第32話 猫屋李花の受難①
固いアスファルトの地面を嚙みしめる分厚いタイヤ。グングンとスピードを上げて風を切り裂く緑色と黒の機体。狂気的な速さからくる緊張感と全能感。マフラーから響くガスの大きな排出音が気分を高揚させていく。
俺が運転していたのなら。
「猫屋ッ!! 早すぎる!! スピード出しすぎだ!!」
ヘルメット内のインカムを通して俺は猫屋に声をかけた。
「えー? これくらい普通だよー?」
追い抜き車線でズバズバと車を追い抜いていく、俺たち。
猫屋が邪魔でスピードメーターが見えないが150キロは出ているのではないだろうか。高速道路だが普通にスピード違反だ。
「アハハハハ! 風が気持ちいーね! 陣内!!」
「お前はそうだろうな!!」
後ろに座る俺に存在するのは恐怖だけだ。先ほど横にいた車があっと言う間にはるか後方に消えていく。ジェットコースターに安全バー無しで乗っているような気分だ。
「いいねー、Zちゃん。私、かなり気に入ったよー!」
そりゃあ、これだけの速度でバイクを操れれば楽しいだろう。
猫屋のドラテクはそのスポーツセンス故にか一級品だ。部室棟前の駐車場で軽く試運転をさせてみたら、乗車してすぐさまクイックターンを見せつけ、そのまま急発進と同時にウイリー走行。速度を上げながら駐車場のギリギリまで走り抜け、急制動からのジャックナイフ。
その光景を見た俺はあんぐりと口を開けながら、驚きのあまり固まってしまった。
彼女の軽い体重で200kgを超える俺の愛車を無茶苦茶に振り回す。白昼夢でも見た気分だった。
「なぁ、そんな急がなくてもいいだろ?」
群馬にある猫屋の実家まで2時間くらいだ。時間に追われているわけでもない。
「えー……だって速度出した方が面白いじゃーん」
「後ろに酔っ払いが乗ってんだよ」
「それ、飲んだ方が悪いでしょー……」
俺だって、飲みたくて飲んでいる訳ではない。
毎朝の恒例行事になってしまった朝の禊。酒は大好きだが本来ならあのような暴飲は俺の信条には反する行いだ。
だが、彼女にそのような言い訳はできない。
「……まぁ、確かに俺が悪い」
「でしょー? そもそも陣内が着いてきたいっていうからー乗せてあげてるわけでー」
「乗せてあげてるって、……これ、俺のバイクなんだぞ」
「でも、高速道路をタンデムできるのは私だけでーす!」
高速道路の2人乗りには運転手の二輪免許取得から3年以上の経過が必要だ。俺は免許を取得してからまだ1年と少し。猫屋は高校時代には普通二輪免許を持っていたようで条件をクリアしている。
「荷物君はー、大人しく私の話し相手になっててねー」
「誰が荷物だ」
「アハハ! さーて、まだまだかっ飛ばして行くよーーー!!」
「え、ちょ、おぉぉぉぉおおおお!?」
猫屋はアクセルを捻ってさらに速度を上げた。
俺は振り落とされない様に必死で後部座席の取っ手を掴んだ。目的地につくまでこの風圧に耐えるしかないようだ。
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「あ゛ー、疲れた」
「アハハハー。ごめんごめん。なんかテンション上がっちゃってー」
「はぁ、まぁいいよ別に。それより、ここはどこだ?」
到着したのは山中にある大きな建物。
何かの商業施設に思える。途中にはのぼり旗が何本も道路の脇道に突き刺さっていた。猫屋が速度を出しすぎるので何が書かれているかは見えなかったが。
猫屋は燃えてしまった服の代わりを自分の実家に取りにいく為に、俺のバイクを借りた。西代と安瀬の服はたまたま部室に置いてあり無事だったが、猫屋は彼女達より前に俺の部屋に服を搬入していた。
今回の目的地とは猫屋の実家だ。無論俺は彼女の家にお邪魔する気は無い。外で待機して彼女が服を持ってくるのを待つだけだ。
だがしかし、ここが彼女の実家には見えなかった。
「
「……聞いた事ないな」
「まぁー、草津の方が圧倒的に有名だもんねー」
