第10話

 部屋に通されて、知らない間に眠ってしまったようだ。身体もぐったりしている。こっちの世界とあっちの世界を行き来するのに、かなり体力を消耗するようだ。

 それでも、窓もない開放的な部屋なので光はたっぷり入ってくる。日の光の加減から、たぶん朝日だ。

 時計がないから今何時か分からない。日の出と共に起きて、日が沈んだら眠りにつく。

 昔の人は、こういう感覚で生活していたんだろうな。

 部屋の外に出て庭に出る。まだ朝の早い頃合いなのか、辺りには誰もいない。

 と思っていたら、くうんという鳴き声がして、畝傍丸が尻尾を振って寄ってきた。こいつも僕のことを覚えていてくれたんだな。

 そして、その後ろに、アスカがいた。

「お、おはよう」

 びっくりして、あいさつの声が上ずってしまった。

「おはよう、リョウ」

 アスカは僕の慌てた姿を見て笑っていた。もう昨日の曇った表情はない。女の子は分からない。

「昨日は疲れてぐっすり寝ていたものね。向こうとこっちを移動すると、かなり体力を使うのかしら?」

 それは分からないが、向こうに戻った時もすぐに寝てしまった。

 それで、様子を見に来てくれたんだろうか。

「うん、何だか部屋に案内されたあと、急に眠くなって、そのまま眠ってしまったみたいだよ」

「リョウはお客人なのだから、まだ部屋でゆっくりしていていいのよ。あとで朝餉を持っていくわ」

「アスカは、どこに行くんだい?」

「私は、畝傍丸の散歩がてら、離れを手伝ってくるわ」

 あれ、アスカはヒメコ様付きの女官長だと言っていた気がするのだけれど。

「君は、ヒメコ様の女官長なんじゃないの?」

「そうよ」

「それがどうして、離れで人の世話なんかするんだい?」

 アスカが僕を見て、静かに話し始めた。

「リョウには言ってなかったわね。私は、両親と兄と妹を戦いで亡くして、孤児だったの」

「え」

「とても仲のいい家族でね。父は役場で官吏としてお仕えしていたわ」

 そんな。これだけの明るさと聡明さを持ち合わせているので、いいとこのお嬢様、いやちょっと強すぎるけど、だとは思ってたけど、孤児だったなんて・・。

「いま、意外そうな顔したわね」

「いや、そんな」

 しまった、表情を読まれていた。

「それで、焼けた家の前で一人ポツンと立ちすくんでいたら、ナガスネに声を掛けられて、住むところがないならここに住むようにって連れてこられて、住み始めたの」

「そうなんだ・・」

「私はケガもなく身体も何ともなかったから、ここの人たちのお世話をすることにしたのよ。その間、ケガをした兵士たちが私にいろんな知識と戦い方を教えてくれて、たくさん学んだわ」

