第21話 外れかけの錠前
「陣内君っ!」
西代が俺を呼びかける。ここはもう境内の外だ。
彼女の手を引く必要は無くなった。
「……悪い」
手を優しく払った。
何に対する謝罪なのかは分からない。ただ、彼女には謝りたいと思った。
「いや、その、僕の方こそごめん」
「西代が謝る事なんて、何一つないだろ?」
「でも、僕が余計な真似をしたからあんな事に……」
喧嘩の仲裁に入ってくれた事を言っているのだろう。それか『俺に振り向いて欲しかった』と嘘をついた事でもあるだろうか。意図は何となく理解できている。俺には余計な真似には思えなかった。むしろ、彼女が俺を庇おうとしてくれた行為自体は嬉しかった。
「そんな事ないだろ。……でも、ハハハ、あの嘘はちょっと驚いたな」
雰囲気を変えたくて軽口と共に笑って見せた。
「……そうだね、我ながらその場の勢いに任せすぎたよ」
西代も何とか笑ってくれた。張り付けたような薄い微笑だったが。
「でも、嬉しかったよ。ありがとう」
それでも俺は明るく振る舞ってお礼を口にした。
「悪いな、正月早々変な事に巻き込んで」
「いや、仕方なかったよ」
「……そうだな。帰ってさ……煙草でも吸おうぜ」
再び謝った。それと、喫煙の誘い。
今はどうしようもなく、脳にニコチンをぶち込みたい気分だった。
「うん……帰ろう」
トボトボと家に向かって歩き出した。ここからだと歩きで20分程度だ。
西代と話でもしながら帰ればすぐに時間は過ぎる。
だが、帰り道は今朝のようには話が進まず、どうにも気まずかった。
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煙草を吹かし終わった後は、特に何をするでもなくボーと過ごしていた。
会話はどこかぎこちなくで、気を使ったものばかり。
西代は時折、物思いにふけて難しい顔をしている。責任を感じているのだろうか。
俺の方は時間を置いた事で幾分か気分は落ち着いていた。
ああなってしまっては仕方ない。
時間は過ぎていき、今は晩飯の時分。
俺達は4人で食卓についている。父さんがまたいい酒を下ろしてくれていた。
今度は久保田の万寿だ。日本最高レベルの高級酒。正月という事もあってかなり奮発している。飲みやすくて美味しい。
父さんは上機嫌に酔っていた。息子と可愛い彼女がセットで座っているのを見て、親心が爆発しているのだろう。こんな事で喜んでくれるのなら、息子としては嬉しい限りだ。荒んだ心が安らぐのを感じる。
「どうだったかね、西代さん。梅治との初詣は?」
だが、どうかそこを蒸し返すのは止めてほしい。
「ま、まぁまぁだったよな?」
「う、うん」
はぐらかすしかなかった。
無茶苦茶、気まずい……
「懐かしいなぁ。私達も若い頃に何度もあの神社に初詣に行ったんだよ」
「そうねぇ、今は人混みが多くて元旦にはいかないけどね。若かったわぁ」
上の空で浮かれ、そこで心が繋がっている両親。仲がいいのは良い事なんだろうが、ちょっと恥ずかしいので西代の前では止めてくれ。
「そうだ、高校の友達も来ていたんじゃないの?」
「淳司君とか、よく遊んでいたよな梅治は。一緒の部活だったからよく覚えてるよ」
話題がとにかく最悪だった。なぜ、今日はこんなに運が悪いのだろうか。おみくじを引いていれば確実に大凶だっただろう。
確かに淳司とはよく遊んで、気もあった。だがもういい。あんな話の分からない馬鹿だとは思っていなかった。いくら長く付き合おうとも、相容れない事はある。
「会わなかったよ。まぁ別に正月に会わなくてもいいだろ」
「……」
西代の表情が少し曇って見えた。
彼女がそんな顔をする必要はないはずだ。
「母さん美味いよ、このお雑煮」
話題を変えた。せっかくの、めでたい日だ。
もっと明るい話をしたい。
「あら、梅治ったら。いつ間にかお世辞が言えるようになったのねぇ」
「いや、マジだって」
俺は母さんが今朝から作っていた雑煮を食べていた。
味噌と柔らかい餅が美味い。食いでがあるので酒も進む。
「な、モモちゃん?」
西代にも話題を振る。今は和気藹々と彼女と話したい気分だ。
そんな俺の思いを察してくれたのか、彼女はポツリと口を開いた。
「……
「「「…………え?」」」
俺の憂いなど簡単に吹き飛ばす、西代の驚愕の発言。
え、なに? 雑煮に餡餅?
