たちはそのまま安瀬たちと合流するためスマホで連絡を取り合う。その後はチョコを食べながら一息ついた。
何とも締まらない終わり方だが、俺としては酒飲みモンスターズの企みを暴けたので満足だ。
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翌日。
某遊園地の入場口。休日なので、どこを見ても人で一杯のアミューズメント施設。
そんな中で──
「ぎ、ぎゃあぁああ!!?? 兄貴が若い女を連れて歩いていたでござるッ!! あのデリカシーの欠片もない兄貴に恋人などありえん!! 絶対に援助交際じゃ!! 一族の恥晒しめッ! 我が責任をもって止めてやる!!」
「ぎ、ぎゃあぁああ!!?? い、妹が男とふ、ふ、2人きりで歩いてたーー!! 姉を差し置いて彼氏とデートなんぞ1000年早いわーー!! ぼ、ぼ、ぼ、妨害してやるぅ!! 学生の本分と姉の恐ろしさを同時に思い出させてやるからなー!!」
「「…………」」
なぜ俺たちはまともに休日を楽しむことができないのだろうか?
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