「戦い方も?」

「そうよ。だから結構戦えるのよ」

「うん、それは身のこなしとか、ナガスネとやり合っているところを見ればわかるよ」

「ナガスネは私とやり合う時は手を抜くから、結局彼の方が強いわよ。まともにぶつかったら、私なんかひとたまりもないわ」

 なんだかうれしそうに、ナガスネのことを話す。

「他にもいろいろ教わったの。礼儀作法なんかは厳しい人で・・。それで、鍛えられてヒメコ様のお付きの女官に推してくれて、今こうしているってところ」

 アスカは、恋とか経験あるのかな。この時代だと結婚も早いって聞いたことがあるけど。そもそも寿命がかなり短いんじゃなかったかな。

「あのー、一つ聞いてもいいかな?」

「いいわよ。なあに?」

「アスカは、好きな人がいるの?」

「あん?」

 アスカ様の声色が急に変わって、目つきも厳しくなった。

 あー、我ながらなんてバカな聞き方をしてしまったかと、言ってから後悔している。あまりにストレートすぎるじゃないか。

「そんなこと!、そんな人いるわけないじゃない!」

 どこかの火山が噴火したようだ。僕はその噴火に直撃して、噴煙とともにどこかに吹き飛ばされてしまった。

 やれやれと思ってアスカの前に戻ってくると、アスカが普通の状態に戻っていた。

「あらあら、ごめんなさい。何を聞くかと思って驚いてしまって。ほほほ」

 いや、普通じゃない。怒っているより優しい方が怖い。

「僕の方こそごめん。向こうの世界では、この頃の人の結婚は早いって習ったから、もうそんな歳なんじゃないかなと思って」

 少し安心したことは、黙っていた。

「へえ、そういうことになってるんだ。そうね、私くらいの女の子はそろそろ夫婦になることが多いかも。周りからもそう言われるし。前にみんなに囃し立てられたでしょう」

 うん、あの時はドキドキしたけど、それも黙っていよう。

「リョウはどうなの?リョウの世界ならもう夫婦になっている頃なの?」

「うーん、向こうなら、もう少し経ってからかなあ。僕はまだ勉強している最中だから、仕事にもついていないし・・」

「え?仕事してないの?どうやって生活しているの?」

「いや、まだ親に食べさせてもらっているというか・・」

「あー、高貴な家の生まれなのね。それは失礼しました」

 いや、普通のサラリーマンの家ですけど。

「向こうじゃ結婚しない人も多いから」

「え?夫婦にならないの?それじゃあ子どもを産めないじゃない!どうやって人を増やすの?」

「もう日本だけで1億2千万人くらい人口があるから、無理して増やさなくてもいいみたいなんだよ」

 アスカが、少し考えるように僕に確認した。

「えっと、1億2千万人って、何人のこと?」

 うーん、これは難しい質問だなあ。

 でもこうやってみると、同じ国なのに時代が違うだけでこんなにもいろんなことが違うんだ。それを実際に経験できるって、なんか贅沢なような気がする。

「ちょっとうまく説明できないんだけど、説明しようとすると長くかかっちゃうから、これからゆっくり教えていくよ。だから、今は離れに向かおうよ」

「うん、わかったわ。その代わり、たくさんいろんなことを教えてね!」

 アスカは好奇心が旺盛なんだ。だから聡明な女性になっていったんだろう。

「離れで僕も何か手伝いたいな。何かできることがあったら教えてね」

 アスカがとびきりの笑顔で、僕の手を取って走り出した。

 

 離れに着くと、多くの人は既に目が覚めていた。アスカが入っていくと、みんな元気になるようで、表情が生き生きとする。

 あんな事情があったから、一層元気になるんだな。

 一通り朝の食事が終わり、落ち着いたところでミカシキの元に行った。

「おはようございます」

「おー、王子、じゃなかった、リョウだったか。おはようさん」

「ミカシキは、片足を切断してるから動けないでしょうけど、作戦を立てたり指示をしたりはできますか?」

「ん?何を言っている。まだまだ頭はしっかりしているぞ。この足が動かないだけで、他のところはピンピンしとるわ!」

「動けんくせに、口だけはまだ2番隊隊長だから!」

周囲の人たちが笑いながら囃し立てる。みんな動けないことにそんなに悲観的にはなっていないようだ。

「あのー、もしもなんですけど、椅子にタイヤを付けて車椅子を作れたら、何かの役に立つでしょうか?」

「ん?タイヤ?車椅子?何じゃそれは?」

 あ、そうか、まだそんな言葉がないな。

「ヒメコ様のお座りになっている様な椅子に、車輪を付けたらどうかなと思って」

 言った途端、ミカシキは烈火のごとく怒り出した。

「ヒメコ様の椅子にわしが座るじゃと?そんな不敬なことができるものか!バカも休み休み言え!」

「あ、ごめんなさい。玉座を使うのではなくて、あれに似た椅子を作って車輪をつけるんです。みなさん今でも椅子を使わないで床に座っていますよね?それだとかなり苦しいし、足も弱るので、生活する高さを変えるといいのでは、と思いまして」