「も、モモちゃんそれ、どういう事?」
「え、雑煮にはふつう餡餅じゃないかい?」
「そう言えば、香川ではそういった風習があるって、テレビでみたことあるわね」
「へぇ、そうなのかい」
びっくりした。そういった風習があるなら納得だが、猫屋の様な悪食癖が西代にもあるのかと思った。
だがそれは……
「美味いのか?」
どうにも想像がつかない。
雑煮と言えば塩気の効いた具材が美味しい物だろう。
「塩大福と同じ原理さ。中に入れてある餡子の甘さが増すんだ。僕は好きだよ」
確かに味噌は元を辿れば、塩と豆だ。
「……明日、雑煮の残りで試してみようか」
「そうね」
「やってみよう」
俺たち家族は未知の味への探求心を輝かせていた。
文化祭の時のタピオカと同じ流れだな。
しかし、西代の意外な発言のおかげでその後の会話は明るく楽しい物になった。
……ありがとう西代。
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翌日の1月2日。俺はベットで目を覚ました。昨日は父さんに付き合って、よく飲んだ。晩酌後も西代とゲームをして遊んでいた。
楽しかったが、体が少し重い。
隣では気持ちよさそうに眠る美しき姫君。相変わらず無防備な奴め。
のっそりと起き上がって、枕元に置いてある酒に手を伸ばそうとする。
だが、その途中で手が止まった。
「…………」
気分が高揚していなかった。昨日の事が喉に小骨が刺さっているかのように気になっている。もしかして、俺が酒を飲んでいなかったのなら、淳司はあそこまで怒らなかったのではないだろうか。そう思うと、朝から酒を飲むのは気が引けた。
「飲まないのかい?」
「うぉっ!」
西代の唐突な問いかけに驚く。
まだ、眠っていると思っていた。
「起きてたのなら目ぐらい開けろよ……」
「いつも朝起きた時に、陣内君が何をしてるか知りたくてね」
「別に、
「朝からの飲酒はだらしない事だとは思うよ」
「ほっとけ」
どうにも罰が悪い。彼女は俺の体質を知っている。
俺が朝から酒を飲んでいる意味も理解しているだろう。単に酒が好きだからなどとは思ってはいまい。
「起きたなら、朝飯食べに行こうぜ」
罪悪感と羞恥心を誤魔化すように、俺はベットから離れようとする。
「ちょっと待った」
起き上がろうとする態勢をとった俺に、西代が手を伸ばした。
そのまま自身の方に俺を引き付けて二人揃ってポスンと、再び布団に倒れ込んだ。
「お、おい……!?」
寝ていた時よりもさらに距離が近い。本当に恋人のようにお互いを抱きしめて、シーツにその身を預けている。互いの顔の距離など5cm程度しかなかった。
「ありがとう、昨日の夜はおかげで楽しかったよ。正月とは思えないほどだった」
「礼なら普通に言え……!」
バクバクっと心臓が早鐘を打ち始めた。
甘い匂いと絹の様な肌の感触のせいだ。さっきの飲酒の憂いなど忘れて、今すぐにでもアルコールを血潮に打ち込みたい。
「それで一晩、考えてみたんだ」
「何をだよ……!!」
「この事を話すかどうか」
「……? と、とりあえず離れてくれっ」
「嫌だ、このまま話そう」
「だから、何をだよっ!」
俺がそう言うと西代がさらにギュッと距離を詰めてくる。あり得ないくらい柔らかい物が俺に密着してくる。さらさらとした黒髪が俺の顔にかかった。
グルングルンと循環する煩悩と血流。その到着点は言うまでもないだろう。
「僕の心の恥部だ」
俺の耳元で消えそうなほど小さな声が囁かれた。
「は? どういう事だよ」
「人生の汚点と言い換えてもいい」
「…………」
西代は真剣な眼差しをして俺の目を見ていた。
その声音はどこか震えを感じる。状況が理解できないが真面目な話のようだ。
「僕には友達がいない」
「……え? 俺達がいるだろう?」
「っ…………ふふ、そうだね。ごめん、少し言い間違えた」
何故か彼女は嬉しそうに笑った。
声の震えは消えて、少しだけ抱擁が緩む。
「君たち以外にはいない、が正しい」
「……1人もか?」
「うん」
ギュッと背を丸めて縮こまる彼女。その姿は得体のしれない何かに怯える子供の様だった。
「君と同じさ。地元で嫌な事があった」
「待ってくれ、西代」
俺はすぐに彼女の告白を止めた。言わせたくはなかった。
ここまでの会話で彼女が自分の薄暗い過去を話そうとしている事に察しがついた。それは自傷行為に等しい。彼女が身を切るような痛みを味わう羽目になる事は、痛いほど予想できた。
