第6話 狐の嫁入り

 雪解けが春を告げる。

 桜が咲き始め、木々が芽吹き徐々に暖かくなる。

 美和は6年生になった。


 日ノ国ひのくにでは高学年になるこの時期、最初で最後の恋をする。好きな子に告白して学校を一緒に帰ったり、交換日記したりする。

 そして小学校を卒業すると、淡い恋に終わりを告げ、女子は女学校じょがっこうで花嫁修業する。その後、中学を卒業と同時に女子達はお見合相手の家に嫁ぐ。

 例え許嫁いいなずけが小学生で既に決まっていたとしても、今のうちに恋愛をするのが暗黙の了解だ。

 この国の女子の結婚が早いのは、男子と比べると平均寿命が短いからだ。理由は出産時に死亡する確率が高い。原因が分かっているのだからその対策をとればいいのだが、産院は少なく、ほとんどが産婆さんを呼ぶ自宅出産だ。その上、男尊女卑だんそんじょひの国。妊娠、出産は病気ではない。逆に子沢山で丈夫な女性も中にはいるので大事にされないのだ。ぎりぎりまで家で働かされる。結婚して十代で命を落とす女子のなんと多いこと。生き急ぐように恋をする日ノ国女子。


「美和ちゃんは、学校に好いた方いる?」


 学校の帰り道、琴子は聞く。同級生の男女が一緒に帰っている後ろ姿を見ていたからだ。同じ組だったので少しからかってみようかと近づいてみたが、その二人は短い恋を名残惜しむように見つめあっていたので、私たちはやめてしまった。川沿いを歩くと桜が散りかけていた。あぜ道にはつくしが生えていて、摘んでつくだ煮にして食べようかな。なんてぼんやり考えていた。


「ええーいない」

「でも美和ちゃんの場合、婚約者以上の殿方っていなさそうだもんね。知っていた?  美和の婚約者さんは同級生の朱翔さんのお兄さんなんだって。だから私たちと小学校一緒だったよ。年が離れているからほとんど接点なかったけれど、成績優秀だったし美男子で有名だったみたい」

「朱翔さんと兄弟は知っているけど、同じ小学校にいたなんて覚えてないね」

「そうね、4年生から校舎が離れているから覚えてなくても無理はない。それと、近所の豊姉さんが言うには、美和ちゃんの前に婚約していた令嬢が才色兼備で何人も殿方から結婚を申し込まれていた。という噂よ。それに大陸語を流暢りゅうちょうに話せるらしくて、中学校の大陸語弁論大会で優勝したとか」

「うっ……そうなのね。すごい令嬢と婚約までしていて、次はなんで私にお見合い話が来たんだろう。どうりで同じ組の女子達に睨まれたよ。ああ、本当に釣り合わないし、何かの間違いかと思うな」

 頭を抱え焦る美和。


「そうかな? 確かに美男美女とは言い難いけど――」

「むっ。ちょっと琴ちゃん。はっきり言いすぎ」

「でもね……この前、二人並んで歩いていた時、雰囲気が似ている気がした。どこがって言われると分からないけどさ」

「ええ? まさか」


 チャリーン

 鈴の音とともに行列が遠くに見える。

 花嫁行列に出くわした。


 鈴の棒を持った若い衆、花嫁の後ろを2列に並んで総勢五十人ほどの縁者。法被はっぴを着た男性や着物姿の女性達が後ろをついていく。長い行列がこちらに来るので道の脇に退き、行列が去るのを待った。


「今日は晴天にも恵まれ、お日柄も良いから嫁ぐ方が多いよね」

 桜が咲く春の季節によく見かける風景だ。大きな赤い野点傘のだてかさをさし、仲人さんに支えてもらいながら傘の下でしずしずと歩く白無垢を着た女性が花嫁だ。一日かけて街から村まで歩いてきたようだ。


「よめー、よめー」


 若い衆のかけ声が掛かると、歓声が上がり、村人に祝福されている。突然、青空なのに雨がどこからともなくパラパラと降ってきた。

 