 みんなの表情を見ると、あまりピンと来ていない様子だった。見かねてアスカが説明してくれた。

「リョウ、椅子に座れるのは国王のヒメコ様だけなのよ。それ以外の人が座ったら死罪になるわ」

「え」

 そうか、いつの時代でも椅子って身分の象徴なんだな。

 でも、これは実際に体験してもらわないと、わかってもらえないみたいだ。と言って、僕に作ることなんかできるかなあ。

 車椅子の構造は以前大学で習ったので、絵に書くことはできるかな。それを元に作ってもらってみようか。

「わかった。じゃあ、実際どんなものか絵に描いてみるね。紙と鉛筆、なんてないか・・。何か絵を描けるものって、あるかな?」

「文字を書くの?リョウは文字を知っているのね」

「文字じゃなくて、絵を描きたいんだ。木の板でもいいや」

「木の板なら、これから作らせるわ」

「あと、筆と墨とか?この時代に筆記用具なんてあったかな?」

「筆は、海を渡って持ち込まれたと聞いているけど、まだ巻向にはないわ」

「じゃあ、鶏の毛を刈ってそれを束ねて木の棒に縛り付ければ何とかなるかな。墨は、あ、この木の枝を焼いて焦げたものを使おう。うん、何とかなりそうだよ」

 高校で美術部にいた時に、画材の歴史を聞いたことがあって、こんなことを聞いたから、やってみよう。きっと何とかなるさ。

 材料を兵士たちに頼んで、言った通りにやってもらうと、簡易的だが筆と墨ができた。木の板も組み合わせて少し大きく作ってもらい、その上に車椅子の外観と立体図を書いた。

「うん、こんな感じかな」

 少し時間はかかったが、絵を描く時の記憶力と集中力は人並み以上にあるので、すらすら描けた。

「リョウ、こんなことできるんだ・・」

 アスカが、今まで見たことない眼差しで僕を見ている。うう、なんか恥ずかしいぞ。

「車椅子って言うんだけど、こんな風に椅子に車をつけることで、足が動かなくても手で漕いだり誰かに押してもらったりして移動ができるんだ。だからミカシキが戦いの場に移動できる様になるよ」

 みんな黙って僕の話を聞いている。

「これは、確かにそうできれば戦いも変わってくるのだが・・」

 ナガスネがポツリと言うが、全面的に喜んでいるわけではない。

 やっぱり椅子に座るというのが受け入れられないのかな。

「それなら、僕からヒメコ様にお願いをしてみます。許可がもらえたら、やってみましょう。アスカ、僕をヒメコ様のところに連れて行って」

「うん、わかったわ」


 アスカに連れられて、近衛兵のチェックを受けてヒメコ様のいる部屋に通してもらう。本来は国王なので、これくらい用心深いのだが、なぜか僕に対しては気安く接してくれている。

「おお、リョウから訪ねてくるとは珍しいな。何かあったか?」

 この部屋で話をすると緊張する。外見が小学生のように見えても、やはり一国を束ねている王なのだ。最初にあんな軽々しく口を聞いても大丈夫だったんだろうか。なんか心配になってきた。そうすると余計言葉が出てこなくなる。