「もう、それ以上は話さなくていい」
「詳しくは僕も話さないさ」
「でも──」
「聞いてくれ」
強い意志を感じる言葉。何をどういった意図で話そうとしているのかは分からない。だが、聞けというならこれ以上は止めはしない。
「子供の頃から、本ばかり読む根暗なやつだった」
彼女の昔話が始まる。"心の恥部"と称したくらいだ。
そこには自虐的な意味が多分に含まれているように感じた。
「落ち着いた子だったんだろ? 想像がつく」
「口調だって男みたいで変だ」
「安瀬に比べればましだろ」
「ふふっ、まぁね。たぶん、本の中の主人公に影響を受けたんだ」
「あるあるだな」
フォローしているのかよく分からない言葉を出す。
「だから、まぁ、色々とあった。嫌な事が、ね……」
言葉は少なく、酷くあいまいな表現。
だが俺には、集団生活に馴染めなかったっという風に聞こえた。
「だからさ、友達は大切に、ね……?」
実体験からくるであろう重い言葉が俺の心を貫く。
「不幸なすれ違いなら、きっと何とかなるよ」
「別にあんな馬鹿どうだっていいよ」
思わず反論してしまった。
西代の意外な過去に動揺して、胸の中がグチャグチャしている。
「俺には、お前らがいる……だから、べつに……」
「うん、僕もそうだ。でも、彼とも仲が良かったんだろう?」
「……」
あぁそうか。また彼女は俺を助けようとしている。
自身の言いたくないだろう暗い過去まで話して、不貞腐れた俺をなんとか仲直りさせようと。その献身の理由は、今の話から伝わってきた。
俺はガキだ。クソガキだ。ちょっとした行き違いで喧嘩して、自分勝手に友達を捨てようとした。
「…………」
「…………」
しばらくの間、俺たちは無言で見つめあっていた。
覚悟が決まった。淳司に謝ろう。
ここまで、西代にやらせたんだ。
いや違うな。一方的に縁を切ろうとする俺を、彼女が正しい方向に導いてくれた。
俺は彼女を強く抱き寄せた。親愛を意味するものだ。下卑た目的はない。
「え、ちょ、え、陣内君!?」
西代が慌てだした。男と一緒に寝ておいて、何を今さら。
「すまん、ありがとう」
「……っ!」
しっかり30秒は抱きしめておいた。
頑張ってくれた彼女に深い感謝を伝えたかった。
「……よし行くか。悪いけどちょっと待っててくれ」
これで十分に感謝の気持ちは伝わっただろう。俺もちょっと暴走しすぎた。
あぁ゛ー恥ずかしい。
スマホを手に取って、寝具から跳ね起きた。
部屋を出る足取りは軽かった。
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「さ、さすがの僕でもこのスキンシップは胸に響くよ……」
誰もいない部屋で、誰も聞いていないだろう、真っ赤な言葉を西代は口に出した。
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俺は近所の公園に淳司を呼び出した。
由香里と別れ話をした嫌な思い出が満載の場所。正直、二度と来たくなかった。
だが、今回はこの場所こそがふさわしいと思った。
「……来たか」
指定した時間通りに淳司は現れた。
俺が先に声をかける。
「おう、悪いな淳司。呼び出して」
「何だよ梅治。二度と顔が見たくないんじゃねぇのかよ」
開口してすぐの嫌味。眉間に皺を寄せて、こちらを睨んでいる。
当然、怒っている。酒までぶっかけたのだから。
「まぁ、まずは謝らせてくれ……ごめんっ!!」
会って早々に、俺は深々と頭を下げる。本気の誠意を彼に感じてほしかった。
「…………何についての"ごめん"だよ、それは」
淳司は俺から目をそらして、虚空に向けて言葉を吐いた。
彼の言う通りだ。俺が何について謝るかで、この謝罪の意味は大きく変わるだろう。
「……俺がこの2年、お前たちを頼らなかった事についてだ」
「……はぁ?」
淳司は訳が分からないといった様子で声を挙げる。
そもそもの話、今回の喧嘩の発端は俺にあった。
由香里に振られて、心に傷を負って、一人で暴走して、その事情を誰にも……親にすら話さなかった。"恥ずかしかった"なんて理由で全てを隠して遠ざけた。
「聞いてくれ、淳司」
息を大きく吸い込んで、決心を決める。
「俺は由香里の浮気現場を最初から最後まで見てたんだ」
全てを包み隠さず話すことにした。
今朝の西代が勇気を持って過去を話したように、俺も痛みを恐れずに全てを吐き出そう。
「え、は? いやそれは────」
「目の前で、あいつら、俺が見てるとも気づかずにおっぱじめやがった」