「何で群馬の温泉に? え、まさか、お前の実家って旅館か??」
「そんなわけないじゃん。ほらー、最近シャワーばっかりで湯船に浸かれてないからさー。温泉に入りたくなっちゃって」
「あー、なるほど」
部室暮らしを始めてからの俺たちの湯浴み場は運動部用の簡素なシャワー室だ。
肩まで湯に浸かって学業とバイトで溜まった疲れを猫屋は癒したかったのだろう。
俺も足を伸ばして熱い湯に浸かりたかった
「湯に浸かった後はー、伊香保町名物、水沢うどんを食べる! って計画なわけよー」
「……お前、天才かよ!」
猫屋の魅力的な提案に俺は食いついた。水沢うどん、とやらは知らないが名物というくらいだからきっと美味いのだろう。他所の県で湯を楽しみ名産品を食べるなんて、まるで日帰り旅行のようだ。最近、良い事が無かったから気分転換にもなる。
Zちゃんが心配でついて来てよかった。
「でしょー!! 服を取りに帰るだけっていうのもめんどくさかったからねー」
「なるほどな! 早速、風呂入りに行こうぜ!」
俺は急いでフルフェイスのヘルメットを外した。自身の内から、それこそ温泉のように湧き出る期待感を抑えきれずに猫屋を急かす。
「あーはいはい。ちょっと待ってね」
俺の催促に従うように、猫屋は勢いよくスポンッとヘルメットを外した。
「ふぅー……あーぁ、バイクに乗ると髪が風でぼさぼさになっちゃう」
猫屋が自身の髪を弄りながら、不満そうな声を出す。
発言の通り、彼女の綺麗にパーマがかかった髪が少しだけ乱れていた。
「……いつも凄い綺麗だもんな、髪」
少し勿体なく感じてしまい、気が付けば言葉に出していた。
「…………へ?」
「あ、いや、何でもない」
俺の言葉に猫屋はポカンとした顔をしていた。
いかん。声音に気持ちが籠ってしまい、本音のようになってしまった。彼氏とかならともかく、俺にこんなこと言われても気持ち悪いだけだろう。
「悪い、さっさと行こうぜ」
それに加えて、気恥ずかしかった。なので、俺は彼女に背を向けて先に温泉に向かって歩き出した。
「あ、えっと……うん」
猫屋はたいして反応せずに俺について来てくれた。
良かった。これで変に揶揄われたら滅茶苦茶恥ずかしかっただろう。
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水はけのよい竹タイルでできた床板。少し古臭い扇風機がカタカタと音を立てて回っている温泉の脱衣所。祝日のため人が少し多い。
猫屋李花は服を脱いで、竹かごに入れる。受付で購入したタオルを持ち、湯船に向かう。その足取りは軽い。鼻歌まで歌っていて上機嫌だ。
湯船に向かう途中、彼女は洗面台の大きな鏡に映った自身の姿に目が留まる。
細く女性的で均整のとれた肉体。特にスラリと伸びた長い脚がスタイルの良さをより一層と輝かせていた。モデルのように整った小さい顔も相まって、まるで成熟した妖精のようだ。
「ふふっ」
猫屋は鏡に映った自分を見て、零れるように笑う。
決して自身の肉体美に酔っている訳ではない。彼女の視線は、少し乱れた自分の髪に向けられていた。
『……いつも凄い綺麗だもんな、髪』
先ほどの陣内の褒め言葉。陣内は女性を素直に褒める方だが、その口調はいつも芝居掛かっていて嘘くさい。だが、その時の言葉は猫屋には本音のように感じ取れた。
陣内の言葉を聞いたときの気持ちを、猫屋は再び想起する。
「えへへへー、なんか、ラッキー……」
ニマニマと笑いながら頬を掻く。
風呂に入る前だが、彼女の顔は少し赤かった。
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「はぁ……最高。お腹いっぱいだ」
身が溶ける様に心地の良い風呂を堪能した俺たちは、猫屋が言っていた水沢うどんを食べた。形の良い麺にゴマの風味のつけダレが合わさって美味かった。
