ベイルート四重奏
名瀬口にぼし
序章 夜の闇
地中海の乾いた夏の夜風が、中心街の喧騒を運ぶ。
大都市ベイルートの裏通りは、深夜であっても人の気配がないということはない。だがそれでも大通りに比べればさびれてはいた。
薄汚れた道の両側には古びたナイトクラブや安ホテルが並ぶが、ところどころは閉業している。ネオンの光にまばらに照らされた道を通行人が時折通ると、店の客引きが声をかけた。ビルの隙間から覗く満月は明るく、星は見えない。
ハーフィドとシャクールが車を停めていたのは、そんなどこの街にもありそうな場所であった。
半分開けた車の窓から、風が入る。
二人は黙り、じっと外の様子を伺いながら待った。
しばらくすると、クラブであろう建物の扉から小太りの男が出てきた。男は派手な身なりの商売女を連れて、ホテルかどこかへ行くようだった。
「あの男か」
その様子を見ながら、運転席のシャクールが言った。
「そうみたいだな」
ハーフィドは拳銃を手に、他人事のように返事をした。
そしてそのまま何も言わずに窓の隙間から銃口を男に向け、引き金を引いた。
消音器付の銃口から九ミリ弾が軽い音を立てて発射され、赤ら顔の男の額に赤黒い小さな穴が空く。
さらに念のため、ハーフィドは男が地面に倒れる前に胴体にも数発撃ち込んだ。
絶命した男が、どさりとアスファルトの上にうつむきに倒れる。
そばにいた女は、悲鳴を上げることもできずに立ちつくしていた。
それを見届けたハーフィドは、窓を閉めて銃を鞄にしまった。
シャクールは何も言わずに、アクセルを踏み車を発進させる。
こうして二人は、目撃者たちが起きたことを理解する前にその場を去った。
残されたのは、血を流す男の死体だけであった。
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