口調が速くなる。緊張してるせいだろうか。
「受験の1週間前にだぜ? 信じられるか? ってまぁ、信じてほしいから話してるんだけどな」
「……」
淳司は俺の話を黙って聞いてくれている。
「その後、由香里をこの公園に呼び出してな。訳を聞いたんだよ。なんで浮気したんだ? ってな」
2年前、この公園での出来事だった。
「そしたら由香里のやつ。急に俺を滅茶苦茶に罵倒し始めたんだぜ? 結構酷いこと言われたな」
ここまで詳しくは彼女らにすら話していない。
「『人の部屋で隠れてんじゃないわよ、この変態』『そもそも私が浮気したのはお前のせいだ』『あの程度の大学にも合格できない馬鹿』『エッチだって彼の方が上手い』……とまぁ色々と」
目から勝手に涙が零れていた。
「そこから受験にも失敗したんだ。試験中に由香里のことを思い出して、過呼吸を起こした。……たかが浮気されてフラれただけなのに情けないだろ?」
本当に情けない。
「そ、その後は由香里を忘れるために、髪染めてチャラチャラと……新しい恋人探し。まぁ、もちろんそれも上手くいかなかったよ。お、俺半年くらいEDになって───」
「────もういいッ!!」
泣いていた。黙って話を聞いていた淳司も泣いてくれていた。
淳司は悔いる様に顔を俯けている。
「……信じてくれるか?」
「あぁ、すまなかった……騙された俺が馬鹿だった」
「うん…………ありがとう。俺もごめんっ。本当にごめんっ!」
この勘違いの原因は、自身の傷から逃げた事だ。
恥をさらしたくないと逃げた弱い自分のせいだった。
「お前たちに話して、馬鹿にされながら、慰めてもらって、大騒ぎすればよかったんだ。友達なんだから、な」
「……馬鹿になんてしねぇよ」
そう言ってくれると嬉しい。
間抜けな俺をただ慰めてくれていたというのなら、俺はもっと早く救われていた。
「…………」
「…………」
気まずい雰囲気が二人の間に流れる。
困っていた時に浮かんでくるのは、俺の大切な所にいる彼女らの姿だった。
こんな時、あの3人ならどうしただろう。
「……酒、だな」
「え?」
「わ、分かってくれたなら、酒奢ってくれ。今から飲みに行こう」
俺の出した結論はやっぱりそれだ。
ニッコリとわざとらしく口角を釣り上げてみる。
「え、は? 今からか??」
「おう! 健太と雄吾も呼んでさ! ぱぁーーッといこうぜ!」
「…………」
少しわざとらし過ぎただろうか。
「……ハ、ハハハっ! 本当に酒好きだな、梅治!」
「! まぁな! あ、ちょうど話したい事ができたぜ、あのゴミ脱糞女のことだ!」
「それって由香里の事か?」
「あぁ、聞けばマジで笑えるぜ。俺の大学の友達の話だ───」
************************************************************
俺たちの間柄はすぐさま高校の時に戻った。気の置けない男友達。
遊び場が教室から居酒屋に変わっただけ。健太と雄吾も呼びつけて、酒飲んで大騒ぎ。もちろん昨日の喧嘩については淳司と一緒に謝った。二人はすぐに許してくれた。そこからはイカれた文化祭の動画を見せて大盛り上がりだ。
後からだが、西代も呼んだ。彼女も楽しそうに俺たちに混ざってくれた。
俺以外の男の目は少し恐怖に染まっていたような気もするが……
まぁ、大団円、雨降って地固まる。そんな言葉がぴったりな結末となった。
************************************************************
三が日が終わって1月5日。
俺は空港に向かって車を走らせていた。西代を送るためだ。
「はぁー、しかし花嫁のふりなんて本当に疲れたよ……」
「ハハハっ、お疲れ様だな、モモちゃん」
「その呼び方、もうやめてくれ。安瀬たちの前で出てしまったらどう説明するつもりだい?」
「……確かに」
恐ろしい妄想が俺の脳内で繰り広げられた。
安瀬と猫屋にひたすらに弄られて馬鹿にされるという屈辱的な内容だ。
「まぁ、陣内君のおかげで人生で一番楽しい正月になったよ」
「そりゃどうも。俺は中々心苦しかったけどな」
両親は西代を完全に未来の嫁に接する態度で扱っていた。
実はただの女友達でした、とはもう言えないだろう。
「来年は猫屋の方に行くから、安心してくれ」
「……なぁ、それなんだけどさ」
俺の頭には一つの疑問があった。
「もしかして、俺が地元の友達と喧嘩になる事を予見して、俺の方について来たんじゃないか?」