 狐の嫁入りを思い出した。夕方からの嫁入りは提灯を下げ夜道を歩くので無数の灯りがゆらゆら揺れて幻想的なので、提灯行列とも狐火とも言われている。本当に花嫁さんが狐だったりして――。白無垢姿に文欽高島田ぶんきんたかしまだまげを結った髪の上に綿帽子わたぼうしを深く被り、白い肌に赤い口紅がより一層妖しく美しかった。


「キレイだね……」

 ほーっと美和は見とれていた。

「うん、でも……」

 琴子は何か言いかけて、雨粒と陽の光が細かく反射して眩しそうに花嫁を見ていた。


「あら、琴子さんじゃない」


 行列の中に知り合いがいた。

「静江叔母さん」

 静江さんは父方の妹さんだった。


「今日は天気も良くて思ったよりも寒くなかったわね。あの花嫁さん可愛らしいでしょう。従兄弟の家に嫁ぐのよ、十七だって」

「十七……」

(早い)

 二人は目を合わせ黙ってしまった。そう遠くない時期に自分達も同じように行列の傘の下を歩くことになるのだろうか。


「あなたも中学に上がったら花嫁行列に参加して振袖着て歩いてね。殿方に見初めてもらいましょう。琴子さんももうすぐよ。今ねぇ、釣書つりしょを書いてお母さんが良い縁談を探しているから安心しなさいね」


 静江叔母さんは、片目をつぶって微笑んだ。

 琴ちゃんはうつむいたまま硬い表情をしていた。


「……お邪魔になってはいけないので失礼します」


 花嫁行列を見送り、鈴の音が聞こえなくなるまで黙っていた。


「はぁー」

 琴子はため息をつく。なぜ物憂げな顔になるのか、一つの可能性を考えた。

「琴ちゃんはいるの? 好いた方」

 美和は琴子を見つめる。琴子はしばらく考え込んでから

「あー違うの、ないない。好いた方なんて。父上を見ていると好きになること自体、考えたくもない。それより絵を描く方が楽しいよ」


 松野家は、山を所有し大きなお屋敷に住んでいる。白い壁の塀で囲われ立派な門構えだ。中に入ると母屋と離れがあって祖父母、お手伝いさんもいて、そこで何不自由なく暮らしている。父は武家の末裔で、その昔、戦乱の世に活躍した先祖が、当時の帝から領地を下賜されたそうだ。

 琴子に弟がいて、弟が生まれた時には寡黙な父が喜ぶ姿を初めて見た。


「でかしたぞ。これで松野家は安泰だ」


 その言葉が忘れられなかった。その後、親戚が集まり「跡取り」「長男」と、もてはやした。女子が生まれた時はこんな風にお祝いしないのに、どうして男子だけ特別なのか、不思議だった。

 琴子はいずれ同じような家柄の方と結婚することになっている。女子は好きとか嫌いとかで縁談を断ることは許されない、かといって家にずっといることもできない。例え縁談を断っても父や祖父母に「お前の育て方が悪い」などと母が責められるだけだ。

 父は酔って母に手を上げバシッという鈍い音が思い出され、琴子は頭のこめかみに手を置いた。

 これ以上、母の悩みの種を作りたくないので、お見合相手に口出しはしないが、せめて結婚相手を決める母が良い縁談を持ってくることを祈るばかりである。高学年になると色んなことが分かってきて将来の話すようになっていた。もう子供のままではいられない。


「琴ちゃんは絵が上手だもん。絵が好きな人が未来の旦那様だといいね」

「……」


 吹き上げる風がビューと強く吹く。桜が舞い散る。青空に舞った花びらがきらきら光る川の水面に浮かんでゆっくり流れていく。


「結婚相手を自分で決められないなんてね。今までもそうだったし、これからも。それが当たり前なんだよね」

「女子の一生って何だろう」


 琴子はぽつりぽつりと呟く。向かい風が吹く、美和は負けないよう強くなりたいと思ってしまった。


「琴ちゃん、あーって叫んでみない?」

「いいね!」


 私たちは山に向かって叫ぶ


「あ―――――っ」

「あはは」

「恥ずかしい」


 笑い声は山にかき消された。

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