追加で頼んだキノコの天ぷらも香りが強く、笠が大きくて食いでがあった。
非常に満足した。
「そうだねー。これで煙草が吸えたら文句なかったよー」
「本当にな。外出て食後の一服と行こうぜ」
「さんせー」
俺たちは席を立ち会計に向かおうとする。
その時、俺は目に気になる物が写った。
店の窓ガラスに一滴ほど落ちた雨粒が俺の目に映ったのだ。
「…………」
それを見て、俺は無言でスマホを取り出して急いで天気予報を調べる。
「おい、猫屋」
「ん? なーにー」
「雨が降るらしい」
「……え?」
「結構大きい雨雲が群馬に近づいてる。・・・あと30分くらいで降り出すって」
「いつまで降るの?」
「明日の朝まで……」
俺はスマホの画面を彼女に見せながら説明した。
「…………緊急事態宣言を発令しまーす」
「認める」
俺たちは再び席に座りなおした。
早急にこの後の行動を決める必要がある。
「案1つめー。このまま急いで埼玉に帰るー」
「却下だな。すでに埼玉は大雨らしい。帰る途中に雨に打たれることは確実だ」
雨の中でのバイク走行は危険だ。なにより雨で体がずぶ濡れになる。
温泉に入ったばかりの綺麗な体を雨で汚したくはない。バイクも当然汚れる。
「案2つめー。このまま伊香保温泉に泊まっちゃうー」
「それも却下だ。だってここ歓楽街だろ? 今は祝日だし、宿泊料なんてすごい高いだろ?」
人数も2人しかいないので宿泊料を割って、草津温泉のように格安で泊まることはできない。
「えーと、……じゃー」
猫屋が次の案を必死に考えている。
彼女ばかりに考えさせるのも悪い。俺からも案を出そう。
「案3つ目。ネカフェで雨が止むまで退避」
「あー、なるほどねー」
「少し費用が掛かるが、俺はこの案がベストだと思う」
バイクを買って、家が燃えて、教科書や最低限の私物を買いそろえた俺にとっては、遊び以外での無駄な出費は正直勘弁して頂きたいところだ。だが、まぁ、今回のような場合は仕方ないだろう。
「……うー」
急に猫屋が頭を抱えながら机に突っ伏して、唸り声をあげる。
「どうした?」
「お金、使いたくないよねー? こんな無駄な事にー」
「まぁ、そりゃあな」
「…………」
俺の返事を聞いてしばらくした後、彼女はゆっくりと抱えた頭を起こす。
「完璧な案があるよー……。お金も使わずに雨宿りができてー、バイクを置くガレージまであるとっておきの場所がー……」
猫屋の言葉には自虐的な含みが籠っていた。
顔も卑屈気に歪んでいる。
「お前の実家の事か?」
「うん」
俺も雨宿り候補の1つとして、思い浮かんではいた。
だが、口に出す事はしなかった。異性の友達の家に泊まらせてくれとは、西代ならともかく俺には言えない。
「いや、それは悪い」
「もともと、今回は私の私用だったわけだし、気にしないでいーよ。少しだけ恥ずかしいけどさー」
「いや、そもそも俺が勝手について来たのが──」
「はい! うだうだ言うの終わりーー!! これが一番の最適行動なんだから即座に実行するべーーき!! こんな事している内に、雨が降るって!!」
そういうや否や、猫屋は俺の手を取り引っ張った。なんか最近は引っ張られることが多い気がする。
「ママたちだってー、事情を話せばただの友達だって分かってくれるはず!!」
「……それもそうか」
俺の実家ではないのだ。恋人や花嫁と勘違いされるような変な話にはならないはずだ。猫屋と彼女の家族には悪いが、ご厚意に甘えさせてもらうとしよう。
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「ママーーー!! 姉ちゃんが彼氏連れて来たよーーー!!」
「な、なんですってーーーー!!??」
「ち、ちがう!! 彼氏じゃないからーーーー!!!」
なんで、また、こうなってしまうんだ……?
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