「リョウは、ただいま絶賛緊張中で、言葉が出ないところです。もう少しお待ちください」

 アスカがクスクス笑いながらヒメコ様に説明してくれる。いや、その通りなんだけどさ、なんか腹立つ。

「そんなにかしこまるでない。いつも通りに話してくれればよい」

「は、はい。ヒメコ様にはご機嫌麗しゅうございます・・?恐れながら、申し上げまちゅ!」

 あ、噛んだ。

「いや、だから普通に話せ。使い慣れない言葉を使うと、何を言っているか意味がわからなくなる」

 隣でアスカが堪えきれないのか、ククッと小さな声を出して笑い始めた。

 どーせ僕には教養なんかありませんよ。

「では、普通に話します。まずこの絵を見てほしいのですが」

 アスカが持ってきてくれた、車椅子の絵が描かれた板を広げて、ヒメコ様の前に差し出した。

「これは・・」

「これは車椅子と言って、椅子に車輪をつけて動くようにしたものです。これに乗れば、後ろで誰かに押してもらうと、座ったまま歩かないで移動できます」

「ほう。それはすごい。して、これに乗れと?なぜじゃ?」

「いいえ、これはヒメコ様が乗るのではなく、ケガをして歩けないミカシキに使ってもらいたいと思います」

「なに!玉座をミカシキに譲れと申すのか!」

 あー、だから言わんこっちゃない・・。

「違います。玉座は王のものです。それはヒメコ様以外お座りにはなれません。新しい別の椅子を組み立てて、それに車輪を付けるのです。椅子は簡素なものにします」

「どうして王以外の者に椅子を与えるのじゃ?椅子はその国を束ねる王のものであるぞ!」

 アスカが心配そうに僕を見つめる。今までの文化や慣習を変えるには、ものすごいエネルギーがいる。前の世界でもそうだった。みんな、そうじゃないと思っても、長いものに巻かれた方が楽だから、途中で諦めてしまうことの方が多い。

 それでも、世界は変わっていったんだ。僕はそれを知っている。だから、ここで引き下がってはいけない。

「今、戦いが頻繁に起こって、作戦の指揮を取る者がケガを負って少なくなっています。幸いミカシキは脚を片方失っただけで、頭の方ははっきりしています。ミカシキの経験を使えば、ナガスネ隊長と共に重要な戦力が復活するでしょう。だから、楽にミカシキが前線に出られるようにと考えたのです」

「しかし・・」

「片脚で床から立ち上がるのは大変難しいのですが、椅子の高さからだと容易に立てます。なので、椅子への乗り降りもできるように教えます。そして、ここに描いてある車輪で滑るように動くので、ミカシキの体重を全部誰かが支えなくても、楽に動き回ることができます」

 ヒメコ様は考え込んで、黙ってしまった。

「玉座に座れるのはヒメコ様だけです。この車椅子は玉座ではなく、ケガをした者のために使います。形は似ていますが、玉座ではありません」

「これって、実際に作ることができるの?向こうの世界のものなんでしょう?」

 アスカが確かめるように質問してきた。

「これだけの本殿を建てられる技術があれば、問題ないと思います。いくつかの作業は、離れにいる人たちの仕事として、できることをやってもらいます。ヒメコ様のお許しが出れば、試しに作ってみたいです」

 本当にやれるだろうか。いいや、やらなきゃいけないんだ。

 少しヒメコ様が考えるような仕草をして、沈黙があった。

「うむ、わかった。それを許そう。リョウよ、やってみなさい」

 やった!お許しが出た!