俺は、自分でも突飛すぎると思うほどの疑問を西代に向けて言い放った。
「……なんでそう思うんだい?」
彼女は驚いた様子で俺の顔を凝視する。
「いくら猫屋の家の飯が辛くても、普通は同性の方にいくだろう?」
西代が親戚が嫌いな事は嘘ではないだろう。
ただ飯が辛いだけ、という理由で異性の家に行くのは釣り合いが取れていないように感じた。
「それに、あの喧嘩の仲裁のタイミング。お前、お参りに行くって言っていたけどコッソリと俺たちの会話を聞いてたよな?」
「…………」
「あとは庇うまでの判断の速さだな。なんか出来すぎてた気がするんだよ。今回の西代の行動は」
西代は何故か黙って懐から煙草を取り出した。
その手に握られているのは珍しくウィストンだ。俺のお気に入りの嗜好品。
「すぅー、ふぅーー……」
彼女は俺の疑惑には答えずに、黙って喫煙を始めた。
「おい…………なんとかいって───」
突如、俺の口に新品の煙草が突っ込まれた。
「んぐっ!」
「大人しくしておきなよ」
そういうや否や、彼女は顔を近づけてきた。
シガレットキッス。クールで美人な彼女の大胆な行動。不意を突かれたせいか、心臓が跳ね上がった。
俺は彼女の言う通り、大人しく火がつくのを待つしかなかった。
乾燥した
「
「……キスで黙らせるってか。恥を知れ、恥を」
「シガー越し、おまけに『美人にキスしながら安全運転ができる人間は、キスに十分集中していない』だ。僕がそんな無意味なキスに恥を感じる必要はないね」
「減らず口め」
だが、これ以上彼女を追及する事は止めておこう。隣で皮肉そうに微笑を浮かべる、男装の美しき麗人。もう一度、口を塞がれれば今度こそ運転に集中できなくなりそうだ。
それに、彼女が俺を助けるために動いてくれたのは確かだ。
「なぁ、もしよかったらさ……」
「うん?」
「来年の正月も家に来ていいぞ。その、えっと、親にお前と別れたと思われて、悲しませたくないしな。また嘘つく事にはなるんだろうけど……」
俺は煙草の煙を思いっきり吸いこんだ。
恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。
「うん、また来年ね」
「あぁ」
優しげな微笑を浮かべる彼女に、俺はぶっきらぼうに返事をした。
************************************************************
場所と日時が変わった、数日後。
西代はとある人物に電話を掛けていた。
「はい、もしもし佐藤ですが」
「あ、先生。あけましておめでとうございます、西代です」
「あぁ、おめでとう西代さん……。その様子だと今度はちゃんと"後始末"はつけられたようですね」
「はい。先生の言った通りになりました」
西代は電話越しの女助教授に畏怖と敬意を抱いていた。
無論、アルコール耐性にではない。先見の明にだ。
文化祭の翌日、西代は教授練トイレの後始末を忘れていた事を思い出し、佐藤甘利に電話をかけた。事情を話して証拠の隠滅を図るためだ。
「やっぱり女の恨みは恐ろしいものよね。由香里さんって人が聞いた通りの性格なら、嘘を吹聴するぐらいはやるでしょう」
「おっしゃる通りです」
佐藤甘利は監視カメラの映像を消す事を条件に、陣内梅治の体質とそうなった経緯を把握した。西代はその事を誰にも言っていない。黙っていることも条件に入っていたからだ。
今回の騒動を予見して西代を陣内に付き添わせることを提案したのは佐藤甘利だ。
「あの、でも、先生? 今回の後始末には先生にどんなメリットが?」
「私はただ、担当生徒にキッチリと卒業して欲しいだけよ。そのために余計な心労を生徒に与えたくはないの」
佐藤甘利は本心を語る。
「……それじゃあ私は仕事があるから、失礼するわね」
「あ、はい」
短い会話で佐藤の方から電話を切った。
「さて……」
これで、陣内梅治の心の錠前はまた一つ外れた。
彼女らの関係は楽し気だが、どこか歪。健全な男女の在り方では決してない。
恋慕という火の点いた導火線は確実に爆薬庫に向かっている。
「その症状が完全に治った時。あなたはどう責任をとるのかしらね」
佐藤甘利は陣内の体質を、症状と呼称する。
精神的な疾患であり、治るものだと。
「痴情の
佐藤甘利は気怠そうに、彼らの未来を案じる。
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