第1話 仮初め夫婦

 日ノ国ひのくにには七百年ほど続く忍びの郷がある。


 忍びの郷は帝から直属の間者かんじゃを育成する隠密の組織である。身寄りのない子供を引き取り、間者に育て上げる。帝が陽ならば間者は陰の部分を引き受け、脈々と受け継がれてきた長い歴史があった。


 美和の父親である半六はんろくは忍びの郷の出身だ。


 半六の両親は、半六が生まれてすぐ亡くなっており、天涯孤独の孤児になったので忍びの郷に連れて来られた。

 

 しばらく郷で暮らしていたが、半六の初仕事は五歳の時、忍びの郷を離れ、暁村あかつきむらにやって来た。


 古くから、この地域の間者の任務は聖獣村せいじゅむらと、松野家、日路里家の動向を探るため、その土地に溶け込み生活する。今まで暁村に住んでいた間者が高齢になり、郷に戻ることになった。半六は聖獣村出身の日路里正一と同い年なので選ばれた。



 ***



 ――煙草の煙が空に漂う。


 ふり向くと、忍びの郷の仲間である男が煙管きせるを片手にもち立っていた。茅葺屋根かやぶきやねの家を眺めていると話しかけてきた。


「よう、半六」

「藤夫さん」


「半六、今まで俺とお前は郷で暮らした仲間だが、今日からオレを父ちゃんと呼べ。それからこの辺の地域のやつは自分の事をと言うんだ。分かったな」

「はい、父ちゃん」


 間者仲間である藤夫ふじお米子よねこと半六、三人の偽家族の生活が始まった。


 農民として生活する傍ら密かに親と言う名の忍びの手練れに術を教え込まれていた。偽家族の他にも郵便脚夫の望月竹道もちずきたけみちさんも間者の一人だ。


 忍びの訓練として、まずは薬草の知識を得ることだ。間者は全地域に散らばっており、薬売りをする間者が多く存在していて、旅先で情報を収集するのだ。

 その他には毒殺するため毒草を山で摘んで調合する知識を学ぶ。腹を下す程度の雑草から致死量に達する猛毒の草の分量を覚える。最初は軽めの毒草は自分の体で試す。

 薬の知識を得ると、次の訓練を受ける。


 任務中、計画が失敗した場合、簡単に自害する方法などを訓練する。敵に捕まって万が一にも生き延びて、自身の情報が漏れないように、自害するのをためらわないような訓練もする。


 剣術や忍術も習うが、昔と違ってほとんど使用する機会はない。もし刃物で刺し、殺人事件となれば警察に捜査される。素性をなるべく調べられたくないので、戦乱で混乱した世でもない限り直接手を下すことはしない。殺害命令が下された場合でもほとんどが事故死や薬物死を装うので剣術を使うことは滅多にない。しかし有事の際は躊躇うことなく遂行できるように常に鍛練している。


 今は〈東の地〉と〈西の地〉の中間地点であるここ暁村〈中の地〉では、中間管轄の伝言者に情報を渡すことが主な仕事だ。


 殺生は少なくなったと言っても半六は今まで数人、任務で人を殺めたことがある。


 半六は孤児だ――。


 生まれた時からそのように訓練された手練れだ。相手に何の感情も持たず依頼通り仕留めることができる一流の間者になっていた。


 皮肉なことに近年、そのような依頼はパタリとなくなった。


 理由は近代化と日ノ国軍の勢力が拡大したことが影響している。大体は武力で制圧できる軍事力と日ノ国軍独自の間諜や一つの分野に精通した間者が存在し事足りる。それに新しい技術や機器を扱える者もいて、地方の間者より重宝されるのだ。謀反を起こす集団の中に潜伏させることも容易にできなくなり、時代遅れの郷に依頼などなくなった。



 ***



 あれから――月日が流れ、日ノ国も平穏な日々が続き、帝からの依頼もないので、五年ほど前から国からの支給も途絶えた。


 そこから坂を転がるように、忍びの郷は弱体化の一途を辿る。出奔しても昔のような罰則はなくなり、帝が代替わりして七百年の歴史に静かに幕を閉じようとしていた。


 半六が三十路になる頃、高齢になり引退の年齢に差しかかった藤夫さんと米子さん偽夫婦は忍びの郷に帰って、半六だけが暁村に残った。

 

 半六は暁村に残り、独り暮らしをはじめた。




 しばらく経ったある日、ふと、夜になると夢に現れ半六を苦しめる。


 一昔前、自分が仕留めた謀反者のことを。


(藤夫さんたちと住んでいた頃は思い出しもしなかったというのに――)

 

 任務で人を殺めた時期は二十二歳からだけだ。半六が殺めなければ別の間者が実行しただろう。だから気に病む必要はない。だが、時々、一人でいると溺れたように息が苦しくなる。


 初めて人を殺めた日の青い空、風の匂い、血しぶき、返り血を浴び、骸となった顔が浮かぶ。一人目は旅先で強盗のように見せかけて刀で殺めたこと。二人目は自然死を装って毒草茶を飲ませたこと、次々に浮かんでは消える。冷静に表情も変えず任務を遂行した。


(俺はあの時、何を考えていた?)


 ――失敗すれば自死するしかなく、任務を終えて、自分の命が繋がったような安堵しかなかった。あの日から道は決まった。もう俺は普通の人生を歩むことはないだろう……。


 自分は孤児だ

 抗うことも声を上げることも

 俺には選択の余地など――なかった

 考えても仕方ないことだ


 だけど、と思う。もう少しだけ後の時代に生まれていれば、人を殺めることなく、間者人生を終えたかもしれない………。もっと言うなら両親が死ななければ、今頃はごく普通の農家の息子だったのだ。でも今さら遅い。決して消し去れない罪を犯した。


 夜中、悪夢にうなされ起きる。己の罪の重さに耐えきれなくなり、苦しくて楽になりたくて思わず自身の首を絞める………。どうすれば苦しまず死ねるか解っている。だが一歩手前で死にきれない。冷や汗をかき手が震え窓から見える夜空を見上げた。


 どうして俺は――。

 考えても仕方ないことなのに

 それでも自分の運命を呪わずにはいられなかった。


 しばらくして仮初め夫婦役として、郷から妻が派遣されることになった。

 その女は十和とわという名だった。

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