あなたが落ちるのは金の転生ですか、それとも銀の転生ですか

金子ふみよ

序 お好みはどちらの転生?~女神の微笑を添えて~

 異世界転生というジャンルが流行っていると言う。ブラック企業に勤めていたり、事故や事件に巻き込まれたり、とにかく不幸に見舞われていた主人公が現代日本からどこぞの異世界へ転生し、人生をやり直すあるいは理不尽な召喚とやらに巻き込まれた場合には逆境から這い上がっていく、と言う始まり。そこでは異能が使えたり、チートだったり、モテたり、なんだったり。現世では味わうことのできなかった体験を異世界で謳歌する。

 ところで、仏教でいうところの輪廻転生では善行を行った者には来世の善が待っているらしい。現世で悪行をした者は極楽浄土には行けない、らしい。とするならば、異世界転生の主人公とやらはどれほどの善行を現世で行ってきたと言うのか。付け加えるなら、善行だろうが悪行だろうが六道輪廻も閻魔様次第で、転生後は人間になるか犬になるか虫になるかなんて確率論も通用しない原因と結果の法則の支配を適用されるわけだ。やらかしたから虫になるって理屈もよく理解できないが。

 あるいは、異世界転生でのハッピーな展開自体が、キリスト教由来の福音主義的で現代を生きる力そのものを奪っているのではないか。設定が中世的というのも合点がいかない。異世界だぞ。その住人が封建主義的価値観に染まっているなんて誰がそんなことを決めた。魔術や魔法があってチートだっていうのに、市民革命一つ起こってないなんて地球人より思想や精神性が成熟していないのか、そんなの矛盾しているじゃないか。賢者がいるなら啓蒙思想を広めろよって話し。そんな魔法だか魔術だか魔道だか技名が英語ってのもどこまで大航海時代に浸ってんだって感じじゃないか。好気性的に呼吸ができるほどの空気の成分比率が地球と同じだったり、気圧や重力にも適応したり、だなんて、それこそ天文学的確率というか数学的にという、……ひとまず深呼吸をしておこう。

 しかもだ。前世の記憶を持っている転生なんて、超党派的にこれまでの転生という現象についての思想やら前提やらがうやむやになるばかりでなく、現世で前世の記憶がない言い逃れでしかない。知らないんだから、何してもいいでしょ、みたいな。我々は転生してもこれか、転生以前の記憶を見せよ、でなければ革命を起こすぞ。

 と、辛辣に批評しているのは個人的見解では実はない。あくまで聞いた話しだ。教員から。地理の授業中に。最近買ったゲームがバッドエンドだったらしい。異世界転生ものの恋愛シミュレーションRPGとのことで。もうすでに30を過ぎた男性教諭の愚痴を東風もせずに記憶していたのは、馬ではないからだと言ってしまえばそれまでだが、記憶していたとしても再起するかどうかはまさに私の裁量次第であり、脳がせっせと処理していたくっだらないデータを今更ながらに持ち出すのにはそれなりの理由がある。その理由こそ、私が意志に基づいて一寸の光陰軽んべからざる青春の一時を費やしてまで付き合った駄弁を思い出しちまった根本なのである。

 どうして、こうも冗長が過ぎるのかと言えば、簡単である。現実逃避をしたいからである。なぜなら、女神がいるからである。目の前に。そして、迫られているのである。

「あなたが落ちるのは金の転生ですか、それとも銀の転生ですか」

 神からの脅迫問いかけである。答えなければならない。どちからを。

 とその前に。

「イソップに許可取りました?」

 女神は微笑した。いや、せせら笑いを堪えていた。十分だった。人間の些末な権利のことなど神は知ったこっちゃねえってね。

 ところで。私は斧を落としてはいない。木こりでもないし、ましてや斬殺のためにホームセンターで買ってもいない。

 そもそもどこぞやに生きたまま転生許可が下りられるほど善行なんぞしちゃいない。……コンビニのレジにある募金箱に100円入れたからか。あるいは、先日雨の日に公園の前に置かれていた段ボールの中にいた捨て猫に予備に持っていた折り畳み傘を開いて濡れないようにしたからか。

 いや、善行云々の前に。私の現世、そんなに不幸でも不憫でもない。両親とも健康診断はA判定だし、勤め先も健全だ。我が家のローンは後18年残っているそうだが、大学進学は奨めてくれている。一応本分としての勉強はしているから、頭でもケツでもないそれなりの成績ではいる。どちらかといえばそんなにスポーツマンシップがあるわけでもないから、体育という授業が得意か不得意かと問われれば得意ではないと答え、好きか嫌いかと問われれば好きではないと答えざるを得ない。とはいえ、テレビとかで放送されている、例えばサッカーやバレーボールや水泳などをたまたま見て、興奮とかがっかりとかしないわけもないから、スポーツ自体が嫌いと言うわけではないとは一点述べておかなければならない。ただ、マラソンはいまだに見ていて面白みが分からない。二時間以上おんなじ映像を見せられているだけの気がしてならないが、そこになんらかの興味をそそる点がいつか感じられるのではないかとは思っている。でなければ、市民ランナーがこぞって増加傾向にあるはずはないからである。

脱線してしまったので、本論に戻ることにするが、こうまでしても先延ばしにしているのは、その女神さまからの選択を一向にも決められないからである。

 よくも考えてみたまえ。斧は物質である。ご褒美としての馬人参の金であろうが銀であろうが物質である。しかも、女神さまがご登場なさいます前に湖に落としている。つまりは過去形なわけだ。ところが、である。私は確かに物質ではあるけれども、私が湖に落ちたわけでもなければ、ましてや転生が過去形であるはずがない。つまり、過去形の斧はどんなもんかは知っているけれども、過去形でない転生はどんなものかは知れんのだ。知れんものを選べってのは、観客側に見える方だけが透明な面になっているボックスに手を突っ込んで中身を当てる罰ゲームと大差ない。となれば、未知の不安への善後策としては結論を即断しない一択なのですわ。

 ですが。

 にこやかな女神前にして、いつまでも答えないってできるはずもなかろうもんですわ。

 そこで口を開こうとしますわ。転生が金だとか銀だとかまだ決めてはいないけれども。と、その瞬間閃く。アルキメデスは人である。私も人である。よって私はアルキメデスである。転生、つまりは人生、つまりは時空間である。それは単色で表されるようなものだろうか。あるいはその色はその時空間の象徴としてとも解されないわけがない。だとしたら、金と象徴される、銀と象徴される人生とはいったいどんなものだろう。キリストの人生は何色だろう。ブッタの人生は? あるいはエジソンは、アインシュタインは、ガンジーは、ラスプーチンは、ラブクラフトは、クロウリーは? テスラは? ひとえに言えるのは末期の水を飲む瞬間に応えられるものではなかろうか。それを転生の前から断定されるってのは、どうなの?

 と言うか。何より私が傾聴しなければならないのは偉人たちの人生をああだこうだ言うくらいならば、それこそ原点回帰としてイソップの文脈である。正直であれ。

「私は金の転生でも銀の転生でもなく、私の転生を選びたいとも思います」

 女神は冷笑した。

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