第6話 引き金

 車の通りは少ないものの路上駐車は多い、道幅の広い裏通り。

 それがハーフィドとシャクールがよく選ぶ暗殺場所であり、ムディルを殺そうと待ち伏せしているのもそういった道であった。飲食店の裏側や古びたアパートが並ぶこの場所は、逃走経路に困らず、また目撃者も少なくてすむというのが利点だ。


 ムディルがこの道を通る朝九時ごろを、二人は車内で待っていた。

 改造して消音器を付けたスチェッキンAPSは、きちんと安全装置を外されてハーフィドの手の中にある。


 しばらくすると、後方からムディルが力の抜けた足どりで歩いてくるのがバックミラーに映った。ハーフィドは手動で窓を開けて、そのときに備えた。


「来たな」

「あぁ」


 シャクールがそっとつぶやき、ハーフィドがうなずく。


 ムディルは何も気付かずに、二人の車から少し離れたところを歩いていた。ゆっくりと距離は縮まっていく。そして、撃つなら今だろうという時がきた。


(あの後頭部を撃てば、それで終わり。終わりなんだ)


 ハーフィドは、スチェッキンAPSを強く握りしめる。だがムディルが横を通り過ぎて遠ざかりだしても、ハーフィドは撃てなかった。

 何か言いたげな顔で、シャクールはハーフィドを見つめた。その目は、撃たなくても間違いではないと訴えるようにハーフィドを映した。ハーフィドはもう、こうなったら失敗したということにしてもいいような気がしてきた。だがこれまで工作員として生きてきた人生が、その決断の邪魔をする。


 ハーフィドが迷っているうちに、ムディルは急に立ち止まった。そして何か忘れ物でもあったのか、道を反対側に引き返してくる。


 そのとき、ムディルの視界にハーフィドとシャクールの乗っているシトロエンGSが入った。向き合う形になった一瞬、ムディルは乗っているのが先日カフェで会った若者二人だと気付いたらしい。

 ムディルは嬉しそうに頬を緩めて、車に近づいてきた。当然のことながら、二人が自分を殺そうと待っていたとは夢にも思っていない様子だ。


 一度ならず二度までも、ハーフィドとシャクールは一個人として認識されてしまった。この衝撃は、ハーフィドから思考を奪うのに十分すぎるほどだった。


(殺さないと。正体がばれる前に)


 気付いたときには、ハーフィドは開けておいた窓から銃口を出し、ムディルの頭に狙いを定めてすばやく引き金を引いていた。

 混乱した頭の中とは対照的に、動作は冷静で手慣れたものだった。


 消音器付のスチェッキンAPSから静かに放たれた弾丸は、何も気付かせないうちにムディルのその命を奪った。ムディルは、顔に笑顔を張りつかせたまま絶命してうつ伏せに倒れた。


 ハーフィドは銃口を下に向けて、さらに二射三射と倒れた胴体を撃った。

 念には念をというくせがついていた。じわりと、石畳に血が広がる。


 銃を引っ込めて隣を見ると、あっという間の出来事にシャクールが呆然として固まっていた。


「シャクール、車を出せ」

 ハーフィドは窓を閉めながら、シャクールに言った。

「あ、あぁ」

 慌てて、シャクールがハンドルを握ってアクセルを踏む。

 エンジン音を立てて車は発進し、倒れた死体は遠くなった。


 ハーフィドはシートに身を預け、深く息をついた。知らないうちに、息が上がっている。


(任務は終わった。俺はいつも通りに殺して立ち去ったんだ)


 殺す相手と知り合いになったのも、笑いかけられたのも、初めてだった。だが詳細は何であれ任務が達成できたことに変わりはないのだと、自分に言い訳をする。


 シャクールの方は、もうただ淡々と車を運転していた。

 窓の外を流れる街並みを横目に、ハーフィドは目を閉じた。もう何も、過ぎ去ったことは考えたくなかった。

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