「ありがとうございます、ヒメコ様。これで、離れにいる何人かは、また戦いに戻ることができるかもしれません!」

「これでこの国の民を守れるのであれば、王の威厳などにこだわるものではない。必要なものがあれば、アスカに言って準備させるとしよう」

 その懐の大きさが、王の威厳なのですよ。ヒメコ様。

「じゃあ早速材料を集めてもらうから、離れの作業場に行こう!」

 戻る途中、アスカがボソッと言った。

「また戦ってほしい訳じゃないのに。もう戦いなんて必要のない世界になればいいのに」

 そうだ、もう一度戦わせるために車椅子を作るんじゃない。早くこの戦いを終わらせるために、戦いの場に戻ってもらう、そのために作るんだ。

「うん、わかってるよ。だから早く相手が諦めてここから引いてもらうためにも、がんばるよ」

「ありがとう、わかってくれて」

 アスカが上目遣いに僕を見つめる。


 この時代のものつくりの技術は正確で、僕が描いた絵の通りに車椅子が作られた。これなら向こうの世界の技術にも匹敵するのではないだろうか。

 もちろん重機も機械もないから、人の力が中心にはなるけど、これだけ街並みを整備して大きな屋敷を作る技術を持っている。改めてこの国の歴史に感動してしまった。

 普段はあまりすることがなくて、身体の動きが少ない人たちにも、切り出した部品を磨いてもらうなど、各々ができることを仕事として手伝ってもらった。

 車輪の軸受の部分の位置は、後ろにもたれても倒れないように、バランス調整を僕が自分でやった。

 すごい。車椅子を半日で作ってしまった。

「さて、一応出来上がりましたので、試運転と行きましょうか」

「はいはい、私が最初に乗る!」

 なぜかはしゃいでいるアスカさん。新しもの好きなのですね。

「じゃあここに座って。まずは後ろから人が押すところからやってみよう。そうだな、ユキさん、この取手を持って押してみて。アスカは黙って座っていてね」

「えー、自分で何かするんじゃないの?つまんない・・」

 見当違いのクレームは無視して、ユキさんに車椅子を押してもらう。車輪も木製だが、技術が高く、かなり真円に削られているからスムーズに軽く動いている。

「うわー、何これ、動いてるよ」

 アスカが、ユキに押されるまま移動している。

「これは軽いです!すごいです、リョウ様!」

 いつもはあまり感情を見せないユキが、僕を褒めてくれている。

「じゃあ次は、自分で動かしてみよう。車輪が左右とも二つずつついているから、その外側を手でつかんで前に押してみて」

「こうかな?」

「そうそう」

「あー、すごい!、動いてる!自分で動けてる!」

「慣れればもう少し楽になると思うけど」

「え、これ止まる時はどうするの?曲がるときは?」

「手を止めたら車椅子も止まるよ。曲がる時は左右の手の力の入れ方を変えればいいんだ」

「あ、ほんとだ!自分で好きなように動かせるよ!」

 アスカが子どものようにはしゃいでいる。

「はいはい、それじゃあミカシキに乗ってもらいましょうか。アスカ、降りて」

「えー、もう降りるの?もっと乗っていたい!」

「これは、ミカシキのために作ったんだから。はい、どけて!」

 あんまり降りようとしないから、僕はアスカの手を引いて無理やり降ろした。

「リョウの意地悪!」

 もう、アトラクションじゃないんだから・・。

 一方的なクレームは無視して、車椅子をミカシキの前に持って行った。

「本当は、他の椅子やベッドの上から移動するとスムーズなんですけどね。それがないから、この車椅子の枠をつかんで、片脚で立つことができますか?」

「立つだけならなんとか」

 ミカシキは、僕の指示したように動いて、立ち上がってくれた。お世話係の人にも、楽に立ち上がりを手伝える方法を教えた。こんな小柄な女性が、大男を立ち上がらせようと思ったら、重くて尻込みしてしまう。

「では、座ってみてください」

「ワシがか?そんな恐れ多いことはできぬ!」

 うーん、また始まってしまった・・。ミカシキはガンとして座らないと拒否している。

「リョウ、ちょっと待ってて」

 アスカが急いで部屋を出て行った。

 少し経って戻ってくる時には、ヒメコ様が一緒だった。

「おお、ヒメコ様がいらっしゃったぞ!」

「よい、そのままで」

 皆が頭を下げようとするのを制して、ミカシキに言った。

「ミカシキよ、リョウの言う通りにするのだ」

「しかし、ヒメコ様、そんな不敬な・・」

「私が許すと言っている。私の言うことが聞けぬか?」

「いえ、そのようなつもりは全くもってございません!」

「うんうん、それではそこに座ってみよ」

「ははー、恐れ多くも、ヒメコ様のご指示とあらば」

 ミカシキが、やっと車椅子に座ってくれた。

「座り心地はどうですか?じゃあ、誰かに押してもらいましょうか」

 お世話係の一人が前に出て、ミカシキの乗った車椅子を、おそるおそる押していった。

「わあ、軽い!」

 お世話係は思わず声を漏らして、にこやかな表情で車椅子を押していた。

「これなら、どこにでも連れて行って差し上げられます!」

「そうか、これは良いものを作ってくれた。礼を言うぞ、リョウ」

 ヒメコ様も喜んでくれたようだ。

「なんと!これでまた戦いの場に出られるとは!ありがとう、リョウよ」

 ミカシキの目に涙が溜まっていた。今まで、身体が動かないから自分は役に立てていないと考えていたんだろうな。人って、誰かの役に立ちたいと思う気持ちが誰でも持っているから、きっと悔しい思いをしていたんだろう。

