第8話 朱翔の事情

 日も長くなり暖かくなって、風が気持ちよい。そろそろ田植えの時期だ。ため池に留めていた湧き水を開放し、乾いた田んぼが一面水に覆われる。美和は水田に映る景色が好きだ。明るいうちは空を夕日は反射して水面が照らされる。

 植えた稲に根がしっかりと土に根付き育ってきたら、村の人に借りてきたアイガモを田んぼに入れ害虫を食べてもらう。水が入ると蛙の声がうるさくなる。

 高台に建つ茅葺屋根かやぶきやねの美和の家から毎日、蒼翼そうすけからの手紙が来ないか気になって、ついつい遠くをみてしまう。


「あっ」


 田んぼの向こうの道の遠くの方から郵便配達員が歩いている姿が見えて美和は思わず駆けだす。


「竹道さん。おはようございます!」

「おはよう美和ちゃん、お待たせしたね、婚約者の蒼翼くんからの手紙だよ」

「あはは……どうも」


 竹道さんはかっかっかと笑いながら渡す。


 この村での秘密は皆無。バレバレである。恥ずかしそうに受け取り後ろ姿を見送った。家に戻り縁側に腰を下ろした。


「コッコッコ……」


 構ってほしいのか庭に放ったニワトリの千代がバッサバッサと大げさに羽を広げ、重い体に勢いつけ、やっと縁側に飛び乗って美和に近づく。ニワトリは飛べないと聞くが何を隠そう美和は千代に飛べるように教えてあげたのだった。


「なーに千代? なでてほしいの?」


 千代がくちばしで掻けない首回りを触りながら蒼翼さんからの手紙を広げ読む。


『実家近くの駐屯地に寄るのでお盆より前に一度、帰って来ます』と書いてあった。

 美和が手紙を真剣に読んでいるので千代が手紙をくちばしで引っ張る。ビリっと破けた。


「もー千代ってば。構ってあげないから拗ねたの?」


 最近、手紙が待ち遠しい。あれから朱翔さんは前より意地悪なことを言わなくなった。蒼翼さんが何か言ってくれたのかもしれない。


 その日、美和は一人で街に出てきた。買い物を父様から頼まれて、三軒長屋の日路里家のお店に入る。相変わらず混んでいてお店は忙しそうだ。従業員が美和を見るとすぐ案内され奥から蒼翼の父親である正一が顔を出した。


「やー美和ちゃん、いらっしゃい。一人でよく来たね」

「こんにちは。先日は荷物を運んでいただき、ありがとうございました。父ともども、とても助かりました」

 前々から考えたお礼の言葉を口にした。

「なあに、お嫁さんになるからあれくらいは当然じゃよ。そう、お前達、あれを持ってきておくれ」


 従業員に指示する。奥の戸棚から持ってきた。

「はい、これだね」

 近所の人が病気になり日路里のお店に頼み取り寄せておいた薬だ。

「ありがとうございます」

 頭を下げ両手で大事そうに受け取り鞄の中に薬を入れる。

「ああ、あとね、蒼翼がもうすぐ帰ってくるからな~」


 と言ってニヤニヤする蒼翼さんの父。何故?私より令嬢との婚約の方がよかったと思うけど……。それに貧乏で名家でもない東雲家より、蒼翼さんならまた別の凄い資産家令嬢とのお見合い話があっても全然不思議じゃないんだけどな。そう思っているのに……。


「蒼翼のこと頼んだよ」

「はぁ」


 店の奥の方で、大声で言い争っている声がする。


朱翔あやとさん、自分が何を言ってるかわかっているの? これまでどんな思いであなたを育ててきたと思っているのよ」

「ああ、わかってるさ。だから言わせてもらう、オレは絶対、家継ぐ気ねぇし、縁談も持ってくんなよっ!!」


 バタバタと長い廊下を歩く音、ガラッと勢いよく扉を開けたので、その方向を見ると家を出ようとする朱翔だった。

 ちょうど美和も出ていく時に目が合い、めちゃくちゃ睨まれた。


(何もしてないのにー)


 用事も済ましたので、ほぼ同時に店を出ると何となく二人で歩く。

 川沿いの商店街は船着き場が近いこともあって〈中の地〉は西と東の恩恵を受けている。そのため旅人もわざわざ〈中の地〉に足を運ぶほど色々なものが手に入った。昨年から新しく電車が開通し、駅もできた。これから発展していくのだろう。


「……」


 しばらく黙ってたが、美和が尋ねる。


「今って、朱翔さんの見合い話?」

「ああ、小学生でもう将来を決めようなんて馬鹿な話だよ。女子も結婚相手を自分で決められないが、男のオレだって決められないんだぜ」

「でも殿方はお断りすることもできるでしょう?」

「あのなー。よっぽどそれ相応の理由がなければ、断れないだろ。それで一生添い遂げろって無理だろう。オレは、な。兄はどう考えているか知らん。前の婚約者の時も、お前の時も親父の言うことに逆らったりはしない」


 朱翔はイライラするのか髪を乱暴にクシャっとする。


(……知っている。蒼翼さんは誰に対しても優しい方なのだ。私、何でモヤってするんだろ)


「お店を継がないって、何かやりたいことでもあるの?」

「オレは軍人になる」

「軍人……」

(兄弟で軍人って蒼翼さんも軍人だからお父さんは許さないだろうね)

 日ノ国ひのくに壱ノ国いちのくにとの交渉次第では、このまま戦争が本格化しするかもしれないと村の人が言っていた。


「もうすぐ蒼翼さん戻ってくるみたいだし、相談したら?」

「ふん、言われなくてもそうするさ。店なんて兄が継げばよかったんだよ。オレは商売人ってガラじゃねぇ」

「そうかな、案外似合いそうだけど」

「はあ? どこがー⁉」

 声を荒げ手を上げるので一瞬殴られるのかと思いサッと頭を避けた。


「……でもまあ、オレは予備で生まれたようなものだからな」

 朱翔は皮肉な笑みを浮かべた。


(予備?)


 商店街で話しながら二人で歩いていたら、向こう側からも二人で歩く姿が。


「え?」


 よく見ると、女の人を連れた軍服姿の蒼翼さんだった。

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