「誰か車椅子を押す係の人を決めるといいかも」

「うむ。それはミカシキの子アビヒコにやらせよう」

 ナガスネが威厳を持って命令した。

「はい、ナガスネ様!」

 アビヒコがナガスネに呼ばれて前に出た。

「あー、これから毎日、乗り降りと車椅子を押す練習をしてください。慣れるとかなり速く移動できます」

 良かった、この時代の人にも喜んでもらえて。

 だけど、一つだけ心配事があった。さっきアスカがつぶやいていた。

 それは、この時代になかったものを完成させてしまったことだ。

 今回こちらに来る時に、持ってきた薬や湿布はリュックごとなくなっていた。スマホも持ち込めなかった。

 要は、この時代にないものは、この後の歴史が変わるのを防ぐために持ち込めないことになっているのだろう。

 車椅子はこっちで作ったものだから、持ち込んだものではないけれど、今まであったものでもない。歴史を詳しく調べた訳ではないからなんとも言えないが、たぶん車椅子なんてこの時代にはなかっただろう。

 と言うことは、どこかのタイミングで消えてなくなるかもしれない。

 せっかく、みんなあんなに喜んでくれているのに、消えてしまったら。

 どうなるかはわからないが、アスカには話しておいた方がいいだろう。

「アスカ、ちょっと話があるんだ。人のいないところで話をしたい」

 アスカが少し驚いた様子で、こちらを振り向く。

「え、なに?何の話?」

 なんか僕までドキドキしてきたけど、そう言う話ではないから落ち着いてね。

 二人で庭に出て、畝傍丸の元に行った。畝傍丸は僕を見て、またくうんと鳴いた。

「今回来るときに、向こうの世界で用意した薬が持ち込めなかった、って話したよね」

「ああ、そうだったわね。リョウの持ってきた薬なら、かなり効いたんでしょうね」

「それがどういうことか考えたんだけどさ、要はこの時代にないものを、突然持ち込むのは難しいんじゃないかって思ったんだ」

「どうして?リョウは来てるじゃない?」

「僕がどうしてここにきたのかは、全くわからない。それはまた別の話になるけれど、この時代にないものが突然ここに現れると、その後の歴史が変わっちゃうから、それを防いでいるような気がするんだ」

「あ、そうか。それは困るわよね」

「うん。それで、今回作った車椅子がどうなるのか、ちょっと不安なんだよ」

「うーん、なるほど。確かに今までここにはなかったものではあるわね」

 アスカは頭に手をやり、少し傾けて考えてから言った。

「それじゃあ、消えちゃうってこと?いつ?私たちの記憶も消えるの?切り出した木材とかも元通りになるのかな?」

 確かに、こっちの世界で作ったんだから、いろんなところに影響が出るだろう。それが全部何もなかったことになるんだろうか。薬やスマホはアスカも誰も見ていないから、消えたところで僕が嘘を言っていたとすればそれで済むし。

 でも、今回は関わった人が多すぎる。はて、どうなるんだろう。せっかく作ったんだ、みんなの努力が無駄になるから、消えて欲しくない。

「今夜、車椅子は僕の部屋で寝ないで見張っているよ。消えちゃったら僕の責任だし」

「それなら誰かに寝ずの番をさせるわよ」

「いや、僕がこの目で確かめたいから、僕がやる」

 アスカは少し考えた後、キッパリと僕に言った。

「わかった。私も一緒に寝ないで見張る」

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